ある草庵にいざなはれて
秋涼し手毎にむけや瓜茄子 芭 蕉
即興の句であるから、軽く口をついて出た感がある。庵主への挨拶の心があるのは言うまでもない。
「むけや」は、「むかん」に比較して、他へ広く呼びかける親しさがある。自分でも皮をむきながら、一座の人々に語りかける、軽くはずんだ気持を他に及ぼしてゆく、そういう気持である。
残暑しばし手毎に料(りょう)れ瓜茄子 (初案)
秋さびし手毎にむけや瓜茄子 (『泊船集』)
の句形もあるが、挨拶として見ると、初案の「残暑しばし」より、「秋涼し」の方が、はるかにふさわしいことは言うまでもない。また、「秋さびし」では孤独の感があらわにすぎて、挨拶の心が十分には生きてこない。
「ある草庵」というのは、金沢の斎藤一泉の松玄庵。庵は犀川のほとりにあったという。
「手毎(てごと)にむけや」は、てんでに瓜の皮をむいたり、茄子(なすび)を手にしたりしようよ、ぐらいの意。茄子は瓜に引かれて出たので、「むけや」は瓜の方にかかるわけである。
「秋涼し」が季語。「涼し」だけだと夏であるが、それを初秋爽涼の感に生かし用いたもの。「新たに涼し」「初めて涼し」などの言い方もある。
「秋の涼しさがいっぱいに満ちているこの座敷で、瓜や茄子のご馳走は
まことにありがたい。皆てんでにむいて自由にいただこうではないか」
おほばこの実を踏んでゆく人のあり 季 己
秋涼し手毎にむけや瓜茄子 芭 蕉
即興の句であるから、軽く口をついて出た感がある。庵主への挨拶の心があるのは言うまでもない。
「むけや」は、「むかん」に比較して、他へ広く呼びかける親しさがある。自分でも皮をむきながら、一座の人々に語りかける、軽くはずんだ気持を他に及ぼしてゆく、そういう気持である。
残暑しばし手毎に料(りょう)れ瓜茄子 (初案)
秋さびし手毎にむけや瓜茄子 (『泊船集』)
の句形もあるが、挨拶として見ると、初案の「残暑しばし」より、「秋涼し」の方が、はるかにふさわしいことは言うまでもない。また、「秋さびし」では孤独の感があらわにすぎて、挨拶の心が十分には生きてこない。
「ある草庵」というのは、金沢の斎藤一泉の松玄庵。庵は犀川のほとりにあったという。
「手毎(てごと)にむけや」は、てんでに瓜の皮をむいたり、茄子(なすび)を手にしたりしようよ、ぐらいの意。茄子は瓜に引かれて出たので、「むけや」は瓜の方にかかるわけである。
「秋涼し」が季語。「涼し」だけだと夏であるが、それを初秋爽涼の感に生かし用いたもの。「新たに涼し」「初めて涼し」などの言い方もある。
「秋の涼しさがいっぱいに満ちているこの座敷で、瓜や茄子のご馳走は
まことにありがたい。皆てんでにむいて自由にいただこうではないか」
おほばこの実を踏んでゆく人のあり 季 己