此木戸や錠のさされて冬の月 其 角
去来と凡兆のふたりを編集者に、京都で俳諧撰集『猿蓑』を編んでいた時、其角が江戸からこの句を書き送って、「下五を‘冬の月’にしようか、‘霜の月’にしようか迷っています」といってきた。
ところが、初めわたしたちは、上五の文字が詰まっていたため、「此木戸(このきど)」と読むべきところを「柴戸(しばのと)」と読んでしまった。
先師(芭蕉)は「其角が‘冬の月’にしようか、‘霜の月’にしようか迷うような句でもない」とおっしゃって、‘冬の月’として『猿蓑』に入集した。
その後、大津からの先師の手紙に、「あの句の上五は‘柴の戸’ではなく‘此の木戸’である。このようなすぐれた句は、一句でも大切であるから、たとえすでに出版していても、すぐに改めよ」と記してあった。
この手紙を見て、凡兆は、「‘柴の戸’でも‘此の木戸’でも、大して変わりはないではないか」と言い、違いを認めようとはしない。
これに対してわたし(去来)は、「この月を、柴の戸に配して見れば、ごくありふれた景色になる。この月を城門に移しかえて景を想像すると、その風情はしみじみとした情趣の反面、ぞっとするほど不気味で、何とも言いようのない雰囲気がある。其角が下五を‘冬’にしようか、‘霜’にしようかと迷ったのももっともだ」といった。
衣被つるりと我も物忘れ 季 己
※衣被(きぬかづき=皮のままゆでた里芋)
去来と凡兆のふたりを編集者に、京都で俳諧撰集『猿蓑』を編んでいた時、其角が江戸からこの句を書き送って、「下五を‘冬の月’にしようか、‘霜の月’にしようか迷っています」といってきた。
ところが、初めわたしたちは、上五の文字が詰まっていたため、「此木戸(このきど)」と読むべきところを「柴戸(しばのと)」と読んでしまった。
先師(芭蕉)は「其角が‘冬の月’にしようか、‘霜の月’にしようか迷うような句でもない」とおっしゃって、‘冬の月’として『猿蓑』に入集した。
その後、大津からの先師の手紙に、「あの句の上五は‘柴の戸’ではなく‘此の木戸’である。このようなすぐれた句は、一句でも大切であるから、たとえすでに出版していても、すぐに改めよ」と記してあった。
この手紙を見て、凡兆は、「‘柴の戸’でも‘此の木戸’でも、大して変わりはないではないか」と言い、違いを認めようとはしない。
これに対してわたし(去来)は、「この月を、柴の戸に配して見れば、ごくありふれた景色になる。この月を城門に移しかえて景を想像すると、その風情はしみじみとした情趣の反面、ぞっとするほど不気味で、何とも言いようのない雰囲気がある。其角が下五を‘冬’にしようか、‘霜’にしようかと迷ったのももっともだ」といった。
衣被つるりと我も物忘れ 季 己
※衣被(きぬかづき=皮のままゆでた里芋)