治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

高学歴主婦

2014-09-11 09:10:46 | 日記
先日、今般の内閣改造に伴う女性閣僚の登用について意見をきかれたのですが
正直わかりませんでした。
ああいうのが、女性の社会進出を助けるという論理の道筋がわからないからです。

私はりべらーるな政治志向のあんまりない人なので
いわゆる女性の就業率を増やそうみたいな男女共同参画社会の形成にも積極的に寄与はしていないと思います。
ただ村岡花子さんの伝記である「アンのゆりかご」とか先般の白蓮の伝記を読んでいて思うのは
あの時代に生まれたら(そしてそういう活動ができる立場にいたら)女性の参政権のためには活動したと思いますね。
そんなの、両性が参加した方がバランスは取れるに決まっているから。

それよりいい社会進出の仕方だなあ、と思うのは西尾幹二先生の「国民の歴史」で知った寺子屋の話。
武士階級の子どもが通った藩校に対し、寺子屋は庶民の向学心が生み出した世界でも稀に見る画期的な学びの場でした。
ここは男女共学だった。
もちろん実際に学問を必要とする人は男性が多かったでしょうから生徒は男性の方が多かったんですが
日本橋や神田・浅草と言った商人の街では、男女の生徒比率は100:89くらいだったんだそうです。
先生の比率も三人に一人は女性。そういう街では女性も読み書きそろばんを知っておく必要が高かったのですね。
庶民が自ら識字率を高めていた江戸時代。
維新後、坂の上の雲を目指す時代の大躍進にはちゃんと基礎ができていたわけです。

たいていの男性は生活のために働いていると思うので
女性が労働者として男性と対等になるたにはやはり生活のために働く必要があります。
そういう意味で、シングルマザーへの公的バックアップに異論を唱える立場にはありません。

ただこういうOECDの調査報告


女性の高学歴が日本では活かされていないという報告ね。
だいたいOECDの日本に対する忠告の8割は無駄でお節介だというのが私の持論ですが
これもまたそういう部類だと思います。

少し前に「ハウスワイフ2.0」という本を読みました。
これが非常につまらなくて、読むのが苦痛だったのですが
要するにアメリカではこれまでの反動で今主婦業に生きている女性が増えてきていて
その人たちがまたネットで発信したりしてカリスマ主婦になっているという話なのですが

読んでいて「相変わらず原理主義だなアメリカ人」と思いました。
アメリカではもはや食は信用できない(でしょうね)。教育も信用できない。
となると主婦は家で鶏を飼ってそれを自らつぶして食べて子どもの勉強はホームスクーリング。
ハウスワイフ2.0には高学歴が必要です。

相変わらず極端なことやっているアメリカの人たちですが
ずーっと前に支援機関からこういう相談を受けたことがあります。
「自閉っ子シリーズは楽しくて読みやすくてためになる。でもあれくらいカンタンにしても読まない人がいる。どうすればいいだろうか」

知りません、と私は答えました。
本を読まない人は支援機関にとっては支援対象かもしれない。でも出版社にとっては客じゃないんです。
支援機関は公的なお金が入っていて、だから誰でもが支援の対象になる。
うちには公的なお金はただの一円も入っていません。だから救えない人にまで責任は感じない。
(「よこはま発達クリニックの患者お断り」もこういうわけで堂々と主張するわけです)
官民の違いをわかっていない人って福祉の現場に時々いますけど
金の流れを見ればいいんですよ。カンタンな話。

そもそも子どもに障害があるという診断がついたとき
いや、障害がたとえなくても
すぐに専門書を読める教養があるかないか、親によって違うでしょう。でもそれはこれまでの地道な蓄積。
親になる前から、読書の習慣があったかどうかの違いが、子育てに影響してきます。
そういう意味で、高学歴な女性の就業率だけで女性の学歴が無駄になっているかどうかを計るOECDの調査は相変わらずまやかしだなあ、と思いますね。

たとえば「治療法は研究してもいい。でも公表は控えてほしい」というギョーカイメジャーの中には明らかに
「素人はどうせわからん」という蔑視のようなものがあるわけです。

私にはそれがないんですよ。

だから黒田先生の本とか、堂々とおすすめするんです。

私だって苦労して読みましたよ。おそらく専門家に比べて理解は浅いでしょう。それでも一般のお母さんの中で、たとえば理系の学部を出た人とかだと、私より理解が深い人がいるかもしれないし(たとえ今はお子さんの障害のために外で働いていなくてもね)。だったら「どうせ読めないだろうからお母さんたちには勧めない」とか、それって主婦への蔑視じゃないですか。そういうアンフェアなことはやりたくないんですよ私。ギョーカイ人の皆様と違って。

ただはっきり言っておきます。

理解ができなくても、それは本のせいじゃない。
それまでの教養の問題です。

神田橋先生に申し上げたのは
「私は黒田先生のご本は皆さんにおすすめしています。少なくともこういう地道な基礎研究をして原因の究明と治療法の開発につなげようという動きがあるのを知っておくべきだと思うから」ということなんですけど

ギョーカイが青いお札を振り回すより、こういう地道な研究の方がずっと親学に対する反論になりますわね。
だったら親として読んでおくべきじゃないですか。

そしてそういう理解において、高学歴や、広い意味での教養、それまでの読書の蓄積は活かされているはず。

だからOECDの切り取り方、相変わらずアホだなあと思います。

何かに似てる。

あ、海老踊りだ。

というわけで次回は海老踊りいきましょうかね。