summer diary

日記らしきページ

感性

2007年10月31日 | Weblog
 昨夜、子供が机の上にマンガの走り書きが置いてあったので、
何十年も書いたことのないマンガを僕もその紙に描いてみた。
意外といい感じで描けたので、なかなかだな~~なんて思った。

感性は意外とどうでもいいようなところでこだわってきた時間が
どこかに蓄積されていて、目に見えないどこかに潜んでいて、
そのことに集中した瞬間に貯金箱をひっくり返すように出てきて、
なるほどと思えるような自分を発見することになるんだと関心する。

何事もそうだろうけど、ほんの些細なことがらでも、どこかに
自分の足跡が潜んでいて、自分の辿って来た道を振り返ることが
出来たりもする。

さらに言えば、自分が克服できない部分もやはり同じように時間が
経った今でもその壁を乗り越えられないで居ることも知る時があり、
そうでないなら、その壁を意識のどこかに持っていて、
修正している自分を発見することになるんだろう。

人生の始まりは、自分を意識した時から始まり、自分を感じることがない
領域へ踏み込むことができればそれはすでに人生で最高の時を過ごしている
ことになるんだろうと思うのは、私だけなんだろうか??

自分を意識しない領域・・。
どうなんだろう? 地位や名誉はもちろんのこと。
恥ずかしいとか、億劫とか、めんどくさいとか、したいとか、したくないとか。
自分の意思を度外視することの出来るグローバルな意識の領域にいたるとき、
そこにあるのは
その一瞬に生きることは、最大で最高の幸福を手に入れていること
にはならないだろうか?



簡単なセリフ

2007年10月30日 | Weblog
 いよいよ冬支度の季節。
カーペット、こたつ、ファンヒーター、布団など
朝晩が冷え込む季節になって、いよいよ冬がくるんだ!
布団の中に入ると、自分の体温で温まるまでの一時はなんだか
なつかしい幼い頃を思い出す。

母親の腕の中でぬくもりを感じていたあの頃。
おかあさんの香りが安心を感じさせてくれて、まるで母親の
おなかの中に居る時と同じ、心地よい時間を思い出させてくれた。

裕福ではない家庭だったけど、狭い部屋なんてことは幼い頃には
何も感じることも無く、丁度いい空間だった。
そこに安心できる場所があって、信頼できる親のぬくもりを感じることで
全てのものは素敵なものになる。

今と言う時間を一時も無駄にすることも無く、全身で受け止めていたあの頃。

あの幼い頃の時間をもう一度感じることが出来るなら、こんなにもがっくり
するほどの人生も、再び生まれ変わり、もう一度幼い頃の自分が体感した
あの幸せな時間を感じることができれば、その先にある人生は無駄なんて
ことはないと、納得できてしまうような気がして・・・。


さて、これから先、僕はどこに行って、何をし、なにを感じ、何をすべきか?
こうして時間を過ごすこともどこかに意味があって、いつかその時間の
意味を知るときがくるんだろうか?

いよいよ開始

2007年10月21日 | Weblog
 さて、リホーム業者も決まって、予算を少しオーバーしたけど、
思い通りのリホームができることとなって、これから詳細な事柄を
決める段階に入った。
屋根を全面葺き替え、壁を全壁塗り替え(シリコンセラミック塗装)、玄関ドアを交換、ポストをモニター付きのドアホンに交換、玄関ドアを人感センサー付き(自動消灯機能付き)に交換。ベランダを全撤去、ずべて作り替え。
雨樋の全て交換。LANケーブルの屋内配線工事(3部屋分)。
これで外側のリホームを全て完了する。
なんだかわくわくするけど。 やっぱりお金なんだな~。

季節の変り目

2007年10月20日 | Weblog
 あれだけ汗をかいていた夏。
今は毛布さえ必要としている季節となり、やっぱいり地球は生きている
んだと感じる。
そして私も生きている。

そうさ、生きているんだ。
生きてるから機械的に決められたことをこなせないのは
僕はこうして、ここに生きているからんんだ。

楽天家

2007年10月20日 | Weblog
 沢山の宿題があるけど、意外と楽天的に構えている。
それは決して自信があるとか、めどが立っているとかなんてことでもなく、
単純に楽天家といったほうがいい。
楽天家・・・。
なにを基準とすると楽天家なのかは別として、単純に何も不安を感じない
という意識。
何もと言うと言い過ぎになけれど、自分が考えられる範囲を超えることは
その先は考えないという姿勢なんだと思う。

僕は本当に楽天家だと感じる。
仕事はともかくとしても、経済的なこと、子供のこと、将来のこと。
ほとんど全てのことに対して楽天家だと思う。

そうは言っても、まったく気楽な気持ちで生きているわけでもないけれど。
しかし、自分ができない事、自分ができることをわきまえていると言ったら、
それはそれで幸せなことだと思っている。
誰がどういう風に思うのか、どんな不利益があるの・・・。
そんなことを考えていても今更始まらないし、今できることをできる範囲で
こなしていくとだけが僕にできる精一杯のことなんだと割り切って
生きていくことしかできないのだから。

こうしてここまで生きてきて、まったく後悔は無いなんていわないけれど、
僕は僕なりに自分に正直に生きてきたし、これからもこうして生きていく
ことができれば幸いだと思っているのだけれど、どうだろう??

人になんて見られているかなんてちっとも気にしていないけど、
自分に対して嘘をついていないかどうかはとても真剣に思うことは
やはり、僕は僕であり、人は人なんだといういわゆる孤立主義なのか、
それとも自立できているといっていいのか?
ともあれ、これからどんな風に人生が展開していくのか・・・。

先がわからない人生だから生きていることもまた楽しいって感じるんだろう。
「明日のことは解りま川柳」
「明日は明日の風が吹く」

そう、明日は明日に聞いてみよう。
明日はここには無く、そして明日にもない
明日はもう明日ではない
明日になったらそれはすでに今日という日と
昨日と明日の今でしかない
今あるべきことを生きる
ここにあるものを信じる
雨、風、光、空気、そして静けさ、自分の運命を信用しよう
自分の生き様を確かめよう

明日は明日が知ってる
誰も知らない明日は明日すら知らない今がこうして刻々と
つながっているんだろう


風に乗って・・・

2007年10月18日 | Weblog
 今年の夏は本当に暑い夏だった。
炎天下で作業をし、意識さえ朦朧とするような夏日の中で、
体を動かしている状態が意外と悪くないな~って感じるのは、
それを本職としていない立場の人だからなんだと理解する。

なぜなら、その朦朧とした意識の中に、時間という期限が待っていて、
そこから開放されることが目の前にあるから、すでに約束された
開放された状態を手に入れているからなんだと理解する。

反して、今の本職だが、やはり同じことが言える状態。
決して汗を流し、体力を必要とするものではないが、
それ以上に朦朧とするような仕事でもあることが、
今の状態から開放されないという行き詰った先が待ち構えていることも
ストレスとなって、覆いかぶさっていて、毎日を炎天下で作業している
以上に開放されることもなく、いっそう険しい心理となっている。


焦らず、慌てず・・。

2007年10月17日 | Weblog
 朝晩がめっきり冷え込んできた季節になってきた。
もう、冬の布団に冬と同じパジャマを着て寝ていても、
決して暑いと感じることも無く、あの夏の息ぐるしいほどの
暑さもすっかり忘れて、今は快適と言って良い気候となり、
今が一番の季節かな~~なんて感じている。

さて、勤務先が変わって、いよいよ自分の仕事ができるのかな~~
なんて思ってはいたのだが、なかなかそういった訳でもなく、
毎日電話に追われ、対応するだけで一日が終わってしまっている
毎日が続いていて、本来やらなければいけない業務はどこかに
追い遣られていて、とうとうすでに今週3日目が終わってしまった。


時は金なり・・・
金はときなり・・・
時々お金を意識する
時々時間を意識する
どちらも
捨てがたく
手に入れがたく
時間は目には見えないが
お金は手にとることもできるほど
現実を意味していて
時間という感じがたい空間的な現実が
お金と言う秤に載せられ
とうとう
まるで商品のように
価値観を位置づけようとする

時間は自由
時間は特定な
ある場所には存在しない
しかも生命すら左右する決まりでもあり
時をお金に換算することのできると感じた
「時は金なり」を
私は意義を感じる

時間とお金。
実はある意味で反比例する
そんな意味さえ感じているのは
私だけか・・


引越し

2007年10月16日 | Weblog
 今週から勤務先が変わった。
部署としては同じだが、他の工場への勤務となり引越しとなった。
月曜日はそのために一日終わったきがしたが、今日はいよいよ始動。
とおもきや、他の担当者が欠勤でその処理にあくせくして一日が終わった。
さすがに疲れた。
しかも、私がやらないといけない宿題を全部後回しにして、
関係ない処理に費やした時間はいつ戻ってくるのか?
いい加減にしてほしい!!

さて

2007年10月12日 | Weblog
 バナナを食べた。 お袋が苦しいと言って妻を呼んで、
それでも医者には行きたくない。
どうする??
死んでもいやだと。 だったら勝手にしてよ。
人を呼んでおいて、それでも医者に行きたくないなら、
人を呼ぶな!!
死ぬ覚悟を決めているなら、ぼくができることなんてないでしょ。
どうする??
あなたの好きなようにしてください。
自分の人生だし、自分で決めてください。
但し、自分のわがままで人をいい加減に使うのはやめてほしい。

2007年10月10日 | Weblog
 どうなんだろう?
こうして、ここにいて、この先・・。
この先はともかくとして、こうしていることが
どうなんだろう?
決して裕福でもないし、名誉や地位やいわゆる顔があるわけでもない。
多趣味でもないし、仕事に生きがいを感じているわけでもない。
この先やりたいことは沢山あるけれど、それができなくても
それほど落胆するほどのことでもない。
だからといって、不幸とも思えないし、今以上に生きる時間を求めている
訳でもない。
私が今できることは、こうして明日も生きていくこと。
こうしてこの時を生きていること。
ほしいものは山のようにあるけれど、それが全て手に入らなくても
それほど悲しむことはないし、それほど落ち込むこともない。
自分の人生が設計どおりでは無いことも、承知しているし、今はそれ以上に
思っていることは意外とできている。
それほど努力してこなかったし、それほど無理をしたこともない。
そうかといって、怠けたようなこともないし、それ以上でもない。
だから今、私はこうしてここに同じように居て、明日もまた同じように
この時を感じ、この時を過ごし、こうして同じように不満もなく、同じように
満足するわけでもないのかもしれない。