10分50秒の動画です。
私は今も大川小学校訴訟が嫌いです。
起きてしまった参事、何処かに責任を求めても何も解決しないのですから。
“釜石の奇跡”と“大川小の悲劇”生死をわけた“あの日の葛藤”…10年目の真実[東日本大震災]
これは2011年5月22日 2回目のボランティアに行った時に撮影したフォトチャンネルです。
自分に何ができるか?を問うて土曜日の夜寝ずに夜の東北道を運転し日曜日の午前中だけのボランティア
仕事に穴をあけずにたった3時間、現地で活動するため12時間も運転してた。
そしてこの翌朝、一緒に仕事をしてた父が脳梗塞を発症し救急搬送。
35日間の入院生活、病院で息を引き取りました。
震災とは関連しないのですが時期が重なり忘れる事はありません。
テレビはウクライナ侵攻の話題一色でしょうがラジオでは特別番組が沢山放送予定です。
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/0eaab476b32a3d2abcf5faf2b548c978
市街地が100%全壊なのがよくわかります。
ボランティア活動ありがとうございました。
もう少し若ければお手伝いできたのですが。
大川小学校、南三陸町町長のこと、責められませんが、後事の師としてもらいたい。
コメントありがとうございました。
私も初めてあの町に到着した朝の6時前、誰もいない国道45号線沿いにトラックを停めて降り立った時に足が震えてましたよ。この世の風景ではありませんでしたから。
高台にあるベイサイドアリーナ(市民体育館のような施設)には被災者が600人も生活していてプレハブの町役場の奥には自衛隊のテント村もありました。
世界食糧計画が支援したテントがボランティアセンターとなっており隣のプレハブは仮設の志津川病院で自治医科大が総力を挙げて支援。
大きな駐車場には日本全国から集まったボランティアさんの車があり、とても勇気づけられました。
これだけ多くの人が居る場所も電気が寸断されて仮設トイレがずらりと並ぶ不自由な生活。でも被災者はとても明るくて蕎麦を提供された時は泣きそうになって必死に堪えました。
5月22日に行った時には配送トラックの荷台でコンビニが営業をしてて東北人の逞しさに圧倒されましたよ。生涯忘れることの出来ない体験です。