goo blog サービス終了のお知らせ 

壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

『去来抄』3 行春を

2011年10月07日 16時55分28秒 | Weblog
        行春を近江の人とをしみけり     芭 蕉

 先師(芭蕉)が言われるには、
 「この句を、大津の尚白が非難して、『近江という地名は丹波にも取り替えられ、行春は、行歳にも代えられる。だからこの句は、季語が動き安定した句ではない。』といっているが、お前はどう思うかね」と。
 私(去来)は、
 「尚白の非難は当たっておりません。近江といったのは、琵琶湖の湖水がほのかにけぶって、いかにも春を惜しむのにふさわしいからでしょう。ことにそれは、近江の皆さんと志賀の辛崎に船遊びをした、その機会に詠まれたものですから」と答えた。
 先師は、
 「その通りだ。昔の文人墨客も、この近江国で春を惜しむのは、ほとんど京の都で春を惜しむのに劣らないのだ」といわれた。
 私は、
 「そのお言葉、深く感じ入りました。そのことまで考えが及びませんでした。行歳に近江におられたら、どうしてこのような感慨がおありでしょう。行春に丹波においでなら、もとより惜春の情は浮かばないでしょう。まったく、風光というものが、人に感動を起こさせる詩情というものには、古今を通じて変わらない真情があるものでございますね」と申し上げた。
 先師は、
 「去来よ、お前は、わしと共に風雅(俳諧)を語るに足る者だ」と、たいそう喜ばれた。


      金木犀 病みて幾日の塵ほこり     季 己

         ※ 幾日(いくか)=いくにち


 ☆ 今回より『去来抄』のスタイルを変更します。本日の分は、『去来抄』の変人訳です。したがって、若干通説と異なるところがあります。今回の解説は明日、という形になります。