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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夜窃かに

2011年10月11日 22時33分33秒 | Weblog
        夜窃かに虫は月下の栗を穿つ     桃 青

 「よるひそかに むしはげっかの くりをうがつ」と読む。
 漢詩的な発想、漢文的な表記、字余り、また「栗名月」ともよばれる十三夜の縁で、栗を取り出したあたりには、談林的なものの残滓を感じる。
 けれども、極めて小さい栗虫が、一心に栗の実の中を穿つということによって、後の月の冴えわたった明るさ、しずかさが異様なまでに生かされた作である。
 無辺に広がる十三夜の月光の世界と、目に見えぬ栗虫のいとなみとの対比のするどさ、実に後年の蕉風に発展する萌芽ともいうべきで、蕉風の萌芽とされて人口に膾炙(かいしゃ)した「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」の句よりも、はるかにするどい把握が見られる。

 なお、漢詩文調をはたらかすのは、貞門以来の主な発想の一つで、『毛吹草』巻一には「詩之詞」という項があって、「月影の遅きは雨や不老門」・「花をふむ人は少年の心かな」のような例を示している。こうした行き方が次第に発展して奔放に生かされ、後に漢詩文の内容が、それぞれの句に滲透するに至るわけである。

 「後名月」は九月十三夜の月。栗名月・豆名月・名残の月などともいう。
 「虫」は「栗虫」であろう。栗虫はクリシギゾウムシの幼虫。

 「後の名月」(栗名月)の句で秋。「月」・「虫」・「栗」すべて秋の季語。

    「九月十三夜のものみな月光を浴びた中に、栗の実が実っている。
     いま音もなく虫はその中を、ぐんぐん食い進んでいることであろう」


      ゆで栗の渋の離れぬ男かな     季 己