夜窃かに虫は月下の栗を穿つ 桃 青
「よるひそかに むしはげっかの くりをうがつ」と読む。
漢詩的な発想、漢文的な表記、字余り、また「栗名月」ともよばれる十三夜の縁で、栗を取り出したあたりには、談林的なものの残滓を感じる。
けれども、極めて小さい栗虫が、一心に栗の実の中を穿つということによって、後の月の冴えわたった明るさ、しずかさが異様なまでに生かされた作である。
無辺に広がる十三夜の月光の世界と、目に見えぬ栗虫のいとなみとの対比のするどさ、実に後年の蕉風に発展する萌芽ともいうべきで、蕉風の萌芽とされて人口に膾炙(かいしゃ)した「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」の句よりも、はるかにするどい把握が見られる。
なお、漢詩文調をはたらかすのは、貞門以来の主な発想の一つで、『毛吹草』巻一には「詩之詞」という項があって、「月影の遅きは雨や不老門」・「花をふむ人は少年の心かな」のような例を示している。こうした行き方が次第に発展して奔放に生かされ、後に漢詩文の内容が、それぞれの句に滲透するに至るわけである。
「後名月」は九月十三夜の月。栗名月・豆名月・名残の月などともいう。
「虫」は「栗虫」であろう。栗虫はクリシギゾウムシの幼虫。
「後の名月」(栗名月)の句で秋。「月」・「虫」・「栗」すべて秋の季語。
「九月十三夜のものみな月光を浴びた中に、栗の実が実っている。
いま音もなく虫はその中を、ぐんぐん食い進んでいることであろう」
ゆで栗の渋の離れぬ男かな 季 己
「よるひそかに むしはげっかの くりをうがつ」と読む。
漢詩的な発想、漢文的な表記、字余り、また「栗名月」ともよばれる十三夜の縁で、栗を取り出したあたりには、談林的なものの残滓を感じる。
けれども、極めて小さい栗虫が、一心に栗の実の中を穿つということによって、後の月の冴えわたった明るさ、しずかさが異様なまでに生かされた作である。
無辺に広がる十三夜の月光の世界と、目に見えぬ栗虫のいとなみとの対比のするどさ、実に後年の蕉風に発展する萌芽ともいうべきで、蕉風の萌芽とされて人口に膾炙(かいしゃ)した「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」の句よりも、はるかにするどい把握が見られる。
なお、漢詩文調をはたらかすのは、貞門以来の主な発想の一つで、『毛吹草』巻一には「詩之詞」という項があって、「月影の遅きは雨や不老門」・「花をふむ人は少年の心かな」のような例を示している。こうした行き方が次第に発展して奔放に生かされ、後に漢詩文の内容が、それぞれの句に滲透するに至るわけである。
「後名月」は九月十三夜の月。栗名月・豆名月・名残の月などともいう。
「虫」は「栗虫」であろう。栗虫はクリシギゾウムシの幼虫。
「後の名月」(栗名月)の句で秋。「月」・「虫」・「栗」すべて秋の季語。
「九月十三夜のものみな月光を浴びた中に、栗の実が実っている。
いま音もなく虫はその中を、ぐんぐん食い進んでいることであろう」
ゆで栗の渋の離れぬ男かな 季 己