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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

我も行く人

2011年10月15日 21時10分32秒 | Weblog
        門を出れば我も行く人秋のくれ     蕪 村

 蕪村は、芭蕉が高野山で詠んだ、
        父母のしきりに恋し雉子の声
に対して、
        父母のことのみおもふ秋のくれ
の句をつくっている。であるから掲句は、芭蕉の
        此道や行く人なしに秋の暮
によって示された秋の暮の淋しさに匹敵する作を得ようと考えたに違いない。
 しかし、蕪村のこの句には、彼独特の詩情の優秀さがあることは事実としても、芭蕉の句とは本質を異にしているものである。
 芭蕉の句は、眼前の風景以上に人生的な寂寥感にまで到達しているが、蕪村の句は、安定と調和を得た実生活中での、ある夕暮れの一詩興である。
 蕪村の句には、詩情としての「淋しさ」はあるが、人生的な「孤独感」はない。

 「門」は「かど」と読み、家の外構えの門(もん)のこと。

 季語は「秋のくれ」。晩秋の意ではなく、秋の夕暮れの意。

    「秋の夕暮れの淋しさ。それも家にいる間はまぎれているが、
     一歩門を出て、往来を歩めば、自分も行き交わしつつ互い
     に無縁な行路者の一人に過ぎなくて、ことにもの淋しい気持
     がする」


      読書パソコン而うして夜長かな     季 己