命こそ芋種よまた今日の月 宗 房(芭蕉)
「芋名月」という名辞から発想して、そこに諺をからませたものである。
西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」が背景にあったのであろうが、ことばのおかしみの中に没し去られているあたり、依然、貞門風の名残が濃い。
『千宜理記』に「宗房」として出ており、寛文年中の作であろう。
「命こそ芋種よ」は、古くから狂言などに用いられていた「命が物種」のことわざを踏まえたもの。特に「芋」といったのは、芋名月からの連想。
芋名月とは、芋を煮て食べつつ月を愛でるところから、仲秋名月をいう語。
「今日の月」は仲秋名月で、賞美のこころをこめた言い方。
季語は「今日の月」で秋。「芋種」の方は春の季語だから、ここでは季語に扱わない。
「このように命あって、また今日の芋名月を心ゆくまで賞することができた。
してみれば『命が物種』ならぬ『命こそ芋種』というべきであるよ」
秋の日の淡き樽底 酒問屋 季 己
「芋名月」という名辞から発想して、そこに諺をからませたものである。
西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」が背景にあったのであろうが、ことばのおかしみの中に没し去られているあたり、依然、貞門風の名残が濃い。
『千宜理記』に「宗房」として出ており、寛文年中の作であろう。
「命こそ芋種よ」は、古くから狂言などに用いられていた「命が物種」のことわざを踏まえたもの。特に「芋」といったのは、芋名月からの連想。
芋名月とは、芋を煮て食べつつ月を愛でるところから、仲秋名月をいう語。
「今日の月」は仲秋名月で、賞美のこころをこめた言い方。
季語は「今日の月」で秋。「芋種」の方は春の季語だから、ここでは季語に扱わない。
「このように命あって、また今日の芋名月を心ゆくまで賞することができた。
してみれば『命が物種』ならぬ『命こそ芋種』というべきであるよ」
秋の日の淡き樽底 酒問屋 季 己