凩に二日の月のふきちるか 荷けい
凩の地にもおとさぬしぐれ哉 去 来
この二句について、わたし去来は、
「荷けいさんの句は、二日の月というものをもって来て、それが吹き
散るかと、才気の生き生きと出ているところなど、わたしの句より
ずっとすぐれていると思います」
と言った。
先師芭蕉先生は、
「荷けいの句は、二日の月という素材の珍しさで、句を仕立てている。
その二日の月という物の名を除くと、それほどの句ではない。お前の
句は、これといって取り立てて言うような素材をもってきて作ったと
も見えない。けれども、全体としては味わいがあってよい句である。
ただ、地迄と限定した迄という字が、気品を落としている」
と言われて、「地にも」と直された。
初めの句形は、「地迄おとさぬ」であった。
筑波嶺の白雲うすし暮の秋 季 己
凩の地にもおとさぬしぐれ哉 去 来
この二句について、わたし去来は、
「荷けいさんの句は、二日の月というものをもって来て、それが吹き
散るかと、才気の生き生きと出ているところなど、わたしの句より
ずっとすぐれていると思います」
と言った。
先師芭蕉先生は、
「荷けいの句は、二日の月という素材の珍しさで、句を仕立てている。
その二日の月という物の名を除くと、それほどの句ではない。お前の
句は、これといって取り立てて言うような素材をもってきて作ったと
も見えない。けれども、全体としては味わいがあってよい句である。
ただ、地迄と限定した迄という字が、気品を落としている」
と言われて、「地にも」と直された。
初めの句形は、「地迄おとさぬ」であった。
筑波嶺の白雲うすし暮の秋 季 己