治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

決まり文句を言える人への対応策

2017-03-29 10:59:57 | 日記
さて、自虐と社交辞令の記事にいただいたふうりんさんのコメントから。

http://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/b14bf367d1f544e27f2f3bb7cf356e3c#comment-list

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一から信頼を築く力、他の誰でもないただひとりの相手と対峙する力、自分の考えを説明する力などが特に家庭では大事です。それらは空気を読むような社会性では鍛えられません。

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私は最近、花風社が岩永先生に教えていただいたなかで五感+二覚という考え方だけではなく、「行動体力」と「防衛体力」も大きかったなあ、と考えていました。そして社交辞令について考えていて、行動社交辞令と防衛社交辞令があるなあ、と思いました。自虐が社交辞令として機能するのは、一種の魔除けみたいな感じで使うんだろうな、ということに気づきました。これが防衛社交辞令。

行動社交辞令はもっと「ご機嫌取りに行く」感じですね。そうやって社交辞令にも二種類ありますね。そして防衛社交辞令はその性質上、自虐的なかたちをとりがちですね。

そして決まり文句を言って世渡りしている人たちに私が違和感を感じてきたのは「私にとってはあの人たちは信用できない」から。でも愛甲さんに「浅見さんにはDNAレベルで無理」と言ってもらって、あの人たちはあの人たちであれが処世術なんだ、と納得した感じがしたのです。資質が違ってサバイバルスキルが違うだけ。自分の本心を表すのに言葉を使わず決まり文句で乗り切る方が有利な戦略である人もいるのでしょう。

そして私の場合には決まり文句を使わないほうが生存戦略としてかなっているわけです。そういう人もいるのに、なんで防衛社交辞令だけオウムのように教えることがSSTになっているのかが不思議だったわけです。ある種の人々はSSTによってかえって資質を押さえつけられているでしょう。だからSSTの二次障害が出るのでしょう。

決まり文句系の人を私がなぜ信用しきれないか。それは決まり文句で世渡りする人はどこかで思考停止しているからです。「改善するけど治らない」というありえない現象を語る言葉でも、それをみんなが共有し、共有することで成り立っているコミュニティにいる以上とりあえず使っておく。そういう風に決まり文句系の人は人に流されやすく、だからこそおそらくいさかいを起こさない。でも、どこか徹底しないところがあって、本質に働きかけるものは決して産み出さない。そういう人と通り一遍のつきあいをするのは面白いかもしれない。でも一緒につきつめて考えなきゃいけないところを借り物の言葉でその場をやり過ごしてしたり顔されるとすごく頭にくるんですね。私がしたいのは、つきつめることであって、その場をやりすごすことではないからです。

そしてふうりんさんのおっしゃるとおり「対峙する力」と「その場をやりすごす力」はまた別のものなのですね。それが二者関係と三者関係と言ってもいいかもしれない。空気を読む力と、誰かとしっかり関係を作る力は別物ですね。どっちも持っている人もいれば、どちらかが苦手な人もいるでしょう。でもピラミッド的には二者関係の方が土台なんですね。

そうか。ここまで書いてきて気づきました。巷のSSTに不満を感じるのは、二者関係が結べない人にいきなり空気を読んで防衛社交辞令ばかり教えるからかもしれません。そして空気を読む能力と、誰かと親密になる能力は別物ですもんね。

タイトルに戻りますが
私の「決まり文句を言える人への対応策」は

「心からは信用しない」なのかもしれません。
人を信用しやすい楽観主義者だけに、だまされやすいんですけど。
そして私が信用しない決まり文句を駆使できる人に無理やり育てるようなSSTはやっぱり支持できないなあ。
それで資質を潰される子もいるでしょう。