summer diary

日記らしきページ

いよいよ本番

2024年02月21日 | Weblog
 今日は午後からギター発表会に出かける。 以前から書いているが、ギター講座の受講生の演奏を一般の人に見て貰うのである。(他にも催し物がある)場所は市の施設(今回は町の施設だろうと思うが)でギター演奏は私達以外にはないが、その他の歌や踊り、ダンスなど? 各グループ役時間程度の持ち時間である。 ギターの演奏で1時間はかなり長い。 プロなら1曲の長さもあるので、それほどでも無いだろうが、素人のアンサンブル、二重奏、ソロの演奏となると、曲数だけでも20曲以上にもなる。 今回私は二重奏も演奏するので、ちょっと緊張するだろう。 これまで人前では講座での発表以外にはアンサンブルで全員での演奏だけである。 なので、二重奏は2人だけの演奏となるので、さすがに外す訳にはいかない・・・と、気合いを入れると余計に緊張するので、まっ、気楽に失敗は想定内として演奏した方が良いだろう。 
日曜日の練習日に2回とも行かなかったので、やはり少しは心配もあるが、なんとかなるだろう。 今日もバイト明けで、午前中に練習する時間はそれほどあるわけでもないし、発表会場も広いとは言えず、事前に練習も出来ないとの事で、まっ、やれるだけの事をやるしか無い。 
本当ならやりたくないぐらいだが、出席すると言った以上は仕方ないだろう。 来月はもっと少ない人数での発表会もあるので、その練習だと思えば良いだろうか。 今日は人前で演奏する練習のつもりで挑みたい。 実際に来月の発表会の方が会場もしっかりしているので、今日よりも緊張するだろう。 

最近は同級グループとの練習でも全く緊張する事も無く弾ける様に成ったし、ともかく、楽しむ事を考えて演奏する事にする。 
生憎、今日は雨が降っているので、会場横の駐車場もそれほど広くないので、駐車出来るかどうか。 それと、その駐車場は舗装されていないので、おそらくぬかるんで居るし、そうなると、駐車禁止になって居るかもしれない。 
ただ、会場のすぐ隣にはコンビニもあり、広くて店からは見通せない場所に停める事にしようと思っても居る。 会場の駐車場とほぼ同じ程度の距離なので、雨でぬかるむ場所に停めるよりはましだろう。 

今日は発表が終わってから、おそらく反省会などもあるだろうが、私は終わったらそのまま帰宅する事に決めて居る。 
参加人数も多いし、そんなに一度に入る事が出来るような場所も少ないだろうし、特に話をしても面白いとも思えない(去年もそうだったので)。 
もちろん、ギターを弾く者同士の話は弾むだろうが、特別得る物はそれほどなく、講師の話もあまり興味が沸く事も無い。 高齢者の趣味でギターを弾いている程度の講座なので、特にテクニックとか、技術的な話や演奏のコツとか、そうした上達する何かを得る事はほとんどない。 
まっ、ギターサークルだと思えばそれで良いのだけど。 普段は各個人の課題曲を講師の指導(指導と言える程の物はないのであるが)で演奏するのであるが、課題曲もそれほど弾きたいと思えるような曲はなかなかないし、カルカッシ教則本の曲の方が遙かに素敵な曲である。 なので、講座に通い始めてからも私のメイン教本はカルカッシ教則本の曲である。 そして、講師からのアドバイスも特に上達する為の秘訣というか、コツと言うか、運指などもほとんど助言もなく、ほとんど独学と同じ程度なので、実際には講座に通っていて、これまでの独学で弾いて居るレベルとそれほどの差を感じる事は無いのである。 
ただ、課題曲は私が独学ではおそらく弾かないだろうと思う曲もあるので、そうした所謂食わず嫌いと言うか、好きな物、弾ける物だけを選んで練習するので無く、思っていないような曲を弾くことで運指や演奏の幅、曲の広がりは出来てる。 今はクラシックはもちろん、以前から弾きたいと思っていたポピュラー曲の練習も再開して、やはり多くの人が知って居て、気軽に楽しめる曲を演奏する事は楽しい。 クラシックの曲はどうしても一般的ではないので、堅苦しく感じる人が多く居るだろう。 そうした中で歌謡曲などの知れた曲をソロで演奏する事の方が楽しんで貰えるだろうと思う。 
ギター愛好家なら別だが、そうで無い人からすると、やはりポピュラー曲の方が発表会などでも気が利いているような気がする。 
なので、今後はそうした曲をしっかりと演奏出来るように練習して、レパートリーを増やして置きたい。 来年か再来年ぐらいにはそんなポピュラー曲をソロでクラシックギターで演奏出来たら良いと思っている。 

今日の二重奏も実はゴンチチの曲である。 これもクラシック曲では無いし、至って短い曲だ。 クラシックのある意味では重い曲のソロ曲や二重奏曲の演奏が続く中で、さらりと聞き流す事が出来る曲も大切だろう。 
もちろん、クラシック曲は私も大好きなので、いずれはそうした曲も弾きたいが、一般的な人向けの楽曲ならやはりポピュラー曲が見合っている。 
さてと、では少し練習していこうか。 








2月??暖かい日

2024年02月20日 | Weblog
 本当に2月だと思えない暖かさ。 私の住む地域の気温は現在で19度。 陽射しが差し込んでいる部屋に居ると暖房はもちろん要らない。 逆に薄着でも十分に過ごせる。 明日も天気は良くない。 今夜も雨で、明日の朝も雨予報なので、今日のバイトはやはり車だろう。 
明日は午後からギター演奏の発表会だが、天気は雨予報。 施設の駐車場にどの程度車が置けるのかは分からないが、駐車場から屋内に行くまでに雨に降られるのはちょっと頂けない。 ギターケースは防水であるが、やはり雨はやっかいである。 これまで雨に降られるような事は無く、ケースがどの程度防水機能があるのかも分からないので、ちょっと心配である。 
まっ、そんな事を心配していても仕方ないけど。 昼ご飯を食べて、少し眠くなった。 午前中は少しギター練習もして、明日の発表曲を何度か弾いて、まっ、ほぼ問題無く弾けるレベルだ。 
本当は午前中に筋トレをしようと思ったが、まだ少し筋肉痛が残って居るので、やはり夕方、風呂に入る前にトレしようと思う。 
昨日は背筋、上腕筋、腹筋だったので、今日は胸筋、三頭筋、下半身の予定。 胸筋は最大で15Kg10レップ2セット、三頭筋はセップダウンで20Kg10レップを2セット。 レッグエクステンションは25Kgで25レップ2回程度。 
これで15分程度だろう。 今は再開してまだ日が浅いので、身体を慣らす程度の重量でレップ数やセット数も軽めで慣らす程度で終える。 
4月頃には以前と同じ程度のトレが出来るまでには戻したい。 5月頃からは服なども薄着に成るし、体型が見える様に成るし、旅行でも風呂の入ったり、身体を人目に見られる事を思うと、5月にはしっかりと鍛えた身体に戻して置きたいのである。 こうして、やはり人目を意識してトレする事もモチベーションの維持になるし、自分だけのトレでは無く、他人を意識する事で維持する意欲を持てるのである。 

しかし、トレーニングを継続する事はそんなに簡単な事ではない。 いや、ジムに通って居るならともかく、ジムに行く事さえ怠ら無ければ継続出来る。 私の様に今は家トレで継続するにはやはり意識をしっかりと持てるかどうかである。 どうしても、やらなければそれでも日は過ぎる。 怠け心は何時でも訪れるのである。 それを克服するためには、ともかく習慣にする事だろう。 1回のトレ時間も短時間にして、トレする部位も日によって変えて分割法が良い。 一度に2部位程度なら10分から15分程度で終える事が出来るし、ほぼ毎日出来る程度なら継続する意欲も維持出来るだろう。 

さて、午後は少し休憩して少しギターを弾いてから筋トレをしてから風呂に入って、バイトの準備をする事にしよう。







晴れ男?

2024年02月20日 | Weblog
 昨日は終日雨が降り続いていた。 今朝も早朝までは雨がパラついていた。 今週は毎日雨の日が続きそうな予報なので、今日も天気は期待していない。 それでも今は陽射しも出ていて、晴れである。 今日はバイトなので、雨で無ければ原付で行くのであるが、予報では雨天なので、車で行く事に決めていたが、こうして晴れ間を見ると、なんとか原付で行く事も出来そうだ。 ただ、明日の朝に雨が降って居たらやはり原付では困るので、どうしようか?
雨雲レーダーなどを確認すると、なんとか明日の朝に帰宅する時間には雨は止んで居るかも? と・・・。 まっ、仮に雨なら仕方ないけど。 
これまで、バイトの日には数回程度しか雨には出会っていない。 これまでも外出する用事などや旅行などでも雨に降られる事はほとんど無かった。 所謂、晴れ男であると自負して居るところもある。 もちろん、必ず雨に遭わないと言う事など無く、先日もコンサートに行った時は少し雨がパラついていて、駐車場から会場までの移動時には少し雨に濡れた。(濡れたと言うほどの事ではないが、上着にすこし雨粒が付着した程度であるが)

明日はギター講座の発表会が午後からある。 バイト明けで発表会に行くのはちょっとな~~と思うが、まっ、体調は心配ないが、それでもなんとなく、疲れている状態には違いは無いし、少しやる気もどうかな・・。 まっ、1時間程度の発表時間とその前後の時間を入れても2時間程度で終えるだろう。 
発表後には反省会と言う名目でおそらく近くの喫茶店で話もするだろうが、今回は私は終わったらそのまま帰宅する事に決めて居る。 最近はどうも花粉症が原因かもしれないが、鼻水が出て、頭も少しボッ~とする時もあるし、どうも集中力も落ちている。 ギターを弾く気力も落ちている気もするし。 
それでもなんとか筋トレも再開して、今日も午前中か、夕方には15分程度はトレも続いている。 こうした気分が乗らない時は身体を動かしてトレーニングする事で気持ちがすっきりするので、ギターを弾くよりも筋トレを優先した方が良い。 

明日はバイト明けで午前中にギター練習もしておきたいが、そんなに時間もないので、発表会は打っ付け本番だろう。 二重奏もこれまで2回程度合わせた程度で、ほとんど練習していないと言っても良い程度だ。 それでも、まっ、観客も暇な近隣の住民なので、そんなに気合いを入れる必要もないだろうと・・・。 仮に失敗してもまっ、その程度だろうと。 
クラシックギターの演奏をそんなに聴いている人も少ないだろうし、ましてや、コンサートなどに行く事も少ないだろう。 二重奏で私は結局伴奏担当になったので、まっ、多少音が外れてもほとんど解らないだろうと・・・。 観衆もほぼ知らない曲を聴くので、間違っていてもまっ、解る人は居ないだろう。  その程度に思っていた方が緊張も無くなるし、力も抜けて気持ちも気楽に出来るし、いつも通りの演奏が出来れば良い。 

まっ、こうした発表会などの機会はギターの上達や意欲に繋がるなら良いのであるが、講座の受講者の中にはこうした事が負担に感じる人も居るし、そもそも発表などで人前で演奏する事を好まない人も居る。 
逆に発表会などで演奏する事が楽しみな人も居るし、みんなで一緒に曲を演奏したり、二重奏などの曲を演奏したりする事が好きな人も居るし。 ギターを通じて人との交流は確かに楽しいし、得る物がある。 私が講座に通う事にしたのは独学での限界を感じたので、講師に指導をして欲しいと言う思いだったが、やはり今の講座は講師の技量もプロではないし、高齢者が多く受講している事もあるのか、丁寧な指導などもほとんど無く、ただ音楽的な助言程度なので、はたして受講している甲斐があるのか?? と疑問があるが、受講料が格安だと言う事と、他の人の演奏を見る事も少しは得る物があるからだ。 
それでも、まっ、ほぼ独学で練習してるのとはそれほど変わる事も無い気もしているので、この先どこまで今の講座に通うのかは解らない。 
プロの指導者のレッスン料はとても高額で、毎月数万円ものレッスン料を払う事は出来ないし、レッスンにそれほどのお金を費やすほどギター上達を望んでもいない気もする。 発表会やコンサートなどで演奏するような機会が多くある人なら別だろうが、単純に気楽にギターを弾いて楽しむ程度で毎月のレッスン料に費用を掛ける事はどうだろうか? 
まっ、今は講座以外の教本で練習している時間の方が多く、それは完全に独学であるが、これまでの経験もあり、独学でも丁寧に練習する方法、やり方、必ず弾けるようにする為に何をどのように弾くのか・・。 そうした自分なりに試行錯誤して練習する事が結局は上達する要素になる。 







定年後の生活

2024年02月19日 | Weblog
 私が知る限りだが、60歳定年で長いサラリーマン生活に終止符を打つ人がほとんどだ。 会社は延長雇用制度で65歳までの雇用は保障している。 がしかし、大手企業だけではなく、中小企業はさらに当然であるが、それまでと同じ仕事内容にもかかわらず、給料が最大50%も引き下げられる。 で、結局は働く意欲は無くなる。 それでも65歳まで支給されない年金受給までは5年間もあるので、もちろん、仕事はする事になる。 65歳までのある意味では腰掛けの仕事である。 多少は収入が減っても、気楽で責任も軽く、専門的な知識も要らない仕事。 私も60歳定年で現役を引退して、それから契約社員で65歳まで仕事を続けた。 それから65歳で所謂、フルタイムの契約社員は辞去して、今は週2回程度のアルバイトで小遣いを稼いで居る。 
もちろん、私の年金だけで生計を維持するのは難しい。 妻は私より4歳若いので、まだ現役で仕事を続けて居る。 さらに、65歳になった時には今の仕事は辞めるとしても、別の会社で同じ仕事を週2~3回程度するだろう。 
妻の年金収入もあるが、私の年金収入に比べると半分にもならないので、今の収入を考慮すると、やはり生活レベルを維持するのは簡単でも無いだろう。
これは私達夫婦だけの思いでもないだろう。 年金だけで生活出来るほどの年金は誰も支給される事は無い。 現役時代に高収入を得ていた人でも、年金額は知れている。 他の個人年金や企業年金などが豊かにあるなら別だが、そうで無い限りはおそらく死ぬまで何らかの仕事(バイト、パートなど)を続ける事になる。 バイトも出来ない程身体が動かなくなったり、あるいは、雇用先から解雇されて年金以外の収入が無くなった時にはどうするか?
それまでの贅沢な物? (外食や旅行、衣服、車、習い事、趣味)を見直す事になるだろう。 これを贅沢と捉えるならである。 光熱費を節約する事もある程度は出来ない事も無いが、そんな事では仕事で得られる支出を補える訳はない。 そうなると、貯蓄を崩してそれまでの生活レベルを維持する事になるが、その貯蓄が足りないならどうするか? 毎日、ただただ静かに家で過ごして、質素な食事をして、限りなく節約して、友達との付き合いや、趣味すらままならない生活になるだろう。 
そこで、貯蓄をして、老後の暮らしに備える・・。 今年から新NISAなどの投資も政府上げて推奨する動きもある。 もう以前から老後の資金がどの程度必要なのか・・・老後2千万円問題などと言われて居る。 評論家の中には2千万円では到底足りないなどと言って居る人もいる。 
今、自民党などの裏金問題で、その裏金の数億円もの資金に対しては無課税で済ましている。 やれやれ・・・。 確定申告では相当に厳しい算段をして、税金を払っている人がほとんどだ。 脱税している人もかなり居るだろうが、今の自民党議員に比較すれば、そんな物は端金程度だろう。 
これでは真面目に納税する意識など起きる訳もない。 サラリーマンは給料から自動的に良いも悪いも否応無しに差し引かれる。 これは、確定申告の手続きをしなくても良いように、後で支払い出来ない状態にならない為に・・の仕組みでもあるが。
ただ、サラリーマンの場合には必要経費を非課税枠に出来る仕組みがない。 例えば、事業主は車、スマホ代、家賃、衣服、外食、旅行すら必要経費として申告する事が出来てしまう。 仕事によってはさらに必要無い物ですら必要経費として申告する事も可能なのである。 
明らかにサラリーマンとは税金を納めているレベルが違う。 こうして、サラリーマンだって、通勤時の車の維持費、ガソリンは会社支給だとしても、車の税金、車検費用、タイヤ交換費用、オイル交換費用、任意保険費用、その他、劣化した部品交換費用なども本来なら、会社に通勤する為に必要な物であり、必要経費となるべきだろう。 スーツ着用ならスーツ費用、ワイシャツ費用、ネクタイ費用、革靴、コートなどなど。 スーツで無くても、会社に通勤する為に着る服だって必要な経費だ。 鞄や帽子やマフラー、手袋なども同様だろう。 人間が生活(生きる為に必要な最低限の物)するために必須な物に対しても、課税する消費税などは人間が生きる権利をもぎ取る税制だと思う。 
ギリギリの生活レベルをしている人からすると、この税金が無ければ、なんとか生きる事も出来るだろう・・・と思う人も少なくない気がする。 

さて、定年後の生活の話に戻るが、私は定年後に家でのんびりする時間に余裕が出来て、好きな事を今は好きなようにして過ごす事が出来ている。 ギターを弾き、ギター講座に通い、同級グループとの練習でもギターを弾き、妻と日帰りや泊まりの旅行にも最近は年に数回も出かけている。 さらに、家事も大凡しているので、そんなに暇でもない。 筋トレも時折は休止する事もあるが、健康維持、体力維持も意識している。 こうして、毎日ブログを書き続けている事も私のライフワークでもある。 
朝は遅くても6時半には起床して、食事を済ませて、家事をするとき(洗濯、掃除)はそれを済ませて、買い物に出かける事もしばしばであるし、バイトも週に2回から3回程度通って居る。 なので、特に暇を持て余す事はない。 逆に昨日はギター講座の練習日だったが、あえて欠席して家でのんびりと過ごす事にした。 たまには怠けてのんびりと何もする事が無く、酒でも飲んで、昼寝でもして、時をやり過ごす事だって良いだろうと。 
本当は昨日は何もしないでダラリと過ごす予定だったが、結局はギターを弾き、夕方には筋トレをして、風呂に入ってから酒を飲んで寝たのである。 
やはり、性格的にダラリと何もしないで過ごす事が出来ない性分なんだと思った。 定年後に何もする事が無く、虚無感を感じて酒に浸ってしまう人も多々居る様子である。 特に会社でバリバリ仕事をしてきた人にそうした人が多く居る様子だ。 特に趣味と言える物を持って居るわけでも無く、会社の付き合いでゴルフ程度はたしなむが、自分がやりたい事を続ける事もなく、仕事以外にはほぼ家でダラリと過ごす生活を続けて来た人は、定年後の自由な時間を恨めしく思う人も少なくないだろう。 
仮に妻が仕事をしていなくて、家事専属だったとしたら、毎日家でダラリと過ごす夫を鬱陶しいと思うだろう。 高齢夫婦が毎日楽しい話などあろうはずも無く、自分の部屋があるならそれもまだましだろう。 狭いアパートやマンションならそうも行かないだろうし。 だから図書館やデパートに出かけて、時間をやり過ごす高齢者が溢れるのである。 
私はバイト先で読む本を2週間に1度は図書館に出かけて行き、返却してさらに新しく借りて帰るのであるが、借りる本を探している時間は知れているが、中には5~6冊も一度に借りている人いて、本当に2週間の期限内に読めるのか?? と思ったりするが、週3冊程度を毎日読み続けている人も居るのだろうと・・・。 どんだけ暇なんだか? それと、図書館で新聞を読んだり、雑誌を読んだり、さらにはソファーに座って寝ている人も多々見かける。 
大型のショッピングモールなどでも椅子に座って寝ている人なども居るし、1人でのんびりと歩きながら、どう見ても買い物が目的では無いだろうと思える高齢者も良く見かける。 
市の施設でトレーニングを毎日している人も居るし、その他の卓球やテニス、弓道や剣道、柔道、バレーボールやその他のスポーツグループに入って居る人も居るだろう。 
定年後の生活は人それぞれで、どのように生きるのかは千差万別である。 ただ、高齢者なりのリズムがあり、出来る事と出来ない事がある。 
私も以前はバイクに乗り、ツーリングなどにも良く行っていたが、高齢になり、やはりバイクが怖くなった事もあるが、趣味としてはあまり向かない事が解った。 何しろ、真夏の暑さはバイクに乗って楽しめるレベルでは無い。 真冬の寒さも乗る気は起きないし、雨なら当然乗らないし、雨が降っていなくても、雨の予報があるなら乗らない。 時間も朝から日がある間の日中に限定して居たし、行き先もだんだんと無くなる。 一日行ける場所など知れているので、結局は何度も訪れている場所を順次繰り返して行く事になる。 さらに、仲間と一緒なら仲間と合わせる事になるし、食事費用やバイクのガソリン代、大型なら車検費用やエンジンオイルだけで無く、消耗品の交換費用なども安くは無い。 年に数回程度乗るだけの為に維持費などは以外と高額だ。 
無いよりも、事故の可能性は高齢になれば高く成る。 体力も落ち、視力も落ち、判断力も落ち、操作能力も落ちる。 バイクは事故を起こしたら確実に大きな怪我はもちろん、死亡する確率は車の比ではない。 
まっ、あっさりと即死ならまだ良いが、身体不全になったりしたら家族に大きな負担を掛ける事になるし、自分の身体が自由に動かなくなる事は悲しいではすまない。 
なので、5年前にバイクは売却して、ギターを購入したのである。 コロナ感染が拡大した時期で、筋トレでジムにも行けない事になり、家で楽しく過ごす事を考えて居た時で、昔からギターを弾いていた事もあるので、定年後は余裕のある時間を有意義に過ごすには家で自由に時間や天候を気にする事無く、没頭出来る事の出来るギターは何よりも私にはジャストだった。 
今ではギター講座にも通って居るし、同級グループとの練習でもギターを弾いて楽しみ、発表会などにも出たりして。 
定年後からの人生を生かすも殺すも自分の意思が生きているかどうかだろう。 何をどのように求めて居るのか? やはり何かに打ち込む事こそが良いのだろう。 これまでやったことも無い事でも、挑戦して、練習して、経験して、向上心を持って、仲間と楽しく過ごせる時間も持てて、無理する事無く、マイペースで今を楽しむ事。 それだけで満足である。 









歳には勝てない?

2024年02月18日 | Weblog
 午前中にも書いたが、今日は午後からギター講座に行く予定になっている。 もちろん、予定通りに講座に行って、発表会の曲を練習する意欲はある。 がしかし、今の時間になって、なんだか頭痛がするのである。 鼻水も少し出て、これは前から少し始まった・・花粉症? なんだか、身体も少し重い。 全体的に倦怠感がある。 これは? やはり風邪かな? 昨日の午後から出かけたコンサートの時や、帰宅してから今朝まではそうでも無かった。 ただ、今の時間になってから頭痛がするのである。 なんだかそう、倦怠感、疲労感があるのである。 午前中に筋トレをする予定もあるし、これから少しギターを弾こうとも思っているが、どうもそんな気分が沸かない。 なにやら視点も定まらないような感じに、目も重いのである。 
寒さを感じる事は無い。 暖房も朝から付けているし、それなりに暖かくしているので。 ただ、全体的になんとも重だるいのである。 さて、こうなると、ギター講座はどうするか? このまま行ってもなんだか風邪を拗らせるような気もする。 3日後には発表会の日である。 その日に体調が崩れていたらどうするか? 当然、出演は出来ないだろう。 出来ても、まともに弾く事は出来ない状態なら、やはり遠慮するべきだろう。 
今朝、歳の話を書いたばかりだが、どうも、その話を書いた時ぐらいから身体の調子が良くない事に気づいた。 なんだかね。 今回の発表にもあまり気が向かない様な弱気な気分になる。 
二重奏は私が出演出来なければ、当然演目としては無くなるだろう。 もちろん、他のソロ、二重奏もあるので、1曲ぐらい無くなっても大した支障荷成る事も無いが、アンサンブルも1人減る事になるし、他の人達にもなんだか悪い気もする。 それでも、やはりなんだか行く気が沸かないので、今回は辞めるとしようか? などと・・。 最近はやはりこうしてどうも思って居る程には元気が出ない時がある。 もちろん、好きな事は無理してでもやりたいと思うが、どうも今はその気が起きない。 
これは?? これまではそんな事はあまり感じたことが無い。 特にギターに関しては、無理してでも出かけて行くのであるが・・・。 どうも。 そんな時はやはり辞めた方が良いのである。 これは所謂虫の知らせ。 何かを感性が感じて居るのだろう・・と。 これまでも、なんとなく、そうしない方が良い時、あるいは、別の方向に進むべき時に感じる予感と言うのか・・・。 
そんな物を強く感じたりする。 この身体が重だるいのも、何かそうした予感を察知して、私をそうした方向へ行かせない何かの力が働いているのだろうか? と・・。 まっ、適当なこじつけであるが、結局は怠け心が出ているだけ? 多分、そうだろう。 なんとなく、家でのんびりと何もしないで過ごしたいと思う意識がそうさせているのだろう。 
家でのんびりと・・・なら、ギターも弾かずに、夕方までだらりと過ごし、夕方に筋トレに励むのはどうか? そうするか。 なんだか、今日はギターも弾く気分が沸いてこない。 最近はそんな気持ちが時折訪れたりする。 これは更年期障害? では無いだろうが、どうもやる気が沸かない時に無理をする事は自然の成り行きに逆らう事、坑がう事になる。 そうすると、やはりそれに対する反発や変動が起きて、良く無い事が起こるのである。 
自然の、あるいは大袈裟に言えば、地球の、宇宙の摂理に逆らう事になり、良く無いエネルギーが生まれる。 それは全て自分の身に帰って来るのである。 
結局は自然に委ね、宇宙の鼓動に同調して共鳴する事が重要である。 そうする事で、波動と共鳴して豊かに広がる事になる。 精神を統一して無の境地になる事はそうした宇宙エネルギーを受け取り、同期して、そこに全てを委ねる事で、己の意識を無に帰するのである。 
この無に帰する心、精神は全てのストレスや煩悩から離脱して、ここに存在している事が全ての事実となる。 
なんだか、そんな口実を書いてみて、どうも怠け心を正当化する事に苦心して居るような気分になるが、まっ、良い。 こんな時も私が私である証拠だろう。 私が私で居る事はそれだけで十分幸せなんだと思うのである。 






歳を重ねる事

2024年02月18日 | Weblog
 私は66歳になった。 12月が誕生日なので、66歳と3ヶ月が過ぎた。 高齢者の仲間入りをしているのである。 介護保険証も送られて来ているし、仮に介護を必要となった場合には介護保険を使用する事になるのだろう。 
もちろん、今はまったくそんな事(介護を受ける事)など想像も出来ないのだが。 それでも、もちろん、歳を感じない訳ではない。 髪の毛は白髪も増えたし、頭部の上側の髪の毛はかなり薄くなって居る事も確かである。 顔にはシミなども出始めて居るし、皺こそまだそれほどでも無いが、肌の張りは無くなった事も確かである。 身体はトレーニングをすればある程度は若い時の筋肉は保てるだろうが、肌の艶、張りはやはり若い時のようには保てない。 
記憶力や体力は間違いなく落ちているし、運動能力、判断力、俊敏性なども間違いなく落ちている。 歯もすでに2本を抜歯して、2本の義歯を入れている。 
ただ、この義歯のおかげと言うか、これによって、食事の度に歯磨きは欠かさずにするようになった。 歳を重ねる事は身体の衰えや、若い時との違いを身にしみて実感する事でもある。 
ギターを弾いていてその年齢を感じる事は多々ある。 楽曲を記憶する事も難しくなった事はもちろんだが、指の動きや練習の効果と言うか、実績と言うか、同じ練習をしてもそれが身につく事が遅くなったし、なかなか難しい運指などを克服する事も難しくなった。 
高齢になってから何かを始めると言うことは、確かに難しい事なんだろう。 
若い時から継続して続けて居る事、若い時にしっかりと身につけた事は高齢になってもその衰えは感じる事が無い程に出来る。 
それは身体が完全に記憶していて、無意識でも反応する事が出来るからだろう。 昨日は大西順子のコンサートに出かけた。 若い頃との差は全く感じさせない、逆に若い時以上に流暢に、テンポ良く、刺激的な演奏を聴く事が出来た。 私より10歳年下であるので、まだ身体の衰えを感じるような年齢でもなしい、容姿も少しは歳を感じさせるようになったが、コンサートなどで2時間を超えるほどの長時間を弾き続ける体力や気力も健全である。 
あれほどのスピードで鍵盤を弾き続けても汗を流す事も無く、息が上がる事も無く、実に簡単に見える程に弾き続ける姿はさすがにプロ。 さすがに世界を舞台に演奏を続けて来たjazzピアニストである。 
続けて来た・・・と言っても、一時期は引退宣言もして、ピアノから遠のいていた日々が1年以上も続い時期もある。 父親を亡くし、母親の介護などで仕事どころでは無くなった事も理由だが、彼女の引退の理由は「ジャズが多様化し、自分が一生懸命に勉強してきた音楽ではお客さんに満足してもらえなくなった。自分が大事にしている価値観をつまらないと言われるのでは、プロとして成立しない」 ・・。 アメリカのバークリー音楽大学での学んだ音楽家としても確実な人生を積み重ねて居る。 
昨日のコンサートでも決して自分の価値観、自分がやりたい音楽、拘りを大切にしたコンサートだと思った。 コンサートで彼女は変な・・・曲・・。 などと2曲ほど披露したが、もちろん、変では無い。 ただ、そうした曲も彼女の拘りを十分に披露したと言う事だろう。 
常に自分に無い物を取り入れようとする意欲が満ちているのだろう。 
だたし、60歳、65歳と歳を重ねた頃はおそらく、今の自分との落差は実感するのではないだろうか? いや、それは無いかも知れない・・・。 

私も今後まだ20年はギターを弾き続ける・・・いや、何時まで生きられるかは解らないが、死ぬまで弾く事は決めて居る。 まだ、20年ある。 これはどこまで上達出来るのかが楽しみな年月だろう。 もちろん、歳を重ねる毎にその進捗速度は衰えだろう。 どこかで停止状態になるかもしれないし、限界という壁に阻まれる事になるかも知れない。 
しかし、少なくとも今はまだ伸び代がある事は実感する。 壁に阻まれてもギターを弾かなくなる事は無いだろうし、そもそも、プロになる事も、慣れる事も、成りたいとも思って居ないので、ひたすら楽しむ為にあるのである。 

さて、今日は午後からギター講座に出かける。 発表まで今日を入れて残り3日となった。 今日は最後の発表会の曲を練習する事が出来る日。 特に二重奏の練習はしっかりとやりたいと思う。 
逆に言えば、それ以外の練習は特に気が向かない程である。 気が向かないと言うのはちょっとであるが。 今は他の曲の練習を講座でやる事は無駄だと思うぐらいである。 
この日曜日のギター講座も3月で前期が終わり、私は後期を受講する予定はないし、辞める事も考えて居る。 
さて、筋トレも今日は昼前に15分程度予定している。 これまでのように、再び休止しないように今後は無理する事無く、そして、予定通りに継続したいと思う。








食べ過ぎ?

2024年02月17日 | Weblog
 最近、ご飯を食べる量が増えた? いや、トータルでは増えて居ないと思うが、その食べ方、その栄養素である。 以前は朝はパンを1枚程度食べる程度だったが、今はパンを食べる気持ちが無く、ご飯を茶碗1杯(軽くである)を海苔、漬物、味噌汁で食べる。 おそらく、カロリー的にはこちらの方が高い? そして、昼もラーメンかご飯を食べる。 夜はご飯は食べる事は無く、ビール、ウイスキーを飲んで、おかずを食べて終わりである。 
バイトの時には夕方に軽くご飯を食べて、バイト先ではパンを2個食べる。 こうなると、夜の食べる量はこれまでよりも増えている気もする。 体重は少し増えて居る気もする。 筋トレを休止していた事もあるだろうが、確かに脂肪が若干増えた? まっ、そんな事もあるが、季節が暖かくなって来たこともあるが、筋トレを再開している。 まだ再開したばかりなので、実感は全く無い。 これから以前の体型を取戻す為にも、週3回はしっかりとトレする。 
昨日はトレしたので、今日はコンサートにも出かけるので、休養日とする。 
明日は午後からギター講座なので、午前中にトレをする。 午前中にする事はすでに書いているが、今後は午前中の昼ご飯前にトレをする事に決めて居るので、午後からはギターに専念出来る。 ギター練習は意外と疲れるので、これまで午後からギターを弾いて疲れてしまって、結果、筋トレが出来ないと言う事になって居たので、これを解決するには午前中に終える事で、やる気も維持出来るし、ご飯前なので、トレしてから食事を取る事は理に叶っている。 

やはり、ギター優先は間違いでは無いし、ギターに熱中すると、どうしてもそれだけで疲れてしまって、その後はのんびりとしたくなる。 なので、筋トレが疎かになるのも理解出来て、だんだんとやらなくなってしまった。 
でも、それではこれまで筋トレを続けて来た事が無駄になってしまうし、自分の体型に自信が持てない事は寂し。 ギターもトレも同時にしっかりとやる事はそんなに簡単でも無いが、今は時間も余裕があるし、家トレの環境は揃って居る。 さらに、ピアノを弾きたいと思って、電子ピアノも買ったのであるが、今は弾く事も少なくなった。 
それも諦めたくはない。 本当ならピアノを買った時には今年の前期講座を受講しようと思っていたが、今はまだそんなレベルに至っていないので、今年の後期から受講出来れば良いだろうと思っている。 
出来れば・・・。 出来るかな??

ギターも最近は日に2時間程度になり、以前に比較すると半分程度になった。 筋トレも以前に比較すると半分以下になった気もする。 今まではただただ多くの時間を費やす事が上達の要だと思っていた。 筋トレもある程度はそう思っていた。 もちろん、ギターでも多くの時間練習する事は無ではない。
それでも、今の私は日に2時間程度が一番適していると思っている。 それ以上の練習時間はそれほどの効果は得られないと実感している。 筋トレも以前は1度に30分から40分程度はやっていたが、今は10分から20分程度で必要十分に鍛える事が出来る。 これは年齢的な問題もあるが、年齢に応じた適切なトレだろうと思う。 無駄に時間と費やして、無駄に疲労する事はあまり良い事では無い事を解ったとも言える。 
私は小食ではないが、特に大食いでもない。 食事制限をする事を意思した記憶もないし、好きな物を好きなだけ食べる生活だ。 それでも、この数十年間も体重は変わっていない。 これはトレーニングをする以前から私の体質と言うか、身体が自動的に食事量や食べる物を制限したりしているのだろうか? 特に気にしている訳ではないが、どうも自然に調整する事が出来ているのだろう。 筋トレは筋肉を付けたい為にやっている。 
なので、特に無理にやる事も無いが、健康維持や体型維持には効果的だ。 









コンサート

2024年02月17日 | Weblog
 今日の午後からはピアノコンサートに出かける。 ピアノと言っても、jazzソロコンサートである。 大西順子と言えば、知って居る人は知っているjazzギタリストだろう。 去年は国府弘子のコンサートも行った。 jazzと言えばピアノ。 これは若いときからジャズピアノを多く聴いていた時期もあるので、やはり好きな音楽ジャンルである。 
車で15分程度で到着出来るコンサートホールなので、開演20分前頃に着くとして、それほど慌てる事もない。 
駐車場もあるし、2時間は無料だ。 ソロコンサートなので、2時間程度で終わる予定なので、夕方には帰宅する事が出来るだろう。 ギターコンサートはこれまでも何度も行っているし、1人で行くことも慣れている。 こうしたコンサートは誰かと一緒だろうと、1人だろうと同じだ。 逆に1人の方が気楽だし、気を遣う事もないので、好都合である。 
通常だとコンサートは私の住む田舎町からは車でも1時間程度掛かる所がほとんどだが、隣の市にあるコンサートホールは名古屋市内などにあるホールとも遜色ない。 車で15分程度の場所に何時もなにがしかのコンサートを開催しているホールがあるのはありがたい。 ただ、なかなか聴きたいコンサートがあるわけでも無い。 
本当ならギターコンサートに行きたいが、ギターコンサートは名古屋やその周辺のホールでもなかなか開催されていない。 
愛知県内でも意外と少ないのである。 なので、コンサートに行く機会もそれほど多くは無い。 
ギター以外ではやはりピアノだろうか。 バイオリンなども聴きたいと思うが、なかなか聴きたいと思える演奏家がこのホールに来る事も少ない。 

今日はバイト明けで少し眠気も無いわけでも無いが、特に体調が悪い訳でもなく、普段通りである。 
今日は陽射しが無く、少し寒い日になった。 これまでもコンサートホールは意外と寒い。 暖房を控えているのか、足下が寒く感じる事が多く、冬にしては暖かいのであるが、やはり暖かいパンツを履いて行こうと決めた。 
あまり服装に拘る事はないだろうが、それでも、少しは気を遣う。 

さて、明日はギター講座。 来週の発表会の曲を最後に練習出来る最後の日である。 明日の午後はともかく出かけて、duo曲を合わせて練習したいと思う。 これまでにある程度は譜面を見なくても弾ける程度には練習したので、仮に当日にいきなり本番でもまっ、なんとかなるだろう。 
今日はギターの練習はどうする? 時間的にあまり余裕はないので、まっ、コンサートから帰宅して、寝る前に少し弾くだけでも良いだろうか。 筋トレは今日は休養日になる。 




筋トレの効能は?

2024年02月16日 | Weblog
 去年の10月末から筋トレも休止状態だった。 一昨日から筋トレを再開する事を決めて、さて、ダンベルでプレス、フライを10Kg程度で1セット20回の2セット程度。 で、次の日は筋肉痛。 この程度で筋肉痛か・・・。 となんだか落胆する事に。 だが、それは想定内の事で、これまでも何度も休止しては再開して居る経験はあり、やはり同じように、再開してからしばらくは筋肉痛になる。 しかも、たったの10分程度の筋トレでもである。 
逆に言えば、それほど運動をしていないことが明白であることだろう。 朝も書いたけど、今までは夕方に筋トレをして、風呂に入って、夕飯を食べて・・・。 だったのであるが、結局はギターを弾いて疲れてしまって、夕方には筋トレをする気力が失われている・・・。 なので、再開しても休止になる事が多々あった。 特に昼からビールを飲んでのんびりと過ごすような日には夕方に筋トレなんて出来もしない。 
なので、今回は昼前の食事前に筋トレをする事に変えた。 本当なら夕方のトレーニングが効果的と言われているので、どうかな?と思うが。 ただ、これまでのように休止するぐらいなら、この時間にやる方が良いだろう。 
バイト明けでギター講座がある時などは別だが。 ギター講座も午後からの講座は一旦中止する事に決めて居るので、バイト明けでも出かける事が無い以上は出来るだろう。 
仮に出かけても、夕方にやればいい。 ともかく、これまでのように休止する事が無いように、今後は継続する意欲を保つ事が肝心である。 
旅行で温泉に入ったりする時に鍛えた身体でありたいと思うし、もちろん、健康維持として、体力維持として。 それと、筋トレは脳の活性化になる。 身体を動かす事はそれだけでも、精神的なストレスを解放する事が出来る。 
以前の様に筋肉肥大を望んで、限界まで挑戦していた時とは違って、今は体力維持、筋肉維持が目的だ。 無駄な贅肉を無くす事も大切だろうが、自分の体型に自信が持てる事は何事に対しても自身が持てるし、短時間でも筋トレをした後は気持ちがすっきりとして、気持ちも快活になる。 
いろんなメディアでも伝えられているが、年齢に関係無く、筋肉は鍛えれば必ず成長する。 ただ、高齢になってからは無理は禁物で、必ず自分の身体に見合ったトレーニングをする事だろう。 
勇み足で無理な重量を扱ったり、無駄に時間を掛けてやったり、必要以上に多くの回数を熟すなど。 そうした見合っていないトレーニングは逆に怪我に繋がるし、筋肉を衰えさせる。 
私は昔からジムに通っていた経験もあり、重量の扱いや、どの程度の頻度や回数を熟す事が良いのかは理解しているので、無駄に時間を費やさない方法や、適切な重量と回数を今の自分に適したトレーニングをする事が出来る。 
再開して、今は1度に10分程度。 今は1セット20レップ程度を2セット。 ダンベルプレスを2セット、フライを1セット。 背筋は25Kgを20レップを2セット。 腹筋を30回を2セット。 これを3週間程度続けて、その後は重量を15Kgに上げて、回数やセット数はそのまま。 上腕筋はEZバーで10Kgを15レップ2セット程度に追加したり、三頭筋はケーブルマシンで20Kgを2セット程度。 下半身もレッグプレスで20Kgを20レップ2セット程度に追加。 そうして徐々に種目や重量、レップ数を増やして行く事だ。 3ヶ月後ぐらいにはダンベルも20Kg程度になっているだろうし、背筋も35Kg程度に、EZバーも25Kg程度にはなっているだろう。 
その頃には以前とあまり変わらない程度に筋肉は増加しているだろう。 
その後は維持する事を目的として、計画的に継続すること。 
年齢的にどこまで維持出来るのかは解らないが、無理なく出来る程度なら、これぐらいは問題ない。 
筋トレは自分の身体に自身を持てる事はもちろんだが、しっかりと力を出す事で、気持ちが晴れやかになるのは筋トレの効能だろう。 
何かの問題があっても、筋トレでいったんは気持ちを雑念から離して、無の気持ちにさせてくれる。 いろんな悩みなどもトレーニング中は忘れる事も出来る。 これはギターでも同じ効果もあるかも知れない。 練習中は曲を弾く事に集中しているので、他の事は忘れる事も出来る。 こうして、何かに集中して、それに没頭する時間はとても大切な事である。 
何も考えずに、ひたすら物事に気持ちを委ねる事が出来る時間はとても幸せな時間だろう。 筋トレを再開して、改めてその効能に気づいた気がする。 





お金の使い方とは・・・

2024年02月16日 | Weblog
 お金は生きていく為には相応に必要な物である。 自給自足でなんでも自分で食料を採ったり、済む家を作ったりした時代はともかくとして。 
今は特に高齢社会になり、老後の生活資金にも心配事が増えている。 仕事をリタイヤしてからの人生も昔よりも遙かに長く、身体が思うように動かなくなってからも、さらに生きる時間は長い。 
現役で仕事をしている時でも、生活を維持するにはそれなりに必要なお金は少なくない。 子供を育てる事も、今はいろんな習い事や高校や大学になると、相当な資金が必須の世の中である。 両親が共働きをしてなんとか子供を育て、家のローンを払い、それなりに今では当然の生活レベルを維持する事は簡単では無い。 現役時代にどれほどの資産を残す事が出来るのか? 親から譲り受ける事が出来る人は別として、そうでない者は何もない所から積み重ねる事になる。 
子供達がひとり立ちして手が掛からないようになってから初めて貯蓄が出来るようになるのである。 
私達夫婦もそんな事で、子供達が所帯を持ってからようやく貯蓄が出来る様に成った。 そして、今は贅沢では無いにしても、日帰りや泊まりの旅行にも時折出かける事も出来ている。 貯蓄も今はそれなりに順調に出来ている。 もちろん、それも何時まで継続する事が出来るかは解らないし、妻も後3年で今と同じように働く事は出来ないだろう。 もちろん、その後は妻も年金収入も入るので、それなりに補足出来るだろう。 それでも、今と同じように貯蓄が出来る訳ではない。 ただ、貯蓄を減らしてしまえば、今と同じ生活レベルを維持する事はそれほど難しい事でも無い。 そして、それまでの預貯金を崩す必要も無いだろう。 貯蓄を続ける事は難しいが、それでも少しは出来るだろうと算段している。 どの程度の預金が必要なのかはともかく、お金を残す必要はない。 最低でも2人の葬式費用ぐらいは残す事で、子供達に負担を掛ける事が無いようにしたいと思っている。 その程度ならすでに十分にある。 
妻は何かにつけて、お金の無駄使いなどと言い出すのであるが、何が無駄使いなんだろうか? 先を見据えての預金や投資は悪いとは思わないが、無駄なお金の使い方などありはしない。 どんなお金の使い方であろうと、お金の為にお金を使う事で無い限りに置いては、自分達が満足して、生活が豊かになる事に使うのであるなら、それは無駄では無いのである。
私には姉が4人居て、今も全員健在に生活をしている。 2人は夫を亡くして、今は子供達や孫達と過ごして居るが、それでも独り暮らしを続けて居て、未だに仕事も継続している。 
姉達はとても仲が良く、頻繁に食事をしたり、旅行に行ったりして楽しんで居る。 それほどの貯蓄があるわけでもないが、それでも、可能な限りに人生を楽しんで生きている。 人生はそれなりに頑張って要る限り、楽しく過ごす事はそれほど難しい事では無い。 もちろん、身体が動けなくなった時はどうするのか? でも、そうなったら、もう、あれこれと欲などどうでも良いことで、おいしい物を食べたいとか、旅行に行きたいとか・・・。 もうそんな思いなどどうでも良いだろう。 と、私は今は思って居る。 
妻にもいつも言って居るが、やるべき事をやっている以上に無理をする必要は無い。 それよりも、健康で身体が自由に動けるまでは好きな物を食べて、好きな事を可能な限りして、行きたいところに遊びに行って、必要なお金を使う。 お金は貯める為にあるのでは無い。 使う為にあるのである。 使い道があるからお金が欲しいと思うし、使わないお金は何の意味も無い。 
子供達に残す事はそれなりに理解出来るが、自分達がやりたい事を成さないで残したお金をありがたがる事は無いだろう。 両親が好きな事も我慢して残したお金を受け取っても、果たして本当に心から喜べるのか?
逆になぜ、もっとお金を使って、好きな事をしなかったのか? なぜもっと、自分達の為に使わなかったのか? もちろん、仮に少ないお金でも子供達はそれなりに嬉しいかもしれないし、孫達に使えるお金が増える事は嬉しいだろう。 しかし、それはあくまでも、無理する事無く残った物である事だろう。 
お金の使い方は人それぞれなので、一概に決めるなどと思わないが、私はお金はそれ自体に意味が無い物だと思う。 もちろん、お金がお金を生む社会出あることも承知している。 投資などはそうだろう。 元金が含み益を生んで、さらに増える事で、生活資金に余裕が生まれる事も承知だ。 
政府も今は積極的に投資を促しているしまつ。 老後に必要な資金がどれぐらいだとか、現役時代から預貯金をして、老後に備える事が大切などと・・・。 年々増え続ける介護予算や、年金予算、医療予算、子育て予算などなど。 人口の現象が始まってから、税収は年々下がり続けて居るし、経済は低迷を続けていて、さらなる税収が減り続けるだろう。 
逆に高齢社会は続き、より多くの介護資金、年金資金、医療資金に税を投入する必要がある。 年々赤字国債を増やし続けて居るし、将来、その借金を返す当ても全くない。 
投資をして、出来る限り生活維持に必要な資金を自分達で確保して欲しいと思うのは、政府がこのまま公共の資金を捻出出来ない事が解ってるからだろう。 今のままではいつかは国は持たなくなる。 世界一借金が膨れ上がっている日本は将来どの程度維持出来るだろうか? 
年金額の減少は間違いないし、医療費負担も増え続けるだろうし、物価は高騰を続ける事は間違いないし、食料や原油、その他の生活に必須な物資は海外からの輸入が頼りだ。 しかし、地球環境は悪化を続けて居る。 もう、おそらく、元に戻る事は叶わないだろう。 世界的に食料飢饉にさらされる事は以前から言われて居る事であり、原油もいつまで今のまま維持出来るだろうか。 
日本は生活を維持する必要な物を自給出来ない国になった。 ほとんどの物が外国からの輸入品で賄っている。 世界的な環境の変化で、自国ですら賄う事が出来なくなった時に、果たして、日本にそうた物資を売ってくれるか? 仮に売るとしても、それを買うだけのお金が日本にあるか? 日本の国民が必要な物を買うだけの資金を持てるだろうか? 
収入の3割を税金で徴収されているような現状で、果たして生活を円滑に維持する事が出来るだろうか?
年金生活者の私ですら、介護保険、国民保険、市県民税だけで月に数万円の負担がある。 この負担額が0で合ったとしても、生活レベルは最低だろう。 そこにこれほどの税金で差し引かれるとなると、年金だけで生活するのは不可能だ。 そうなると、車を維持する事も出来ないし、固定資産税も払えなくなるし、スマホなど持てないだろうし、当然、遊びに行く事など到底無理な話である。 光熱費、食料、その他の雑費だでを補う事すらできなくなるだろう。 
もちろん、働ける間はまだなんとかなるが、働けない身体になったら、果たして、生活を維持する事は出来るだろうか? 
まっ、そうなったら死ぬしか無いだろうが、自分で死ねる程の覚悟はまだ無い。 その時になったら解らないが、その時になったら考えるとして。 

さて、そんなに先の事をあれこれ考えても意味もない。 今は毎日、出来る事をして、やりたい事を優先して、可能な限り楽しむ事をする事だ。 
先の事を憂いてもしょうもない。 なるようになるし、ならねばそれに任せる以外にはないのだから。 

さて、今日もバイトである。 特に日中は用事もないし、今日もギターの練習をして、過ごす。 それと、筋トレも再開する。 一昨日には少しトレーニングをしたが、本当に久しぶりで、今でも少し筋肉痛になっている。 それでも、これから1ヶ月程度で筋肉痛も出なくなるだろう。 
これまでも何度か休止してい時期があり、何度も同じ事を経験しているので、これはすでに想定している。 
3月、4月、そして5月も一泊で遊びに出かけるので、それまでにある程度まで身体を鍛えておきたい。 温泉では裸になるし、情けない身体をさらしたくないし、5月は兄弟や親類と一緒なので、5月までにはそれなりに鍛えた身体に戻して置きたいと思って居る。 まだ2月中旬なので、5月までは3ヶ月ある。 3ヶ月あれば、以前と同じ程度までは戻せるだろう。 
以前は夕方にトレーニングしていたが、やはり夕方は疲れなどもあるし、バイトならいろいろと時間も気になるので、今日からは昼の食事前に終わらせる事に決めた。 ギターの練習の休憩時に丁度良い時間だろうと思う。 
多少、汗は流しても、昼ならそれほど気にならないし、昼前ならトレの後に食事をするので、丁度良いだろう。 
今日から週3回。 最初は10分でも良いし、身体が慣れて来たら15分、20分、25分と増やして行こう。 
これも何度も経験している。