曙や霧に渦巻く鐘の声 芭 蕉
「霧に渦巻く」という把握は、即現象的で、芭蕉としてはかなり際立った表現である。「渦巻く」は、籠もって遠くへひろがらぬ霧中の鐘声をとらえてみごとである。
芭蕉が越後能生(のう)へ泊まったのは、曾良の『随行日記』によると七月十一日で、その夜は「月晴」、翌十二日は「天気快晴」というような日。おそらく日の昇る前は深い霧だったのであろう。
幕末期の金沢の人、雪袋の『続句空日記』に、芭蕉作として掲出されている。今、越後能生の海岸に近い能生神社の社前に「越後能生社汐路の名鐘」と題して、この句文は碑に刻されている。
『続句空日記』とこの碑文以外に文献が見られないので、真偽が疑われている。芭蕉の作とすれば元禄二年秋、『奥の細道』の旅の途次にあたる。
真偽の程がはっきりしない句であるが、句が捨てがたいので参考としてとりあげておく。
季語は「霧」で秋。霧の実際の感触が把握されているところ、旅中の体験にもとづく感が深い。
「一夜を明かして早朝、宿を立とうとすると、霧の中から殷々(いんいん)
と鐘の音が、渦巻くようにひびいてくる。それゆえ曙の感がひとしお濃く
感ぜられる」
温泉にひたり霧立ちのぼる夢を見て 季 己
※ 温泉(ゆ)
「霧に渦巻く」という把握は、即現象的で、芭蕉としてはかなり際立った表現である。「渦巻く」は、籠もって遠くへひろがらぬ霧中の鐘声をとらえてみごとである。
芭蕉が越後能生(のう)へ泊まったのは、曾良の『随行日記』によると七月十一日で、その夜は「月晴」、翌十二日は「天気快晴」というような日。おそらく日の昇る前は深い霧だったのであろう。
幕末期の金沢の人、雪袋の『続句空日記』に、芭蕉作として掲出されている。今、越後能生の海岸に近い能生神社の社前に「越後能生社汐路の名鐘」と題して、この句文は碑に刻されている。
『続句空日記』とこの碑文以外に文献が見られないので、真偽が疑われている。芭蕉の作とすれば元禄二年秋、『奥の細道』の旅の途次にあたる。
真偽の程がはっきりしない句であるが、句が捨てがたいので参考としてとりあげておく。
季語は「霧」で秋。霧の実際の感触が把握されているところ、旅中の体験にもとづく感が深い。
「一夜を明かして早朝、宿を立とうとすると、霧の中から殷々(いんいん)
と鐘の音が、渦巻くようにひびいてくる。それゆえ曙の感がひとしお濃く
感ぜられる」
温泉にひたり霧立ちのぼる夢を見て 季 己
※ 温泉(ゆ)