summer diary

日記らしきページ

歳には勝てない?

2024年02月18日 | Weblog
 午前中にも書いたが、今日は午後からギター講座に行く予定になっている。 もちろん、予定通りに講座に行って、発表会の曲を練習する意欲はある。 がしかし、今の時間になって、なんだか頭痛がするのである。 鼻水も少し出て、これは前から少し始まった・・花粉症? なんだか、身体も少し重い。 全体的に倦怠感がある。 これは? やはり風邪かな? 昨日の午後から出かけたコンサートの時や、帰宅してから今朝まではそうでも無かった。 ただ、今の時間になってから頭痛がするのである。 なんだかそう、倦怠感、疲労感があるのである。 午前中に筋トレをする予定もあるし、これから少しギターを弾こうとも思っているが、どうもそんな気分が沸かない。 なにやら視点も定まらないような感じに、目も重いのである。 
寒さを感じる事は無い。 暖房も朝から付けているし、それなりに暖かくしているので。 ただ、全体的になんとも重だるいのである。 さて、こうなると、ギター講座はどうするか? このまま行ってもなんだか風邪を拗らせるような気もする。 3日後には発表会の日である。 その日に体調が崩れていたらどうするか? 当然、出演は出来ないだろう。 出来ても、まともに弾く事は出来ない状態なら、やはり遠慮するべきだろう。 
今朝、歳の話を書いたばかりだが、どうも、その話を書いた時ぐらいから身体の調子が良くない事に気づいた。 なんだかね。 今回の発表にもあまり気が向かない様な弱気な気分になる。 
二重奏は私が出演出来なければ、当然演目としては無くなるだろう。 もちろん、他のソロ、二重奏もあるので、1曲ぐらい無くなっても大した支障荷成る事も無いが、アンサンブルも1人減る事になるし、他の人達にもなんだか悪い気もする。 それでも、やはりなんだか行く気が沸かないので、今回は辞めるとしようか? などと・・。 最近はやはりこうしてどうも思って居る程には元気が出ない時がある。 もちろん、好きな事は無理してでもやりたいと思うが、どうも今はその気が起きない。 
これは?? これまではそんな事はあまり感じたことが無い。 特にギターに関しては、無理してでも出かけて行くのであるが・・・。 どうも。 そんな時はやはり辞めた方が良いのである。 これは所謂虫の知らせ。 何かを感性が感じて居るのだろう・・と。 これまでも、なんとなく、そうしない方が良い時、あるいは、別の方向に進むべき時に感じる予感と言うのか・・・。 
そんな物を強く感じたりする。 この身体が重だるいのも、何かそうした予感を察知して、私をそうした方向へ行かせない何かの力が働いているのだろうか? と・・。 まっ、適当なこじつけであるが、結局は怠け心が出ているだけ? 多分、そうだろう。 なんとなく、家でのんびりと何もしないで過ごしたいと思う意識がそうさせているのだろう。 
家でのんびりと・・・なら、ギターも弾かずに、夕方までだらりと過ごし、夕方に筋トレに励むのはどうか? そうするか。 なんだか、今日はギターも弾く気分が沸いてこない。 最近はそんな気持ちが時折訪れたりする。 これは更年期障害? では無いだろうが、どうもやる気が沸かない時に無理をする事は自然の成り行きに逆らう事、坑がう事になる。 そうすると、やはりそれに対する反発や変動が起きて、良く無い事が起こるのである。 
自然の、あるいは大袈裟に言えば、地球の、宇宙の摂理に逆らう事になり、良く無いエネルギーが生まれる。 それは全て自分の身に帰って来るのである。 
結局は自然に委ね、宇宙の鼓動に同調して共鳴する事が重要である。 そうする事で、波動と共鳴して豊かに広がる事になる。 精神を統一して無の境地になる事はそうした宇宙エネルギーを受け取り、同期して、そこに全てを委ねる事で、己の意識を無に帰するのである。 
この無に帰する心、精神は全てのストレスや煩悩から離脱して、ここに存在している事が全ての事実となる。 
なんだか、そんな口実を書いてみて、どうも怠け心を正当化する事に苦心して居るような気分になるが、まっ、良い。 こんな時も私が私である証拠だろう。 私が私で居る事はそれだけで十分幸せなんだと思うのである。 






歳を重ねる事

2024年02月18日 | Weblog
 私は66歳になった。 12月が誕生日なので、66歳と3ヶ月が過ぎた。 高齢者の仲間入りをしているのである。 介護保険証も送られて来ているし、仮に介護を必要となった場合には介護保険を使用する事になるのだろう。 
もちろん、今はまったくそんな事(介護を受ける事)など想像も出来ないのだが。 それでも、もちろん、歳を感じない訳ではない。 髪の毛は白髪も増えたし、頭部の上側の髪の毛はかなり薄くなって居る事も確かである。 顔にはシミなども出始めて居るし、皺こそまだそれほどでも無いが、肌の張りは無くなった事も確かである。 身体はトレーニングをすればある程度は若い時の筋肉は保てるだろうが、肌の艶、張りはやはり若い時のようには保てない。 
記憶力や体力は間違いなく落ちているし、運動能力、判断力、俊敏性なども間違いなく落ちている。 歯もすでに2本を抜歯して、2本の義歯を入れている。 
ただ、この義歯のおかげと言うか、これによって、食事の度に歯磨きは欠かさずにするようになった。 歳を重ねる事は身体の衰えや、若い時との違いを身にしみて実感する事でもある。 
ギターを弾いていてその年齢を感じる事は多々ある。 楽曲を記憶する事も難しくなった事はもちろんだが、指の動きや練習の効果と言うか、実績と言うか、同じ練習をしてもそれが身につく事が遅くなったし、なかなか難しい運指などを克服する事も難しくなった。 
高齢になってから何かを始めると言うことは、確かに難しい事なんだろう。 
若い時から継続して続けて居る事、若い時にしっかりと身につけた事は高齢になってもその衰えは感じる事が無い程に出来る。 
それは身体が完全に記憶していて、無意識でも反応する事が出来るからだろう。 昨日は大西順子のコンサートに出かけた。 若い頃との差は全く感じさせない、逆に若い時以上に流暢に、テンポ良く、刺激的な演奏を聴く事が出来た。 私より10歳年下であるので、まだ身体の衰えを感じるような年齢でもなしい、容姿も少しは歳を感じさせるようになったが、コンサートなどで2時間を超えるほどの長時間を弾き続ける体力や気力も健全である。 
あれほどのスピードで鍵盤を弾き続けても汗を流す事も無く、息が上がる事も無く、実に簡単に見える程に弾き続ける姿はさすがにプロ。 さすがに世界を舞台に演奏を続けて来たjazzピアニストである。 
続けて来た・・・と言っても、一時期は引退宣言もして、ピアノから遠のいていた日々が1年以上も続い時期もある。 父親を亡くし、母親の介護などで仕事どころでは無くなった事も理由だが、彼女の引退の理由は「ジャズが多様化し、自分が一生懸命に勉強してきた音楽ではお客さんに満足してもらえなくなった。自分が大事にしている価値観をつまらないと言われるのでは、プロとして成立しない」 ・・。 アメリカのバークリー音楽大学での学んだ音楽家としても確実な人生を積み重ねて居る。 
昨日のコンサートでも決して自分の価値観、自分がやりたい音楽、拘りを大切にしたコンサートだと思った。 コンサートで彼女は変な・・・曲・・。 などと2曲ほど披露したが、もちろん、変では無い。 ただ、そうした曲も彼女の拘りを十分に披露したと言う事だろう。 
常に自分に無い物を取り入れようとする意欲が満ちているのだろう。 
だたし、60歳、65歳と歳を重ねた頃はおそらく、今の自分との落差は実感するのではないだろうか? いや、それは無いかも知れない・・・。 

私も今後まだ20年はギターを弾き続ける・・・いや、何時まで生きられるかは解らないが、死ぬまで弾く事は決めて居る。 まだ、20年ある。 これはどこまで上達出来るのかが楽しみな年月だろう。 もちろん、歳を重ねる毎にその進捗速度は衰えだろう。 どこかで停止状態になるかもしれないし、限界という壁に阻まれる事になるかも知れない。 
しかし、少なくとも今はまだ伸び代がある事は実感する。 壁に阻まれてもギターを弾かなくなる事は無いだろうし、そもそも、プロになる事も、慣れる事も、成りたいとも思って居ないので、ひたすら楽しむ為にあるのである。 

さて、今日は午後からギター講座に出かける。 発表まで今日を入れて残り3日となった。 今日は最後の発表会の曲を練習する事が出来る日。 特に二重奏の練習はしっかりとやりたいと思う。 
逆に言えば、それ以外の練習は特に気が向かない程である。 気が向かないと言うのはちょっとであるが。 今は他の曲の練習を講座でやる事は無駄だと思うぐらいである。 
この日曜日のギター講座も3月で前期が終わり、私は後期を受講する予定はないし、辞める事も考えて居る。 
さて、筋トレも今日は昼前に15分程度予定している。 これまでのように、再び休止しないように今後は無理する事無く、そして、予定通りに継続したいと思う。