行春を近江の人とをしみけり 芭 蕉
――この句、芭蕉七部集の一つ『猿蓑』の巻軸(一番最後)に、
行春を近江の人とをしみける 芭 蕉
という形で据えられている。したがって芭蕉にとって、自信作中の自信作ということであったに違いない。(「けり」と「ける」とで違いがあるが、句形としては「ける」の方が余情があってよい)
こともあろうにそれを、近江在住の古老・尚白から異議を唱えられたのであるから、芭蕉は、いささか不快であったに違いない。
尚白の非難は、一句が「動く」というのだ。現在でも、季語が「動く」というが、これは一句の季語が他の季語と取り替えられる場合で、別の季語と替えられない場合を、「動かない」という。
行春を近江の人とをしみけり
行春を丹波の人とをしみけり
行歳を近江の人とをしみけり
行歳を丹波の人とをしみけり
このように、他の言葉で代替がきく表現を、当時の俳諧用語では、「ふる」または「動く」と言った。だから俳人たちは、「ふら」ない句、「動か」ない句を目指したのである。
「動く・動かない」ということは、俳句のような短詩型文芸においては、特に留意しなければならない。
では、掲句は「動く」のか「動かない」のか。結論は「動かない」。以下、その理由を述べよう。
「近江」は単なる名勝ではなく、「歌枕」の地であった。その近江で、近江の俳人の皆さんと志賀の辛崎で船遊びをさせてもらいました。おかげで、昔の文人墨客がこの国で春を惜しんだように、自分も近江の皆さんと共に、風雅の伝統ある近江で、過ぎ行く春を惜しむことができました。今日は、ほんとうにいい思いをさせてもらいました、というお礼の気持、つまり、挨拶句なのだ。
だから、「近江」を「丹波」に、「行春」を「行歳」に、簡単に取り替えることはできない。
掲句は、近江の人と春を惜しんだ、という事実の報告ではなく、近江の俳人たちに対する挨拶の句、感謝の気持の表現なのである。さらに、近江という歌枕の地に対する挨拶、古人に対する挨拶でもあるのだ。
もう一点。自然の風光は人々を感動させる。それは昔の人も今の人もかわらない。古人と今人の心の底に、共通する「まこと」があり、それが古人と今人を風雅の心でつないでいる、ということを忘れてはならない。
ななかまど水の行方を凝視して 季 己
――この句、芭蕉七部集の一つ『猿蓑』の巻軸(一番最後)に、
行春を近江の人とをしみける 芭 蕉
という形で据えられている。したがって芭蕉にとって、自信作中の自信作ということであったに違いない。(「けり」と「ける」とで違いがあるが、句形としては「ける」の方が余情があってよい)
こともあろうにそれを、近江在住の古老・尚白から異議を唱えられたのであるから、芭蕉は、いささか不快であったに違いない。
尚白の非難は、一句が「動く」というのだ。現在でも、季語が「動く」というが、これは一句の季語が他の季語と取り替えられる場合で、別の季語と替えられない場合を、「動かない」という。
行春を近江の人とをしみけり
行春を丹波の人とをしみけり
行歳を近江の人とをしみけり
行歳を丹波の人とをしみけり
このように、他の言葉で代替がきく表現を、当時の俳諧用語では、「ふる」または「動く」と言った。だから俳人たちは、「ふら」ない句、「動か」ない句を目指したのである。
「動く・動かない」ということは、俳句のような短詩型文芸においては、特に留意しなければならない。
では、掲句は「動く」のか「動かない」のか。結論は「動かない」。以下、その理由を述べよう。
「近江」は単なる名勝ではなく、「歌枕」の地であった。その近江で、近江の俳人の皆さんと志賀の辛崎で船遊びをさせてもらいました。おかげで、昔の文人墨客がこの国で春を惜しんだように、自分も近江の皆さんと共に、風雅の伝統ある近江で、過ぎ行く春を惜しむことができました。今日は、ほんとうにいい思いをさせてもらいました、というお礼の気持、つまり、挨拶句なのだ。
だから、「近江」を「丹波」に、「行春」を「行歳」に、簡単に取り替えることはできない。
掲句は、近江の人と春を惜しんだ、という事実の報告ではなく、近江の俳人たちに対する挨拶の句、感謝の気持の表現なのである。さらに、近江という歌枕の地に対する挨拶、古人に対する挨拶でもあるのだ。
もう一点。自然の風光は人々を感動させる。それは昔の人も今の人もかわらない。古人と今人の心の底に、共通する「まこと」があり、それが古人と今人を風雅の心でつないでいる、ということを忘れてはならない。
ななかまど水の行方を凝視して 季 己