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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

子持山

2011年10月22日 21時16分37秒 | Weblog
                東歌・未勘国歌
        子持山 若かへるでの もみづまで
          寝もと吾は思ふ 汝はあどか思ふ (『万葉集』巻十四)


 子持山は今も群馬県にある。榛名山の北、吾妻川の峡谷をへだてて、伊香保温泉から、真っ正面に見える。万葉の子持山が、群馬県のそれだとすれば、この歌は未勘国の歌ではなく、上野(こうずけ)の国の歌ということになる。
 子持山は、室町初期の神道集に「児持山明神」の縁起があり、有名な山であるが、編纂当時は、その場所が分からなかったものとみえる。
 「もみづ」は、秋になって木の葉が紅葉することをいったとすると、情痴の誇張がすぎるようである。紅葉することを意味する以前に、赤色を意味する「もみ」に、動詞化の語尾がついて、明るくなることを言っているものととりたい。
 夜の暗い中に女のもとを去って行かねばならないはずの男女関係なのに、夜が明けて明るくなるまで寝ていよう、というのである。それを問答式にして、お前さんはどう思うかい、と問いかけながら、分かっているさ、もちろんおれと同じ思いだね、といった含みがあるところが面白いのだ。
 「常陸風土記」などには、歌垣の時に共寝した男女が、寝過ごして夜が明けてしまって、とうとうその場で松になってしまった、というような伝えがある。一番鶏が鳴いたら別れねばならないのである。そのタブーを犯すことを空想することは楽しいのだ。


      余命てふ不確かなもの秋長けぬ     季 己