summer diary

日記らしきページ

日中の暑さ

2009年09月22日 | Weblog
 朝晩の涼しさは先日書いたけど、日中はまだまだ暑さが厳しい。
身体を動かして仕事をしていると、日中の暑さは夏と同じ程度に感じる。
まだまだ秋には遠い毎日を過ごしている。 シルバーウィークと言われているこの連休だけど、私の会社は自動車関連の企業なのでまったくSWなんて関係なく仕事です。 なんで、休日にしないのか??? 以前から思っていることだけど、土日休みは当然でしょ。 そして祭日も休みにすることは必須でしょ。なんでそんなに生産したいのか? 本当に祭日に生産しないと経営に影響があるのか?
なんか違うような気がする。 単純に社員を使うこと、働かせることに意味を見出しているだけの理念が働いているのではないか。そんな気がしてならない。
所謂、政権も装だっけど、いままでこうだから、このさきもこうだ。みたいな既存の常識を続けている程度の甘い考え方だからこそ、今回の世界的な金融破綻でも対応できないツケを払うことになったのではないか。
個人の、一社員の幸せを念頭においていない、企業の都合だけで運営される会社はいずれは滅びることになるような気がしてならない。
なによりも、個人ではなく、企業の利益優先主義は結果的に働く意欲や、品質や生産性を低下させる最大の要因であることを真剣に考えた方がいいと感じる。
ただし、悲しいことに、企業のトップは所謂、貧乏生活や、実際に現場での汗をながしていない人間ばかりであり、所詮、本当の現場なんてものを体感していない、
円卓の上で体感する絵空事でもあり。
本当の企業が大切な土台となるべく一社員を真剣に考えてなんていない。
と感じるのは結構外れてはいないと思う。

世界一とか日本一とかにどうしてとらわれる必要があるのか。
人より上を目指す必要がどこにあるのか???
その価値はどのようなものなのか。
所詮、人より・・・・・なんてのは、他人あっての問題で、じゃ、人が居ない
自分だけの世界なら一切努力することは無い人間の話でしょ。

そうではなくて、自分に対して本当に努力すること。自分の信念に従って生きていくことは他人なんて居ても居なくても関係ない次元ではないでしょうか。
ぼくは、少なくとも、他人がこうだからとか、今この服が流行しているとか、今はこうした時代だからとかで自分の好みや生き方やこだわりを曲げたいと思わない。
他人はどうであれ、自分の感性、自分の信じる方向をしっかりと持つことができるように日々を過ごすこと、自分を成長させることが生きていることの意味と考える。

秋らしい

2009年09月20日 | Weblog
 朝晩の涼しさはすでに秋であることを感じる。日中はまだ半袖シャツで十分だと思うほどに暖かい日差しがさしているが、草花、木々などを見ると秋の始まりを知ることができる。 セミの泣き声はすでに聞こえなくなり、赤とんぼも姿を消している。 今日は犬の散歩でへびを見た。 それほど大きくないけど、まともに見るのは久しぶりで、ちょっとびっくりしました。 最近、へびと何度か遭遇していましたが、今日は頭から尻尾まで完全に見ることができるほどでした。へびは小さいときから苦手としていて、みるだけでもかなりびっくりします。例年ではこれほど遭遇することもなく、またここ何年も見てなかったので、今年は梅雨が長かったことや夏らしくない天候が続いていたことが要因となって、へびが生息するには都合が良かったので、去年より数が増えていることがへびと遭遇することが増えてんじゃないかな~って思います。 これは良い兆しの前兆なのか、それとも悪い兆しの前兆なのか解らないけど、何かが変化する兆しかも・・・とも考えています。ともあれ、確かに政権交代が実現して、政治が変わることは間違いないでしょう。どのように変化して、生活や景気、福祉などが向上するんだろうかと思っています。

秋らしくなってきました

2009年09月12日 | Weblog
 最近は朝晩の気温がグッと下がってきて、エアコンは皆無。寒さを感じるほどの季節になってきました。今年の夏は梅雨が長かったこともあり、夏らしいと感じる記憶がほとんど無く、なんとなく過ぎてしまった夏です。これからは秋を感じさせる季節になり、鈴虫やコオロギなどの虫の音が夜になると聞こえています。  政権交代が実現して、これからいろんな事がいままでと違った形で生活を変化させていいく事でしょうが、以前として景気回復には程遠いと思います。それは政府の問題でもなく、常に右肩上がりの生活が続いていくこと自体が不自然でもあり、この先は今が底辺であったとすると、これ以上の底がないことだけでも十分な先行きじゃないかと思っています。 私も若くない年齢になり、この先いつまで人生を送ることができるか解らないが、少なくとも、今目の前にある「やらなければならないこと」が優先されるのは当然であり、自分の意思が何所にあるのか?自分とは・・・なんてことを模索するような余裕なんてなく、家族や自分のために今をそのまま生きることだけで24時間を過ごすことに追われている。 それも人生だし、逆に自分の描いた生き方が出来ていたとしても、たぶんそれ以外の人生を思っていることだろうと・・・・。そんな訳で、一つしかない人生だから、どんな風に生きていたとしても悔いがない人生なんて有り得ない。 何度も同じ時間を繰り返すことが出来るなら、人生は悔いが無いかもしれない。ホームランを打てるまで打席に立って打つことができるなら、野球はまったく魅力がなくなるし、なんどでもパットができるならゴルフもまったく興味なくなり、すべてのものがその時にその瞬間にしかないからこそ感動となり、忘れられない思い出として記憶されることになる。