(日テレニュースより)
成田国際空港会社・田村社長「望ましい空港が実現するために必要な土地」 空港反対派“やぐら撤去”強制執行着手受け
成田国際空港会社・田村社長「望ましい空港が実現するために必要な土地」 空港反対派“やぐら撤去”強制執行着手受け
今回の強制執行について、成田国際空港会社の田村明比古社長は、「理想を言えば、ああいう形(強制執行)ではない解決がのぞましかった」としたうえで、「執行にあたった関係者には御礼申し上げる。引き続き、空港の安全・安定的な運航に取り組んでいきたい」と述べました。
やぐらの撤去などが行われたのは「B滑走路」の近くの土地で、この土地などを反対派が占拠しているため、滑走路につながる「誘導路」が「への字」型に曲がっている要因となっています。「誘導路」は直線の方が飛行機が円滑で安全に運航できるため、パイロットの負担も軽減できるといいます。(以上、報道記事)
「執行にあたった」機動隊や、機動隊の陰にかくれて「執行宣言すら市東さんに伝えなかった」執行官には感謝する、とする一方、祖父の代から生まれ育った農地を奪われた成田農民、市東さんへの謝罪の言葉も反省の言葉もありません。官僚からの天下り社長、田村氏、まるで人の心がないようです。
親子三代100年耕した農地を奪われた成田農民、市東さんへの謝罪の言葉は一切なし、元運輸大臣(今の国交大臣)や元NAA社長は農民に謝罪し、「二度と強制収用はやらない」と約束していたのに
今回の強制収用について、NAA田村社長からは、親子三代100年耕し続け、自分が生まれ育った広大な農地を奪われてしまった成田農民、市東孝雄さんへの謝罪の言葉も、「二度と強制執行はしない」という元運輸大臣や元NAA社長の約束を破ってしまったことへの反省の言葉もなく、天下り官僚の「悪代官」ぶりを際立たせた会見となりました。
「国家にさからう農民はふみつぶす」という今回の強制収用が、如何にひどいものだったか、如何に法を無視したものだったか、このブログの記事
100年耕した成田農民の農地を機動隊が夜襲で奪う - 住みたい習志野
で改めてふりかえってみると…
➀三代100年にわたって耕した農地。農地法では「耕作する者に権利があり」、耕作者(小作者)の同意を得ずに売買することは許されていなかった。
耕してもいない「名目上の地主」が、農業をやるはずもない「不在地主」NAAに売却することは法律違反
「(親父は)インパール作戦に投入されてビルマで敗戦を迎えました。敗戦と同時にイギリス軍の捕虜となりマンダレーの収容所に送られました。そのため復員は随分遅く、戻ってきたのは1947年(昭和22年)8月、32歳になっていました。ビルマの戦地は「白骨街道」と言われた激戦地だったので、家では戦後もずっと親父が生きているのか死んでいるのかさえわからなかったといいます。
私の家の田畑は、戦前はすべて小作地でした。敗戦直後の農地改革によって自作地になるはずでした。
ところが親父の復員が遅れ、農地改革の真っ最中に不在だったため、いろいろと不利な扱いをされるようなことが重なって、天神峰と南台の小作地は地主の保留小作地として扱われ、解放されないままになってしまったのです。」(市東さんの言葉)
➁「国家犯罪=国策裁判」で、空港公団(NAAの前身)は土地取り上げのため、文書偽造、証拠かくし、証人かくしをやりたい放題やったので、本来NAAが刑事罰を受けなければならない。
文書偽造問題とは、問題になっている天神峰南台(てんじんみねみなみだい)の市東家の畑の底地について、旧地主であった藤﨑政吉氏から当時の空港公団(現NAA)が1988年4月に買収する時に、市東さんの畑について、境界を確認し、面積を確定するための「境界確認書」「地積測量図」「同意書」を空港公団(現NAA)が、署名と印鑑を偽造して違法に作成した事件を言います。
NAAが証拠として提出したのは、1988年に旧地主藤﨑と東市さんとの間に交わされたとする「同意書」「境界確認書」と添付された図面、しかしこれらはすべて偽造文書。
親子三代100年耕して来た農地、戦後の「農地解放」で市東家の土地になるはずだったが、兵隊に取られ、復員が遅れたために「小作人」のままになってしまっただけ。「地主」の藤﨑氏は「名目上の地主」に過ぎず、そもそも「農業」をやるはずもないNAAが「名目上の地主」の藤﨑氏から土地を買収して「不在地主」になることは農地法で禁じられていた。更に耕作者の市東さんの承諾を得ずに買収することはできない。
そこで「境界確認書」や「同意書」を偽造し、しかもNAAは藤﨑氏から市東さんが耕作している農地を買収したことを、15年間も市東さんに隠していた。
まさに二重三重の犯罪行為を行ったわけです。
➂運輸大臣も前NAA社長も農民に謝罪し、「二度と強制収用はしない」と約束したのに、国交省天下りの今の田村NAA社長は、これらの約束を全く無視し、今回の強制収用に踏み切った
1989年11月30日、江藤は、運輸大臣(今の国土交通大臣)として成田空港問題について「地元への不十分な説明が問題の長期化が原因」と答えて遺憾の意を表明する文書を郵送し、その旨を12月4日に会見で発表した。運輸大臣が公に成田空港問題について過去の誤りを認めたのはこれが初めてである。 江藤は1990年1月30日に現地を訪問している。江藤の来訪に気づいた老人が手筈通り道路に飛び出して土下座し「これ以上農民を苦しめないでくれ」と訴えると、江藤は自らも膝を地面につき、老人の手を取りながら話し掛けた。1時間半ほどの会談の中で江藤は「強制収用は念頭に置かず、誠心誠意やっていく」と話した。
2005年にはNAA社長黒野氏が「皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやらない」と謝罪しました。だから市東孝雄さんは「安心して農業を続けられる」と、実家に戻り、農家を継いだわけです。
つまり、官僚天下りの田村社長は、これらの約束を完全に踏みにじり、「夜襲」で暴力的に市東さんの農地を取り上げてしまい、丹精込めた豊かな農地を重機で破壊し、「更地」にしてしまったのです。
利用者激減で成田空港は3年間大赤字。コロナ後も元には戻らない。「成田空港不要論」も出る中、あせって今回の「農地強奪」を行った田村社長
今回の強制収用のニュースについて、ネットにはこんなコメントも書き込まれています。
「今の羽田空港を見れば、成田空港を作る必要はあったのだろうか、と考えてしまう。 当時、羽田空港は拡大出来ないと考えて、成田空港を計画したはずです。しかし、羽田空港は随分拡大されました。これからも、さらに拡大されるでしょう。 結果論になりますが、一番の問題は、羽田空港の未来を予想出来なかった事でしょう。二番目は、失敗を認めなかった政府でしょう。 警察官も亡くなりましたが、反対派もなくなりました。」
「成田は不便だから閉鎖して返してあげれば
羽田拡張して川崎あたりまで作ればいいんじゃない」
(NHKニュース)
昨年11月、航空需要の大幅な減少、大赤字に「非常に残念」と、危機感をあらわにしていたNAA田村社長
成田空港会社はことし9月までの中間決算を発表し、新型コロナウイルスの影響で中間決算としては3期連続の赤字となりましたが、水際対策の緩和で航空需要が回復したことなどから赤字幅は縮小しました。
今年度1年間の業績予測では、中国の水際対策など新型コロナの影響が続くとして、330億円の最終赤字となる見通しを据え置きました。
田村明比古社長は「非常に残念で、早く改善しなければいけない。入国者数の上限が撤廃され個人の外国人旅行客の入国も解禁された先月11日以降の需要の伸びに期待したい」と述べました。
結局、
● 航空需要の大幅な落ち込みの中「成田不要論」を何とか打ち消そうと、今までの約束も何もふみにじって、「やってる感」を出す
●「台湾有事で成田空港を軍事利用する」という政府の目的に沿うようにする
● 50年以上、全国の反戦平和の砦になっている成田闘争をつぶし、「軍事国家」に突き進む
などの理由で今回の暴力的土地取り上げを行った、と言えるでしょう。
市東さんの農地と有機農業はどうなる?
Bの畑(天神峰)は今回奪い取られてしまいましたが、Aの畑(南台)は健在です。
(政府とNAAはこの土地も奪い取り、市東さんが親子三代100年住み慣れた土地に住めなくしようとしていますが…)
今後、このAの畑(南台)を中心に有機野菜を作り続けていくようです
(南台の畑)
今回の強制収用で、長年丹精して耕し、我が子のように有機野菜を育てて来たBの畑(天神峰)やビニールハウスは土足で踏み荒らされた上、更地にされ、使い物にならなくされてしまいました。同じ敷地にあった作業場や小屋も壊され、鉄板で囲まれ、中に入れなくされてしまいましたが、今後産直野菜作業場の再建作業を行っていくそうです。
(今回奪い取られ、鉄板で囲まれてしまった、天神峰の畑、ビニールハウス)
国家の横暴に屈しない農民魂。「闘魂ますます盛んなり」この言葉は父、市東東市さんから息子、市東孝雄さんに受け継がれています。
海外でも注目される市東さんの闘い(イタリアRepubblica)
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50年前、成田でミャンマー軍部のようなことをやっていた政府。また農地を暴力で取り上げようとしている。 - 住みたい習志野
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これから種まきシーズンで、その前に取り上げてしまうとは怒りでいっぱいだ。
市東さんは、育苗ハウスとか、農機具小屋、出荷のための作業小屋、休憩のプレハブ小屋やトイレなどすべて壊されてしまった。 ベトナム戦争の村落焼き討ちみたいだ。
もう1か所の南台農地も、結論ありきのインチキ裁判やって、早急に打ち切り、奪おうとしている。
市東さんは土地がある限り、農業を続けるという。意地ではない。農民は、春が来たら種をまき、毎日手入れをし、収穫し…の暮らしをしている人たちだ。市東さんだけではない。成田の新しい滑走路の拡張のために、空港周辺の農家がすでに買収されたのに、自分の田畑を耕し続けている人たちがいる。売って引っ越して終わりではない。耕作地がある限り、耕すのが農家の人たちだ。
ウクライナでも、戦地で麦の種を蒔く農民がいる。
世界の人たちがその麦を心待ちにしている。農地を金にかえてはいけない。耕作地は耕す人たちのもの。
その当たり前を、自民党政府が壊してきた。
福島では、原発の処理水を年内に海洋放出しようとしている。日本政府は薄めるから大丈夫というが、科学的証拠をださない。地元の漁協は一貫して反対。海なので近隣諸国や環境BGOも反対している。漁民が体を張ってでも反対するのは、風評被害とか補償金の問題ではない。漁民にとっては海は生活手段。陸に上がったら根こそぎ奪われる。
農民や漁民の生きざまをちゃんと理解しよう。自民党政府は、農地や海を取り上げて、私たちの未来をどうしたいのかを示さない。どんな政策も最初に予算を決めて、何に使うかは統一地方選後に決めるそうだ。
NAA社長は、農地強奪で「安堵した」そうだ。この空港公団=NAAは、株主98%が国で、トップは天下り。成田空港のことなんか考えちゃいない、利用者の安全や利便性も。自分の地位を維持するだけに知恵を働かせる。
市東さんの農地の使い道は決まってないのに、自分が安堵するために、大量の県警機動隊という暴力組織を動員する。
強奪しても誘導路をまっすぐするのは、他の反対農家の所有地があったり、地主を特定するのも大変な開拓道路という共有地があるので無理だ。強奪が快感なんだろう。有機農業やってる優良農地は、フェンスに囲まれてほったらかしにされる。
2月15日はもうすでに、令和の成田闘争と呼ばれているが、次は南台の成田闘争。その次は他の所有者の農地の成田闘争。その次は開拓道路の成田闘争。成田闘争は、ノーエンド。
私は、闘う農民や漁民と寄り添っていきたい。
そのためには、まず、緊急事態法を作ろうとしている自民党政府を倒さなきゃ。
この春は、令和の成田闘争を経て、あなたの本気が問われているのですぞ。