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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ひぐらし

2011年10月16日 20時35分27秒 | Weblog
                   大伴家持
        隠りのみをれば いぶせみ 慰むと
          出で立ち聞けば来鳴く 寒蟬 (『万葉集』巻八)


 現在、「ひぐらし」は「蜩」と書くが、「茅蜩」とも書く。
 古典の世界では、「ひぐらし」は「寒蟬」あるいは「晩蟬」と書いた。日暮れに鳴くので、それが鳴くと暗くなるところから、それが鳴いて日を暗くするのだ、というように考えた。
 そういう常識をふまえて、佳品というべき作をなした歌に、
        寒蟬の鳴きつるなべに 日は暮れぬ
          と思ふは 山の陰にぞありける (『古今集』)
などがある。
 この歌の持っている、つれづれな、空虚で退屈な生活を考えると、その前に、ここにあげた家持の歌があることに気がつく。

 「いぶせみ」というのは、待ち遠しさなどのために、気分が晴れず、うっとうしい、つまり憂鬱さに、ということ。
 一日中じっと家の中に引っ込んでいて、憂鬱な気持ちが晴れない。それでたまらなくなって、その気持ちが少しはなだまるかと思って庭前に出て行った。そうしたら、ひょっと耳についたのが寒蟬の声だった、というのである。「出で立ち聞けば」といっても、聞こうとして出て行った、というのではない。

 いかにも小刻みな歌い方であるけれども、それがかえって、この歌の持っている細かな心の動きを示すのに効果がある。そこに、近代的な家持らしいところが出ている。この歌などは、家持の本領であって、家持の持っている文学の心が見られると思う。


      ひぐらしの来鳴き余命をもらひけり     季 己

我も行く人

2011年10月15日 21時10分32秒 | Weblog
        門を出れば我も行く人秋のくれ     蕪 村

 蕪村は、芭蕉が高野山で詠んだ、
        父母のしきりに恋し雉子の声
に対して、
        父母のことのみおもふ秋のくれ
の句をつくっている。であるから掲句は、芭蕉の
        此道や行く人なしに秋の暮
によって示された秋の暮の淋しさに匹敵する作を得ようと考えたに違いない。
 しかし、蕪村のこの句には、彼独特の詩情の優秀さがあることは事実としても、芭蕉の句とは本質を異にしているものである。
 芭蕉の句は、眼前の風景以上に人生的な寂寥感にまで到達しているが、蕪村の句は、安定と調和を得た実生活中での、ある夕暮れの一詩興である。
 蕪村の句には、詩情としての「淋しさ」はあるが、人生的な「孤独感」はない。

 「門」は「かど」と読み、家の外構えの門(もん)のこと。

 季語は「秋のくれ」。晩秋の意ではなく、秋の夕暮れの意。

    「秋の夕暮れの淋しさ。それも家にいる間はまぎれているが、
     一歩門を出て、往来を歩めば、自分も行き交わしつつ互い
     に無縁な行路者の一人に過ぎなくて、ことにもの淋しい気持
     がする」


      読書パソコン而うして夜長かな     季 己

えいさらえい

2011年10月14日 20時04分35秒 | Weblog
        松なれや霧えいさらえいとひくほどに     桃 青

 「えいさらえい」は、謡曲『岩船』の「引けや岩船……吹きよせよ、えいさ、えいさらえいさとおすや唐櫓の」とか、『百万』の「重くともひけやえいさらえいさと」、「牛の車のとことはに、何処(いずく)をさして引かるらん、えいさらえいさ」などをとり入れ、「ひく」に「引く」と「退(ひ)く」とを掛けたもの。謡曲的口調による発想である。
 
 「松なれや」は、さすがに松だと感嘆する意。
 「えいさらえい」は、物を引くときの掛け声。

 季語は「霧」で秋。

    「磯馴れた松にかかっていた霧が晴れてゆくにつれて、あたかも霧が
     えいさらえいと掛け声でもかけて、松を引いているように感じられる。
     しかし、さすがに松はどっしりとして動きそうにもない」


      秋ふかし大日如来の厨子ひらき     季 己

いづく時雨

2011年10月13日 22時30分16秒 | Weblog
        いづく時雨傘を手にさげて帰る僧     桃 青

 雫が垂れそうに濡れた僧の傘から想像して、「いづく時雨」と表現したあたりには、当時の口ぶりがわずかにうかがわれる。僧の姿からわびしい時雨の風情を描き出したところには、すでに蕉風的なものへの志向が現れはじめている。

 「いづく時雨」は、どこで時雨に遭ったものであろうか、の意。

 季語は「時雨」で冬。

    「このあたりは一向に時雨れていないが、いったいどこで時雨に遭った
     のであろうか。あの僧は濡れた傘を手にさげて帰って行くが」


      秋風に背押されて遠筑波     季 己

        ※背(そびら)=せなか

枯枝に

2011年10月12日 20時37分50秒 | Weblog
        枯枝に烏のとまりたるや秋の暮     桃 青

 自然の実景に感合して成った句ではなく、「秋の暮」の情趣を水墨画風の「寒鴉古木(かんあこぼく)という情景に見出したと興じているのである。
 『泊船集』には「秋のくれとは」という前書があるが、それだと句は、その問いに答えるような発想をとっていることになる。その点、後の『あらの』の句形
        かれ枝に烏のとまりけり秋の暮
は、純粋な自然観照の句となっている。だが、原句のもっていた「はり」が失われたようである。
 この句は、蕉風頓悟(とんご=修行の段階を経ずに、一挙に悟りを開くこと)の句として喧伝されているが、それは誇張であって、談林から蕉風への一過程を示すものにとどまる。談林の枠を出ていず、句の質としては、昨日の「夜窃かに虫は月下の栗を穿つ」のほうが、蕉風への源流をなすものであろう。
 しかし、こうして道具立てとして取り込まれた古典ないし漢詩文的なものが、内奥において摂取されるにいたり、蕉風が確立してくるのである。
 ちなみに、
        飛尽す烏一つづつ秋の暮     蕪 村
        けろりくわんとして烏と柳哉     一 茶

があるが、いずれも芭蕉のこの句が心にあったものと思われる。

 「秋の暮」が季語。暮秋の意ではなく、秋の夕暮れとしていわれているものであろう。

    「枯枝に烏が止まっているが、そのさまは、まことにさびしい限りであって、
     これこそ秋の暮にふさわしい趣であるよ」


      風ふるび露伴旧居の秋の冷え     季 己

夜窃かに

2011年10月11日 22時33分33秒 | Weblog
        夜窃かに虫は月下の栗を穿つ     桃 青

 「よるひそかに むしはげっかの くりをうがつ」と読む。
 漢詩的な発想、漢文的な表記、字余り、また「栗名月」ともよばれる十三夜の縁で、栗を取り出したあたりには、談林的なものの残滓を感じる。
 けれども、極めて小さい栗虫が、一心に栗の実の中を穿つということによって、後の月の冴えわたった明るさ、しずかさが異様なまでに生かされた作である。
 無辺に広がる十三夜の月光の世界と、目に見えぬ栗虫のいとなみとの対比のするどさ、実に後年の蕉風に発展する萌芽ともいうべきで、蕉風の萌芽とされて人口に膾炙(かいしゃ)した「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」の句よりも、はるかにするどい把握が見られる。

 なお、漢詩文調をはたらかすのは、貞門以来の主な発想の一つで、『毛吹草』巻一には「詩之詞」という項があって、「月影の遅きは雨や不老門」・「花をふむ人は少年の心かな」のような例を示している。こうした行き方が次第に発展して奔放に生かされ、後に漢詩文の内容が、それぞれの句に滲透するに至るわけである。

 「後名月」は九月十三夜の月。栗名月・豆名月・名残の月などともいう。
 「虫」は「栗虫」であろう。栗虫はクリシギゾウムシの幼虫。

 「後の名月」(栗名月)の句で秋。「月」・「虫」・「栗」すべて秋の季語。

    「九月十三夜のものみな月光を浴びた中に、栗の実が実っている。
     いま音もなく虫はその中を、ぐんぐん食い進んでいることであろう」


      ゆで栗の渋の離れぬ男かな     季 己
 

花木槿(むくげ)

2011年10月10日 20時40分50秒 | Weblog
        花木槿裸童のかざしかな     桃 青

 『新古今集』の、
        ももしきの 大宮人は いとまあれや
          桜かざして けふもくらしつ   山部赤人
などを念頭において、「昔の大宮人は桜をかざしとしたものだったが」の意を裏にこめた発想であろう。画賛の句なので、即興的に作ったものと思う。

 「かざし」は昔、髪や冠にさし、飾りとした花の枝。

 季語は「花木槿(はなむくげ)」で秋。

    「この裸童子が花木槿を持った図は、そのひなびた取合わせが
     しっくりしていて、古人が桜をかざしたのに対して、花木槿は、
     里童の挿頭(かざし)にまことにふさわしい感じだ」


      校庭の子らに日のある白木槿     季 己

ひとかぶた

2011年10月09日 22時24分32秒 | Weblog
        武蔵野にひろごる菊のひとかぶた     桃 青

 思い切った誇張による発想で、その警抜な点は、延宝・天和の交あたりの作風に近い感じがする。
 『芭蕉翁遺墨集』に収める菊の自画賛で、「芭蕉桃青」と落款がある。貞享頃の筆跡かと考えられている。発想は大まかで、それより以前のものではないかといわれている。

 「ひろごる」は広がる。
 「ひとかぶた」は一株。株のことを「かぶつ」または「かぶた」という地方がある。

 季語は「菊」で秋。

    「この菊はまことにみごとな出来映えである。まるで一株で武蔵野
     いっぱいに広がるくらいの感じがある」


      百年の小学校誌 秋ざくら

『去来抄』3 続・行春を

2011年10月08日 20時22分14秒 | Weblog
        行春を近江の人とをしみけり     芭 蕉

 ――この句、芭蕉七部集の一つ『猿蓑』の巻軸(一番最後)に、
        行春を近江の人とをしみける     芭 蕉
という形で据えられている。したがって芭蕉にとって、自信作中の自信作ということであったに違いない。(「けり」と「ける」とで違いがあるが、句形としては「ける」の方が余情があってよい)
 こともあろうにそれを、近江在住の古老・尚白から異議を唱えられたのであるから、芭蕉は、いささか不快であったに違いない。
 尚白の非難は、一句が「動く」というのだ。現在でも、季語が「動く」というが、これは一句の季語が他の季語と取り替えられる場合で、別の季語と替えられない場合を、「動かない」という。

        行春を近江の人とをしみけり
        行春を丹波の人とをしみけり
        行歳を近江の人とをしみけり
        行歳を丹波の人とをしみけり
 このように、他の言葉で代替がきく表現を、当時の俳諧用語では、「ふる」または「動く」と言った。だから俳人たちは、「ふら」ない句、「動か」ない句を目指したのである。
 「動く・動かない」ということは、俳句のような短詩型文芸においては、特に留意しなければならない。

 では、掲句は「動く」のか「動かない」のか。結論は「動かない」。以下、その理由を述べよう。
 「近江」は単なる名勝ではなく、「歌枕」の地であった。その近江で、近江の俳人の皆さんと志賀の辛崎で船遊びをさせてもらいました。おかげで、昔の文人墨客がこの国で春を惜しんだように、自分も近江の皆さんと共に、風雅の伝統ある近江で、過ぎ行く春を惜しむことができました。今日は、ほんとうにいい思いをさせてもらいました、というお礼の気持、つまり、挨拶句なのだ。
 だから、「近江」を「丹波」に、「行春」を「行歳」に、簡単に取り替えることはできない。
 掲句は、近江の人と春を惜しんだ、という事実の報告ではなく、近江の俳人たちに対する挨拶の句、感謝の気持の表現なのである。さらに、近江という歌枕の地に対する挨拶、古人に対する挨拶でもあるのだ。

 もう一点。自然の風光は人々を感動させる。それは昔の人も今の人もかわらない。古人と今人の心の底に、共通する「まこと」があり、それが古人と今人を風雅の心でつないでいる、ということを忘れてはならない。


      ななかまど水の行方を凝視して     季 己

『去来抄』3 行春を

2011年10月07日 16時55分28秒 | Weblog
        行春を近江の人とをしみけり     芭 蕉

 先師(芭蕉)が言われるには、
 「この句を、大津の尚白が非難して、『近江という地名は丹波にも取り替えられ、行春は、行歳にも代えられる。だからこの句は、季語が動き安定した句ではない。』といっているが、お前はどう思うかね」と。
 私(去来)は、
 「尚白の非難は当たっておりません。近江といったのは、琵琶湖の湖水がほのかにけぶって、いかにも春を惜しむのにふさわしいからでしょう。ことにそれは、近江の皆さんと志賀の辛崎に船遊びをした、その機会に詠まれたものですから」と答えた。
 先師は、
 「その通りだ。昔の文人墨客も、この近江国で春を惜しむのは、ほとんど京の都で春を惜しむのに劣らないのだ」といわれた。
 私は、
 「そのお言葉、深く感じ入りました。そのことまで考えが及びませんでした。行歳に近江におられたら、どうしてこのような感慨がおありでしょう。行春に丹波においでなら、もとより惜春の情は浮かばないでしょう。まったく、風光というものが、人に感動を起こさせる詩情というものには、古今を通じて変わらない真情があるものでございますね」と申し上げた。
 先師は、
 「去来よ、お前は、わしと共に風雅(俳諧)を語るに足る者だ」と、たいそう喜ばれた。


      金木犀 病みて幾日の塵ほこり     季 己

         ※ 幾日(いくか)=いくにち


 ☆ 今回より『去来抄』のスタイルを変更します。本日の分は、『去来抄』の変人訳です。したがって、若干通説と異なるところがあります。今回の解説は明日、という形になります。

菊の花

2011年10月06日 21時05分48秒 | Weblog
        稲扱の姥もめでたし菊の花     芭 蕉

 『笈日記』などによれば、近江国平田の明照寺(めんしょうじ)に門弟の李由をたずねる途中、服部某に案内されて、付近の北村某の家を訪ね、宿したときの作である。
 その家の庭先に咲く菊と、その傍らで稲扱(いねこき)をするすこやかな老媼とを結びつけて、挨拶の意をこめて詠んだものである。
 菊の花は、例の、南陽県の甘谷の下流の水を汲むと長寿を保つ、と言う中国の故事もあって、めでたい花とされる。菊と長寿を結びつけた発想は、俳諧としてはむしろ陳腐なものである。けれども、この句では長寿延齢の縁が一句の裏にひそめられてしまって、菊そのものが旧家の庭先の生きた姿としてとらえられている。

 「稲扱」・「菊の花」ともに秋の季語。ここでは「菊の花」が主としてはたらき、菊そのものの感じを生かしている。

    「庭先には齢(よわい)を延べるという菊の花が咲き匂い、それにふさわしく
     稲扱の老媼(おうな)がすこやかに働いていることよ」


      他言せぬ菊人形の遠目かな     季 己

朝茶

2011年10月05日 21時21分05秒 | Weblog
          堅田 祥瑞寺にて
        朝茶飲む僧静かなり菊の花     芭 蕉

 僧の朝茶を喫する静かな姿と、朝の爽やかな菊の花の感じとが、はっきり相通うところがある。ただ二者の間が、ややつき過ぎているために、隠微に匂いあう深みに欠けるところがあるようだ。

 「祥瑞寺」は、門弟の千那のいた堅田の本福寺の隣にある、臨済宗の寺。

 季語は「菊の花」で秋。

    「朝の茶を黙ってひとり喫している僧の姿はまことに静かで、庭前の
     菊の花とよく相通う感じだ」


      稲かける夫婦黙してミレーかな     季 己

男鹿島

2011年10月04日 22時31分49秒 | Weblog
          男鹿島
        ひれふりてめじかもよるや男鹿島     桃 青

 謡曲「放生会」に、放たれた魚のよろこぶさまを、
        魚はよろこび鰭(ひれ)ふるや水を穿(うが)ちて岩陰の、
        湛荷葉動くこれ魚の遊ぶ有様の……
とあるのを逆に寄るさまを発想したものか。掛詞によって仕立てただけの句のように思う。
 芭蕉は『奥の細道』の旅以前に奥州に遊んだことがないから、何かで得た知識によって詠んだものであろう。

 「男鹿島(おがのしま)」は、羽後南秋田郡八郎潟の西北岸の一村。男鹿山には鹿が多く、もと佐竹家で放った三頭の鹿が繁殖したものだという。
 「ひれ」は魚の鰭。領巾(ひれ)の意を掛けている。領巾は昔、婦人が首に掛けて左右に長く垂らした布。装身のためのものであるが、人を招いたり別れを惜しんだりするときに振った。
 「めじか」は牝鹿。「めじかがつお」の意を含ませている。男鹿島付近は、めじかがつおの産地である。

 鹿の句ということで、これが季語で秋。

    「男鹿島はその名の示すとおり、牡鹿であるからであろう、牝鹿の名を
     負うめじかがつおが、領巾(ひれ)を振るように、鰭(ひれ)を振りなが
     ら慕い寄って来ることよ」


      一枚の旅のクーポン秋澄めり     季 己

里の秋

2011年10月03日 23時03分00秒 | Weblog
          田 家
        刈りかけし田面の鶴や里の秋     芭 蕉

 「田家(でんか)」という前書が句の気持をものがたっている。
 人々をおそれもせず、刈りかけた田面にあさる鶴のゆったりした姿で、田家の秋をつかんでいるのである。
 この句、『鹿島紀行』にのみ見え、貞享四年(1687)八月の作。

 季語は「秋」で、当然、秋。「里の秋」は「神の秋」と同じ用い方。

    「刈りかけてひっそりした田の面に、一羽の鶴が降り立ち、しずかに餌を
     ついばんでいる。まことに秋色あふれた田家の景であることよ」


      人生に落丁いくつ秋の雲     季 己

命こそ

2011年10月02日 22時38分53秒 | Weblog
        命こそ芋種よまた今日の月     宗 房(芭蕉)

 「芋名月」という名辞から発想して、そこに諺をからませたものである。
 西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」が背景にあったのであろうが、ことばのおかしみの中に没し去られているあたり、依然、貞門風の名残が濃い。
 『千宜理記』に「宗房」として出ており、寛文年中の作であろう。

 「命こそ芋種よ」は、古くから狂言などに用いられていた「命が物種」のことわざを踏まえたもの。特に「芋」といったのは、芋名月からの連想。
 芋名月とは、芋を煮て食べつつ月を愛でるところから、仲秋名月をいう語。
 「今日の月」は仲秋名月で、賞美のこころをこめた言い方。

 季語は「今日の月」で秋。「芋種」の方は春の季語だから、ここでは季語に扱わない。

    「このように命あって、また今日の芋名月を心ゆくまで賞することができた。
     してみれば『命が物種』ならぬ『命こそ芋種』というべきであるよ」


      秋の日の淡き樽底 酒問屋       季 己