治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

洗脳の強さ

2018-12-18 09:06:37 | 日記
南雲さんとの共同ブログ、昨日爆弾のような質問を投げました。
続々コメントいただいています。
本文にも書きましたが藤家さんにも答えをもらっています。
皆さんもどんどん書き込んでくださいね。

それにしても(ブ)ですが、コメントの中に、相談先をたくさんもつこと、医療教育福祉などが連携すること、というものがあり、今更ながらに洗脳の強さにあ~と思っています。
私などは「相談先を増やす」ときくと「どん詰まり」の未来が見えるし「連携」は「囲い込み」の同義語だと思ってしまうのですけどね。連携がほしい人は、不安の強い人だと思います。不安の薄い人にとって、連携は邪魔なだけです。
また、「依存先を増やす」のはどう見ても自立ではありません。もっとも熊谷氏のオリジナルの文脈では「親以外に頼る先を見つける」とどうしても私には読めるし、それは間違いなく自立なのですが、それ以外の文脈で福祉の人々が自分の解釈で語っている「依存先を増やす」はどう見ても自立と逆行しています。ただ、支援者の営業には都合がいいフレーズ。それを真に受ける人がいるんだなあ、と思っています。

さて、西郷どんが終わりました。
一年かけて西郷どんに感情移入してきた人にとって城山での最期は悲しいものでしたが、日本の国にとっては西南戦争の終了をもって武士の世が終わったのはいいことでした。
西南戦争が侍の世の終わりなら、侍の世が始まったのは北面の武士とかあのあたり。皇族貴族が自分たちの身を自分たちの手で守らず身辺警護という汚れ仕事をやらせた相手が武士。そしてそのあげく飼い犬に手を噛まれるように政権取られて武士の世が700年続きました。
武士が支配する世はどういう世かというと要するに軍事政権です。途中群雄割拠しながら基本的には地方分権の軍事政権が700年続いたのです。
貴族に汚れ仕事を押しつけられた武士たちは金が汚れているという思想のもと、米本位制になりました。しかも自分たちは一粒も作らない。その汚れ仕事を農民に押しつけました。未だに自治体主催の講演会では本を売ってはいけないとか、税金で食ってるわりに商業活動を蔑視するのが役所ですが、それはほぼ生理的な感覚。理屈ではありません。米本位制の名残ですね。
江戸時代の武士はただの世襲の穀潰し、というか家の格によって決まっている年金額をもらってちょろっと役目を果たすだけの有識者階級で、基本的に役立たずでした。西郷どんたち下層の武士は食うや食わずだったようですが、そもそも剣の稽古とか、平時にはなんら生産性のないもので日々を潰していたのですから当たり前といえば当たり前です。年金もらって日々河原でトレーニングしているニートみたいなもんですから、貧乏で当たり前。鰻が食べたければ川に入って自分で取るしかないですね。
けれども黒船が来て、日本の危機と後進性を感じた一どんたちは自分たちもその一部であったこの米本位制と穀潰し階級をガラガラポンしないと国の存続が危ぶまれることに気づきます。そして世襲の年金システムを廃した。所得の再配分システムを作り直そうとしたのです。それに対して反乱が起きたんですな。
そして最後は鹿児島の市街地にも磯御殿にも弾が飛んでこないように城山にこもってドンパチして、「百姓と町人の部隊」が勝つ。これは西郷大久保の仲良し二人が仕組んだ今後の国防のための大規模演習ではなかったかという説を唱える人もいるほどですが、武士のいなくなった世の中では百姓や町人が自分で自分の身を守らなくてはならないのです。それが四民平等です。そして日清日露と連勝したのですからね。

まあそんなわけで、私は戦国時代の「お家大事」は利権の共有している人たちが社会正義より自分の食い扶持の源=お家 を大事にしただけの保身道徳にすぎないし、江戸時代の武士は世襲の年金生活者だし、なんで怖がられていたかっていうと二本差ししてたからだし、武士ってたいしたもんじゃなく武士道にまつわるいいイメージは新渡戸稲造が外に向かって日本を弁明するために発明したもんだと思っております。
だから平成の最後になって「私は武士の娘です」がコメディになるのは正しいのですよ。
武士の娘であることは誇りでもなんでもないのです。それがまっとうな感覚です。そして「連携が大事」とか「相談が大事」とか言う人は、私にとっては「武士の娘です」と言う人と同じくらい洗脳が解けていない人に見えるのです(ブ)。

私が言う「ギョーカイを潰す」は、「誰かの人生を人為的に不完全燃焼させることによって自分たちが食い扶持を稼ぐ一群を無力化する」ことですが、軍事方面でもなく政治方面でもなく私はそれを言論からやります。
まずは「医療福祉教育とかに主導権を渡すな」という方面からやります。
今は飼い殺しの就労支援がたとえば一月200万円売り上げていて(税金からね)、スタッフ四人利用者十人いたとすると、そんな事業所ぶつしてその200万円を事業所の売り上げにするのではなく14で割って一人14万円のベーシックインカムをもらえばいいんじゃないですか? そうしたら職員による虐待も利用者によるセクハラも15000円の月給で働き続けるむなしい人生もなくなります。
今福祉に回っている分みんなベーシックインカムでもらってあとは働くなりボランティアするなり好きなように暮らす、とにかく誰かの人生を食い物にして生計を立てる人がいない社会、というのが私の理想です。
『発達障害、治るが勝ち!』に書いたように私はベーシックインカムを支持する立場ではありますがその財源は「ギョーカイを潰す」です。
だから侍の世の終わりを私は嘉するものであります。

でも西南戦争では大きな犠牲が出ましたね。
あのくらいドンパチしないとギョーカイは潰れないかなあ、と一瞬心配になりましたが、その心配はいらないや、とすぐに気づきました。
なぜか?
ギョーカイには西郷どんがいないからです。
背負って立つ大人物がいない。
だからきっと、潰すのはカンタンでしょう。700年続いた武士の世の中より。

だんだん治る。どんどん治る。
藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅
ツイッターでも感想が続々と寄せられていますから私のツイッターは時々見てね。
今はとくに栄養情報と治った情報満載ですよ。気づけばリツイートしていますから。
FBが仲間内の集まりだけど、ツイッターこそ楽しい(個人の意見です)。
そしてツイッターでブログの感想とかくださる方、コメント欄にもご協力いただければさらに盛り上がります。

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3 コメント

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発達障害は治らないと人にいわれました (佑樹あかり)
2018-12-18 10:21:51
啓発が進んだことで、発達障害の概念は広まりましたが、発達障害は治らないと考えている人たちがまだまだ多いと思います。

私も自分の発達障害が治ったとは思えず奇人変人のままです。私の努力不足だとは思いますが。

それでも周りには自分を好きでいてくれる人たちは少数ですがいます。

たしかに、上から目線の説教ではなおりませんが、栄養食事療法や身体アプローチ、日常生活の中の工夫で発達することは花風社クラスタは知っていても、まだまだ一般の人たちには知れ渡ってません。

自分にできることは自分が治ることしかないなあと思っています。
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洗脳の強さ (心は生えてくる)
2018-12-20 10:56:49
一言だけ聞くと支援者の洗脳する力を想像しますが、 洗脳される人達にも問題アリですよね。

我が子の療育センターで知り合った親達を思い出すと、
・被害妄想が強い。
・目に力が無い印象。無表情。
・マイナスの感情の時だけ表情が出る。
・子どもの出来ないこと自慢ばかりで、成長を認めな い。(定型の親達がする、謙遜のつもりかもしれな いけど。)
・ただのアドバイスに「マウンティングだ」と騒ぐ。
・客観的の意味が理解が出来ない。

私の周りだけの、偶然、ですかね。
やはり親も発達障害なんですかね。←私も含めて
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名古屋市で (かぼす)
2018-12-21 09:03:27
今日は小学校の二学期終業式ですが
朝から名古屋市での小中学校を通常学級のみにする研究を行うニュースでTwitterが盛り上がっていました。
本来なら支援学級に行くべきお子さんを普通学級にて受け入れる体制を考えていくことに
なるのでしょうが支援のデパートを使いまくってぬるま湯教育の恩恵を受けている真っ最中の
保護者や支援者にとっては問題意識にしか
感じてなかったようでわずかなる選んで来た道
に後悔を持ちつつそこ顕在化させないでと
いう叫びに見えました。
西郷どん面白かったです。歴史って楽しい。
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