summer diary

日記らしきページ

well-being(ウェルビーイング)

2022年04月27日 | Weblog
 well-being(ウェルビーイング) ~旅する博士と落語するアナウンサー
これはAmazonのAudibleでポッドキャストとして聞くことが出来る。
内容は、落語するアナウンサーこと、吉田尚記と、予防医学研究者の石川善樹との対談を毎回20分程度の時間内で語っている物だ。
現在19回まであるのだけど、この対談をまとめた著書が角川書店から今年発売されるとのこと。
そもそも、well-being(ウェルビーイング) とは何か? を根本から考えている点も面白いし、各視点を通して、ウェルビーングの定義と言うか、日本人的な視点から考察している点も面白い。

以下はネットで検索した定義なんですが。
「well-being(ウェルビーイング)」とは、直訳すると「幸福」「健康」という意味があります。ウェルビーイングの定義においてよく引用されるのが、世界保健機関(WHO)憲章の前文の一節です。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会仮訳)

簡単に言うと、生き生きとして生きている状態と言うことでしょう。
私は今、凡そウェルビーング状態と言う事かも知れないと思って居るのだけど、もちろん、その状態が常に、常時維持されていると言うわけではない。
時には不満、不平もあるし、怒ったり、嘆いたり、悲しんだり、望んだり、求めたりも当然だが、頻繁に登場するのである。 登場と言うのは、これは自身の心の中の所謂、煩悩、妄想と言っても良いだろうけど、最低でも日に何度も現れても来る。 
しかし、それはある瞬間、ある一定の時間で終始して、そうした移ろいやすい心と言う物である事も理解しているので、少なくとも、総合的に評価すると、やはり健全な状態を保っているだろうと思って居る。 
さて、そうした私のようなある程度、人生に満足して、健康的な生活をしている人間にとっては、ウェルビーングとは何だろうか?とか、人生を楽しく過ごす為には何か必要なんだろうか? とか、健康的な生活の過ごし方とか、そうした所謂啓発本と言うか、そうした自分を良い方向へ導くだろうと思われるような本は必要ないと言えばそうだろう。
ただ、それでも、今の自分の思考や想念、概念、想念などがある程度間違って居ないのだ。 と思えるような確信めいた拠り所も欲しいとも思って居る。

ウェルビーングにも種類があるようで、各方面からアプローチする物。
○○○○ウェルビーングなどと言うように、Career well-being、Social well-being、Financial well-beingなどなど・・・。

しかし、いずれにしても、結論から言ってしまえば、ウェルビーングとは、各個人的な精神的安定感である。 この精神的な安定感はそもそもどこから来るのだろうか? と言う物を探求したり、研究したりする事も楽しいだろう。 
これは研究者の仕事であるだろうし、その研究結果を知ることで、さらに生き方に対して自信が持てるのだろうとも思える。
この精神的な安定感は個人的な生活環境や育った環境、各対人関係、生きてきた経験値、知識、家族構成や貯蓄額、給料や社会的な地位や名声、立ち位置などなど、人によって全く異なった感性によって作られると思って居る。 
なので、これがウェルビーングである。 と言うような指針は無いだろうと思われるのだけど、近年はこのウェルビーングが注目されている。
これこそが、現代社会に生きる人間に取って、いかに生きている状態が生き辛いと感じている人が多く居る証拠だろう。 
さらに言えば、例えば、趣味を持たない人や、夢を持てない人や、生活を維持するお金が無い人など、将来と言う物に対する不安や心配が絶えない人。
そうした人達は何か心の拠り処を求めていて、こうしたウェルビーングなどなどの著書も売れているのだろう。
過去、未来を想像しない状態になる。 過去はすでに過ぎ去った物語であるし、現在の位置からすると、絶対に取り返すことが出来ない世界だ。 
そのどうすることも出来ない物に対して思いを巡らすのは全くの無駄である。
そして、未来に対する不安や期待や夢なども、ありもしない世界を想像しているだけの物。 所謂、妄想の世界である。 
そのありもしない世界に心を奪われている現在の自分は、すでに現在の自分ではなくなっていて、今を生きているとは言えない状態だ。 
こうなると、ウェルビーングと言う物とは離れて行ってしまった状態になる。 
なので、私は出来る限り、過去も振り返る事もないし、未来を見る事もしないようにしたいと思って居る。 
もちろん、未来に対する計画的な思いは0ではない。
ギターの上達をある程度計画して居たり、筋トレで半年後にどの程度のウエイトを扱うことができるだろうか? とか。
しかし、それに対する執着は持っていないし、固執するような思いも全くない。 あくまでも、だったらいいけどな・・。 出来なくてもいいけどね・・。 この程度の思いに留めている。 
これは今を良い状態で生きるために必須の精神だろうと思う。 今が自分に取って、納得できる状態であるか? 納得できないなら、何をどのようにして、納得するのか? さらに言えば、それは妄想では無く、現実的な行動によって納得できる物に出来る必要が有る。  これは、心と言うよりも、身体的な納得だ。 今、手、足、胸、頭など、自分の身体の状態に心を集中して、この世に生きていると言う実感を感じることは、精神的な安定感を作り出す。 
これは私が筋トレをする意味もある程度ある。 
筋トレをしている時は、自分の身体の動きや、身体に感じる力、重量などに全ての意識が向いていて、過去や未来や今現在のことすら思考から無くなる。
今持っているダンベルの重さだけに完全に集中しているし、集中しないと怪我する。 10レップの最後の2レップが上げる事が出来る限界になると、完全に集中力は高まり、挙げる事以外にはまったく心が動かない。 
これは、その瞬間は完全にウェルビーング状態と言っても良いだろう。
単純に解釈して、「幸福」「健康」の状態だと言っても良いだろう。 
幸福感と言う定義は個人的な物であるだろうし、健康と言う定義も個人的に解釈する必要が有る。 しかし、少なくとも、幸福で健康な状態とは、悩みや、不満や、将来の不安、過去に対する後悔、誰かとの対人関係や、収入の問題や、などなど・・。 そうした物から完全に離れて、心が解放され、何物にも囚われて居ない状態で、身体が健全な状態。 その瞬間でも良いのである。 
そうした状態を維持する時間はとても必要な物なのである。 
特に現代社会や都市生活では、自分を動物的な生き物として認識することが足りていないのだ。 この動物的な視点で、生きる事を意識することは、特に何も無くても生きていることを認識出来る。 

さて、今日は連休2日目。 昨日は家から一度も出ないで、ギターを弾き、筋トレをして過ごした。 
天気は午後3時までは洗濯物も外干し出来た程度に雨は降らなかった。
今日は午前中から日差しも期待できる程度に晴れる予報だ。 気温も25度を超えるほどに上がるけど。 
今日も特に外出する用事は無く、家で過ごすことになりそうだし、そうするだろう。 筋トレは今日はどうするか? 2日連続でやるのはちょっとと思うが、今日は下半身のみで夕方にレッグプレスと腹筋、背筋程度にしておこう。








やっぱり夜勤はね・・・。

2022年04月26日 | Weblog
 私の仕事の勤務体制は24時間勤務の昼夜勤連続勤務と夜勤のみの8時間勤務がある。 24時間勤務は朝から翌日朝までの25時間。
夜勤は基本的に勤務明けの夜から翌日朝までの勤務になる。
夜勤は月2,3回程度の割り当てになっているので、2週間に1度程度だ。 
それ以外には24時間勤務の明けの日(朝9時まで)は休みと同様で、翌日は休日になる。 休日は月に2回程度は連休もあり、明け日、休日、休日となるので、3連休と同様だろうか。
昨日は夜勤明けで、朝6時15分には帰宅している。 帰宅後は朝ご飯を食べて、8時頃には一旦は睡眠を取る。 10時半ぐらいには目が覚めて起きて、その後はギターを弾いたり、のんびりと過ごし、昼ご飯も食べ、再びギターを弾き、夕方には筋トレをする。 
昨日は午後から1時間半程度ギターを弾いて、睡魔が襲ってきたので、ベッドに入った。 1時間程度寝る予定だったけど、夕方まで寝てしまった。 
なので、筋トレをする時間も無くなり、そのまま風呂に入って、夕飯を食べて、ギターを弾いてから寝たのである。
筋トレも計画通りに継続することが良いのであるが、こうして、勤務明けの日などは疲労が抜けていないので、夕方に予定している筋トレが時折出来ない事も多々ある。 
今日、明日は休日なので、今日は予定通りにトレーニングは出来るのだが、明日はトレーニングはしない。 連日トレーニングをするのは効率的? ではなく、筋トレ日はしっかりと筋肉に刺激を入れるので、翌日、翌々日までは回復日にして、休養をする。 こうして、トレーニング日から中2日空けて筋肉の疲労を取る事が最も効果的に筋肉を増加させるサイクルである。
筋肉疲労は最低でも48時間から72時間程度が必要だと言われているので、
中2日は必須なんだろう。 
ただし、週1回程度のトレーニングではやはり足りない事もある。
最低でも週2回程度は筋トレ日を作る事が良いのだろう。さらには、トレーニング内容もしっかりと計画する必要がある。
一度の全ての部位をやる事は意外と難しい。 これはやはり、トレーニング時間の問題もあるだろうが、3部位程度をしっかりとトレーニングすると、どうしても体力的にも他の部位をする事が難しい。
なので、最低でも週2回。 上半身、下半身と別ける方がいいだろう。 さらに言えば、週4回程度で、上半身2回、下半身2回程度出来るなら尚良いだろう。 私は1回のトレーニングで最低でも3部位程度にしている。 胸筋、上腕筋、背筋。 次は大腿四頭筋、腹筋、三角筋(その他の部位)これを中2日程度を空けて順にしている。 
中2日だと、月、木、日、水、土、火、金、月と言うように、曜日が変化する。 しかし、仕事の関係で計画通りにはいかないので、時には中1日で、時には中3日でとなる時も多々ある。
しかし、中2日、3日に1回のトレーニングは欠かせないので、月に10回は最低ラインと決めている。
トレーニング時間は1回に40分程度。 各15分程度。 胸筋は20分程度を予定している。 これはインターバルも入れての話で、インターバルを3分から4分程度とすると、45分から50分程度になる場合もある。
私はサーキットレーニング的にする時もあり、インターバルは30秒程度から0秒程度で、4種を順に3回程度連続でやる。
これも週に1回程度はサーキット、 その他は各部位をしっかりと高重量で刺激する。 私のような高齢になると、1回の総重量はある程度控えめにしている。 1回目は50%程度の重量で20レップ、2回目は80%程度で20レップ、3回目は100%程度で10レップ。 これで、筋肉のパンプ状態を見て、さらに、60%程度で20レップ程度で終了する。 
その他の部位もほぼ同じ程度でしている。 
3,4部位しても40分程度から50分以内には終了することは出来る。 
逆に40分程度で終わらせるようにしている。 
筋トレは長時間は逆効果で、筋肉を長く疲労させるのは筋肉増強の効果を減少させることも研究などでも証明されている。
これは、速筋は短時間で高重量を扱うことの方がやはり効果的で、遅筋などはマラソン選手のように長時間筋肉を働かせるには軽い重量で長い時間のトレーニング、ランニングなどの有酸素運動が有効で、体脂肪を落とすには有酸素運動と無酸素運動を組み合わせるのが有効だと言うことだ。
しかし、私は体脂肪を落とす目的はなく、筋肉増強を目的としているので、有酸素運動は考えていないし、家で出来るのは筋トレなので、マラソンのような屋外で走ることは考えていない。 

さて、今日は雨の予報。 今、午前中はまだ雨は降っていない。 しかし、この後、昼から午後3時頃までには雨が降る予報だ。 
午前中から雨が降るだろうと予想していたのだが、夕方頃の雨の予報なので、朝は洗濯物を1回洗濯して外干しした。 
午後からの雨雲レーダーを確認しながら、取り入れる時間を考えないといけない。 今の所の予想だと、この東海地方の私の住む地域では夜8時程度からの雨予報なので、何とか日中は外干しできそうだ。 
明日は朝もまだ雨は降っているだろう。 今夜から明日朝までは雨も激しく降る予報だし、明日は洗濯はできないだろうと思っている。 
明日も休みだけど、明日は外に出かける事は向いていない。 

さて、ギターの練習も今日、明日はしっかりと出来そうだし、筋トレは今日はしっかりと出来る。 
先日、サマースーツを購入した。 来月の息子の二人目の孫娘のお宮参りを予定しているので、その時に着るスーツが欲しかった。 
スーツ類は夏物は全て息子に譲ったので、私は持っていない。 冬用のスーツはまだ手元に数着残してあるが、現役を引退した身にはスーツは必要ないだろうと思う。 フォーマルを着る機会はあるが、スーツを着る機会はこうした機会(お宮参りとか、その他の身だしなみを気にするイベント)はほとんど無いに等しい。 しかし、上の息子はまだ結婚してないし、同居しているので、今後、結婚することを予想すると、お相手との紹介などの席など、身だしなみを気にする機会もあるだろう)。 
そうした機会なども想像して、今回は1着はサマースーツも持っている必要があるだろうと。 
で、スーツと言えばスーツ専門店(青山、aokiなど)が良いだろうと思い、何時も行くホームセンターでの買い物の帰りによってみた。
サマースーツはもう新しい物が店頭に並んでいて、最初はその中でも2万円以下の商品も見ていたが、もっとリーズナブル物が無いかと聴くと、型落ち品、売れ残り品もあり、税込み19800円の店頭販売品が数点あった。
売れ残りなので、色柄などは数はなく、サイズも限られているが、その中でも意外とデザインも質感もサイズも私に合った物が見つかり、試着すると、ズボンのウエストは若干大きかったけど、上着はピッタリだし、色柄も無難な定番だったので、買うことにした。
買う事に決めたのは、その価格だった。 税込みで3080円。 3千円でスーツ買えるとは思って居なかったので、掘り出し物を見つけた気分だった。
2万円程度のスーツが3千円での販売なので、6分の1で買えるのだ。
ただし、ウエストを3Cm詰め、裾直しもあるので、2千円程度の追加となる。それでも、5千円程度になるので、4分の1での購入だ。 
シャツもついでに購入して、9300円(税込み)で買った。
ネクタイも春らしい物をネットで見つけて、1350円で購入してしまった。ネクタイはいろいろ持っているので、買い増す必要はないのだけど、スーツが予想以上に格安で買えたので、春らしく、おめでたい日に似合いそうな物が欲しかった。 
スーツ専門店では今後もこうした売れ残り品を探すのもいいと実感した。 
サイズは私の体型はかなり細身なので、意外と売れ残っている事もある。 
色柄はまっ、拘れば切りがないので、その点に関しては、オーソドックスな物なら何でも構わない。 後はシャツとネクタイとのコーデをおしゃれにすると、スーツの価格なども気になる事も無いだろう。 
スーツはその高級感も大切だろうが、もっと大切なのは、清潔感とコーデのおしゃれ感だ。 私はシャツはボタンダウンがほぼ100%近くで、ネクタイもトライデショナルがほとんどである。 
今回はトラッドとは若干違っているネクタイだけど、デザインも気に入ったし、質感も悪くないし、色柄、価格も納得出来たので良い買い物が出来た。 

専門店に立ち寄る前はとりあえず見るだけと思っていたけど、予想を裏切り、掘り出し物と出あったので、その場で購入決定。 
こうした事は意外と少なく、今回は絶妙なタイミングだったと思う。 
1万円を切る価格のスーツはネットでは意外とあるが、実物を見る事が無く購入するのはやはり心配であるし、裾の長さなども直し必要が有るし、そもそも、3千円で購入する事はほとんど不可能だ。
今回はこうしためぐり合わせに感謝、感謝ですね。 

さて、ではギターの練習開始とするか。






快晴天気も今日までか?

2022年04月22日 | Weblog
 今日は昨日の雨が止んで、朝から日差しはたっぷりと注いでいる。 気温も25度以上の予想である。 明日からの天気予報では、1週間程度は曇り、時折雨の予報で、日差しが注ぐ日は期待できない様子だ。 
洗濯物を外干しする事ができるのは今日以降は厳しいかも知れない。
今日は休みで、いつも通りにギターの練習と筋トレ(今日は中3日をしっかりと休んだので、筋肉痛もまったない)をしっかりとする。 
来月からの仕事の勤務割の体制が変わったので、これまでよりも筋トレの計画と言うか、トレーニングの周回と言うか、トレーニング日と休養日のサイクルが良くなる。 実質的には月に10日間程度は筋トレをすることにしている。 
さらにはもっと言えば、3日に1回のサイクルと、2日に1回のサイクルで行う事になる。 
筋トレを長く続けていて、当初始めた時には週5日程度もジムに通っていた。
それでも思って居るほどに筋肉の発達は感じる事が無かったが、その後、週3回程度に減らして、さらには、同じ部位のトレーニングを2回程度に限定した。 そうすると、筋肉の発達を実感することが出来る気がした。
筋肉の増量を期待するのであるなら、決して筋肉が疲労している時にはトレーニングはしない事。 完全に疲労感が無くなった時にしっかりと負荷を掛けて、次の日に筋肉痛が出る程度に追い込むことが良いだろう。 
最近は特に意識的に無理はしない程度に負荷を掛けるようにしている。 
高齢になるとさらに若い時に比較すると、疲労の回復時間は長くなる。 
これはトレーニングを継続していても、年齢的な新陳代謝やホルモンバランス、ホルモンの分泌量の減少などで、回復速度は遅くなるのだろう。 
そうした事を考慮して、なるべく、無理をすることが無いように、1回のトレーニングも出来る限り短時間で終えたい。 
今は家トレでトレーニングしているので、ベンチプレスは出来ないけど、ダンベルプレス、フライでもしっかりと胸筋に負荷を掛ける事は変わらない。
それ以外には腕、背筋、足などはホームジムもあるし、EZバーもあるので、そうした器具を使用すると、自宅トレーニングでジム同様の筋トレは可能だ。 
実際に、以前ジムがコロナで閉館していた時期に家トレでダンベルのプレスなどを継続していたので、数か月後にジムでベンチプレスをした時でも、ほとんど変わる事が無く、同じ重量を上げる事も出来た。 
なので、家トレでも十分に思って居る程度のトレーニングは可能である。 
しかし、それは基礎的な事がしっかりと身に付いていると言う事が前提で、最初から家トレを始めるのは難しいかも知れないし、怪我の心配もある。
筋トレは正しい姿勢がとても大切で、ダンベルを上下させるだけでも、その腕の形やベンチに身体を伸ばして、支える個所、肩甲骨を寄せる姿勢や、手幅、角度などもしっかりとした形でやることが重要なのである。 

ギターの練習もそうだけど、やはりその形(ギターの構える姿勢、腕の角度、掌の角度、爪弾く指の角度などなど)がとても大切なのである。 
誰もが苦労するセーハなどの人差し指で複数フレットを同時に押えて、他の指でさらに離れているフレットを押えるなども、自分の形を作る事が大切で、どの角度でどの程度の圧、どの腕の角度や指の角度など出来る限り軽い力で出来るような形を見つける事が重要なのである。 
初心者は兎も角、全てのフレット(1弦から6弦までの弦の全てを)を押えようとする。 しかし、本当はそうした和音(コードと言っても良い)は意外と少なく、必要なセーハの音は2個程度が多く、その音が綺麗に出ているなら、それでいいのである。 
なので、最初から全部の弦を押える必要もないし、必要な音だけに集中して押えればいいのである。 そうすると、意外とそれほどハードルは高くない。 
実際に私は今でもセーハは苦手(クラギは出来るが、アコギはテンションが高いので、難しい)だが、何度も練習していると、綺麗な音が出るようになるし、押える力も少しづつ軽くなるのである。 
クラシックは確実に身に付くので、ギターを弾くことが楽しい。 1曲毎に先に進んでいる実感があるので、上達していると言う達成感もあり、初心者はまずはクラシックから始める事を進めたい。 
アコギやエレキなどから始めるのは私は勧めない。 
特にエレキは癖が付き易く、基本的な形が身に付かない事が多いので、ギターを長く続けるためにも、クラシックギターから始める事が遠回りと思えるようで、本当は最もギターの上達には役立つステップだと思う。 











プーチンの戦争

2022年04月21日 | Weblog
 ロシアのウクライナへの侵攻、これは身勝手な戦争であることは明白だろう。
プーチンの戦争であることも明らかに成ってきた。 ロシアの軍部は戦争自体は避けたいと思って居た様子で、このことはプーチンの戦争が予定以上に長引き、軍部との意思の疎通が出来ていない事で、戦略も場当たり的な物になっている。 
さらには、戦場で戦う軍人の志気が伴わない結果は、ウクライナの反撃も予想出来ていない状態だろう。 
それでも、戦力はロシアの方が圧倒的な優位があり、ウクライナは苦戦しているし、主要な都市が略奪される事も時間の問題かもしれない。
アメリカやEU、NATOなどからの支援もあり、ウクライナは何とか持ちこたえているのだろうが、今後、ロシアは化学兵器や核の使用すら躊躇なく開始する心算だろうと予想出来る。 
プーチンと彼を取り巻く蛮行支持する者達と、微かでも正義を持つ軍部との垣根も見え隠れするような気もする。 
この戦争が長引けば、当然だが、軍部からのプーチン離れは加速するだろうし、そもそも、軍の予算は破綻するだろう。 1日で2兆円の軍事費が費やされているとも言われているし、そもそも、軍隊の数も減少して、ロシア以外からの志願兵などもいなくなるだろう。
さらには、ロシアの軍そのものが、この戦争の意味がなんであるのか? ロシアは何のためにこの戦争を開始したのであるか? はたして、この戦争が終結した以降のロシアの未来がどうなるのか? 
ロシアから脱出して他国へ亡命する多くの有能な人材も数多くなっている。
芸術家は勿論、IT技術者や科学者、医者、学者、スポーツ関連の人々、その他多くのロシアの人材がロシアからいなくなっている。 
さらには、ロシアのアスリート達は主要な大会から排除されているし、音楽家なども排除される傾向にある。 
この戦争が終わっても、そうした人達はロシアへ帰還するようなことはないだろう。 少なくとも、プーチン政権が持続する間は完全にロシアは中国、北朝鮮、ベラルーシなどの一部の社会国家でしか友好関係は持てないし、今後は世界の経済大国などからも経済制裁は長く続く。 
どれほど、ロシアに友好的な国が支援しても、それまでのロシアの経済が元に戻る事もないし、戻れないだろう。 
プーチンは今の経済制裁は全く意味がないような強気な発言をしているが、実際にはロシア経済やロシアの為替の暴落は相当にロシア国民へ跳ね返っているのは明らかだ。 
スーパーの品薄状態や、当然だけど、国外との取引が出来ない以上は、ロシアの各産業は事実的な破綻状態だと言っても良いだろう。 
もちろん、これはロシアだけの問題でもない。 日本にもこの戦争で影響を受けているし、物価の上昇も否めない。 それでも、世界3位の経済大国である日本はこの戦争で打撃を受ける事は少ない。 
むしろ、今後、中国などのロシアとの友好を保っている国家は大きな影響を受けるのだろうと予想出来る。 
インドなどもロシアや中国からの支援を受けている国家などもそうだろうけど、これからロシアが破綻する事を見据える政策が加速するだろうし、中国も何時までもロシアとの協力関係を変える必要性も出てくる。 
破綻状態の国家との友好関係を継続するには、それ相応の経済支援や痛みに耐えるだけの自国の経済を潤う必要がある。
しかし、今は世界経済はコロナ感染や正解的な経済低迷が続き、さらには環境の変動で様々な予期せない支出が続いている。 
昔のバブル期のような潤沢な経済成長は今後はあり得ないだろう。
むしろその逆で、今後は世界的な経済的な危機が続く。 戦争以上に人間が懸念すべきは地球の温暖化だろう。 これによって、今後の地球は気温の上昇で全ての物がこれまでのように継続出来るのか? 海水の上昇で水没する都市すらある様相であるし、これまでのような気候に対する対応では限界がある。
衣食住という基本的な物すらどうなるのか? 最近は地震も多発しているし、火山活動も活発になる日本は、原発などを含めて、今後も自然災害だけではなく、再び原発による大災害すら予想できそうだ。 
地球の気候変動は世界的にこれまで経験した事がないほどの災害が起きている。 ウイルスの猛威も今はワクチンなどで収束する方向へ向かって居ると思われるだろうが、ウイルスは今後も定期的に新型が登場し、そのたびに世界的な経済を疲弊させることになる。 
これは歴史を振り返れば当然の事だろうし、地震などの自然災害も地球の歴史を見ると、避けられない物だろう。 
人間がすべき物は何なのか? 前にも書いたけど、今国家間で争うような馬鹿げた時代ではない。 どれほど自国の豊かさを求めても、世界的な環境を維持できなければ、全てを失う事になる。
もっと、そこに力を注ぐことが全ての地球に住む人間が生きるための絶対条件だ。

さて、今日は午後から仕事。 今月で今の仕事の時間割りが変更になり、これまでのシフトの内容自体も変わる。 
内容からすると、今よりも楽になる気もするけど、実際にはやってみないと分からない。 今日のように日勤はなくなり、通常の勤務、昼夜勤の24時間勤務がほとんどだ。 
そうなると、勤務明けの翌日は休みが確実だ。 ギターの練習もある程度、安定して出来るし、筋トレは確実な計画通りに出来るようになる。 
今は変則的な勤務体制なので、なかなか安定してトレーニングも出来ない状態だが、来月からはトレーニングの間隔もしっかりと決まってくるし、週に最低でも2日。 基本は週3回程度を予定しているけど、休日毎のトレーニングでも週2回、3回は無理なく続けることも可能になる。 
ギターもそうだけど、ギターを生涯死ぬまで続けるためにも、体力維持、体調維持は欠かせない。 そのためにもトレーニングも生涯継続することが大切だろう。 今は以前のように大きな負荷を掛けないで、身体にあまり負担を強いることはしていない。 それでも、ある程度の強度は必要だ。 
筋力はある程度の限界を超えた負荷を与える事で向上する。 しかし、トータル重量(1回で与える総合重量)も大切で、高負荷と同様か、それ以上の筋肉への刺激になる。 例えば、100Kgを10回で1000Kg。 しかし、50Kgで20回でも1000Kgとなる。 
30Kgを33で1000Kgとなるので、そうした負荷の掛け方でも同様の効果を得られると言うデーターもある。 
なので、関節などへ負担を軽減するように、自分に見合った負荷でトレーニングする事も良いだろう。
特に私のような高齢になると、関節などへの負荷はあまり良く無い。 トレーニングも大切だが、それに伴う食事も大切だし、睡眠も絶対的な要素だ。
この筋トレ、食事、睡眠の3つが揃っていないと筋力維持は出来ないし、そもそも、体調管理の基本だ。 
身体の健全は精神の健全であり、心の安定を得るには身体を健全にすることが最も効果的な物だ。 
不安や不満を解消するためには、トレーニングで身体を鍛える事が最も効果的だと言う著書もあるし、それによれば、世界的な研究者などのデーターでも明らかになっている。 
さて、仕事までには少し時間もあるので、少しギターの練習をして、今日は帰宅してからは出来ないので、少しでも弾こうと思う。 










ロシアの蛮行の行方

2022年04月18日 | Weblog
 【リビウ(ウクライナ西部)共同】ロシア国防省は17日、包囲攻撃を続けるウクライナ南東部の要衝マリウポリで、製鉄所構内に立てこもったウクライナ側部隊に武器を捨てて降伏するよう要求した。ウクライナ側は応じず、同省は「これ以上の抵抗を続ければ全滅させる」と最後通告を行った 。

この記事は今朝の中日新聞のWeb上で読んだ記事である。 朝刊でも同じ記事は掲載されているだろう。 さらにもっと詳細な内容もある。 
ウクライナは全滅したとしても、ロシアに降伏するような選択はしないだろう。 
ロシア側は未だに軍事力ではウクライナを上回っているし、ロシア国内では、まだ自国の正当性を認める国民が多勢である。 これは当然だけど、真実の姿を知らされていないのは明らかだし、プーチンは未だにロシア国内での自身の支持率が80%以上であると信じてもいて、蛮行の正当性を巧みに伝えられている事を認識しているのだろう。 プロカバンダで覆い尽くされているロシア国民には、プーチンの政策や決断は全てが国家の未来を築くものだと洗脳されている。 プロカバンダのもいろんな種があるが、ロシアやその他、社会国家、共産主義国家のそれは、凡そブラックプロカバンダである。
(ブラックプロパガンダとは、情報の発信元を偽ったり、虚偽や誇張が含まれるプロパガンダ )
こうしたロシアがこれまでも他の国への軍事侵攻を繰り返してきたし、第二次世界大戦で日本がアメリカに降伏した直後も、日本に戦争を開始して、北方領土を略奪している歴史がある。 
こうして、ロシアと言う国家の飽くなき欲望観は未だにプーチンが継承している。 世界の動向や、地球の未来など眼中にない。 自国の権威と富と(これは国民の富や平和を望んで居るのではない、自身の富や権力や名声のみに終始する卑劣で悍ましい妄念の塊である)をひたすらに追い求めるのである。 
こうして、自身の欲求でしか生きる事が出来ない人脈を築き、さらには、ロシアの資源を活用いて、他国の領土すら手に入れる望みを増幅してきた。 
この地球と言う次元に立てば、今、各国が本当にやらなければならない物がなんであるか? 今や、世界は全てが繋がり、経済だけではなく、情報や環境、技術、ウイルスなど、宗教や思想すら、国境など存在しない世界になった。 
今後も人間に取って、この地球規模の脅威は増え続けるだろう。 温暖化による気温の上昇で起こる様々な気候変動は、人間に取っては死活問題になるだろう。 そうした事を遠い未来を見据えて考察すると、国家間のいざこざや考え方の違いなんてものは、ほんの些細な問題である。 
人間がこの地球上で今後も歴史を継承するのであるなら、全ての人々が同じ信念を持ち、幸福と平和を求める道を進む必要がる。
この幸福と平和は単なる経済的な豊かさや、人より優れていると言うような優越感では得られない。 
ましてや、国家の世界的な権力や優越性なんて物は、人の幸福感には不要である。 そんな物で人は幸せと言う心の平和を持てるものではない。 

企業は他の競争相手との競合に勝つ目的であってはならない。 本来、人の役に立ち、人を楽しませ、人を豊かにする事が目的であるはずで、他の同種の企業との勝ち負けは必要は無いだろう。 
いろんな物が在って当然だし、何を選択して、何を目的とするかは別として、本当に必要な物を人は求めている。 
これはそのまま国家にも当てはまるだろう。 国民が本当に求めている物を作る事が国家の目的とするべきだろう。 
その実現のために、何をどうするべきか? これは他国を略奪する事でもないし、他の国家に勝つと言うような物ではない。 
本来、人間は平和や幸福を求める事を望んでいる。 その望みは、人と争って得る物ではない。 争い自体がすでに幸福や平和とは真逆の物だからである。 
人との競争と言う物は、それ自体ですでに進むべき方向とは違って居る。 
これは、宇宙的な視野で見ると、宇宙が求めている物は秩序と調和、協調と均等であることは、惑星や太陽系、銀河系、その他の星たちが語っているのだ。
宇宙には特定の権威など存在しない。 すべては繋がり、全ての存在が必須の物である。 何一つ欠けても、この宇宙は存在する事が出来なくなるだろう。
人間もこの宇宙の一つである限り、この宇宙的な観点に立ち、宇宙の意思を継承する必要がある。
でなければ、恐らく、人間は死滅する運命にあるだろう。 
ロシアの蛮行は、人間を死滅させる要因になり兼ねない。 さらには、世界の協調や均等をぶち壊して、混沌の世界を招くだろうし、再び、世界は闇の中で苦しみ続けることになる。 
これは、もはや世界的に完全に繋がっている現代社会の運命である。 
ウイルスを見ても分かるだろう。 決して、自国だけでは解決できない事を鑑みれば、すでにこの地球上の人間は繋がっているのだ。 
プーチンが少しでもこうした当たり前の事実を現実として受け止める事が出来る人物なら、今回の戦争がどれほど虚しい空虚な妄想でしかない物であるかは、理解出来ていただろう。
しかし、そうして考察すると、プーチンはすでに人間ではないのだろう。 
まさしく、悪魔であるだろう。 



しとしと雨が降る

2022年04月18日 | Weblog
 しとしと雨が降っている。 昨日からこうして小粒で風に舞うような雨が降っている。 時折は雨が止む時期もあるけど、晴れ間が見えることはない。
一昨日には気温は25度を超え、真夏日に届くような日が続いていたので、こうして雨が続くと、さすがに気温も20度には届くこともなく、朝から肌寒さを感じる程である。 

今日は仕事は休み。 いつもの休みと同じように、特に用と言う物はない。 
のんびりと過ごすことが出来る事に感謝する。 ギターを弾き、昼ご飯を食べて、ビールも1本飲んで・・・。 午後は少し昼寝をしてからギターを弾き。 
夕方は筋トレをしてから風呂に入り、夕食を済ませてから再びギターを弾いてからベッドに入るのである。
買い物以外にはほとんど外に出るようなこともなく、車を綺麗にする以外にはほとんど屋内でギターを弾くか、Audibleで時代劇小説(山本周五郎など)を聴きながらのんびりと過ごすだけである。 
ギターはほぼ予定通りに進んでいるし、予定と言っても、特別に先々までを決めている訳でもなく、練習中の曲の完成度と言うか、ある程度スムーズに弾けるレベルに達する頃を自分なりに予想しているだけである。 
カルカッシ教則本の暫定的練習曲は50曲あり、これは中等科から上級までの練習となる。 その後は第4部では練習曲ではなく、クラシックギターの所謂名曲の譜面があるのみで、その後は自分が弾きたい曲の譜面を用意して練習することになる。 
もちろん、完璧に模範演奏と変わらないレベルで弾くことはほとんど無理かもしれない。 それでも、自分なりに納得できるレベルであれば、次の曲へ進んでいる。 私の場合には前にも書いているが、爪弾きをしていない。
右手の全ての爪は完全に深爪と言っても良い程に完全に切り落としているので、爪弾きのような切れ味の良い音色にはならない。 音量も爪で弾く奏法に比較すると、指頭での爪弾きは音色は柔らかく、音量も比較すると足らない気もする。 
しかし、私は敢えて、爪を伸ばそうと思わなくなったし、爪が無くても、自分の音色や奏法には満足している。 
さらに言えば、アコギではこの爪の必要性も感じない。 スチール弦の煌びやかな音色をそのギターのボディーのおかげだろうか、ほとんど模範演奏と同様の音を奏でることも可能だ。
ジャズでも、フルアコでピックを使用しないで練習いているが、アンプを通した音は爪の在る無しにはさほど左右されることもないし、ピック弾なら当然だけど、爪の必要性は皆無だ。 
さらに言えば、爪のメンテナンスの必要もないし、普段の生活でも爪に気付かうような必要もない。 
今は爪をしっかりと短くカットして、爪が弦に当たらないようにしている。
爪弾く指の爪がどの指でも当たらないようにして、爪弾く音が指によって変化しないようにしている。 
指頭でのピッキングは弦を弾く感覚を繊細に感じ取ることが出来るので、爪弾く強弱をつける事も容易になる。 
今では爪弾はクラシックギターの常識となっているけど、私はそうだとも思って居ない。 タレガは後年爪弾から指弾(指頭)奏法にしていたが、爪弾以上にナイーブでデリケートな音色を奏でる事が出来て、これまでよりも奥行のある演奏が出来るようになったとも言って居る。 
現代のコンサートなどではどうしても大きなホールに響かせる必要もあり、ギターはピアノなどに比較するとその音量は比べるまでもなく、小さい。 
そうした欠点?? を解消するために爪弾で音量を増すための奏法が生まれたと言われている。 
小さいホールや自宅での練習なら爪は必要ないだろう。 自分で楽しむだけなら、爪弾で得られるような音量も必要ないし、逆に近隣への騒音対策としても、音量に関しては小さい方が良いかも知れない。 
まっ、そうした点に関しては、個人的な好みの問題だし、音色に関しては個々の条件なども含めて、いろんな音があることは良いことなんだろうと思う。 

さて、Audibleを聴き始めてからまだ1か月と経っていない。 1か月間は無料なので、その間に継続するかどうかを決めるのだけど、今の所は継続しようと思って居る。 すでに読破(聴き終えた)した小説や啓発本なども含めて、10冊を超えている。 長編(2時間以上)もあるが、ほとんどは2時間以内程度の長さの短編が多く、そのぐらいの物語の方が聴きやすい。 
長文ではなく、短編の方が作家の特徴や、作家の思想、作家の人間性も伝わりやすいような気もする。 
どうししても長編になると、時間的な間が空くので、物語性の面白さを求めるようになるので、そうではなく、小説ならその作家の表現したい物を感じるのは、結局はその長編であろうと、短編であろうとほとんど差がないのである。 
私はそう感じる。 なので、出来る限り短編を好んで聴くことにしている。
これからもこれまで読んだことがない作家などもいろいろと聴き、自分の好みだろうと思える作家を探してみたいと思う。 




詐欺メールの話3?

2022年04月14日 | Weblog
 先日から書いているけど、最近は詐欺メールが届く頻度が多くなった。
Amazonのアカウント停止とか、楽天の云々とか、今はauのID等などのメール。
あたかもクレジットの不正利用があったとか、IDの不正利用があるとか、そうした不審なメールが頻繁に届くようになった。
最近こうした詐欺メールが増えている理由はなんだろうか?
ロシアのウクライナへの蛮行が継続されている。 そうした背景も否めない。
こうしたメールの源流からすると、海外からのメールであることは明らかで、送付先のアドレスだけでは確認するのは難しい。
しかし、こうしたメールのほとんどは、中国や北朝鮮、ロシア、ベラルーシなどの社会主義国家などの国家ぐるみで国の統制を国家の都合主義で覆われているような国では、情報が国に都合が悪い物は全て排除されてその国民に発信する。
海外の情報を受け取れない国民は自国の情報を信じる以外には本物の情報を受け取る手立ても遮断される状態だ。
 最近の詐欺メールの目的は、当然だが、資金の収集だろう。 
これは「オレオレ詐欺と同等の物で、海外を拠点として活動する詐欺集団と同じだ。」こうしたメールは日本だけではなく、ある意味ではどこかの国家で組織的な関与も否めないだろう。 
そうした国家から指名されている人物が、外資を稼ぐためにいろんな国に対して、その国の外貨を稼ぐためにいろんな詐欺手法を作りだしている。 
これはこのロシアのウクライナへの戦争が始まったことでも明らかだろう。 
ロシアやそのロシアを支援する協調国家(北朝鮮や中国、ベラルーシやインドもそうかもしれない)などの詐欺集団がロシアとの非友好国に対して、こうした詐欺メールを大量に送り、少しでも西側諸国の外貨を得るためだろうと思える。 なので、Amazon、携帯大手のau、Softbank、docomoなどなど、今後も相当な詐欺メールが氾濫することになりそうだ。 
しかし、基本的にはサイバー攻撃で各個人のID、PWを簡単に入手するのは難しい。 手に入れるにはどうしても各個人しか分からない情報を入手する必要あるので、詐欺メールに引っかかり、偽サイトへ誘導して、得たい情報を入手する必要でがあると言う裏付けでもあるだろう。 
なので、こうした得体のしれないようなメールは即座に削除することが賢明だし、仮に本当にIDやカード情報の漏洩がある場合には、少なくとも、そうした情報は各個人と言うよりも、ニュースでも扱うほどの物になる。 
仮にそうした偽メールが届いても、決して慌てる必要もないし、ある程度の時期が来てからでも対応をすることは難しくない。 

さて、少なくとも、私のようにこうしたメールに関しては、徹底した意識があるので、詐欺に合うことはないだろうけど、それでも相当にこうしたメールに対しては必ず、実際に本当のサイトで状態を確認する事をしている。
これまでもAmazonサイトでは何度も詐欺メールが頻繁に送付されているが、一度も何時もアクセスする本当のサイトでは何も問題は確認することが出来ないし、普段通りに使える事を確認している。 
さらには、ネットでカードの使用状況や、引き落とし額、その詳細な内容なども確認できるので、こうしたメールを受け取った場合には、即座に削除して、それでも心配な場合には本当のサイトで確認することは必要だろう。 

特に高齢で、PCやスマホなどの扱いに慣れていない人は、こうしたメールに騙されやすいので、常にこうしたメールが送付される事を意識することが望ましい。 常に疑いを持ってメール内容を確認するような姿勢も大切だろう。 
さらには、PCでは、最新のセキュリティーソフトの更新や、セキュリティーの設定なども頻繁に更新する必要が有る。 
私のPCはそうしたセキュリティーソフトが無料で提供されているので、常に最新のソフトでブロックされている。 

最近増えたこうした詐欺メールだが、やはり元を考えると、どうしてもロシアなどの関与は否めない。 特にロシアへの経済制裁は相当に厳しく、外貨を稼ぐためにはこうした詐欺メールを頻繁に送付する手段に見える。 
これは日本だけではなく、恐らく、自由国家では相当に増えているだろう。 
我々はそうした事に注意して、常にこうした詐欺が存在すると言う意識でITを活用する必要が有る。 










ギターのテンション

2022年04月14日 | Weblog
 クラシックギター弦をようやく交換した。 ようやくと言うのは、今年の2月頃に交換しようと思ってから2か月以上も過ぎたからだ。
2か月と言うと、そもそも弦交換時期としては平均的な期間らしい。 
しかし、それ以前にすでに3か月程度が経過しているので、そもそも、4か月以上が経過している頃であったから、今回交換した時期からすると、半年近い交換になる。
クラシックギター弦は劣化が早く、確かにフレットが当たる部分は変色も分かるし、ナイロン部分は傷なども目立つようになる。 これは2か月を待たずにそうなるのである。 これは私のように週15時間から20時間程度の使用頻度でも、その症状は見た目だけでも判断は出来る。 
しかし、じゃ、音質に大きな差があるのだろうか? と疑問もあるのだけど。
確かに弦交換直後は響きや音色は明らかな違いを実感することも出来るが、それは本当に直後程度から1週間程度だ。 
その後はほとんど数か月間程度はほとんどその差を実感するのは難しい。
どちらの音色が良いのか? プロの人や、特に煌びやかで、音量がある音色を好む人からすると、弦交換直後の音色や音量がその弦の持っている特長であり、それが弦の本当の音だと思う人も少なくない。 
しかし、私はそうは思っていない。 この本来の音色だと感じる期間は本当に寿命が短く、先のも書いているが、1週間程度がせいぜいで、その後、2週間から3週間程度の期間を経て、ようやくチューニングが完全に安定する。 
そこから数か月間はよほどその弦の音色や音量の変化が少なく、安定した音を長く奏でる事が可能になる。 
なので、私はこの期間(交換直後から3週間を経過した時期)からが本当の弦の特長が出るのだと思って居る。 
弦のテンションもそうであり、交換直後はテンション自体が安定していない。
各弦のテンションが常に変化する時期なので、6弦がバランスよく揃うのは、交換後の2週から3週間後からである。 
なので、本来はこの交換初期の時期は確かに音自体の煌びやかさや音量、残像音なども長くなっているのは確かである。 
しかし、全体的な音の安定感は3週間を過ぎてからだ。 なので、私は弦交換後の3週間からの音色の方が好きになるのである。 これはギターは6弦が基本なのであるが、確かに、この6本の弦のバランスは3週目を過ぎてからの方が確実に良くなる。 
それ以降は数か月間でもあまり変化することもない。 こうした理由からすると、ネットやプロの意見など、頻繁に交換することを推奨する人が多く居る。
しかし、私はそうは思っていないのである。 プロの人達は恐らく、弦メーカーからの無償提供などもあるだろうし、ある意味ではインフルエンサー的な人も少なくない。 実際にインスタでも特定の弦の良さをアップしている人も居るし、プロはそもそも、私のような素人との使用頻度自体が異なるので、弦の交換時期に関しては比較することは出来ない程度なんだろうとも思うけど、それにしても、コンサートや演奏会などの度に交換する人も少なくないみたいだし、頻度からすると、確かに相当な頻度で交換しているのだろう。
しかし、逆に言うと、この交換直後はチューニングが非常に不安定時期で、1曲弾いている間にすらチューニングが狂うことは明らかだ。 
その弾いている間にもチューニングが狂う事も想定しているのだろうけど、私は凄くそれが気になる。 
弾いている間にも音が狂うのははっきり言って、最大に許せないことなのである。 これは当然の事だろう。
さて、長く書いたけど、そうした意味でも、弦交換はあまり頻繁にする気にはなれなくても当然である。 今回、交換したのは流石に4か月以上交換していない事や、実際にフレット部の変色や擦り傷なども目立ったので、交換することにした。 これで、弦の様子を見て、チューニングの安定感を見ながら、次回の交換は数か月先になるだろう。
しかし、今回交換した弦の種類はサバレスのクリエイション弦(プレミアム弦なので、ある程度は長持ちするだろうか?)である。 しかし、やはり、私は同じメーカーのアリアンスの方が私のギターには合っていると実感した。
今後はアリアンス一択だと思って居る。 テンションはノーマルだけど、アリアンスのハイテンションも選択肢に入れたい。 
そのテンションの話なんだけど、私はクラギ、アコギ、レスポール、SG、フルアコ、フラメンコのギターを所有しているが、その中でも特にテンションがきつく感じるのはアコギ弦だろう。 
アコギ弦はエリクサーのコーティング弦を使用していて、初期出荷時の弦のゲージはちょっと分からないので、恐らくは
NANOWEB Phosphor Bronze Lightの12-53だろうと想像する。 ゲージとしては少しテンションが高めだろう。 次回はエクストラライトの10-50を使用してみたい。 ただ、弦が細くなると、高音側が強調されることになるので、音自体の奥行と言うか、ナロー感が薄れるかも? このゲージの種類はかなり多く、一番細い弦は0.9からのフルアコのフルフラット弦などもある。 
しかし、フルアコでもそうだけど、あまり細い弦はどうしても低音の奥行が薄れる傾向になるので、ジャズらしいナローな雰囲気を強調するなら、最低でも10-、もっと言えば、12ぐらいからの方が良いだろう。
ただし、テンションが高くなるので、押弦の力が必要になるので、その点は自分の技術や、ギターへの圧が気になる点でも選択する基準は異なる。 
その点(テンションによるゲージの種類)はナイロン弦を使用するクラシックギターはあまり影響はないだろう。 ノーマルとハイテンションの差はあまり多くないし、そもそも、ナイロン弦自体がスチールに比較すると柔らかくて押弦し易いのは当然だろう。 指に当たる感触は明らかに差があるし、ナイロン弦は太いので、指先にピンポイントで当たるスチール弦に比較すると相当に柔らかく感じる。 
その分だけ、音色に関しても柔らかく、煌びやかの点からするとアコギなどとは違うし、クラシック曲に合っているとも言えるだろう。 
逆にポピュラーソロ、ジャズなどの楽曲はナイロン弦では表現できない気もする。 ギターの種類にはそれなりに合った弦を選択する事がやはり賢明な選択と言えるだろう。 
交換時期の話に戻るが、アコギのようなスチール弦でコーティング弦なら半年でももっと言えば、1年でも使用できる。 実際にアコギではないが、レスポールやフルアコでも私は半年以上も弦交換をすることはない。
使用頻度ももちろん少ないが、それでも実際に半年経過しても弦の劣化はほとんど見る事もないし、音の劣化も全く感じるような事もない。 
これはクラギに比較すると維持費がとてもコストパフォーマンスに優れていると言えるだろう。 半年で交換しても、クラギに比較すると半分以上も交換することもないし、1年使用なら4分の1以下で済む。
こうしたことを考えると、クラギだって、半年程度の使用でも特に問題はないと私は思って居る。 
先にも書いたけど、ナイロン弦の交換直後の音色はある意味では逆説的に言えばだが、本当のその弦の音色ではない。 
チューニングが安定した時からが本当の弦の音色であり、次の日でもほとんどチューニングが必要無くなる程度に安定期になった時からが本当の弦の音、ギターの音だと思っているのである。 
プロの人でも弦が切れるまで使用する人もいる。 半年程度の使用が当然だと言う人も少なくないので、一概に弦交換を頻繁にすることを推奨するのもどうかな? と私個人としてはどうしても納得できない物もある。 
さて、今日は休みだから、ギターの練習をしっかりやりたい。
夕方にはトレーニングもする。 トレーニングも再開をして、休日は筋肉痛でない限りはすることにする。 
この筋トレ効果は確かに間違いはなく、testosteroneと言う著者の本を数冊読んだ事もあるが、実際にトレーニングをすると精神的な面でもストレスや悩みや無駄な思考も消え去る。 









筋トレも再開

2022年04月10日 | Weblog
 しばらく筋トレも休止していた。 特に体調が悪いわけでもないし、時間が無いわけでもない。 ただ、ギターを弾き始めて(再開して)から、しばらくは筋トレも予定通りにしていたけど、ギターの練習に熱が入って、夕方に予定しているトレーニングをする気力や体力が無くなってしまう事が多々あり、そうこうしている間に何となく、トレーニングをしばらくしていなかったと言うわけだ。
これは単なる「なまけ癖」と言うことだろう。 
その怠慢を自覚して、今後は予定通りにトレーニングをする事を決めた。
で、再開して、やはり相当に筋力が衰えているので、これまでの半分程度のウエイトで始めたのだけど、それでも、今日で4日目だが、まだ、筋肉痛が残っている状態である。
胸筋、腹筋辺りがまだ少し疲労感がある。 なので、今後は少しつづ様子を見ながら、軽いウエイトで短時間で継続することにしようと思って居る。 
何よりも、無理をする必要は無いし、私の年齢からしても無理は禁物だ。 
ただ、以前のような体型(筋肉)になるようにしたいと思う。 
それは意外と簡単だろう。 そもそもマッチョと言えるほどの筋肉が付いていた訳でもない。 とは言え、それなりの体型だったので、その時点まで戻すには数か月程度は必要だろう。 
今は家トレなので、時間的にも容易にトレーニングは継続出来る。 ジムなどに通っていた時に比較すると、ジムまでの往復の時間などを考えれば無駄な時間はない。 
やはり、身体を鍛えるのは精神的にもリフレッシュできるのは確かだろう。
それと、年齢が高くなるほどに筋肉の必要性を実感する。 トレーニングを継続している時には感じることが無い疲れや疲労感を感じ始めたし、精神的にも若さを失う気もする。 
身体を使って、出来る限り無我の意識で黙々とトレーニングに集中することは、無駄な思考、妄想、感情をリセットする効果もあるだろう。 
この思考、妄想、感情を無にする事は、仏教でいうなら座禅する時に精神を統一して、煩悩を捨て去ると言う修行にも似ている。
ひたすらに、自己の内面だけを見つめ、身体の感覚だけを感じ取ること。

昨日も書いたけど、いろんな人生を変える、豊かにする、悩みを無くす、夢を実現するなどの啓発本や精神論などでも必ず出てくるのは、マインドフルネスの効果だ。 そして、潜在意識など。 こうした精神性が人生を変える唯一の物である。 と言う結論に達する。 これはほとんど全てのこうした関連の書物には共通する思想である。 
特にマーフィーなどの書物や稲盛和夫氏の著書には願いを強烈に念願することで現実化すると言っている。
これは単なる思いではなく、まるでそれが自己の全てであるかのように常にどこにいても、何をしていても、願望を願い続ける事が必要だと・・・。
少なくとも、潜在意識に刷り込まれるレベルにまで自己のこうした想念、願望を願い続けることで、現実として現れるのだと。
もちろん、ただ、願うだけで現実は変わらない。 願望を熱望する強烈な意識によって、そうする為の必要不可欠な行動や思考、創意工夫やインスピレーションなどを自発的に実行する事に繋がると言うことだろう。 
その熱望する力が誰よりも強い時にはそうした他者以上の努力や実力が身に付く事になる。 
不断の努力はそれ相応の結果を生み出すのは当然だし、例えば、オリンピックで金メダルを獲得する目標を掲げ、実際にそうするためには他の選手の倍以上の努力や精神性や創造が必要だ。 
これは人生を思うままに変えると言う考え方としては正しいだろう。 ビジネスの世界や芸術、研究の世界でも同じだろう。
私はこうした啓発本が必要なほどに人生に悩みや怒りや悲しみを抱えていない。 むしろ現在は今の生活、今の現状、未来への不安もないし、希望や夢があり、その希望や夢は私の生きる力になっている。 
夢や希望はある意味では願望だが、それは妄想でもあり、そうした妄想に執着する事が逆に悩みや怒りや悲しみの要因にもなる。
しかし、私はそうした執着心はほとんどない。 であったらいいだろうな・・・。 ぐらいの思いとして、心の底に置いて置く程度である。 
だから、自分の思いが実現することが無くても、特に残念がったり、悲しんだり、恨んだり、成功者に対するやっかみ、(妬みや、所謂、羨ましく妬んだりするよる心)を持つこともない。
逆に努力して、成功し、夢を獲得した人に対しては、「凄い!、素敵、相当に努力したんだろう」と言う思いを強く感じる。 
他者の成功をそのまま素直に受け止め、素直に素敵だと思えることは自分自身も嬉しく思えることだろう。
私はある程度の年齢を重ねてきて、さらにはそれほど長い人生の時間を持っている訳でもない。 そうした時期に成って、自分の未来がある程度見渡せる場所に立てているからだろう。
どんな人も未来に対する確実な世界観が持てれば、悩みは消えるだろうし、悩みが無い人生はとても有意義な物であると実感する事も可能だろう。
これは、夢や希望を確信すると言う精神的な物とも同様に思える。
確信すること。 自己を肯定すること。 自己を確立すること。
そうなるためにはやはり、ある程度の未来を想像出来る要素が必要だろう。
未来を見渡し時に、絶望以外には見いだせないと思う人もいるだろう。
このコロナ禍で自殺者はこれまでの統計上で最も増えたとの記事なども読んだことがあるし、TVなどでもそのデーターを示している。 
しかし、どんな状況でも、それを解決する手段は必ず見つかる。
どんなに借金をしても良いだろう。 どんなに無駄だと思える事もいいだろう。 少なくとも、死を選択するほどの気持ちがあるなら、すでに死んだんだと思って、あらゆる可能性を試すことだって出来るだろう。 
これは、苦労したくないとか、働きたくないとか、楽をしたいとか、そうした放漫で怠慢な姿勢だ。 そうした気持ちでないなら、あらゆる可能性に挑戦する意識を持てるように心を変化する必要が有る。 
もちろん、これが難しいと言う人も多々いるし、通常の人間なら当然の意識だろう。 しかし、意識は物質ではない。 意識は己の心でしかなく、変化させるには何か特別な装置も必要ないし、特別なお金が必要無いし、そもそも、実態のない精神なのであるから、変える事は絶対に、すぐにでも出来る。  
人生の不安や悩みは、世の中への怒りや不満の原因に繋がる。 
そうした不安や悩みを解決できない人は憂鬱になり、うつ病や精神疾患を患い、体調も悪化する事がある。 心と体は一体なので、どちからに良く無い物がある時にはどちらも悪い方向へ流れ行く。 
そうした悪い流れに流されないためには、こうした人生論や成功の秘訣や人生の生きたかなどなどの著書を読むことも有意義な事だろう。 
私は今はこうした物を必要としていないが、それでも、まだまだ自己の精神を向上させるために、もっと安定して豊かにするためにも時折忘れそうな時に触れて、自分を肯定する為に読んだりする。 

さて、今日は3連休の3日目。 3日連続で休めるのは今の仕事ではそれほど多くないし、GW、夏季、年末年始でもほとんどない。 
なので、今回はやはり身体の疲労感も取れたし、精神的な安らぎも増えた。 
ギターの練習も思っている程度に出来るし、こうして余裕が有る時間はトレーニングを再開する意欲も沸いて来た。 
日々の仕事や日常の雑用などで身体も精神も疲労感はどうしても否めない。 
こうして、時折、のんびりと時間を取り、自分の好きなことをたっぷりとすることや、自分を見つめ直すことは、人生を豊かにするためには必須だろう。 
仕事人間は特にこうして、時折は仕事の事を一切考えない時間を作って、自分の好きな事に没頭することも有意義な物になる。
今日もギターの練習をしっかりと遣りたいし、のんびりと過ごそうと思う。








連休2日目

2022年04月09日 | Weblog
 昨日、今日、明日と3連休でのんびりと過ごしている。
天気もこの3連休は快晴、気温も20度超え、夏日に近い程にポカポカと暖かい陽ざしがたっぷり注いている。 
洗濯物もしっかりと乾燥して、夕方に取り入れて畳んでいる時でも気持ち良い。
今夜は妻は飲み会で外食し、子供も夜遅く帰宅するので、私独りの夕飯になる。 
今日は村田諒太のボクシング試合があるので、ビール、ウイスキーを飲みながらのんびりと過ごしたい。 
この試合はTV中継は無く、Amazonvideoでの配信で見る。 
私は以前からprime会員なので、Amazonvideoやネット通販でもprime特典で送料は無料になるし、何よりも、prime会員の場合には、返品等も簡単な手続きで済ませる事が出来るので、とても気に入っている。 AmazonDriveなども写真やビデオなども保存できる。 
確かに以前に比べると会員価格が高くなって、4600円の年会費を活用するのなら、Amazonでいろいろと購入する人向けか、Amazonvideoで動画配信を楽しむ人向けになるだろう。 
最近はなかなかネットで映画を見る時間が無く、あまり活用しているとは言えないけど、それでも時折は映画観賞もしている。 
最近はネット配信サービスが充実していて、TV番組なども無料で見ることも可能になった。 なので、特に留守録するような事も必要無くなって来た。
今はAudibleで本の朗読を聴くようにしているので、余計にTVなども見る時間が少なくなっている。 もっとも、以前から私はTV番組を見るのはニュースがほとんどで、ドラマやその他の娯楽番組などはほとんど見る事が無い。
ドキュメンタリーなどは内容にもよるけど、ニュース以外では見たい番組である。 
昨日書いたけど、啓発本と言うか、人間の生きる為に必要な、或いは、知っている方がたぶん人生を豊かにしてくれるだろうと思われる本を聴くことに少し時間を費やそうかな? と思って居る。
稲盛和夫の「生き方」、「心」も読んでみたいと思う。 今朝から「生き方」をAudibleで
Audibleで聴き始めている。 昨日は草薙龍瞬「反応しない練習」特別版を聴き終えて、この本は何度でも時折聴き返して、自己の確立の指針としたい。 
既に現役時代を過ぎ、今は年金支給が満額になるまでの繋ぎとして契約社員として働いている。 これまでの人生でも、こうした生きる意味とか、生き方とか、人生の目標や人との関係とか、仕事の考え方とか、人生の楽しみとか、そうした人生を生きるために有意義な事や、人生を豊かにするためにはどうするべきなのか? とか、いろんな事を思考してきたが、それでも、もちろん、完全に満足する事には至っては居ない。 これは当然の事だろうと言うのは、人間は生まれながらにそうした欲望を持っていて、生きるために必要な衣食住、生きるために必要な物を求める心を持って生まれている。 
生命維持装置と言っても良いこの心は、その素直な感情や素直な欲望なら問題はないし、そうした物が無ければ、生きて行くための力は沸いてこない。
しかし、人間は生きている間に、この世界でいろんな知識や知恵、不必要な欲望、欲求、妄想も増える事になる。 

今、ロシアのウクライナへの残虐な戦争行為が続いている。 これも人間の欲望や妄想が成す心、本来の人間が持っている誠実な心を完全に失った心が根源だ。 
誰もが決して平和や豊かさ、幸せを求めない人は居ないだろう。 しかし、そうした欲望(妄想)に固執し、さらには欲望は果てしない人間の想念なので、死ぬまで終わる事がない物である。
どんなに物や名声や名誉やお金を得ていても、人間の欲望には限界が無い。 
そうした人間の煩悩は時として、こうした邪悪な行動さえも、平然と成す心を作りだすのだ。
これは決して他人ごとでもなく、この平凡な社会で生きている中でも少なからず鬼謀な行動をする人間は現れて、毎日のようにそうした悲しい事件がつづいている。 さらに、人を騙し、人を操り、人を罵り、悪であることを知りながら平然とそうした行為を繰り返す輩が居る事も事実だ。 
なので、この世に生きる人間として、全ての人がこの世で豊で平和で、楽しい人生を送る事が出来るためには何が必要で何が足りないのか? 
どんな方法や意思が必要なんだろう? と言う思いが沸いてくる。 
まだ私の人生の終わりも先になるだろう。 人は必ず死を迎える。 これまでも私は私なりに自己を確立する為に、人生を豊かに幸せにするために生きていた。 これからも、自分の為にそうするのだろう。
しかし、人生の終盤がある程度見えて来た時期に、改めて、自己は勿論、どのような世間への感謝をして死んでいくのか? 
この世に生まれて良かった、この世に産んでくれて良かった。 そう思える時が来るのだろうと思うのである。 
人生が豊かになるとは? 人生(自分そのもの)は少なくとも、自分以外の心以外には感じる事は出来ない世界だ。 人の心に入って、その人が見る世界を知ることは絶対に不可能であり、この世の存在自体がそもそも、自分の意思がある期間だけである。 命を落とすと同時にこの世が存在した事すらもすべて消え去るのである。  少なくとも、自分が見ている世界以外には世界と言う現実は存在しない。 
だからこそ、いろんな啓発本や人生の指針などを示すような本には、必ず自己の思考や信念などの事が書かれている。
なんだか、言いたい事が解らなくなった気がするけど、いや、言葉にすることは難しいと言う方がいいだろう。 
少なくとも、私は人間として死んで行く時には、自分に恥ずかしくない人生を生きたと思えるようにしたい。
それは、財産や名誉や地位などを得ることでは得られない。 それこそが、心の豊かさ、自己確立なのであるだろうと思うのである。
人間の欲望は限界が無いと言う事を忘れる事が無いようにしたい。
どんなに多くのお金を手に入れても、さらにお金を欲しがる心は消えない。
どんなに名声、地位を得ても、もっと得たいと思う欲望は消えることはないだろう。 これは人間の持っている本能であり、心を常に監視して、浄化する事が出来ない人は、何時までも、どんな世界へ行っても、欲望(煩悩)を抱き続けるのだろう。 
人生の悩みや、怒りや、悲しみや、失望は、そうした人間の欲望(煩悩、瞑想)が生み出す人が豊かに生きることの真逆の方向へ流される要因だ。 
さらには、宇宙的な方向とは反対の向きであり、人生(自分)をこの宇宙的な軌道から離脱して、さまよい、迷い、破滅する場所へ辿り着くことになる。