『私たちは、子どもをしかりながら「どうしてそういうことをするの?」と詰問することがある。それは、よく言えば、子どもの言い分や、思いを受け止めようとすることだが、ともすると、論理・理屈で追い込んで、子どもを沈黙させるという「戦略」にもなっていることがある。 先日、地下鉄のつり輪で遊んでいる子どもに「いま、あなたは何をすべきときなの? それを考えなさい!」と、理路整然と追及しているお母さんに出会った。正直これはたまらないなあと思った。「危ないからやめろ!」と言えば済むだろうし、子どもと論争をしている場合ではないだろう。 子どもも、単純に「悪いことは悪いのだ」と言ってもらった方がいい場合がある。頭ごなしにしかるのではなく、子どもの気持ちを推し量って、じっくりと分かるようにしかることが大事だといわれる。しかし、ときに、子どもにとっては、その「じっくり」が、長すぎ、回りくどくて、結局は、大人の論理と都合を延々と聞かされることになってはいないか? しかられ慣れている子どもと話をしていたら、「お母さんが叫び始めると、シャットダウンするんだ」と言っていた。私は「先生がしかるときは強制再起動だからな!」と言って、その悪ガキをにらんだ。。(名古屋市立桃山小教員)』2009年12月20日毎日JP
叱るのと怒るのは違います。86叱ると怒るのサイト様のホームページの説明が1番 分かりやすいと思いまして説明として載せさせて頂きました。『叱るとは、本当に相手の事だけを考えてあげて、知らない事を教えてあげる。間違いを正してあげる。=叱る=利他の気持ちが出発点(動機)。利他とは、他人の幸せ願うこと。怒るとは、自分の感情や、自分の都合で立腹して、自分の中の抑えられない気持ちを相手にぶつける。=怒る=自己中心な気持ちが出発点(動機)homepage3.nifty.com/<wbr></wbr>peroisgermanshepherd/prof86.htm 』子供を叱る時は、叱らなければならない時にその場所で叱らないと後で叱っても教育的効果が有りません。昨日叱らないといけなかったいことを今日叱っても駄目です。亡き母の教えです。子供の目線に立って、論理や理屈で叱っても本当に良くないと思います。もの道理をお母さんは教えるべきです。してはいけないことはいけないのですから、子供に躾として教えるべきです。教養の有る賢いお母さんが増えましたが、子供の視線に立つことと感情的になり、ながながと子供にしかっているお母さんをスーパーマケットのイオンの入り口で見ましたが、子供を指し駆るときは感情的にならず、一歩待つ心の余裕を持って簡潔に叱る事が大切では有りませんか。その日の子供もお母さんも気持ちの切り替えが、出来ないのでは有りませんか。お母さんが叱る時は、『シャットダウンするんだ』、『先生がしかるときは強制再起動だからな!』とインターネット時代の表現で、叱り方の説明も時代とともに変わりましたね。やはり子供は、小さい時から躾けて置かないと中学生になってからではもう遅いのでは有りませんか。親に正しく躾けられていない子供頭の大人が、昨今事件を起こしている今の日本の社会です。