治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

私も愛甲さんに質問しようかしら

2015-12-24 06:03:43 | 日記


さて、2月7日の愛甲さんに質問する会にはこよりさんもいらっしゃるそうです。わーい。
なんていって、ご案内のMLは流したけどここにご案内していない(つまり今のところML見ている人にしか情報がいっていない)のに気づきました。今日中に貼っておきますね。そしてしばらくトップに貼っておきます。

まあ昨日も書いたように晴々と年末を迎えているときに、ちょこちょこと、ちっぽけなテロリストの人からメールが来てます。一回会ってくれないかというのです。非常に手短に「会えません」とお返事してます。そうしたら、手紙が来ました。どうしても会って話したいことがあるというのです。やはり「会いません」とお返事しました。「会えない」っていうより「会わない」のですね。年末で忙しいから会えないのではなく、たとえたっぷり時間があっても私はこの人には会わない。

なぜか?

会に申し込んできた。そして浅見の言動が気に食わないから「当日ことを荒立てる」と南雲さんに宣言してきた。南雲さんから情報を得て私は返金+入場禁止の旨通知した。返金先の口座を聴いたらちゃんと教えてくれたのでそこに返金した。そして入場券を返してもらえるよう返信切手を貼った封筒を郵送した。でも券は返ってこなかった。そして当日会場には入らないけど外で待っていた。とにかく約束違反なのです。約束違反する人だから会いたくありません。

そういうのをちょこっとつぶやいていたら、忠告してくれた人がいました。

「一切返信しないほうがいいですよ」と。

ああ、ギョーカイ人らしいなあ、と思いました。
それとウエメセだな、と。
この方親しく会話はさせていただいておりますが、そしてその言動を楽しんではいますが、私にとっては「あっち側の人に思える」瞬間が多いんですね。どこがどう福祉的なのか、説明しましょうね。

おそらく「迷惑なちょっかいをかけてくる当事者には返信しない」のが福祉の世界の原則なのかもしれません。そしてそれは私が「死んだふり」と呼んでいるものの一つです。それをみんながやって、私が最後に裁判をやる羽目になったのです。




そして裁判を起こしたときに被告が「障害があるのに訴える浅見ひでえ」と騒いでいたので、そういう意味では被告自身も福祉の色に染まっていたのでしょう。私は染まっていなかった。でも被告は染まっていたのです。

たしかに「自分の身に降りかかる災難を減らす・やりすごす」だけのためなら、一切返信しないのが「正解」かもしれません。でもそこには「保身」がつきまとうように見えてなりません。そして支援者と名の付く人たちが障害者と健常者の世界の懸け橋となることではなく、てめえの身の保身を第一に対応を考えてきたからこそ、「発達障害者は迷惑だ」と一般社会に思われてしまう当事者がありのままにされているのではないでしょうか。

つまり「迷惑なメールには一切返信しない」という行動を選択せずにせっせと返事するとき

身内のご高齢者を次々とお世話したこよりさんと同じ行動をとっているのです、私は。

こよりさんが投げ出さなかったのは、そこにご高齢の方がいたからです。自分しかそのお世話をする人がいなかったからです。

そして私が売られた喧嘩を全部買うのも同じ理由です。迷惑当事者を腫物のように扱い、まともに対応しない人が多いこのギョーカイで、私を喧嘩の相手に選んだのなら、とことんやってあげましょう、という感じです。

そらパパ騒動のときにも「なぜあんな小物を相手にするのですか」とか言われましたけど、「わが子の療育さえうまくいかない親がウエメセであれこれよその親にえらそうなこと言っている。それを信じている人もいる。本をアフィリエイトしてもらいたいのか囃したてるギョーカイ人もいる。じゃあせめて、花風社の浅見淳子はこういう評価をしているよと伝えたい。目を覚ますひとは覚ますだろう」という気持ちでした。

それに対して「浅見さんが損をしますよ」と忠告してきた人は「死んだふりスペクトラム」のカテゴリーに入れました。私の損などどうでもいいのです。私が社会人として基準にしているのは「自分の身を守ること」ではなく「今こういう状況に置かれた人間としてどういう行動を取るのが社会のためなのか」なのだから。こよりさんだってそうでしょう。自分の与えられたポジションから逃げ出さなかった。だから身内四人介護しながら凸凹キッズを二人働く大人にしたのです。

大大大博士祭りの時にも、必死に吉川徹(当時名大病院)に言い返す私を冷笑する医者がいました。私はなんとか治ってほしいと思ってあの本を出そうとしていた。それを出版前から邪魔する吉川徹に必死に言い返す。その必死さをあざ笑った医師がいました。
(あ、それと、またそらパパがデマを言っているようですが、私は吉川の件、一切名大病院には接触していないですよ。よそのとこの人事になんか介入しません。ただここで実名を書いただけです。あとは先方の判断)

藪医者は引っ込んでろ、と思いました。そしてそういう必死さを笑うような風潮が私は大嫌いなのです。

「今自分が置かれたポジションでやるべきことをやる」

その原則を、こよりさんは介護方面で貫かれました。
私は「売られた喧嘩を買う」方面で貫きます。

それに対し「もっと保身を考えれば・・・」と忠告してくる人は
そして「保身第一の自分こそお利口でいちいちつっかかる浅見はバカである」と冷笑する人たちは
私にとって「ウエメセ」に感じられるのです。
そういう支援者が多いから発達障害者は理解されないんだろうと思っています。

そして
ぶち当たった問題をどう解決するかなんてそれこそ「資質」です。
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」でニキさん、ちゅん平、私がそれぞれどういう風に問題に対処するか資質の違いを漫画にしてもらいました。そこをもう一度よく読んでください。



保身を選ぶのなら、いや、保身しか選べないのならそれはそれで仕方ないけど
引っ込んでてもらいたいんですね。
それがそこで引っ込まない人たちが教育福祉には多いんですよね。そして忠告する。ウエメセデフォルトなんです。本当にウエメセが染みついて第二の皮膚となり自分では気づかないのだと思います。

みたいなこと愛甲さんに相談したいけど

たぶん時間がないだろうな。そのうち、個人的に相談に乗ってもらおう。



休暇中に読んだり読み直したりする本たちです。この他電子書籍もたくさん買いました。
今回は脳みそとか身体とかなんとか療法とか一切読まずに

社会の中で誰がどう逃げずに自分の役目をどう果たしたか

を学ぶ十日間にしたいと思います。保身よりも世の中のためを大切にした人たちのことを知りたいと思います。
私の仕事の上ではね、それって大事なんです。