summer diary

日記らしきページ

随筆

2024年02月12日 | Weblog
 随筆・・・。 所謂エッセイと言う言い方の方が今風だろうか。 AmazonのAudibleでは時代小説を聴き続けて居るが、随筆などはほとんど聴かない。 と言うか、Audibleにはあまりそうした朗読が無い事もある。
今朝はNHKのらじる文庫を覗くと、山本周五郎の随筆があったので、聞いて見た。 山本周五郎は以前から時代小説作家の中でも大好きな作家なので、聴くつもりになった。 1話がほんの5分程度の短い話が10話ほどあり、順次自動再生だったので、全て聴いて過ごした。 その後も随筆作家の朗読が続き、石川欣一の随筆をやはり10話程聴いた。 
まだ随筆作家の朗読は続きそうだが、一旦はそれで再生を停止して、今はこうして私が随筆(エッセイと言うか、私の日記であるが)を書いているのである。 
1903年(明治36年)6月22日 生まれのこの作家は満63歳で死去している。 
私はすでに満66歳の高齢者仲間になった年齢であるが、当然だが、生まれた時代背景は昭和と明治では異なっている。 しかし、時代小説の面白さは現代小説とは違って居て、今の時代で読んでも、当時の時代で読んでも感じ方はそれほどの違いもないし、明治生まれなら江戸時代の実際の空気を知る事もないだろう。 私が山本周五郎の好きな点は、第17回直木賞に「日本婦道記」が受賞したが 辞退している点。直木賞を辞退したのは彼が初めてのことである。 これにはいろんな意味や内実があったろうが、彼の権力に対する強い反骨精神と言うか、庶民に対する深い愛情と言うか、所謂、名声を得て何か一般の読者以上の者になるつもりはないし、いつまでも1人の庶民として居たかったのだろうと思うのである。 
まっ、それは私の身勝手な思いなのであるが。 石川欣一の随筆も面白く聴いた。 山本周五郎よりも少し年上の作家である。 アメリカの外交官を経て、ジャーナリストとして活躍した作家だ。 小説などは見当たらないし、今回、私は初めて知った作家である。 らじる文庫では、「ささやかな幸福」からこちら10話ほどの話である。 
作家のある意味は日常から感じる物、その感性を知る事に繋がったりするので、エッセイもたまには良いなと思った。 
しかも、1話5分程度の短い文章は気軽だし、特に後味も残らないさっぱりとした感じも好感が持てる。 
これからはらじる文庫も聴いてみようと思った。 Audibleのように、いろんなジャンルや、多くの作家、多くの小説を聴ける訳ではないので、どうしても聴きたい作家が無い方がほとんどなので、あまり覗く事もないのであるが、忘れた頃になんとなく見てみるのも良いだろう。 

さて、今日も天気は悪くない。 夜間は雨が降った様子だが、朝はすっかりと雲も消えていて、陽射しも暖かく差し込んでいる。 少し風があるが、外出しないのであれば、風の強さに気を奪われるような事もない。 
昨日の午後はギアー講座の練習があったが、結局、私は欠席して家でのんびりとビールを飲んで、ギターを弾いて、昼寝も少しして、夕方には早々に風呂に入って、再び酎ハイとウイスキーを飲んで、いつも通りに寝たのである。 ただ、昼寝をした事が災いしてか、23時頃に目が覚めてからは寝付きが悪く、しばらくは暗闇で目を閉じて、寝返りを繰り返して、様々な思いに駆られていた。 ギター講座に行かなかったので、来週の発表会の二重奏の練習が出来なかった事。 残り1回程度は機会があるものの、後は本番で演奏する事になる。 まだ、完全に合わせて居ないので、当日は失敗も覚悟で挑む事になる。 まっ、特に入場料を頂いて発表する訳でもなく、素人のギター仲間の演奏なので、観客だってそれほどの期待もしていないだろう。・・・っと。 それぐらいに思って居た方が気軽に演奏出来るし、これまで発表会では緊張して、思うように指が動かない事がほとんどなので、こうした機会を繰り返しながら、経験を積む事で、普段通りの演奏が出来るようになれば良いだろうと。 
3月にも発表会があるし、この二重奏も再び弾く事になる。 今回失敗しても、次にはリベンジも出来るのだと思えば良いだろう。 
さらに、この発表会は毎年開催されるので、回を重ねれば、そのうちに自分の満足出来る演奏が出来る日も来るだろうと思ってはいるのである。 

なので、今日も用事もないし、家でのんびりと過ごす日々で、ギターの練習もしっかりと出来るので、まっ、なんとか発表会の曲は熟せるだろうと思う。 
上手く演奏しようと思うとどうしても自分でプレッシャーを掛けてしまって、緊張する。 そもそも、自分の力量以上の演奏など出来る訳ではないので、失敗は当然と思った方が気が楽で、その方が流暢に弾けるのである。 
素人の演奏なので、失敗は織り込み済みだと言う態度の方が良いだろう。 観客はお金を支払って見に来ている訳でもなく、特に詫びる事もないし、下手なギター演奏を覗きに来た人程度に思えば良いだろう。 

ギターの練習は午前中から始めるが、それでも10時半ぐらいから始める事がほとんどである。 早朝から、いや、10時前から弾く事はほとんどない。 朝はこうして何時もブログを書いて過ごすか、Audibleで小説を聴いて過ごすか、買い物に出かけて居るか、数ヶ月に1回の歯科検診に出かけて居るか。 
ギター講座に出かけて居るか。 旅行に出かけているか、孫娘達と遊びに出かけて居るか・・・である。 
ブログを書き終えると、しばらくタバコを吸ってのんびりとした後にギターをケースから出して、チューニングをして、アルペジオ練習をして、基礎練習をして、それからカルカッシ教則本の曲を練習して、今回は発表会の曲を練習して、講座の課題曲を弾いて。 それで一旦は休憩に入る。 昼ご飯を済ませてから、しばらくはのんびりと過ごし、夕方までギターを弾いて過ごすのである。 2本あるクラシックギターのどちらを先に弾くのかはその時の気分であるが、日に2本のギターは必ず短時間でも弾く事にしている。 
ギターは弾く事により、音色が良くなる事は誰もが、ギターを弾いている人なら知って居る事だろうけど、楽器は長い年月を経て、木が成熟して密度が増して、さらには音を鳴らす事で振動を続けながらより効果が高くなる。 なので、弾けば弾くほどに音色は奥行きが増して、魅力的な音へ変化するのである。 ギターの表板は松か杉が一般的だが、松は年月によって、年々その色味が濃くなる。 杉は元々色目が濃いので、そうした事を感じる事が少ないと言われて居るし、制作時からすでに奥行きのある音色が出る傾向もある。 
2本とも松単板のギターなので、杉との違いは無いが、(去年は杉単板のギターを購入したが、やはりどうしても気に入らないので、売却した)音色は違うし、弾きやすさや、サスティーンの伸びも違う。 どちらかと言えば、去年買ったギターはその価格もそうだが、やはり音色も見た目も、弾きやすさも1段上だと実感している。 もちろん、すでに購入してから4年半が経過している最初の1本は今でも私のお気に入りのクラシックギターに違いない。 
このギターは講座にも持って行っているし、発表会でも使用しているギターである。 ある意味では気楽に使えるギターだ。 もう一本は、これはまだ人前で弾く事が無いギターである。 私の技量がもう少し上がって、ソロで人前で弾けるぐらいになったら、来年か再来年ぐらいに発表会で使用しても良いかも・・・と思って居る。