summer diary

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読書・・・

2024年02月15日 | Weblog
 何度か書いているが、バイトを始めてから読書は欠かす事が無い物になった。 特別に本を読む事が好きとか、本好きと言う訳でもない。 逆に言えば、本を読む事は面倒だと思っている程である。 
ある意味では、仕方なく読んで居る・・と言えなくも無い。 それまで、(バイトを始める以前は)契約社員で5年間勤めていた仕事では少しは本を読む事もあったが、今に比べると1割にも満たない程度である。 
今は月に4冊は読む事が普通になった。 バイトは週2回程度なので、2回に1冊程度のペースで読んでいる。 以前は絵画関連の専門書や解説書を読んでいたが、今はそうした内容の本で読みたいと思える本が図書館では見つからない。 
今は時代小説を読んでいる。 時代小説の良い所は、背景がほとんど江戸時代の平穏だが、武士や商人、百姓などの生活が今とは違って居る所だろう。 現代のように自由な振る舞いや、生きる価値観、生活環境はもちろんだが、人間の思想が時代に大きく影響されている。 それと、現代の背景を物語にした小説はやはり、いろんな意味でも自分の今の生活との比較をしてしまう。 
物語に対して、批判や賛同に先入観も出て、さらに、なんだかフィクションである・・・事に興味が無くなる。 
言葉にしても、その登場人物の行動や言動にしても、現実にここに生きている者として考えてしまうので、どうも楽しく無い。 
特に時代小説の醍醐味ははやり刀剣による物語の楽しさもある。 代官から同心、商人、その他の庶民による人間模様は時代を超えた愉しさもある。 
もちろん、武士などはほとんど登場する事が無い時代物も面白い物がある。 ただ、歴史に忠実に記述したような小説はあまり興味も無くなる。 そうした、史実を元とした小説は歴史上の著名人が多く登場するが、私は特に史実などどうでも良いのである。 どうも時代小説を読んでいると、そうした歴史好きだと思っている人が居るようだが、実際には歴史などどうでもいい。 
それよりも、当時の時代背景の中であくまでもフィクションの物語の方が登場人物が作家の描きたいように書ける。 そうした、ある意味では架空の人物像の方がより、鮮明に、逆にリアルに写るのである。 
前回借りた葉室麟の2冊を読んだが、この作家の小説はどうしても実在の著名人を主人公にしたり、その他の登場人物も歴史上の人物を描いている点で、少し物語にも面白くない。 それと、どうしても登場人物を作家の思いで描いていない点でも、興味を注がれるような人物像になっていない。 
さらに言えば、この作家は一体何を小説の中で表現したいのか? 作家の表現では無く、歴史上の人物の言葉を多用しているのは理解出来るが、では、作家の思いや表現する意図が見えないし、感じない。 
実在した人物好きな、歴史好きな読者には好評だろう。 しかし、物語としての面白さには欠けると実感した。 今後は読む事がないと思えた作家である。 
もちろん、たかが2冊程度読んだ程度で早計に結論づけるにはどうかとも思うが、好感が持てない作家の本を何冊も読むつもりは無い。 
所詮、バイトの時間(何もする事がない余裕の時間)をやり過ごす為に読書をしているに過ぎない。 暇なので読んで居るのに、その暇な時間をさらに面白くない本を読んで過ごすつもりは毛頭無いのである。 
さて、その前回借りた本の中で次も借りようと思ったのは 梶よう子の時代小説はまっ、面白い内容だろうと思った。 ただ、所謂、剣客の話、剣を交えるような戦いの場面は皆無の作家だ。 
そうした愉しさは無いが、登場人物の面白さや人間性は好感が持てる。 まっ、今日は3冊の本を返却して、再び2冊程度を借りて来る事にしている。 辻堂魁も面白いが、Audibleで多く聞いているので、なかなか読んで居ない本は残されて居ない。
藤沢周平ぐらいを借りようかな・・。 山本周五郎はほとんど読んだので、読んで居ない本が図書館に残って居ないだろうし。 
まっ、本は読んでみないとなんとも解らないのは仕方ないのであるが。 何冊か借りて(4冊程度)半分読めたら良しとする程度でも良いだろうか? 少し読んで、面白く無いなら読まないで、次に本を読むのも悪くないと思った。 今回も1冊は半分まで読んで読む気が無くなり、読まなくなった物もある。 
澤田瞳子の「腐れ梅」、それと、前回も葉室麟「蝶のゆくえ」も途中で読む気が失せた本である。 
これはあくまでも私の評価であるので、作家に対する悪評ではない。 おそらく、好きな人にはこうした小説を好む人も多く居るだろうし、作家として、膨大な資料から、又は取材などで構築する物語だろうと思うが。 ただ、私にはそうした史実などどうでも良いし、興味ない。 
歴史上でどんなに著名な人物だろうと、そんな物は興味ないのである。 問題は小説の中の人物像であり、物語の面白さがすべてなのである。 
時代の解説書を読むつもりもないし、小説と言う物語(フィクション)にある意味では実在した人物が登場するのは少し面白みに欠ける。 
もちろん、信長とか、秀吉とか、家康とか・・・その他の家臣なども登場する事もあるだろうが、そうした誰もが知る尽くしている名前が登場するのは別に良いのであるが。 
ほとんど専門家しか知らない様な実在の人物像などをある意味では忠実に記述する意図が私には意味がない。 作家の趣向そのものを読まされている様な物は要らない。 葉室麟もそうした傾向が強く感じる。 作家の趣向をいろんな資料で調べた結果を書いている様な物は面白くない。