クラシックギターを弾き始めて半年が過ぎた。
半年と言うのはちょっと違うかもしれない。 それは、本当に初めてではないからだ。 若い時にはアコギは数年間、クラシックギターも数年間弾いた経験がある。 それから数十年が過ぎて、再びギターを弾き始めてから半年である。
なので、初めてではない。
しかし、その数十年の月日はギターの経験なんてものは、ある意味ではただの悪い癖だけだったかもしれないと思わせる。
なので、今は本当の意味では、初心者として、愚直に真摯にギターと向き合う日々である。
コロナ禍で見つけた私の残された余生を充実させる物がギターだった。
この先、コロナの収束は1年後か2年後か、それとももっと先なのかは知れない。 私は2年後には仕事は辞めて、毎日自由に時間を使う日々が来る。
2年後にギターがどこまで弾けるようになっているのか知ることもないけど、少なくとも、今手元になる数冊の教則本の全ての曲は完全にマスターするつもりだ。 さらに、その後はもっと難しい曲に挑戦し続ける毎日を過ごしたいと思う。
ギターを完全に弾き熟すことは、永遠の課題だろう。 余生を生きる私が到達する領域はどこまでだろうか?
今、手元にある教則本ですら、相当に時間が必要な気がしている。
さらに、体力的にもどこまでギターを弾くことが可能だろうか?
ギターは意外と体力も必要だと言うことは実感している。 それまでは、筋トレを私の趣味の優先順位1位の座に置いていたのだけど、今はギターがその座を獲得している。 ギターを優先した事で、これまでのようにトレーニングをする時間や体力が減少した。 ギターを弾くことは意外と精神的にも体力的のも疲労するのだ。
もちろん、どちらもそれなりに調整することで、両立することは可能だし、今はまだ仕事が生活の中心なので、お互いに時間や体力を使うことに限りがある。 あと2年は今の状態が限界だろう。
しかし、2年後からは、ギターもトレーニングも今の倍以上の時間を費やすことも可能となる。 それまでに、ギターは基礎トレーニングと思って、基本を忠実に練習しようと決めている。 筋トレもあまり無理をすることもなく、今の筋肉を温存することで納得する。
今日から週末にかけて、気温は春らしい陽気になる予報。
今日も日差しはたっぷりと注ぎ、春めいている。 それでも、朝晩の冷え込みは冬らしい寒さを感じる日々だし、心地よい陽気が訪れる日はまだ先だろう。
春の日差しを感じながら、気持ちよくギターを弾くのも楽しみだし、そうした時間を持てることも感謝する。
去年は1本のギターを手に入れ、今年の始めにも1本のギターを購入した。
これからはこの2本のギターを交互に弾き続けたい。
どちらも私には十分満足できるギターだ。 互いに特徴が違うので、弾く楽しみも増えた。 この先もこの2本のギターは私と一緒に時を刻み続けるだろう。 そして、本当に楽しく弾くことが出来る日々が来る事を願うのである。
新型コロナの影響は恐らくこの地球の全ての人々に様々な人生の変革をもたらしただろう。 私もこのコロナによって人生が変わったと思う。
コロナが無ければ、ギターを再開する事はなかっただろう。
さらに、ギターを新しく購入することなど想像もしていなかった。
さらに、筋トレでジムに通い続けているだろうし、生涯、ジムに通い続けると決めていたのだ。 バイクでのお遍路も生涯の私のライフワークにしようと決めていた。
そうした物は大きく変わり、嫌、変わる必要が有った。 今は家でギターを弾くことが唯一無二の私の生き甲斐となっているし、そう決めた。
トレーニングも家で出来るようにそれなりに器具を整えて、週2回程度のトレーニングを熟すことにしている。
今では以前と違う人生の目標を見つけ、違う生き甲斐を定め、将来の目的すら変わった。 生活事体が大きな変化はない。 幸いにも、収入面では変わることもないし、仕事も全く変化することもない。 もちろん、2年後には仕事をすることもない日々を過ごすことを決めている。
これまでの人生はそれほど大きな変化はなかった。 生活が困窮したり、逆に余るほどの余裕が生まれたりするような出来事もないし、ある意味では普通の人生を送ってきた。 毎日仕事に出かけ、二人の子供を育て、夫婦で仲良く暮らす日々をこれまで過ごして来た。
これからも夫婦二人で協力して生きて行くし、子供達も巣立ち、お互いに支えあう事が大切な時が来るだろう。
そして、それほど遠くない未来は死を覚悟する日も来る。
今自分のやりたいこと、やるべきこと。 近い未来をどのように生きる事を望むのか。 年齢を重ねる度に、これからの人生の過ごし方を考える事が多くなる。 若い頃のように、今を生きる事が精一杯の日々とは少し違うと思う。
今ももちろん、日々の生活を精一杯生きる事に違いはないけど、残されている時間は大きく違い、これまで以上に時間を大切に思う気持ちは増した気がする。 なので、無駄に時間が過ぎる事に何か焦りすら感じる。
自分が描く未来の為に、今の時間を使いたい。
しかし、未来は今の連続であり、今を生きる事が未来を創ることになる。
結局は、未来を大切にすることと、今を大切にすることは同じで、少なくとも、自分の人生を考えると言う点では何も変わることもない。
未来の為に今を犠牲にすることはないし、今を優先しても未来を犠牲にしている訳でもない。 互いに同じ次元にあり、そして、どちらも自分の意思がそこには歴然として有るのだ。 今と未来を同軸に想像することは、常に最善の今を生きる事に繋がる気もする。 さらに、常に自分の直感を信じる事を忘れることが無いようにしよう。 いろんな情報が飛び交う今の世の中で、他人が与える情報に翻弄される事は自分を見失う最大の要因だ。
誰でもない自分の人生を自分で決める事が今も将来も自分のイメージを実現するためには必要な事である。
自分の直感こそが、人生を豊かにする選択であり、判断になる。