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成田闘争強制収用、農家は憤り「農業を続けたいそれだけ」

2023-02-18 09:12:46 | 人権、環境

(テレ朝「グッドモーニング」より)

成田闘争「やぐら」強制撤去 農家は憤り「農業を続けたいそれだけ」

成田闘争「やぐら」強制撤去 反対派3人逮捕…農家は憤り「農業を続けたいそれだけ」

成田闘争「やぐら」強制撤去 反対派3人逮捕…農家は憤り「農業を続けたいそれだけ」

 15日夜から行われていた、成田空港反対派が設置した「やぐら」などの強制撤去。反対派と機動隊がもみ合いになるなど、一時騒然となりました。 その際、機動隊員に暴行...

テレ朝news

 

 15日夜から行われていた、成田空港反対派が設置した「やぐら」などの強制撤去。反対派と機動隊がもみ合いになるなど、一時騒然となりました。

 その際、機動隊員に暴行を加えたなどとして、公務執行妨害の疑いで、これまでに3人が逮捕されたということです。

 今回撤去された「やぐら」は、空港B滑走路につながる誘導路の近くの農地に設置されていました。

 土地の明け渡しについては、成田空港側が起こした訴訟の判決で認められていましたが、この農地を借りて3代にわたって、野菜などの栽培を続けてきた反対派の市東孝雄(72)さんは憤りを隠せません。

 市東さん:「空港会社の姿勢ですよね。こっちは、本当にお金が欲しくてやっているわけじゃないんです。ここで、農業を続けていきたいという、それだけなんです。何しろ諦めないことですよね。自分たちの正義を通すという生き方をしているので

今回機動隊の暴力で奪い取られた、市東さんの畑(天神峰)

市東さんが怒っている「空港会社の姿勢」とは?

報道の中で市東さんが「空港会社の姿勢」を問題にしています

➀大正時代から市東家が耕して来て、本来なら戦後の農地解放で市東さんの所有になっていたはずの農地、市東家に隠して「名目上の地主」から空港公団(現NAA)が秘密で買い取り、それを15年間も市東さんに隠しつづけていた

◎ 秘密裏の小作地売買

新聞で知った売り渡し
 空港公団が小作地の底地を買収していたことは、2003年(平成15年)12月25日の朝日新聞の記事で初めて知りました。

 90年来小作料を払い続けてきた市東家の人間に地主の岩澤さんと藤﨑さんが底地売買のことを何もいわないなんて、考えられないことでした。登記を調べてみると、空港公団が岩澤さんと藤﨑さんから買収したのは15年前の1988年(昭和63年)になっていました。

知らずに続けた小作料支払い

 小作料は、親父が欠かさず暮れに払いに行きました。領収書も残っています。
 1999年に(平成11年)に親父が亡くなり、その年末に私が戻ってきて農業を継ぐということで、地主に挨拶に行き地代を支払いました。二人とも快諾し、「市東孝雄」宛の小作料の領収書を発行してくれています。

同意のない小作地売買は無効

 農地法では、小作地はまず小作人に買い受ける権利があるとされています。小作人が買わない場合には、小作人の同意の下で第三者が買うことができるわけです。小作人の同意のない、ましてや小作人に秘密の農地売買なんて、あり得ません。

➁そもそもNAA(成田空港会社)の「とんでもない勘違いで始められた」農地とり上げ裁判

NAA(成田空港会社)は「不法耕作者だから出ていけ」と言って成田農民の市東孝雄(しとうたかお)さんに裁判をしかけてきました。今回強制収用された天神峰の畑の他に南台(みなみだい)の畑がありますが、NAAが「明け渡せ」と言ってきた土地は市東さんが一度も耕したことがない空き地。つまりNAAのとんでもない勘違いで始まってしまった裁判だったのです。だからNAAが「とんでもない間違いをしてしまいました。お詫びして裁判を取り下げます」と言えば済んだ話。しかしNAAは何だかんだ言い逃れをして裁判を取り下げなかった。裁判官も政府とNAAに「忖度」してそれを認めてしまった。まさに「権力犯罪」「国策裁判」が、この「農地取り上げ裁判」です。

NAAが「市東さんが不当耕作をしている」と言いがかりをつけてきた土地、関係土地図のE1(南台41―9)はもともと別の人間の賃借地であり、市東家は一度も耕したことはないのです。こんなデタラメな裁判、見たことも聞いたこともありません。

➂証拠隠し、証人隠し、書類偽造だらけの強引な「国策裁判」

裁判では、農地法で禁じられていた「耕作者の同意がない農地売却」「そこに住んでいない不在地主(NAA)への売却」が問題になりましたが、裁判所はNAAと結託し、「事実を知っている国側、空港公団(NAA)の証人」を採用しない(事実隠し)としただけでなく、文書偽造のやり放題。本来ならNAAが文書偽造で処罰されなければいけないのに、裁判所は目をつぶってしまった。

「境界確認書」⇒あわてて偽造したので、「藤﨑」の署名が「藤崎」になってしまっている。市東さんの割り印も偽造

「同意書」⇒東市(とういち)さんは85年に脳梗塞を患っており、筆勢が強い署名は本人のものではない。
 87年に東市さん(孝雄さんの父親)は2期工事差し止めをめぐる裁判での証言に立つんですが、宣誓の際の署名は脳梗塞の影響で明らかにギクシャクとした文字になっています。だけど、翌年の88年に書いたとされる「同意書(偽造)」文字は滑らかで力強く書かれています。明らかに別人が書いたものです。

④運輸大臣も前NAA社長も農民に謝罪し、「二度と強制収用はしない」と約束したのに、国交省天下りの今の田村NAA社長は、これらの約束を全く無視し、今回の強制収用に踏み切った

1989年11月30日、江藤は、運輸大臣(今の国土交通大臣)として成田空港問題について「地元への不十分な説明が問題の長期化が原因」と答えて遺憾の意を表明する文書を郵送し、その旨を12月4日に会見で発表した。運輸大臣が公に成田空港問題について過去の誤りを認めたのはこれが初めてである。 江藤は1990年1月30日に現地を訪問している。江藤の来訪に気づいた老人が手筈通り道路に飛び出して土下座し「これ以上農民を苦しめないでくれ」と訴えると、江藤は自らも膝を地面につき、老人の手を取りながら話し掛けた。1時間半ほどの会談の中で江藤は「強制収用は念頭に置かず、誠心誠意やっていく」と話した。

2005年にはNAA社長黒野氏が「皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやらない」と謝罪しました。だから市東孝雄さんは「安心して農業を続けられる」と、実家に戻り、農家を継いだわけです。結局、NAA社長の謝罪はウソだった。許せない背信行為です。

50年前にも同じことをやった自民党政権

大木よねさんへの強制執行

(以下、北原鉱治「大地の乱成田闘争」より引用)

1971年9月20日、機動隊が大木よね宅を急襲してきました。千葉県知事の友納武人がわざわざ記者会見で代執行中止を発表してわれわれをだましたうえでの攻撃でした。
県知事が代執行はやらないと言っているんだから、明日はないだろうと、いったん解散して再結集することになったのです。
この日に大木よねは稲の脱穀をやると言ってるから私も現場にいなければと思って、朝から大木よね宅に反対同盟責任者として行ってたんです。そのうちに機動隊がどんどん集まってくる。各道路という道路が機動隊で埋めつくされてしまいました。
そのような状況のなかで、大木よね宅の代執行宣言が執行官によって読み上げられたのです。このとき私は現場にいましたが、なにごとも非常に速かった。住居のまわりの柵などを撤去するのを作業班と機動隊がいっしょになってやっているのです。家屋の破壊作業がやりいいようにまわりのじゃまなもの一切をまず取り除きました。
大木よねの家は六畳一間なんです。彼女の家は、電気もありましたが、この時は電源がいつの間にか切られてなかは真っ暗でした。窓というべき窓もない家だから、電灯がつかなかったら出入口からしか光が入ってこないのです。

よねばあさんは庭で脱穀を続けていました。そのうち機動隊が中に入って来ました。
私はよねの家の中にいました。「なかに誰かいるか」なんて言ってましたが、私は別に返事する必要もないと思い、黙って真っ暗ななかであぐらを組んで座っていました。家の中を懐中電灯で照らし覗いた警官が
「いた、いた、なかにいたぞ」
と叫んでいました。指揮者がきて「排除、排除」と号令をかけ、私の手や足をみんなで持って外へ担ぎ出しました。そうして大木宅から30メートルか40メートルはなれた田んぼのあぜ道に私を放り出したのです。機動隊が全部囲んでいる状況を判断しながら様子をうかがっているとバーンと音がして脱穀機のベルトがはずれたことがわかる異常が音で伝わってきました。

しばらくたって悲鳴が聞こえ、ジュラルミンの大楯になんか人間らしいものを載せて運んで来たんです。機動隊が4人で大楯の上に大木よねを載せて指揮官が一人ついて私の前に来ました。よねばあさんは顔中血の泡で必死にがんばった痕(あと)が一目でわかりました。
「北原事務局長!大木よねだ。受け取れ」
と眼前に放り出して指揮官はもどっていきました。私は大木よねを抱きおこし「大丈夫かい」と声をかけたが、放心状態で口が利けませんでした。脱穀機にしがみついていたときに機動隊になぐられて歯を折られていました。(中略)
大木よねの代執行をやる一週間くらい前に、私のところへ県から電話があったんです。大木よねさんをかたしてもらいたいと。大木よねさんの住んでいる建物とか、その他全部を測量してあるから、そのものそっくりそのまま、同じような状況でプレハブですけども、一時住んでもらうために成田市三里塚一番地に建ててある、代執行時に、もしけがでもされるといけないから、そこに移ってくれ、そういう方法をとってくれということを言ってきたのです。(中略)
よねさんの気質は私もよく知っていたので、心配はないと思い、本人に県がこんなことを言ってきたよと話しました。するとよねは、「おらあ同盟に身を預けたのだから、ここでがんばるだあ。ここが一番良い」
ときっぱりいうのです。
この一言で、私は以後の三里塚闘争に決定的ともいえるインパクトを与えた大木よねの闘いの勝利を確信しました。代執行を受けてたつといいきるよねの言葉には、一転のくもりもありませんでした。

大木(小泉)よねさんの墓地

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