人に米をもらうて
世の中は稲刈る頃か草の庵 芭 蕉
読む人によっては、いやみな作と感じるかも知れない。横から眺めて、隠棲をひとり高しとする気持ととると、「世の中は」のひびきが、いやみな感じをうながすようである。
しかし、収穫の秋に入ったことにはっと気づいた、その自然な驚きの気持のあらわれととると、かなり味わい深い作である。
前書の「人に米をもらうて」というのは、門人に新米を贈られたのを言ったものであろう。
季語は「稲刈る」で秋。
「門人に新米をもらったが、草の庵にこもっていて、風雅に明け暮れして
いるうちに、いつの間にか世の中は、稲刈る頃になっていたのだなあ」
母のとぐ掌を漏る光り今年米 季 己
世の中は稲刈る頃か草の庵 芭 蕉
読む人によっては、いやみな作と感じるかも知れない。横から眺めて、隠棲をひとり高しとする気持ととると、「世の中は」のひびきが、いやみな感じをうながすようである。
しかし、収穫の秋に入ったことにはっと気づいた、その自然な驚きの気持のあらわれととると、かなり味わい深い作である。
前書の「人に米をもらうて」というのは、門人に新米を贈られたのを言ったものであろう。
季語は「稲刈る」で秋。
「門人に新米をもらったが、草の庵にこもっていて、風雅に明け暮れして
いるうちに、いつの間にか世の中は、稲刈る頃になっていたのだなあ」
母のとぐ掌を漏る光り今年米 季 己