雲をりをり人を休める月見かな 芭 蕉
月の清澄なようすを裏からたたえたもの。
西行の、
なかなかに 時々雲の かゝるこそ
月をもてなす かぎりなりけり
を心に置いての句であるが、その踏まえ方は、詞句を取るという域をはるかに出て、月を見るにあたっての情趣を取り入れている。
諸本によっては、中七を「人を休むる」とするが、語法的には、この「休むる」の方がよい。
季語は「月見」で秋。型にはまってはいるが、やわらかみを生み出しているところが注目される。
「今宵の月は清光限りなく、見入っているうちに心奪われて、われを
忘れるくらいである。しかし、時おり雲が過ぎて、その雲が月を隠
している間は、われにかえって、ほっとすることだ」
木枯のゆくえ暮色の六本木 季 己
月の清澄なようすを裏からたたえたもの。
西行の、
なかなかに 時々雲の かゝるこそ
月をもてなす かぎりなりけり
を心に置いての句であるが、その踏まえ方は、詞句を取るという域をはるかに出て、月を見るにあたっての情趣を取り入れている。
諸本によっては、中七を「人を休むる」とするが、語法的には、この「休むる」の方がよい。
季語は「月見」で秋。型にはまってはいるが、やわらかみを生み出しているところが注目される。
「今宵の月は清光限りなく、見入っているうちに心奪われて、われを
忘れるくらいである。しかし、時おり雲が過ぎて、その雲が月を隠
している間は、われにかえって、ほっとすることだ」
木枯のゆくえ暮色の六本木 季 己