住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

100年耕した成田農民の農地を機動隊が夜襲で奪う

2023-02-15 23:50:00 | 成田闘争

100年耕した成田農民の農地を、機動隊が夜襲で奪う

(YouTube朝日新聞デジタル)

 成田空港B滑走路の誘導路脇にあり、空港反対派の農家が耕作してきた土地(千葉県成田市天神峰)の明け渡しをめぐり、この土地(約4600平方メートル)の農機具小屋やビニールハウス、空港反対の看板・やぐらなどの強制撤去の動きがあるとして、空港反対派や支援者が15日未明、抵抗のため集まった。午後には学生を含め約100人にのぼった。同日夜、強制執行が始まった。

 農家は、三里塚芝山連合空港反対同盟北原派の市東孝雄さん(72)。祖父の代から、3代にわたり、この土地を賃借するなどして営農を続けてきた。15日午前3時過ぎ、市東さんは「ここは俺が生まれた場所。農地と一緒で自分の一部だよね。空港会社は、傲慢(ごうまん)なやり方をずっとやってきた。一番ひどいのは、おやじにだまって底地を買って、明け渡せ、と。そのやり方が認められない」と思いを語った。

(NHKニュース)

成田空港滑走路近くの建設反対派の建物など 強制撤去執行へ | NHK

成田空港滑走路近くの建設反対派の建物など 強制撤去執行へ | NHK

【NHK】成田空港の建設に反対するグループが、滑走路近くの土地に設置している看板や建物などについて、裁判所による強制的な撤去が、1…

NHKニュース

 

強制的な撤去が15日夜に執行される見通しとなったのは、成田空港のB滑走路近くにある4600平方メートル余りの土地です。

この土地は、空港に反対する男性が農業を続け、作業場などを設置しているほか、空港に反対するグループ「三里塚芝山連合空港反対同盟」が、看板や建物を設置するなどして活動拠点としています。



土地を所有する成田空港会社は、反対同盟に対して、看板の撤去や土地の明け渡しを求めて裁判を起こし、東京高裁が去年9月、反対同盟の控訴を棄却し、判決の確定前に強制執行ができる「仮執行宣言」を付けていました。

この「仮執行宣言」に基づき、15日夜に、裁判所による強制執行が行われる見通しとなったことが、関係者への取材で分かりました。

反対同盟の拠点が撤去されれば、2017年以来となります。

成田空港会社は、この土地を活用して、現在、「へ」の字型に曲がっている誘導路を直線化したい考えですが、土地の明け渡しを求める裁判は、ほかにも1件あることなどから、直線化までには時間がかかる見通しです。

2月15日昼の「強制収用許さない」集会の模様

2月15日夜、機動隊による強制収用の模様。
機動隊に抗議する市東さん(野球帽、マスク姿の人物)と支援の人たち


まるでミャンマーのよう、機動隊が農地を踏み荒らした

重機で農作業のためのトイレを破壊、暴虐の限りを尽くす

「猫を殺すな」と女子学生が叫んでいます。

その市東さんの猫がこれ

敷地内の大きな木も強制収用に抵抗

夜を徹した闘いで、ヤグラに立てこもって闘った学生さんたち3人が不当逮捕。

市東さんの畑やビニールハウス、産直野菜集荷作業所などが鉄板で囲まれ、市東さんが自分の畑に入れないようにされてしまった。

しかし、ミャンマーの現状を見てもわかるように、国がいくら暴力の限りを尽くしても、民衆の心まで押しつぶすことはできない。

市東さんは、これからも今までと変わらず、成田の地で無農薬野菜を作り続ける。

ネットでは、こんな声が

戦後に満州から引き上げた人達が ようやく農業で生活できると思ったら 国に土地を取り上げられるとか そりゃ怒るに決まってる

これは日本が悪い

国は農業をして働いている人達の気持ちが分からないのかなと思います。 反対している人達はその地区で何十年も住み農業の仕事をしています。この地区の人達の仕事も奪う事になるのではないのかと思います。 見るからに無理矢理,成田空港の為に土地を奪っているようにしか見えないです。 どんな話し合いをしたのでしょうか。 成田空港の為に,そんなに土地の明け渡しをしなければならないのでしょうか。 昔から色々な地区で土地の明け渡しの反対デモがあったように思いますが,何故良い話し合いをしようとしないのかと思います。

識者によれば、政府が問答無用で土地を収用しようとしたのが こじれた原因と語っていた。 政府は農民に頭を下げてみなければ解決はしない。

円卓会議かで「強制執行はしない」とか取り決めなかったっけ。 市東さんには同情する。

 

 ここで、改めて、この強制収用が許されない理由を振り返ってみましょう。

➀三代100年にわたって耕した農地。農地法では「耕作する者に権利があり」、耕作者(小作者)の同意を得ずに売買することは許されていなかった。
耕してもいない「名目上の地主」が、農業をやるはずもない「不在地主」NAAに売却することは法律違反

開拓から三代、100年にわたる市東家の歴史(市東孝雄さん談)

「成田空港の『公共性』を問う」(社会評論社)の記事からの抜粋です。

祖父 市太郎と天神峰開拓部落

 家は最初から農家だったわけではありません。
 祖父の市太郎は、明治11年に千葉県山武郡蓮沼村に生まれました。14,5歳のころ、茨城県稲敷郡長竿村の雑貨や酒を売っている店に丁稚に入り番頭になりました。
 祖父は長竿村で20年近く働いて明治末の33歳の時に千葉にもどり自分で店を出しました。

(祖父 市太郎さん)

 祖父が店を天神峰で始めて3年目の大正3年秋に父 東市が長男として生まれています。

祖父が始めた小作地の耕作

 親父が小学校にあがる大正10年頃に祖父は店を閉め、農業を始めています。
 祖父は、取香(とっこう)部落の藤﨑さんから南台の土地を借り、取香の岩澤さんから天神峰の土地を借りていました。当時は、二人とも宮内省から土地を借りていたので、祖父は転借人だったと思います。
 大正15年に祖父は長谷川さんから、自宅の土地(天神峰)の借地権を買い取りました。その後昭和2年12月に、宮内省から御料地を金22円で宅地として払下げる許可を受け、昭和9年8月に4回目の分納を終え、払下げ料を完納しています。しかし、登記名義は昭和60年まで「宮内大臣」のままでした。

取り残された小作地

父東市の戦争体験

 親父は2回も兵隊にとられています。20歳からの2年間と26歳からの6年間の計8年間に及びます。

(東市さんの軍隊時代)

 2回目の臨時招集のときは、母ときと結婚してまだ半年余り経ったばかりで、しかも家ではすでに63歳になった祖父と母だけだったので大変でした。親父の妹のこうさんに農作業を手伝ってもらい、ようやく小作地を守ってきたと聞いています。

 最後はインパール作戦に投入されてビルマで敗戦を迎えました。敗戦と同時にイギリス軍の捕虜となりマンダレーの収容所に送られました。そのため復員は随分遅く、戻ってきたのは1947年(昭和22年)8月、32歳になっていました。ビルマの戦地は「白骨街道」と言われた激戦地だったので、家では戦後もずっと親父が生きているのか死んでいるのかさえわからなかったといいます。

農地改革と家の小作地

 私の家の田畑は、戦前はすべて小作地でした。敗戦直後の農地改革によって自作地になるはずでした。
 ところが親父の復員が遅れ、農地改革の真っ最中に不在だったため、いろいろと不利な扱いをされるようなことが重なって、天神峰と南台の小作地は地主の保留小作地として扱われ、解放されないままになってしまったのです。

➁空港公団(NAAの前身)は土地取り上げのため、文書偽造をやりたい放題やったので、本来NAAが刑事罰を受けなければならない

国家犯罪の極めつけ、文書偽造やりたい放題

 文書偽造問題とは、問題になっている天神峰南台(てんじんみねみなみだい)の市東家の畑の底地について、旧地主であった藤﨑政吉氏から当時の空港公団(現NAA)が1988年4月に買収する時に、市東さんの畑について、境界を確認し、面積を確定するための「境界確認書」「地積測量図」「同意書」を空港公団(現NAA)が、署名と印鑑を偽造して違法に作成した事件を言います。

 NAAが証拠として提出したのは、1988年に旧地主藤﨑と東市さんとの間に交わされたとする「同意書」「境界確認書」と添付された図面、しかしこれらはすべて偽造文書。

「境界確認書」⇒あわてて偽造したので、「藤﨑」の署名が「藤崎」になってしまっている。市東さんの割り印も偽造

「同意書」⇒東市(とういち)さんは85年に脳梗塞を患っており、筆勢が強い署名は本人のものではない。
 87年に東市さん(孝雄さんの父親)は2期工事差し止めをめぐる裁判での証言に立つんですが、宣誓の際の署名は脳梗塞の影響で明らかにギクシャクとした文字になっています。だけど、翌年の88年に書いたとされる「同意書(偽造)」文字は滑らかで力強く書かれています。明らかに別人が書いたものです。

親子三代100年耕して来た農地、戦後の「農地解放」で市東家の土地になるはずだったが、兵隊に取られ、復員が遅れたために「小作人」のままになってしまっただけ。「地主」の藤﨑氏は「名目上の地主」に過ぎず、そもそも「農業」をやるはずもないNAAが「名目上の地主」の藤﨑氏から土地を買収して「不在地主」になることは農地法で禁じられていた。更に耕作者の市東さんの承諾を得ずに買収することはできない。
そこで「境界確認書」や「同意書」を偽造し、しかもNAAは藤﨑氏から市東さんが耕作している農地を買収したことを、15年間も市東さんに隠していた。
まさに二重三重の犯罪行為を行ったわけです。

➂運輸大臣も前NAA社長も農民に謝罪し、「二度と強制収用はしない」と約束したのに、国交省天下りの今の田村NAA社長は、これらの約束を全く無視し、今回の強制収用に踏み切った

1989年11月30日、江藤は、運輸大臣(今の国土交通大臣)として成田空港問題について「地元への不十分な説明が問題の長期化が原因」と答えて遺憾の意を表明する文書を郵送し、その旨を12月4日に会見で発表した。運輸大臣が公に成田空港問題について過去の誤りを認めたのはこれが初めてである。 江藤は1990年1月30日に現地を訪問している。江藤の来訪に気づいた老人が手筈通り道路に飛び出して土下座し「これ以上農民を苦しめないでくれ」と訴えると、江藤は自らも膝を地面につき、老人の手を取りながら話し掛けた。1時間半ほどの会談の中で江藤は「強制収用は念頭に置かず、誠心誠意やっていく」と話した。

2005年にはNAA社長黒野氏が「皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやらない」と謝罪しました。だから市東孝雄さんは「安心して農業を続けられる」と、実家に戻り、農家を継いだわけです。結局、NAA社長の謝罪はウソだった。許せない背信行為です。

えっ?50年もたって、また成田空港敷地内農民から土地を力ずくでとりあげる? - 住みたい習志野

「社会新報」に載った「成田農民の土地とり上げ問題」 - 住みたい習志野

親子三代100年耕してきた農地を暴力で奪い取る岸田政権と闘う農民・市東孝雄さん - 住みたい習志野

50年前の「国家暴力による農地強奪」を再度強行する岸田政権。緊迫する成田。 - 住みたい習志野

「成田空港を軍事利用」するため、親子三代100年耕した農地を奪い取る岸田政権 - 住みたい習志野

親子三代100年耕した農地なのに、戦争のせいで所有権を認められなかった成田農民の農地、今年中にも50年ぶりの「強制収用」で奪われようとしている - 住みたい習志野

50年前、成田でミャンマー軍部のようなことをやっていた政府。また農地を暴力で取り上げようとしている。 - 住みたい習志野

アラブ世界も注目。今年の「ニュースの顔」、農地とり上げと闘う成田農民、市東孝雄さん - 住みたい習志野

ここまでやるか?岸田政権凶暴化。台湾有事=成田空港軍事利用のため、100年耕した農民の土地を暴力的に取り上げ - 住みたい習志野

「100年耕した農地を強制収用するな」と、成田農民がNAA(成田空港会社)に申し入れ - 住みたい習志野

みんなが市東孝雄になる。 非暴力でいこう。(市民の投稿) - 住みたい習志野

ジュネーブの国連会議で、成田農民の「100年耕した農地を強制収用しないよう勧告を!」の訴えが配布されました

 

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恐ろしい家庭教育支援条例に... | トップ | 反対意見があったのに「原発... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。