お金は生きていく為には相応に必要な物である。 自給自足でなんでも自分で食料を採ったり、済む家を作ったりした時代はともかくとして。
今は特に高齢社会になり、老後の生活資金にも心配事が増えている。 仕事をリタイヤしてからの人生も昔よりも遙かに長く、身体が思うように動かなくなってからも、さらに生きる時間は長い。
現役で仕事をしている時でも、生活を維持するにはそれなりに必要なお金は少なくない。 子供を育てる事も、今はいろんな習い事や高校や大学になると、相当な資金が必須の世の中である。 両親が共働きをしてなんとか子供を育て、家のローンを払い、それなりに今では当然の生活レベルを維持する事は簡単では無い。 現役時代にどれほどの資産を残す事が出来るのか? 親から譲り受ける事が出来る人は別として、そうでない者は何もない所から積み重ねる事になる。
子供達がひとり立ちして手が掛からないようになってから初めて貯蓄が出来るようになるのである。
私達夫婦もそんな事で、子供達が所帯を持ってからようやく貯蓄が出来る様に成った。 そして、今は贅沢では無いにしても、日帰りや泊まりの旅行にも時折出かける事も出来ている。 貯蓄も今はそれなりに順調に出来ている。 もちろん、それも何時まで継続する事が出来るかは解らないし、妻も後3年で今と同じように働く事は出来ないだろう。 もちろん、その後は妻も年金収入も入るので、それなりに補足出来るだろう。 それでも、今と同じように貯蓄が出来る訳ではない。 ただ、貯蓄を減らしてしまえば、今と同じ生活レベルを維持する事はそれほど難しい事でも無い。 そして、それまでの預貯金を崩す必要も無いだろう。 貯蓄を続ける事は難しいが、それでも少しは出来るだろうと算段している。 どの程度の預金が必要なのかはともかく、お金を残す必要はない。 最低でも2人の葬式費用ぐらいは残す事で、子供達に負担を掛ける事が無いようにしたいと思っている。 その程度ならすでに十分にある。
妻は何かにつけて、お金の無駄使いなどと言い出すのであるが、何が無駄使いなんだろうか? 先を見据えての預金や投資は悪いとは思わないが、無駄なお金の使い方などありはしない。 どんなお金の使い方であろうと、お金の為にお金を使う事で無い限りに置いては、自分達が満足して、生活が豊かになる事に使うのであるなら、それは無駄では無いのである。
私には姉が4人居て、今も全員健在に生活をしている。 2人は夫を亡くして、今は子供達や孫達と過ごして居るが、それでも独り暮らしを続けて居て、未だに仕事も継続している。
姉達はとても仲が良く、頻繁に食事をしたり、旅行に行ったりして楽しんで居る。 それほどの貯蓄があるわけでもないが、それでも、可能な限りに人生を楽しんで生きている。 人生はそれなりに頑張って要る限り、楽しく過ごす事はそれほど難しい事では無い。 もちろん、身体が動けなくなった時はどうするのか? でも、そうなったら、もう、あれこれと欲などどうでも良いことで、おいしい物を食べたいとか、旅行に行きたいとか・・・。 もうそんな思いなどどうでも良いだろう。 と、私は今は思って居る。
妻にもいつも言って居るが、やるべき事をやっている以上に無理をする必要は無い。 それよりも、健康で身体が自由に動けるまでは好きな物を食べて、好きな事を可能な限りして、行きたいところに遊びに行って、必要なお金を使う。 お金は貯める為にあるのでは無い。 使う為にあるのである。 使い道があるからお金が欲しいと思うし、使わないお金は何の意味も無い。
子供達に残す事はそれなりに理解出来るが、自分達がやりたい事を成さないで残したお金をありがたがる事は無いだろう。 両親が好きな事も我慢して残したお金を受け取っても、果たして本当に心から喜べるのか?
逆になぜ、もっとお金を使って、好きな事をしなかったのか? なぜもっと、自分達の為に使わなかったのか? もちろん、仮に少ないお金でも子供達はそれなりに嬉しいかもしれないし、孫達に使えるお金が増える事は嬉しいだろう。 しかし、それはあくまでも、無理する事無く残った物である事だろう。
お金の使い方は人それぞれなので、一概に決めるなどと思わないが、私はお金はそれ自体に意味が無い物だと思う。 もちろん、お金がお金を生む社会出あることも承知している。 投資などはそうだろう。 元金が含み益を生んで、さらに増える事で、生活資金に余裕が生まれる事も承知だ。
政府も今は積極的に投資を促しているしまつ。 老後に必要な資金がどれぐらいだとか、現役時代から預貯金をして、老後に備える事が大切などと・・・。 年々増え続ける介護予算や、年金予算、医療予算、子育て予算などなど。 人口の現象が始まってから、税収は年々下がり続けて居るし、経済は低迷を続けていて、さらなる税収が減り続けるだろう。
逆に高齢社会は続き、より多くの介護資金、年金資金、医療資金に税を投入する必要がある。 年々赤字国債を増やし続けて居るし、将来、その借金を返す当ても全くない。
投資をして、出来る限り生活維持に必要な資金を自分達で確保して欲しいと思うのは、政府がこのまま公共の資金を捻出出来ない事が解ってるからだろう。 今のままではいつかは国は持たなくなる。 世界一借金が膨れ上がっている日本は将来どの程度維持出来るだろうか?
年金額の減少は間違いないし、医療費負担も増え続けるだろうし、物価は高騰を続ける事は間違いないし、食料や原油、その他の生活に必須な物資は海外からの輸入が頼りだ。 しかし、地球環境は悪化を続けて居る。 もう、おそらく、元に戻る事は叶わないだろう。 世界的に食料飢饉にさらされる事は以前から言われて居る事であり、原油もいつまで今のまま維持出来るだろうか。
日本は生活を維持する必要な物を自給出来ない国になった。 ほとんどの物が外国からの輸入品で賄っている。 世界的な環境の変化で、自国ですら賄う事が出来なくなった時に、果たして、日本にそうた物資を売ってくれるか? 仮に売るとしても、それを買うだけのお金が日本にあるか? 日本の国民が必要な物を買うだけの資金を持てるだろうか?
収入の3割を税金で徴収されているような現状で、果たして生活を円滑に維持する事が出来るだろうか?
年金生活者の私ですら、介護保険、国民保険、市県民税だけで月に数万円の負担がある。 この負担額が0で合ったとしても、生活レベルは最低だろう。 そこにこれほどの税金で差し引かれるとなると、年金だけで生活するのは不可能だ。 そうなると、車を維持する事も出来ないし、固定資産税も払えなくなるし、スマホなど持てないだろうし、当然、遊びに行く事など到底無理な話である。 光熱費、食料、その他の雑費だでを補う事すらできなくなるだろう。
もちろん、働ける間はまだなんとかなるが、働けない身体になったら、果たして、生活を維持する事は出来るだろうか?
まっ、そうなったら死ぬしか無いだろうが、自分で死ねる程の覚悟はまだ無い。 その時になったら解らないが、その時になったら考えるとして。
さて、そんなに先の事をあれこれ考えても意味もない。 今は毎日、出来る事をして、やりたい事を優先して、可能な限り楽しむ事をする事だ。
先の事を憂いてもしょうもない。 なるようになるし、ならねばそれに任せる以外にはないのだから。
さて、今日もバイトである。 特に日中は用事もないし、今日もギターの練習をして、過ごす。 それと、筋トレも再開する。 一昨日には少しトレーニングをしたが、本当に久しぶりで、今でも少し筋肉痛になっている。 それでも、これから1ヶ月程度で筋肉痛も出なくなるだろう。
これまでも何度か休止してい時期があり、何度も同じ事を経験しているので、これはすでに想定している。
3月、4月、そして5月も一泊で遊びに出かけるので、それまでにある程度まで身体を鍛えておきたい。 温泉では裸になるし、情けない身体をさらしたくないし、5月は兄弟や親類と一緒なので、5月までにはそれなりに鍛えた身体に戻して置きたいと思って居る。 まだ2月中旬なので、5月までは3ヶ月ある。 3ヶ月あれば、以前と同じ程度までは戻せるだろう。
以前は夕方にトレーニングしていたが、やはり夕方は疲れなどもあるし、バイトならいろいろと時間も気になるので、今日からは昼の食事前に終わらせる事に決めた。 ギターの練習の休憩時に丁度良い時間だろうと思う。
多少、汗は流しても、昼ならそれほど気にならないし、昼前ならトレの後に食事をするので、丁度良いだろう。
今日から週3回。 最初は10分でも良いし、身体が慣れて来たら15分、20分、25分と増やして行こう。
これも何度も経験している。