おちこちおちこちとうつ砧かな 蕪 村
この句は、音色で砧をうっている家の遠近が知れる、というだけの事実の報告ではない。また、一つの砧の音が風の具合によって、ある時は遠くある時は近く聞こえるというのでもない。
遠くの砧近くの砧の音を、共にただ一つと限定する必要はなく、また、厳密に一音ごとに交互に聞こえるのだとする必要もない。ただ、遠くの音はほのかに、近くの音は定かに、しかもそれが共にいつまでも打ち続けられ、聞こえ続けるというその感興をうたっているのである。
上五を「おちこち」と一音を欠く語調にして、すぐ中七の「おちこち」に連結したのは、砧の音の連続感を出すためであろう。
「おちこち」は遠近の意で、「をちこち」と書くのが正しい。
この句においては、「遠近」という意味を表現する語が、同時に直接「音」そのものの表現になっている。確かに「おち」の音はやわらかくほのかであり、「こち」の音は固く定かである。
技巧の極点と感覚の極点を示した一句である。
季語は「砧」で秋。砧(きぬた)は、木や石の台の上で、洗った衣を槌(つち)で打って、やわらかく練り艶を出すもの。衣(きぬ)打つ。
「夜、静かに坐していると、遠くの家、近くの家など、あちこちで砧を
打つ音が聞こえてくる。遠い音と近い音とが呼応するように入り交
じって聞こえてくる。気のせいか、遠い音は〈おち〉とほのかに、
近い音は〈こち〉と定かに、いつまででも聞こえてくる」
蓑虫の心ゆくまで身を揺する 季 己
この句は、音色で砧をうっている家の遠近が知れる、というだけの事実の報告ではない。また、一つの砧の音が風の具合によって、ある時は遠くある時は近く聞こえるというのでもない。
遠くの砧近くの砧の音を、共にただ一つと限定する必要はなく、また、厳密に一音ごとに交互に聞こえるのだとする必要もない。ただ、遠くの音はほのかに、近くの音は定かに、しかもそれが共にいつまでも打ち続けられ、聞こえ続けるというその感興をうたっているのである。
上五を「おちこち」と一音を欠く語調にして、すぐ中七の「おちこち」に連結したのは、砧の音の連続感を出すためであろう。
「おちこち」は遠近の意で、「をちこち」と書くのが正しい。
この句においては、「遠近」という意味を表現する語が、同時に直接「音」そのものの表現になっている。確かに「おち」の音はやわらかくほのかであり、「こち」の音は固く定かである。
技巧の極点と感覚の極点を示した一句である。
季語は「砧」で秋。砧(きぬた)は、木や石の台の上で、洗った衣を槌(つち)で打って、やわらかく練り艶を出すもの。衣(きぬ)打つ。
「夜、静かに坐していると、遠くの家、近くの家など、あちこちで砧を
打つ音が聞こえてくる。遠い音と近い音とが呼応するように入り交
じって聞こえてくる。気のせいか、遠い音は〈おち〉とほのかに、
近い音は〈こち〉と定かに、いつまででも聞こえてくる」
蓑虫の心ゆくまで身を揺する 季 己