10年ほど前に知人からポーポーの木から熟して落ちた果実を数個戴きました。
熱帯産果実の様な強烈な香りを発する割には甘味は薄く、熟し柿のような奇妙な味覚
は若い頃台湾で勤務していた頃よく買って来て味わっていたドリアンとか釈迦頭(蕃
荔枝)が思い出され、とても懐かしい味だったのです。
調べてみたら、ポーポーは北アメリカ南部原産のバンレイシ科の落葉小低木で南ア
メリカ原産の釈迦頭とは近縁種だと知って納得しました。
その時、庭に植えておいた種が発芽して5本が成木となり数年前から沢山の花を付
けるようになったのですが、これまでなぜか殆どが結実せずに落花してしまいました。
雌雄同株で両性花のこの木でも同一の木の種から育った木では近縁過ぎて受粉が成立し
ないためだろうと諦めていたところ。昨年一個だけ実を付け熟しました。
若葉が展開する前に幹に多数下向きに付ける花は直径4~5cmの大きさで、萼片3枚、
花弁6枚の暗褐紫色の見栄えのしないものです。花柱を雄蕊が球状に取り囲んでいて、
完全に開花した花には沢山の花粉が作られています。
今年も5本の木全部に沢山の花を付けましたので何とか果実にまで保っていきたい
と考え、この花粉を綿棒に付けて受粉を試みていますが、その結果は後日報告します。
上の画像は開花したばかりの花と、数日経過した花の花弁をむしり取り花柱とそれを囲
む雄蕊を示したものです。熟花では花粉が散乱しています。
5月3日職場の登山同好会の皆さんと今年最初の足慣らしということで男鹿半島の
毛無山(877m)に登り、残雪がのこる新緑の橅林や日本海の素晴らしい眺望を満喫
することができました。
毛無山頂上について昼食を摂る段になると、女性達がその辺りに生えたクロモジの
木の新芽を摘んでなポットの熱湯を注いで作ったクロモジ茶を配ってくれました。
私にとっては初めて味わう独特の芳香と、カモミールに似た味のするクロモジ茶に
すっかり魅了され帰宅するとすぐ近くの里山からクロモジの芽を摘んできて作ってみ
ました。
秋田では何処でも見られるクロモジはクスノキ科の落葉低木で、早春小さな淡黄色
の花を多数つけるため観賞用に稙栽されることもあるそうです。
全体から芳香を発するため昔から和菓子の爪楊枝の材料に使われることは知って
いましたが、若芽をハーブとして用いることは今回初めてしりました。
薬効については、湿疹、アレルギー、アトピー性皮膚炎に有効などと書かれていま
すが、飲んだあとの口内に残る爽快感は他のハーブと同じです。
私の生まれ育った福島県の僻村の茅ぶきの家はうこぎの生け垣で囲まれていて、
幼児期の私には祖母がこの芽を摘んで作ってくれる“うこぎご飯”大好きで、うこぎ
が芽をふくこの時期になると私を可愛がってくれた祖母のことが想いだされます。
私が7歳の時に急性肺炎に罹り、必死に看病してくれた祖母が直後
に感染して、あっけなく亡くなりました(昭和15年3月24日)
この幼児期の記憶が懐かしく、25年前秋田市に家を新築した折、福島の実家の
生け垣の株元に出ていたうこぎの子株を切り取ってきて我が家の敷地の端に植え、
毎年この時期にはうこぎご飯を炊いて祖母をしのびつつ食べています。
うこぎ(ヒメウコギ)は古い時代に中国から移入された薬用植物で、生垣などとして
稙栽されていたものが全国に広がり野生化したとのことです。
山形県米沢地方では江戸時代に上杉鷹山公が領民に食用として稙栽を奨励したことも
あって現在でもよく食べられているそうですが、米沢に隣接した福島でもその影響が伝
わっているのかも知れません。
山野草を求めて秋田県内を歩くようになてみると、うこぎは秋田県内でも時々見られ
ることが分かりましたが、うこぎを食べるという習慣は全く無いことも知りました。
うこぎご飯
5小葉が開いたばかりの新芽をもぎ取り少々食塩を加えて沸騰した鍋に入れてさっと
茹で⇒引き揚げて冷水に晒して⇒水を絞り⇒小さく刻んでおく。
薄い塩味を付けて炊き上げたご飯に⇒刻んだうこぎをかき混ぜて⇒しばらく蒸らして
出来上がりです。
炊き立てはウコギの緑が鮮やかですが、時間の経過とともに褐色に変わります。
しかし、食感は不変です。
五加皮酒
中国の薬酒。五加皮(ウコギ根の皮)・陳皮(ミカンの皮)・当帰などの
抽出成分を加えて蒸留酒。滋養強壮作用があるとされる(大辞林より)。
私の職場の近くにあるカタクリの群生地には白花カタクリの咲くことを以前から知って
いましたので今年も開花の最盛期ととなる昨日の昼休みにこの場所を覗いてみましたら、
例年にも増して白花が沢山目につきましたので時間を忘れて撮影しまくり、白花14株と
淡紅紫花9株を撮影することが出来ましたのでその全てを供覧します。
3~5hrもある山の斜面一面にカタクリが群生していますが、
白花株の見られるのは限られた1区画です
花弁が濃紅紫色で葯が濃紫色のものが殆どですが、花弁が白色
で葯が黄色、花弁が淡紅紫色で葯が黄色のものとが混じってい
ました
一株に2枚付いた葉の斑紋は濃紅紫色花弁のものでは暗褐色、
白色花弁のものでは斑紋が無いかかすか痕跡的で、淡紅色花弁
のものでは淡褐色でした
白花カタクリは極めて稀なアルビノで10万株に1株 くらいの頻度でしか見られ
ないと全く根拠のない数値を挙げている記載が多いのですが、私はこれまでにも1~2
本ずつなら数カ所で見ておりますのでそれほど稀なものとは考えておりません。
しかし、同じ場所で複数本見るというのは初めてですし、しかも不完全なアルビノ
と見られる淡紅紫(ピンク)色花弁のものも多数見られたことは驚きです。
秋田で“あいこ”の名で親しまれているのは山菜はミヤマイラクサで、近縁種のエゾ
イラクサを食べる習慣はないようです。
昨日(4月19日)、遅い雪解けの湿地にいち早く伸び出した エゾイラクサとエゾノ
リュウキンカとを採集してきて夕餉の食卓に載せたみました。
エゾイラクサはミヤマイラクサより鋭い棘が多く、 食用には不向きに見えるのですが、
結構美味でミヤマイラクサに比べて決して遜色ありません。
エゾイラクサ
エゾノリュウキンカ
『秋田花の会』は昭和62年10月16日に創立され翌年2月20日から29日まで会員による第1回の写真展を行なわれてから今回で27回を数えることになります。
今回は平成26年2月15日から18日までの4日間秋田市総合生活文化会館
アトリオンで開催され、入場者は4日間で1.100名を超えたとのことでした。
私も平成9年の写真展を観に行って感動してその会場でこの会に加えてもらい、平成10年の第12回写真展から出品させてもらっていますが、近年は聊かマンネリ化してきたような傾向は拭いきれないのも実情ですが、私も高齢とになり世間との交流もますます疎遠となってきていますので、この会の人達との関係だけは可能な限り保ち続けたいと考えております。
なお、平成14年の第16回写真展からは企画展にも毎年参加させてもらい本年の写真展までに11回となります(下はそのテーマの一覧)。
企画展に展示したテーマ
平成14年 第16回 休耕田の花々
平成15年 第17回 ムラサキ科の植物
平成16年 第18回 腐生植物と寄生植物
平成17年 第19回 鳥に因む名の花
平成18年 第20回 ハギ(萩)の名のついた植物
平成19年 第21回 蓴菜沼の迷惑な侵入者達
平成20年 第22回 山野草の果実
平成21年 第23回 休耕田の草紅葉
平成22年 第24回 春の恵み「山菜」の秋咲く花
平成23年 第25回 金の名のついた花々
平成24年 第26回 (共同展示)
平成25年
平成26年 第27回 「イヌ」の名のつく植物
(今年の企画展に展示したパネルです)
秋田県山本郡三種町は蓴菜(じゅんさい)と温泉だけが売りものの鄙びた町です。中でも森岳地区には自然の沼沢のほか人工の蓴菜沼が沢山あり、シーズン中は至る所で箱船に乗って蓴菜摘みをしている情景が観られます。
蓴菜沼の管理の難しさは常に奇麗な水が流れ込むようにしておくことと、沼の土手
や中に生える雑草を除去しておくことだそうです。
土手に生えたイネ科とかカヤツリグサ科、その他の草は容易に刈り取ることが出来
ますが 、水中から生えて来る植物には手を焼くとのことです。
タヌキモは丹念に特殊なレーキで絡め採らないと大繁殖して下の写真の様に沼一杯に広がりじゅんさいは完全に追いやってしまいます。
オモダカ科の植物もよく見られます。 オモダカ
ヘラオモダカ
アギナシ アギナシとオモダカとの区別がよく問題になりますが、引き抜いて葉柄の付根を見ればアギナシには沢山の球芽が付いて一目瞭然です。
アギナシは環境省から準絶滅危惧種に指定されているため引き抜くのが憚られそうですが、ここではむしろ歓迎されます。 最も嫌われるのはやはり環境省の絶滅危惧種II類に指定されているマルバオモダカだそうです。泥の中に根が 頑固に広がっているため容易に駆除できず、根負けしてじゅんさい栽培を放棄したしまった沼を少なくとも3面見ています。
なお、三種町にはオモダカ科のサジオモダカも見られますが何故かじゅんさい沼には生えておりません。
童謡“大きな古時計”はアメリカ民謡Grandfather's Clockを翻訳したもです。
大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計
百年いつも動いていた ご自慢の時計さ
おじいさんの生まれた朝に 買ってきた時計さ
今はもう動かない その時計
百年休まずに チクタクチクタク
おじいさんと一緒に チクタクチクタク
今はもう動かない その時計
写真は私が勤務する病院の玄関ホールに40年前の開院当時から掛けられて
いる柱時計ですが、この童謡のように5~6年前から動かなくなっていました。
町の時計屋に修理を依頼したのですが、古くて各部の摩耗がひどく、部品
の入手も困難だと断られたしまったとのことでした。
ところが、何となく開いた秋田県医師会発行「秋田医報8−15」に山口昭彦
先生が “半世紀の眠りから覚めた置き時計”と題して、「秋田魁新報」で紹介
された秋田市土崎東のヤナギダ時計店で修理してもらったと書いているのを
読んで、 “これだ ‼ ”とばかりにこの古時計を持ち込みました。
10日ほどして修理が終了したとの連絡があったので受け取ってきました。
長く沈黙を保ってきた時計は今では正確に時を刻み、30分毎に ボ~ンボ~ン
と懐かしい音を響かせています。