壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

手毎にむけや

2011年10月31日 20時42分17秒 | Weblog
          ある草庵にいざなはれて
        秋涼し手毎にむけや瓜茄子     芭 蕉

 即興の句であるから、軽く口をついて出た感がある。庵主への挨拶の心があるのは言うまでもない。
 「むけや」は、「むかん」に比較して、他へ広く呼びかける親しさがある。自分でも皮をむきながら、一座の人々に語りかける、軽くはずんだ気持を他に及ぼしてゆく、そういう気持である。

        残暑しばし手毎に料(りょう)れ瓜茄子   (初案)
        秋さびし手毎にむけや瓜茄子  (『泊船集』)
の句形もあるが、挨拶として見ると、初案の「残暑しばし」より、「秋涼し」の方が、はるかにふさわしいことは言うまでもない。また、「秋さびし」では孤独の感があらわにすぎて、挨拶の心が十分には生きてこない。

 「ある草庵」というのは、金沢の斎藤一泉の松玄庵。庵は犀川のほとりにあったという。
 「手毎(てごと)にむけや」は、てんでに瓜の皮をむいたり、茄子(なすび)を手にしたりしようよ、ぐらいの意。茄子は瓜に引かれて出たので、「むけや」は瓜の方にかかるわけである。

 「秋涼し」が季語。「涼し」だけだと夏であるが、それを初秋爽涼の感に生かし用いたもの。「新たに涼し」「初めて涼し」などの言い方もある。

    「秋の涼しさがいっぱいに満ちているこの座敷で、瓜や茄子のご馳走は
     まことにありがたい。皆てんでにむいて自由にいただこうではないか」


      おほばこの実を踏んでゆく人のあり     季 己