以前から書いている通りに、読書はバイト先でのみで、家ではほぼ読む事はないし、外出時でも本を持ち歩く事は無い。 従って、読書はバイト時だけと言う事である。 なので、1回のバイトでは大凡、1冊の半分程度を読み終える。 2回のバイトでほぼ完読となる。 週2回のバイトシフトなので、週に1冊のペースで完読だ。 バイトでは夕方に出かけて、翌朝の9時に退社となるが、その間に読書する時間は4時間半程度はある。 退社時間の前にはすぐにタイムカードを打刻して退社出来る状態で時計を見ながら待ち構えるのである。 今日はその退社時間を待ち構えるのに少し忘れていた。 ついつい本に引き込まれていて、時計を見ると7分も過ぎている。 あれ~~と思って、慌てて本を鞄に仕舞、上着を着て早々に打刻して退社した。 これはバイトを始めてから初めての事で、何時も9時01分に打刻するのである。 今読んで居る本はAudibleで聞き始めた時代小説である。 Audibleにリリースされるまで待つ事が出来ないので、それと、バイト先で読む本を考えているので、図書館で借りる事が出来るので、Audibleからの継続でシリーズとして出版されているので、借りて読んで居るのである。
この本に限らず、やはりAudibleで聞き始めた他の時代小説もリリースされるまで待てないので、読んで居るが、なかなか続きを順番に読む事は難しく、シリーズとしては中途になるが、まっ、それはそれでも仕方ない。
そんな事で、今日は珍しく、読書に夢中になって、退社時間を見落としたのである。
実際に、読書が特に好きでもないし、本を読む事も意外と疲れるので、読者以外に何かあるならそうするが、今の所それ以外には考えがないので、図書館には2週間に一度は行き来して本を借りて居るのである。
家ではAudibleで暇な時間には何時も聞いている。 なので、Audibleでは月に5冊以上は聞いているだろう。 読書が月に4冊、Audibleで5冊程度なので、月に本としては9冊程度になる。
時代小説がほとんどで、以外と沢山の面白い本があるので、この先もしばらくは聞いたり、読んだりする事には事欠かないだろう。 作家もいろいろで、特に好きとか、嫌いとかはないが、内容が明瞭で展開も小気味よく、読みやすい文体である事が趣向には合っている。 時代小説にはその時代背景や、実際の歴史的な史実に基づいて解説的な意味合いが強い物もあるが、そうした史実とか、時代背景とかの説明はどうでもいい。 それよりも、当時の庶民や武家、その他の浪人や役人、商家や農民などの人間性が織りなす心に染みる物語の方が面白い。 中にはとても笑えるような話もあるし、全くの作り物と言えるような物もあるが、それでも、内容の展開やテンポ、言葉の読みやすさなども読んで居て面白いと感じるならそれで良いのである。
時代小説を多く読んでいると、当初はあまり理解出来ていない武士の上下関係の呼び方とか、武家の家禄の違いとか、江戸の町の名前とか、河の名前とか、神社仏閣の名前とか、庶民の長屋の作りとか、商人の住まいの事とか、店の事とか、着る着物や帯や、侍の着る着物の種類や髷などの違いとか、櫛、簪や、花魁の話とか、花街の話とか、そうした背景が自然に理解出来る様に成ってきた。 もちろん、名前なども作家の違いはあるが、大凡はその時代に適した名前なども使われる。
なので、時代小説を多く読んでいると、現代との違いはあるものの、実際にはそれほどの差異を感じる事は少ない。 人間の生活が江戸時代と現代では当然だが、家の作りや、家財道具やその他の細かな事はあるが、結局はそれほどの違いは無いし、人間の良し悪しや、常識とか、決め事とか、男女の思いとか、親子の思いとか、そうした心の違いはほとんど無いだろうと思える。
何時の時代でも、人間が幸せだと感じる事が出来るのは、結局はお金以上に人間同士の繋がりや信頼や労りやねぎらいや、絆なのである。 そうした物の上に必要なお金が善としてある事が幸福だと言えるのだろう。
どんなに苦しくとも、どんなに悲しくとも、自分に嘘を付く事や、他人を裏切る事や、人を貶める事や、恨みや辛み、怒り、怨念などと言う物からは何も良い事など生まれない。 欺すよりも欺される方がまだましだ・・・。 まっ、それぐらいに思っていた方が幸せなんだろうと思える。
大谷翔平が昨日の会見ではっきりと通訳であり、ある意味では親友であると言っても過言では無い水原一平に対して、詐欺と窃盗である事を発言した。 これで当然だが、2人の繋がりは完全に破談しているが、それにしても、水原の人間としての資質をどうしてこれまで解らなかったのか? そして、彼がどのようにしてギャンブルに依存し、人を欺く行為に及んだのか。 彼の年俸は年に4千万円程度とされている中で、これほどの収入がありながら、生活苦であったとする発言もあり、家族もそれを知らなかった事もあるし、8億円もの詐欺、摂取を返して行ける事が出来るのだろうか?
こうした事件などを見ても、人間はいかにお金や地位や名声に魅せられて、本来の自分を見失い、悪を悪とも思えないような行為をするまでに成ってしまう動物なんだと改めて思う。
大谷のようなスーパースターの元で同じ空気を吸って、同じ場所に居ると、どうしても自分と比較してしまうのだろうが、それこそが、自分が確立されていない人間の資質なのである。 以前から書いているが、人との比較で生きている事はそれ自体がもはや自分では無いのである。 個性を強調する人の多くは、単に他人との差異を求める傾向にあるが、それは個性とは違う。 個性は意図して作り出す物ではないし、意図して作れる物でもない。 生まれた瞬間からすでに個性である。 他人との差異など意識する必要も無く、すでに自分にしか持ち得ない物を持っている。 逆に言えば、脱個性をする方が難しい。 それ以上に重要なのは、自己を確立する事。 自分を肯定して、自分を愛し、正義を貫き、真っ正直に自分の未来を築く事だろう。 これは、何も大袈裟な事ではない、普段通りに素直に、愚直に自分が成すべき事をするだけである。