summer diary

日記らしきページ

玄関補修

2021年11月30日 | Weblog
 以前、少し書いた記憶があるが、2か月前に玄関の縁の木材が虫に食われて、中身がカスカスになっているのを見つけて、とりあえず、自分でその木材を取り外してみた。
小さな幼虫?が相当な数見つかり、木材を撤去して、薬剤で死滅させ、その周辺にもたっぷりと散布しておいた。 当初は自分でその個所の補修をする心算でいたけど、意外と玄関の取り付け構造は簡単ではなく、さらにはその壁面全体を剥がして、どの程度虫が侵食しているのか確認する必要もあり、結局は業者に依頼することにした。
今日は朝からその玄関の補修工事をして頂いているのである。 とりあえず、その壁面全体を取り外して様子を見ると、どうも、玄関縁の木材以外は全く被害はない。 確かに縁の木材以外にも基礎となっている木材の表面は食われているけど、凡そ表面だけで、強度的にも問題はなさそうだ。 当然だけど、虫は完全に死滅している状態なので、そのまま生かすことにするそうだ。
これはその基礎材には玄関の枠が固定されているので、これを交換するとなると、玄関を取り外す工事となり、外壁まで補修する必要が出てくる。
なので、出来る限り、外壁へ影響がない方法で、その基礎材に補強木材を追加して、強度的には問題無い状態にする。 
壁面は新しいパネルを張り付け、クロスを張り、巾木や縁材は以前と同様に作り直す。 
まっ、見た目が元通りに成れば、とりあえずは良しとするしかないだろう。
虫の浸食に関しては、下からでもなく、上からや奥からの侵入とは考えられないような浸食状態なので、どこからどのように虫がこの場所に入ったのかは全く想像できないような状態である。
完全に外からその場所に取りついたと思えるような浸食状況なので、おそらく、全く単独的にその場所に張り付いたとしか考えられない。
兎も角、外壁や床方面から侵入したのでは無いだろうと思える。 
さて、補修工事は本当なら1日で完了する予定だが、おそらくは壁面のクロスなどは後日になるだろうと思う。 
さらには、巾木などの塗装等に関しては後から私が塗装する事になりそうだ。
その程度ならまっ、やっても良いけど。 もちろん、その分の工事費用も軽減できるので、その点に関しては見積をしっかりと確認する必要があるだろう。
当然だけど、こうした予期せぬ費用負担は出来る限り少なくしたいと思うし、こうした工事はある意味では業者の言いなり的な物なので、あまり適正ではない金額ならその点は問題にする必要が有るだろう。
今回の工事を依頼した業者は以前からこの家のリフォームを数回も依頼している業者なので、信頼はしているけど、まっ、見積を見て、適正かどうかはある程度解る。
そんなわけで、今日は玄関からの出入りも出来ない状態で、家に居ないといけないので、買い物にも出かける事も出来ない。
 
ギターの練習もどうしようかな?? ギターの音は家中に響くし、何となく、工事中に気楽にギターを弾いているのもちょっと気になるのである。 
それでも、明日も仕事でギターは夜少し弾ける程度だし、その次の日も仕事で1日中弾くことが出来ない。 なので、今日は夜は当然弾くけど、日中も少しは練習したいと思うのである。 
昨日は勤務明けの日だったので、午後から2時間程度、夜は1時間半程度はギターの練習は出来た。 
それでも、まだ弾き足りないと思っている。 なので、本当なら、何もなければ、今日の午前、午後だけで4時間以上の練習は出来ているし、夜は1時間半は出来るので、まっ、工事業者さんにはちょっと悪いけど、遠慮なくギターを弾こうかなと思って居る。


今日もギター三昧の日

2021年11月27日 | Weblog
 昨日も休みだったので午前中からギター(クラシック)の練習をしていた。
ギターは弾き始め(その日始めて弾く時)は指が思うように動かない。
まぁ、これは誰でも当然の事だろうけど。 少しストレッチをしてから、いつもの練習曲を弾くことがいいだろう。
私は簡単なスケールを何度か弾くことにしている。 特にクラシックに限らず、ジャズのスケールを覚える意味でもいろんなスケールを少しだけど弾くようにしている。 指がある程度動くようになったところで、いつもの練習曲を始める。 
しかし、あまり時間が無い場合にはストレッチに時間を取るのは勿体ないので、まっ、そのまま始めることもある。
指だけではなく、身体全体のストレッチ運動をする方が身体全体の血流が良くなるので、出来る限り身体全体のストレッチをする方がいいだろう。

今日も天気はとても良く、気温はかなり冷え込んだ朝だったけど、日差しが差し込んで、部屋はとても暖かい。
夏場より湿度もかなり低く、部屋の湿度は50~40%程度で、ギターにとっては良い環境だろう。
なので、先日張り替えた弦のチューニングもあまり狂いが無い。 安定したチューニングがとても速くなった気がする。 
弦を張り替えて何時もは1週間以上チューニングが安定しないので、あまり弦交換はしたくないと思っているけど、今の時期は湿度があまり変化しないし、気温も丁度良いので、弦の交換はこの時期がお勧めだ。
最も、弦は3か月程度が限度なので、年に4回程度の交換となるので、やはり、夏場や真冬などではチューニングは安定するまでには時間が掛かる。 

さて、ギターの練習は私が思っている程度に順調である。 凡その進捗を自分で考えているけど、ほぼ予定通りに進むことが出来ている。
ただし、ジャズに関してはまだまだ初めの一歩なので、来年の同じ時期までにはそれなりに弾けるようになっていたいと思う。 
今日も午前中はクラシック、午後からはジャズ、夕方にクラシック、夜はジャズの練習予定である。 
今日は少し買い物にも出かける事にしているので、午前中は1時間程度の練習だ。 まっ、今日で3日連続で練習出来ているので、そんなに頑張らなくても良いだろう。 のんびり気楽に弾きたいと思う。 







人間の本能は?

2021年11月26日 | Weblog
 毎日のように報道系TVで取り上げられている中で中国のテニスプレーヤーの告発とその後の失踪の件。女子テニスの元ダブルス世界ランク1位の中国選手 
彭帥(ほうすい)の失踪の件で、中国はIOCのバッハ会長も取り込み、この人権問題を早期解決をしようとする意図がある。
来年の2月の冬季オリンピックを成功させたいバッハ会長の思惑を恐らく、裏取引(高額なお金)があるのは明白だろう。
なぜ、この時点でバッハが登場するのだろうか?? これは、明らかに、中国とIOCの思惑が合致した形だ。
アメリカやヨーロッパでも、ボイコットの傾向が強くなった。
選手の派遣は認めても、国としての高官などの派遣を中止するのだろう。
当然だけど、最近の中国(嫌、最近ではなく、以前からだろうけど)の人権問題は民主国家の人権とか、自由意思に反する。 
香港への圧力もそうだけど、自由と言う、人間の本能を封じ込めるような政策自体がすでに未来の崩壊だろう。
人間は本来の本能は自由を求める動物だ。 動物と言ったのは人間の本能は常に自由を求めて生きる生物であること。
これは、人間に限らず、ほぼ動物の仲間なら全て当てはまるだろう。
これは、教育とか、強制的な制約では抑えることが出来ない、人間の本質である。 これは、自由な発想を可能にする意識で、これにより、人間は進化を続けて来た。 常に既存の物ではなく、より進化した、より豊かで便利なものを追い求める人間の本能だろう。
自由が無い世界では、おそらく、進歩も発展も、新しい技術や新しい文化も生まれないだろう。
以前から私は何度も書いているけど、共産社会や独裁国家、自由やプライバシーが抑制されている国家はいずれ崩壊する日が訪れる。
なぜなら、人間の本質からかけ離れているような世界は、人間は正常な人生を送れない。 自由が阻害されている国家はいずれは崩壊する。
これは、中国に限らず、他の独裁国家も同じ道を歩くことになる。 
人間の本来の意思を無視する国家政策は、その時点でいつかは崩れ落ちる運命だ。 
中国は今や世界的な先進国家と言えるかもしれない。 しかし、これは外資が齎した経済的な御身である。 中国独自の技術や独自の開発ではない。
しかし、お金の面では豊かになり、世界的にも影響力を増したのは事実で、
そうしたお金で、世界経済に大きな影響を持っている。
ただし、この国の深刻な弱点は、自由国家ではない事だ。
全てを国家が掌握する国は、そこに住む国民には自由意思が許されない環境だ。 これは、人間の本来の意思とは乖離していて、そうした国民の行動は必ずある時点で爆発する。
中国がいずれは崩壊する日はそれほど先の話ではないのである。


不満の原理

2021年11月26日 | Weblog
 不満を辞書で調べると、[名・形動]もの足りなく、満足しないこと。また、そのさまやそう思う気持ち。不満足。「不満を口にする」「不満な点が残る」「欲求不満」 となる。
さらに、英語ではフラストレーション (frustration) とは、欲求が何らかの障害によって阻止され、満足されない状態にあること。また、その結果生じる不快な緊張や不安、不満。「欲求不満」、「欲求阻止」、「要求不満」、「要求阻止」などと訳される。 
人生や、他人や物質的な物や生活環境などへの不満は誰もが持っているだろう。
その不満の大小、増減に関しては各個人の意識の問題でもあるけど、結局は他者との比較考察によるところがほとんどだ。 世界の人々が全く同一の生活様式や物質的な豊かさなどに差が無い場合には、おそらく不満と言う感情は沸かないだろう。 他人との差に関してどれほど自分との差異があるのか? その溝が満足する度合いが違うのだろう。 容姿端麗で頭脳明晰、家庭環境も豊かな資産があり、十分な生活が生まれた時から整っている状態の人もいるだろう。 その逆ももちろんある。 容姿に自信が持てない、家庭環境も最悪、さらに、資産どころか、借金もある。 どんなに努力しても到底、富豪と同様の生活なんて望めない。 そんな人も居るだろう。
そもそもだけど、生まれた時から人間はすでに平等ではない。 平等と言えるのは心の中でしかないだろう。 これを不満と感じるのは当然のことだろう。
しかし、この不満足の感情は、新しい物を作る意欲に繋がるし、人間の欲望はいろんな分野で新しい物を開発してきた原動力になった。 
しかし、不満を誰かの要因だと思うこと自体はとても浅はかで、間抜けな感情だ。 少なくとも、最初から(生まれた時から)他人とはすべてが違って居るのはこれは自然な原理である。
例えば、皇室を例にとっても、私達一般人がどれほど頑張っても皇室の一員になるには無理がある。 どんなに努力しても叶える事が出来ない事は世の中には沢山あるだろう。 
日本人がイギリスの皇室の一人になるのは所詮、夢のまた夢物語である。 
仮に何かの運命でそうできたとしても、それは個人の努力とかの問題では無いだろう。 
まさしく運命と言う何かの見えない力が働いたと言うべきものだ。
1人の人生の未来や結果は全てが繋がっている要因の連続である。
一瞬一瞬の判断の結果での行動が未来の結果を生み出している。 しかも、自分の努力だけではなく、周囲の環境も大きな影響を与えている。
生まれた土地や場所、生活環境や出会う人達、出会ういろんなメディア、いろんな自然環境などなど、そうした要因も大きく人生を変える要素になる。
なので、人生で成功する人、しない人、満足する人、不満な人、誰もがある程度は同じ未来を持てるとも言えるだろう。 
これまでの人生の成功者の多くは、決して豊かな環境に生まれ育った人だけではない。 ただ、この満足や成功と言う概念も自分自身の考え方でしかない。 
どれほど他人から見て、成功者だと思う人も実際には不満や悩みを他の人以上に感じている人もいるだろう。
これはまさしく、こうした感情は自分自身が作り出している感情で、他人との関係はほどんど皆無だとも言えるのだ。
もちろん、対人関係でいろんな不満や不平の原因は発生する。 しかし、それも自分の感情のコントロール(抑制とか意識の制御、或いは無視したり、全く視野から突き放す)によって、全く別の感情に置き換える事はそれほど難しくない。 そうして、自分の感情を一定に保ち、常に正常な意識で物事を考える事が出来るだろう。  これはいろんな経験も必要になるだろうけど、凡そは物事の常識、正義、公序良俗の意識と言う本来当然持つべき意識で十分なのである。 こうした意識を見失わない為には、何時もの生活の中で常に正常な物とは何かを意識することが重要だろう。 
いろんな精神的に豊かにする物に出来る限り触れる事を意識することも大切だろう。 

中学生(14歳)が同級生を刺殺した事件が昨日大きく報道された。 
事前に準備した刃物を学校に持って行って、朝の授業前に犯行に及んだ事件だ。 まだ14歳のある意味では子供の行動で、こうした最悪の行動を可能にした精神は何処から生まれるのだろう。 
いじめとか、対人関係の悪化などと言う物だけでこうした行動に繋がる要因とも思えない。 何か精神的な欠陥は否めないだろう。 
欠陥と言っても、それは殺人と言う行動を可能にするだけの何かの要因がある事。 さらには、そうした最悪の行動を抑制するたけの人間としての本来の正義や善意や物事を客観的に見る意識の欠如だ。
最近はこうした他人を平気で刺殺する事件が多発してるように思う。
電車での殺人事件もそうだけど、他者に対する自分の不満を押し付ける行動が目立つ。 最近は店員などへのカスハラの多く、自分の不満、不平を他人の要因とする意識を持つ人が多く居る。 
これはやはり、この現実が生きにくくなっていることが原因だろう。 
生きにくくと言っても、それはある意味では自分自身のそれまでの行動や意識、判断、選択して生きてきた要因が多くの問題を作っているのだろう。
どれもが、多かれ少なかれ、不満や不平は持っている。 しかし、そうした物を考察すると、多くは自分自身の問題であることが理解できるだろう。 
自殺する人もこのコロナ禍で増えている。 生活事体の破綻だけではなく、他人との関係の悪化も要因となっている。
これからもそうした人が多くなるだろうと予想出来る。
ネット社会は一方通行の思考を助長することに繋がっている。 一方的な視点や視線で物事を見る要因になっているのも事実だろう。 
他人との直接的な会話や議論が無いまま、他人の話を鵜呑みにしたり、他人の行動に対して不満や不平をそのまま投げかける。 
これは、直接その場での反応が無いからである。 本来なら、直接話をしたりする場合には、その場で自分の意見に対する反応が返ってくるのだけど、ネットでは、一方的な物でしかない。 なので、過激になる傾向があるし、自分に都合の良い考え方に陥りやすいのである。 
こうした意識は正常な視野、正義感は歪められてしまう。
仏教では、「人生は苦である」という教えがあります。自分の思い通りにはならないという意味です。 
これは、人生は最初から修行の場所という考え方から来ている。
人生は修行する場所であり、この場所で煩悩から来るいろんな意思を浄化して、本来あるべき姿になることを望むことだろう。
そうした浄化した意識、それは苦悩や不満や不平や物欲や性欲やそうした欲望を払い、精神的な寛容を最大限まで引き上げる事で得られる徳と言う領域に達しようとする精神だろう。


さて、今日も天気は最高である。 季節は紅葉の真っ盛りだろう。 
今年は我が家は紅葉狩りは中止(中止と言うか、予定が立たないので、行けない)した。 今日は最高の行楽日和でも、外出の予定はない。
今日も家でギターを一日練習する予定だ。 今日は妻も子供の仕事なので、日中は思う存分にギターを弾ける。 
去年の夏前ぐらいから本格的に弾き始めたギターだ。 クラシックを主体として弾いているが、最近はジャズが弾きたくなったので、フルアコも購入した。
今はフルアコの音色もとても魅力的で、弾いていてもとても楽しい。 
適当に爪弾いているだけでも十分に楽しいけど、やはりそれなりにジャズを弾きたいので、いろんな教本も購入している。 どれもそれなりに難しいし、どこまで弾き熟すことが可能になるだろうか?? と言う思いもある。
それでも、継続は力なり。 少しづつでも上達している実感があれば、この先は恐らく、自分が到達したい場所まで行けると信じている。
クラシックも当初はとても難しく、今弾いている練習曲も何時弾けるようになるだろうと思っていたけど、今は意外とその難度を難度と思えないようになった。 こうして、上達していくのだろうと言う実感を持てるようになった。 
コロナ禍で始めたギターだけど、今では私の唯一の楽しみになった。
これはコロナが招いた私の幸運なのかもしれない。 幸運と言ったけど、実際にギターを弾くようになってから、家で過ごす時間がとても充実しているし、とても楽しい。 さらには、脳も使い、指も使い、精神的にも癒しを感じる。
これは以前はバイクや筋トレなどで得られた物とは違っている。 
満足するとは違うけど、向上心はそれ自体で生きる意欲や希望や夢や未来への意欲的な行動に繋がる。 なので、今はとても人生に対して前向きの意識である。 最も、以前から私はポジティブ思考の正確なので、常に意欲的な意識ではあるが、不満や不平の要因もそれほどストレスに感じる事が少なくなった。 
これは、ギターの練習で得られる意欲的な意識や、上達している事に満足出来ているからだろう。 もちろん、まだまだギターは上達する事が可能だし、おそらく、生涯意欲的な意識で弾くことが出来るだろう。







今日もギターの練習で過ごす一日

2021年11月22日 | Weblog
2021年11月22日(月曜日)雨
 今日は朝から雨が降り続く天気。 夕方、夜まで雨の予報で、昼前の今は本降りで、少し強めに降っている。
昨日も仕事は休みだったので、ギターの練習をしっかりと出来た。今日も午前、午後、夜と3回に分けてギターの練習をする。(している)
ギターは現在4本所有していて、メインで使用しているギターはクラシックギター(Córdoba45limited)とフルアコ(IbanezAF95BS)を練習時には必ず弾いている。 
最初はクラシックを午前、午後ともに1時間半以上。 フルアコは午後と夜に1時間半程度。 夜8時以降はソリッドのepihonSGspecialでヘッドホンを使用して、音が外に漏れないように練習している。
フルアコも基本的にはアンプに通して音を出しているので、ヘッドホン使用が多く、日中はヘッドホンなしで直接アンプの音を聞くようにしている。 どうしても、ヘッドホンの音と直接アンプから出ている音には差異があるので、出来る限り直接音を聞くようにしている。 
フルアコではジャズの練習がメインで、時折ポピュラー曲の練習をしている。 これは、同じ練習を繰り返しているとどうしても飽きてしまうので、集中力が無くなり、ダラダラと弾いているとあまり効果的ではないからだ。 時には気晴らしに簡単なポピュラー曲の練習を取り入れると気持ちもリフレッシュできるので、ギターの練習はクラシックでもそうだけど、やはり、いろんなバリエーションがあったほうが良い。
さて、クラシックも少しづつ、新しい曲の難度が上がっているけど、それでも、これまでよりも早く弾けるようになった。 これは、これまでの基本的な技術が身について来た事で、同じ運指や同じ音、押弦も同様の曲内容が続くからだろう。
これはカルカッシ教則本のプログラムの良さだ。 新しい曲は必ず前の曲の要素が多用されていて、極端に違う運指や押弦をする事がなく、弾けるように作曲されている。 
なので、確実に弾けるようになるプログラムは、これまで多くのギタリストのバイブルにもなっている。 
少なくとも、私は他にも数冊の教本も同時進行しているけど、このカルカッシ教則本は最も弾き易く、さらに、曲自体の音楽性もとても魅力的な曲ばかりなので、ギターを弾いている事がとても楽しい。
この楽しいと言う事が最もギターの練習には必須な事だ。
当然だけど、ギターの上達にはそれなりに結構キツイ事も多々ある。
特に指が届かない押弦、さらにはポジション移動のスピード、確実に次の音を押えて、スムーズに音が繋がるように弾くには、曲によっては相当な時間が必要になる。
それは曲を順番に弾いていても、なかなか次の曲に移れない事もある。
次の曲に移るタイミングはやはり、練習中の曲がスムーズに弾けることが条件としているので、なかなか難しく、本当に曲の中にはかなり難しい小節がある時は、何度もその1小節を繰り返すのである。
私はある程度暗唱して譜面を見ないで、1曲通して弾くことが出来るようになった時、それでも少しまだスムーズな移動が難しい時でも、次の曲の練習を開始している。
曲の上達には譜面を見ないで弾けるまではその先へなかなか進めない。  しっかりと指の位置や移動する時の無駄な動きや、先に押える必要がある指など、そうした事を考えながら、最もスムーズで楽に弾くには何が良いのか? 運指にしても、譜面に書いている以外にもっと楽でスムーズな運指があるなら(これは各自の癖や好み、弾き易いと思う運指でいいだろう)その方法論を見つける事が大切である。
基本的な運指や右手の弦を弾く指なども記載されている場合があるが、それでも、自分が最も弾き易いと実感できる運指があるなら、私はその方が良いだろうと思って居る。
譜面に記載されている指定されている指使いは、あくまでも基本である。 自分なりの運指でも私は良いとしている。 
これは今後、いろんな難度がある曲を弾く時でも、自分のスタイルを持つこともある意味では個性を大切にする事が音楽性に繋がると思って居るからである。 
最終的に音楽を魅力的な表現にするためには、技術的な向上は必須だが、音楽は最終的にはその人の人間性の表現だからだ。
個性はクラシックでも必要だし、ジャズなら猶更その人のスタイルと言うものがあるだろう。 楽器をどのように弾くのかはその奏者の自由である。 技術的にはそれほどでもない人でも、魅力的な演奏は可能だし、実際にそうしたギタリストも多々存在する。 音楽は単なるテクニックだけでは魅力的な音楽にはならない。 単純な音や曲でも、とても感動する演奏は沢山ある。 それはやはり、その奏者の感性だし、個性だろう。

さて、今日もしっかりと練習しよう。 明日は仕事だし、明後日は夜勤なので、2日間はあまり弾くことも出来ない。 明日は全く練習はできないので、今日は午後から3時間は練習しよう。

大谷翔平に学ぶこと

2021年11月21日 | Weblog
2021年11月21日(日曜日)晴れ
 大谷翔平のMVPはまっ、誰もが当然の結果だと思っただろう。
野球の本拠地で今年の大谷は他者を寄せ付ける要素が無い。
MVPだけではなく、その他にこのオフはまず、選手間投票で選ぶ年間最優秀選手とアメリカン・リーグ最優秀野手(アウトスタンディング・プレーヤー)の2タイトルを獲得。そのほかにもMLB機構のコミッショナー特別表彰、米専門誌『Baseball Digest』の野手部門の最優秀選手、米誌『Baseball America』の年間最優秀選手、米専門サイト『Sporting News』が選ぶ年間最優秀選手(MLBプレーヤー・オブ・ザ・イヤー)を、それぞれ受賞している。
ある意味では、ほぼ全ての最高選手賞を手にしたと言っても良いだろう。
日本は勿論だが、アメリカでも大谷翔平の名前を知らない人はほとんど居ないと言っても過言ではないと思う。
同じ日本人として、この快挙は当然だけど嬉しいし、誇りに思わない人は居ないだろうと思う。
怪我で手術などで一時は二刀流は諦めた方がいいのではないか? と言われていたし、私も投手ではなく、野手(バッター)に専念した方がいいのではないか? と思った事もある。
そうした懸念も今年は完全に払拭して、快挙を成し遂げた事は、彼の才能が他者とは違う次元にあるのだろうと思える。
努力することは当然として、そうした精神を維持する事が出来る事は、それ自体が彼の才能だろう。
そうした人間性を作り出した彼の生まれた環境や、生い立ち、多くの人との関わり、いろんな意味で自分の向上に貢献する物を貪欲に吸収する能力と言うか、そうした資質が備わっているのだろう。 
さらに、私は常に思うことは、自分を最後まで信じる能力と言うか、自分を信じる事が出来る心を失わない事が、成功への最大の力となると思う。 いろんな成功者の最後の砦は、自分を最後まで信じる力だ。
誰の為とか、何かの為とか、勝利とか名声とか、お金とか、そうした物への欲望は最後の砦にはならない。 自分自身の成長や向上心、真実や信念を貫く力が必要だ。
自分自身との格闘だと言ってもいいかもしれない。
そうした事を当然の事と出来る事、そうした事を望む力、そうした物を信じる力なんだろう。

彼から学ぶべきことが多々ある。 諦めない事は勿論だけど、常に正義と真実を保つことが何よりも必須条件だろう。
マウンドのゴミを拾う行為や、ロッカーの整理整頓、常に笑顔を絶やさない姿勢。 周りの人への気配りや、普段の生活でも恐らく、誰も見ていない場所でも彼は常に正義と真実を求めて行動しているのだろう。

さて、今日は休み。 天気も快晴。 今日もギターをしっかりと練習しよう。 昨夜は遅番勤務だったので、帰宅してから風呂、食事を終えて早々に少しギターを弾いていた。 それでも、夜9時頃からで、10時頃には妻にギターは停められてしまった。
それからは、ソリッドでヘッドホンで弾くことにして、2時間程度練習した。 ジャズはなかなか進展していないけど、まっ、焦る事もないし、継続することが重要だ。 それでも、少しは弾けるようになった気もするし、まだまだこれからである。
クラシックは一昨日弦の交換をして、音も確かに良くなった。
やはり、弦は3か月程度が限界のような気がする。
ナイロン弦は劣化が早く、最低でも3か月程度の交換が必要だろう。
常に良い音で弾くことが上達への要素だろうし、音程もぴったり合ったギターでなければ意味がない。 
弦に関してはどうしてもお金の話になるので、早々頻繁に交換することも無理はあるが、1セット2000円弱なので、3か月使用すれば、1か月600円程度。 この程度の投資は当然だろう。 
その他にはほとんど何も必要ないので、ある意味ではこの程度のお金で毎日楽しく過ごせるならコストパフォーマンスはかなり高いだろう。 
実際に、ギターを弾くようになって、ほとんど小遣いは使わない。 
毎月貯蓄する事も出来るようになったし、さらにその貯蓄で新しいギターやアンプやその他のギターのアクセサリーも手に入れる事が出来る。
さて、午前中に少し買い物に出かける。
午後からは新しい弦と教本が届くので、家でギターを弾いて過ごす。
買い物はビール、ウイスキーなど私の必須品だ。 ビールは家族全員が毎日飲むので、月に6ケース程度を消費する。 さらに、ウイスキーは月に4Lボトルで1本半程度飲む。 
24時間勤務なので、実質的には月に勤務が無い日や明けの日に飲むので、18日程度を家で飲むので、毎日晩酌をしている人からすると、ある意味ではかなり頻度は低いのではないか。
以前は毎日飲まない日は無かったので、それに比較すると、かなり酒の量的には減っている。
さて、ではちょっと出かけることにしよう。

今日もギターの練習

2021年11月17日 | Weblog
2021年11月17日(水曜日)晴れ
 休日でも起床する時間は変わらない事がいつも通りの事だ。
しかし、今日はいつもよりも1時間程度寝過ごした。 その2時間程前にお茶を飲むためと、トイレでベッドから出ている。 
部屋は雨戸とカーテンで日差しは全く入らないので、時間は全く分からない。 時計を見て、7時半であることを確認して、早々に起床。 
窓を開けるとたっぷりと日差しが差し込んできた。 今日も風はほとんどなく、ポカポカと暖かい日になりそうだ。

何時も朝は500mlのコーヒー(アイスコーヒー)でプロテイン(サバスプロテイン)を軽量スプーン3杯と牛乳を100ml程度入れて、シェイカーでしっかりと混ぜ、サバスのマグカップに氷を入れ、そこにシェイカーからプロテインを注ぎ、しっかり冷やして飲んでいる。 
私が朝最初に飲むのはこのプロテインである。 今朝は牛乳が無くなっていたので、近くのコンビニまで車で購入するために出かけて、菓子パンも4個ほど購入してきた。
妻も朝はホットコーヒーに牛乳を入れて飲むので、当然だけど、妻も牛乳は必須である。 
そのプロテインを飲みながら、マルチビタミンを1錠飲む。 サプリはこのマルチビタミン以外は飲むことはない。 ただし、こうしたサプリはほとんど効果を実感することもない。 ただ、飲まないより飲んだ方が良いだろうと言う単なる呪いのような物だ。
実際にこのビタミンを飲み始めてから7か月が過ぎたけど、特に何も体調の変化も無いような気がする。 逆に足底筋膜になったので、逆効果なんだろうか? とも思うけど、足底筋膜とこのサプリの因果関係はないだろうとも思うし、おそらく関係ないだろう。 
その足底筋膜は最初に発症した時はかなりの痛みがあったが、病院で診察し、骨などの異常もなく、痛み止めを1週間程度処方されただけだ。
その飲み薬を1週間程度飲んだ結果、ほとんど痛みはなくなった。
その後、1か月半ぐらいに再び痛みが出て、この時はそれほどの痛みではないけど、この時は3,4日程度で痛みはすっかり無くなった。
高齢になるといろんな意味でも身体の劣化は否めない。 特に最近はほとんど筋トレもすることが無くなり、身体の筋力は確かに落ちた。 
胸筋の厚みも薄くなり、トレーニングしていない以前に戻った様子。
もちろん、鍛える事も大切だし、たくましい体型はそれ自体で魅力的だ。
しかし、最近は仕事内容は昼夜勤勤務なので、正直、勤務明けや次の日でも疲労感が残っている。 それだけなら、まだ良いのだけど、ギターを弾き始めて1年半が過ぎて、最近は少しでも時間があればギターの練習をしている事。 これが意外と疲れるのである。 ギターは集中力が必要であるし、弾くことも意外と見た目以上に体力を使って居るかも知れない。 さらに、ギターの姿勢も意外と疲れる。 左足を足台に乗せている態勢は身体のバランスを考えるとあまり良い姿勢とは言えないだろう。 片足を常に曲げている状態で1時間、1時間半も同じ姿勢を維持しているのはやはりかなり疲労する。 
さらに、曲を覚える事、運指を考えながら、さらには押えにくいフレット間の移動や曲の表現など、いろんな思考する要素が重なっている。
曲は暗唱(暗記)出来るまではスムーズな演奏は難しい。 完全に覚えるまでには相応の練習時間も必要だ。 
暗唱出来たとして、スムーズに弾けるまでにはそこからさらに多くの時間を必要とする。 基礎練習はあまりしていない。 その時間が勿体ない気もするので、曲中心の練習をしている。 
本当は基礎練習も大切だと思うけど、その時間を入れるとかなりの時間が必要になる。 ただし、その日に初めて練習する時には、指のストレッチなども含めて、スケール練習を少しだけはしている。 
ギターの練習は基本的にはクラシックから始めていて、カルカッシ教則本の練習曲を進めている。 次にジャズギターの練習をする。
これはまだ本当に最初の1歩程度で、今は基本的なコード進行を覚えている。 所謂、バッキングの練習だ。 基本的なリズムでコードをスムーズに押える事が出来るようになるまでこの練習が基本としている。
それから、ジャズのスタンダード曲のソロを少しづつ練習している。
その他に、練習に疲れた時には、ポピュラー曲の練習を入れて、気持ちを癒し、アドリブで適当に弾くなども楽しい。
そうして、午前は1時間半程度、午後から夕方までは2時間半程度の練習をする。 さらに、夜は就寝前に1時間半程度弾く。 
休日は外出する事が無い限り、1日5時間半から6時間程度のギター練習を続けている。 これは仕事の日は24時間という勤務なので、ギターは丸一日弾くことが出来ない。 
勤務明けの日は午後から2時間程度、夜も1時間は弾けることもあるので、週に2回勤務と夜勤勤務などを考慮すると、週多い日で5日、少ない日で4日程度の練習時間を持てる。
平均して1日の練習時間は約3時間半程度だろうか?
週12時間から16時間程度の練習が出来ることになる。 これはギターの練習をしている人の中でどの程度だろうか?
平日は全く練習出来ない人も多々いるだろうし、毎日確実に3時間から5時間程度も弾ける人も居るだろう。
本当は2時間から3時間程度を毎日出来る事が望ましいと思う。
ギターはある程度の時間が経過すると、以前の練習した時のレベルまで戻すにはそれなりに時間が必要になる。 弾き始めはどうしても指はスムーズには動かない。 少しストレッチをする事も大切だ。
私はギターを弾く前にはこうしてPCでキーボードを叩いている。
これは指の運動になるし、ブラインドタッチはそれなりにキーを見ないで打ち込むので、ある意味ではギターにも共通する要素は0ではない。 
さらに、指は全て単独で動かすことになるので、まっ、指のストレッチを兼ねてこうして日記を書いている事も無駄ではない。
ギターの為に書いている訳ではないけど、(この日記を書き始めてからすでに16年が過ぎている)少なくとも、指のストレッチには少しは鳴っているだろうと言う思いだ。
さて、それでは12時の昼食までの時間はギターを弾こうと思う。 

今日はバルサンの日

2021年11月13日 | Weblog
2021年11月13日(土曜日)晴れ
 最近、私のPCの動作が遅くなっている。 これはどうしてなのか? Webでブログを書き込む時はさらに遅く、文字変換の時でもこれまでのスピードを比較すると相当に遅い。
特に複数のソフトを立ち上げている訳ではないので、これは最近のワープロ機能がクラウドで、ネットに繋がっている事も原因なのかもしれない。  IMEの設定の問題だろうか?
それとも、PCの劣化か? 私のPCは購入時からすでに5年以上が経過している。 いやもっと長いか? Win7当初からだから、6,7年程度は過ぎている?
PCの全体的な劣化だろうか? なので、こうして書いているのはWordソフトで下書きしてからWebのブログに張り付けている。
この方がストレスなく書くことが出来るので、以前にも書いたけど、ネット上で直接書き込んでいると、その遅さもあり、かなりいらいらするので、ちょっと面倒な気もするが、誤字や脱字、言いたい事を素直に表現するためにもこれは良いと思った。
自分が書き込んでいる時には、いろんな事を考えているので、話が別の方向へ進んでいる時が多々ある。
最初に言いたいことを書くつもりが、まったく話が逸れている時も多くある。
それはそれでいいけど。 何しろ、これは私の個人的な記録なので、特に誰かに伝えると言う意味合いは無い。

さて、今日は午前中にバルサン(ゴキブリ用の殺虫剤)を家全体に散布する。 昔は毎年1回は散布していたけど、最近はほとんどすることもなくなった。 しかし、最近、ゴキブリを数匹見かけているので、バルサンEX(これはゴキブリ用のバルサンである。)を1階、2階、天井裏の合わせて9個を仕掛けてから3時間程度家を空ける事になる。 
仕掛けたら妻とどこかに出かけるのだけど、まっ、凡そショッピングモールぐらいの場所だろう。
バルサンの効果はどの程度なのかはちょっと分からないけど、少し前には玄関縁がシロアリにやられているので、その効果も少し期待しては居る。 特に天井裏は必須で、天井裏に仕掛けると、壁の中までスモークが届くので、少しは期待したい。
しかし、壁の中には断熱材も入っているので、どの程度まで壁の内側に届くのか? まっ、少しでも届けばいいと思うけど。

そんなわけで、今日は日中はギターの練習は出来ないし、夕方は妻を駅まで送る事になっているし、明日の仕事の準備などをしていると、夜寝る前ぐらいに少しギターが弾ける程度だろうと思う。 
昨日はある程度は弾く時間があったし、一昨日も練習は出来ているので、まっ、今日は致し方無いだろう。 
そんなに頑張らなくてもまっ、徐々に上達してることは実感しているので、今のペースでも十分に練習は出来ている。
今日も天気は快晴で、土曜日の休日なので、外出する人も多いだろう。紅葉の時期なので、紅葉狩りなどの行楽地は賑わっているだろうと思う。 毎年我が家も紅葉の時期には香嵐渓に出かけているけど、今年は行けそうもない気配だ。 今週ぐらいが見頃の時期だし、休みがなかなか一緒にならないので、今年は行けそうも無いだろう。

昨日はフルアコの弦高調整をして、何とか好みの弾き心地になった気もする。 でも、その前にピックアップが緩み、カタカタと音が出たので、時折はピックアップの高さを気にする必要が有るだろう。
弾いている間に緩んで、かなり下に下がっている時がある。
まっ、フルアコの場合にはこうした構造なので、それはそれでちっと面倒な気もする。 セミアコの方が良かったのかもしれないと思ってもいる。
そのうち、セミアコを購入する事も検討しようと思って居る。 
それは来年に定年を迎えて、自由な時間が取れるようになったらそうしたい。

10万円給付について思う

2021年11月12日 | Weblog
 岸田政権は18歳以下の家族が居る家庭に1人10万円の給付をする事を決定した。 960万円の所得制限はあるものの、この上限はあたかも単なる制限はありますよと言う、言い訳が出来るための制限だろう。 
実質的には18歳以下の家庭の世帯主の年収は90%以上はこの所得制限以下である。 これでは制限の意味がないだろう。
世帯主の収入だけで世帯収入とするのもあまりにも不公平だ。
共働きで1800万でも、世帯主の収入が960万円以下なら給付対象になるのは誰も納得できないだろう。
そもそも、18歳までの学童、学生は医療費も無償化されているし、授業料も効率ならほぼ無料、私立でも所得に対応して9割以上が補助されていて、実質的には無償化と言っても良い。 小中学なら給食費や修学旅行の費用、その他にはクラブなどで使う道具やウエアーなどの費用だろう。
塾などの費用はそれはある意味では無駄な費用だ。 別に塾やその他の習い事を無理にする必要は無い。 ある程度余裕がある家庭が子供にそうした経費を掛けるのは勝ってだけど、それが子育ての必須費用と言う考え方は間違いである。 
逆に私は18歳以上の学生(大学生、学院性)への補助を考えるべきだと思う。 大学の学費は高校や私立の中学の数倍であり、今回の対象外になるのはあまりにも政府の考え方の馬鹿さ加減を物語る。
さらに言えば、こうした短絡的な給付金はほとんど意味がない。
その場凌ぎの現金なんて物はほとんど実質的な経済支援にはならない。
今叫ばれているSDGs:Sustainable Development Goals の考え方からもかけ離れている。 一時的に10万円の給付が持続可能な物か???
本当に必要な対策へもっとシフトする必要がある。 選挙公約で現金給付を歌った自公の浅はかな票目当の対策の無責任さを真剣に考えてもらいたい。

さらに言えば、本当にコロナで困窮する人への支援なら、子供限定の対象とすることにも違和感を覚える。 それをするならいろんな税金を徴収している形を変えることの方が公平な支援に繋がる。 ガソリン税や所得税、厚生年金課税、保険税、雇用保険、酒税やタバコ税などなど、もちろん、消費税に関しては物を買った人へ一律に税金が掛かる仕組みなので、私はある意味では賛成である。 税率に関する考え方はいろんな意見は有るだろう。
日本の企業の給料は世界レベルに比較すると相当に低い。 まずは給料が上がる仕組みを作る事が先決である。 なぜ子供が少なくなったのか? なぜ結婚する人が減ったのか? なぜ子供を産む人が減少したのか?
これは全て給料に対して、日本の物価がそれに見合った物になっていない。
例えば、25歳で結婚した世帯主の平均収入は450万円以下である。
さらに、各種税金を差し引いた現金収入は350万円程度だろう。
子供を産んで育てる場合には妻はある程度の期間はほぼ働くことは出来ない状態なので、家賃や食費、光熱費、その他車などの維持費用などを考慮するととても2人、3人とは子供を持つことは出来ない。
さらには将来的な子供への費用を考慮すると、多数の子供を育てるのは無理だ。そうした事を考えているからこそ、子供は作らない、作れない、1人がやっとであると言う夫婦が圧倒的である。 
まずはこうした背景をどのように変える事が出来るのか? それは政府が個人への補助以上に必要な事は、企業が給料を引き上げる事が当然だとする政策が出来るかどうかだろう。 それは日本だけではなく、世界経済が伸びる事が絶対条件である。 しかし、日本の経済はそれ以上に伸び悩んでいるし、そもそも、物価自体が価格競争でなかなか上がらない。 そうなると、企業収益も伸びない、給料へ還元されることもない。 こうした悪循環がずっと続いているのである。 
これは日本に限定した事ではないだろうが、アメリカやその他のヨーロッパなどの物価上昇率は日本の倍以上で、給与上昇率も日本の倍以上だ。
10万円の給付で前回の全人口への給付時には半分以上が貯蓄に回り、消費へ還元されなかったので、景気対策としての給付の意味は無い。
さらに、子供への支給と言いながら、結果的には親に給付される訳で、果たして、子供に使うお金に変るだろうか? 
中にはこのお金で無駄な親のブランド品の購入費用だったり、車を買い替える費用だったり、さらには賭け事に費やしてあっさりと無くなるケースだって大いにあり得る。 
本当に子供や景気対策としてお金を使うならば、全く別のアプローチが必須だと思うのは、当然の事である。 
少なくとも、税金である以上は、税金を納めている全世帯が歓迎する政策でなければ納得することは難しい。 
今の日本には子供を育てる環境が悪すぎる。 学校の教育の在り方や、教員や教師、保育士などの絶対数が足りていないし、預ける場所さえ足りていない。
まずはそうした環境を整える事が優先だろう。 それから、子供を産み、育てる環境が豊かであること。 親の負担が少ないこと、働きながらでも楽に仕事が出来る環境がある事。 
されに言えば、日本の教育は一律に同じレベルにしようとする傾向が強く、各個人の個性や才能をどんどん伸ばすような教育やシステムが無い。
これは日本人の物に対する、各個人に対する意識を変えることも必要だろう。
もっと、各個人の個性や才能を認めて、各自の夢や希望、将来への意欲的な生き方を尊重する意識が必要だ。 
その為の支援を国がもっと優先することも必要だし、そのために必要な資金提供も大切な政策だ。
現状の教育に対する対応は全く機能していない。 コロナ禍で自殺した若い人の数が過去最高となり、女性の自殺者は倍に増加した。
将来に対する不安や希望が見えない日本の将来や現状を改善するのは、短絡的な現金では全く補える物ではない。 
10万円給付は選挙政策であるのは明らかで、経済対策とか、子供支援なんていうような謳い文句で片付けられるのは、税金を真面目に払っている国民に対する詐欺行為だ。
無駄な政策を繰り返す自公民の政権が続く限り、この国の豊かさは訪れることはないし、国民は永遠に貧困の悪循環から抜け出せない。
安倍晋三が安倍派を立ち上げ、そのトップに就いたそうだが、そもそも、政治家の権力行使が目に余る問題の中で、こうした権力優先主義が罷り通るような自民党の内部からは、国民優先の政策なんて生まれない。
政治家の保身のために政治が成り立っているようなこの国には、幸せなんて物は夢のまた夢である。 














秋の快晴

2021年11月08日 | Weblog
 昨日、今日も最高の天気。 気温も今日は23度を超える陽気である。
風もほとんどなく、ポカポカと暖かい陽ざしは気持ちもゆったりと落ち着きを取り戻す。 取り戻すと言うのは、日々の仕事や日常の雑事などでストレスが溜まている心をリラックスさせてくれるからだ。
今日は休みで、家事はすでに朝早く終わらせ、今日一日はのんびりとギターを弾こうと思って居る。 
ギターを本格的に弾き始めて、今年の年末で1年半が過ぎる。 当初はやはり少しでも早く上達したいと言う意欲も増して、ついつい先を急いで練習曲をある程度弾けるようになると次々に曲を弾くことに意識が先走った感がある。
沢山の曲を弾くことでいろんな運指を覚え、左右の指の動きもスムーズに動かすことが出来るようになったきた。
ただ、音楽的な魅力はある程度度外視した感じは否めないだろう。 本当なら技術的な練習よりも音楽的な魅力を出す練習をすべきだろうけど、それはある意味ではプロレベルの技術を取得した人が次のステップで目指す音楽なんだろうと思える。 逆に言うと、私ごときの素人がそのレベルを目指すことが出来るまでのギターの技術を持てるようになるだろうか? 
もちろん、曲の難度を取り払えば、簡単な初心者向けの曲を丁寧に弾き込んで、曲としての魅力を最大に表現する事が出来るレベルになるのはプロでなくても出来るだろう。
そもそも、音楽や絵画などは生活必需品のような消費物質とは違う。
どうしても無くてはいけない存在でもない。 しかし、音楽はある意味では趣向品の意味合いがあり、酒やたばこにも似ているかも知れないと思える。 
音楽が無い世界、絵画、映画、小説、漫画、アニメなどが無い世界は今では考える事は出来ないし、そもそも、音楽は楽譜が無い時代から人が口ずさみ、田畑などでいろんな歌も歌われている時代から存在している。 
それは芸術をいうよりも、人がリズムに乗り、作業を楽しく、スムーズに進められる物でもあったし、道具を使って音を出す事を発見した時から生まれて来たのだろう。 
ギターの歴史はどのぐらいの時代から生まれて来たのだろう?
今の形になったのはそれほど昔の事ではないだろうし、他の楽器でも今の完成(まだまだ進化するだろうけど)した形になるまでにはいろんな職人の努力が必要だったし、これからもギターなどはまだまだ新しい形が生み出されてくるだろうと思える。 
ピアノは電子的な物も含めて、ある程度の形はすでに完成尽くされているかも知れないし、三味線やバイオリン、フルートやその他の楽器などもほとんどが完成されている形だろう。
ギターも基本的には完成されている。 基本的な弦の数やフレット間のオクターブもほぼ完成されている。 
しかし、電気的な要素を含んだギターはまだまだ形を大きく変える事もあるだろう。 
NHKで時折放送される特集ではいろんな楽器の特集があるが、とても楽しみに視聴している。
素朴な音楽との関わりをいろんな人が自分なりに持ち続けている様子を見ると、やっぱり音楽はその楽器の種類に関わらず、生涯に渡って続けたい物だと実感するのである。