成田空港の航空機誘導路脇にある農地で、空港反対派のやぐらなどが強制撤去されてから、15日で1年となった。誘導路を直線にするため、空港運営会社が起こした訴訟の判決に基づく措置だったが、別の農地を巡る法廷闘争が続き、直線化の時期は見えない。反対派農家は「強制執行の必要があったのか」と憤る。
「祖父の代から耕してきた畑だったのに……。悔しかった」。やぐらがあった農地で有機野菜を生産していた成田市の市東孝雄さん(73)は1月下旬、農地への立ち入りを阻止するフェンスを見つめた。(注1)
成田廃港を掲げる「三里塚・芝山連合空港反対同盟北原派」の一員でもある。
成田国際空港会社(NAA)の担当者によると、B滑走路(2500メートル)に並行する誘導路が曲がっており、要因となっている成田市内の農地計約1万3000平方メートルを、前身の公団が2003年までに地主から買収した(注2)(注3)。
その後もこの農地で耕作を続けた市東さんを相手取り、NAAは08年、一部の明け渡しを求めて提訴。最高裁で16年、明け渡しを命じた2審判決が確定した。
強制執行後、残りの農地に関する市東さんとの法廷闘争を理由に、誘導路の整備は進んでいない。
市東さんは思う。「先祖が耕し続けた農地で、安全な野菜を作りたい。それだけなんだ」
(注1)
親子三代100年にわたって耕し続けてきた市東さんの畑。B(天神峰農地)は昨年2月機動隊の暴力により奪われ、更地にされてしまいましたが、A(南台農地)の畑で無農薬野菜を作り続け、全国の消費者に送り届けています。NAAは残されたこの南台農地も暴力的に奪い、市東さんがこの地で農民として生きていけないようにしようとねらっています。
(注2)空港公団が「買収した」と記事には書かれていますが、農地法では「畑を耕作している小作人の承諾なしに地主が農地を売ることはできない」ことになっています。
市東さんの祖父の時代から耕し続けた農地、本来なら戦後の「農地改革」で市東家のものになるはずでしたが、市東さんのお父さん、市東東市さんのビルマからの復員が遅れたため所有権を得ることができなかった事情については
親子三代100年耕した農地なのに、戦争のせいで所有権を認められなかった成田農民の農地、今年中にも50年ぶりの「強制収用」で奪われようとしている - 住みたい習志野
に、以下のように書かれています。
耕作者でない「不在地主」成田空港会社が農地を取得することは農地法で禁じられていたのに…
戦前の苛酷な小作人制度の反省から、戦後は、そこに住んでもいない者が農地を買って「不在地主」になることはできなくなりました。
親子三代100年農地を耕してきた農民(市東さん)の「耕作権」は法律で保証されてきたのです。
ところが成田空港会社は市東さんの耕作地の名目上の地主から「内緒で(市東さんに隠して)」農地を買い、「不在地主」になる、という、農地法で禁じられていることをやったのです。
しかし「成田空港については、法律より国策が優先」という「国策裁判」によって、今その100年耕した農地が、年内にも「強制収用」されようとしているのです。
(注:そして昨年2月、100年耕した農地が機動隊の「夜襲」で奪われてしまいました)
ビルマからの復員が遅れて「農地所有者」になれなかった市東さん
大正時代から耕していたから、戦後の「農地解放」で当然農地は市東家のものになるはずでした。ところがインパール作戦に参加し、ビルマ(現ミャンマー)に抑留されていた市東東市さん(現在畑を耕している市東孝雄さんの父)の復員が遅れ、農地所有者になる手続きができなかったため市東さんは戦後も「小作人」として畑を耕し続けることになりました。
しかし戦後の「農地法」で耕作者の権利は強く守られてきました。
それなのに、「不在地主」成田空港会社が農地を今奪い取ろうとしている。
しかも政府は国会で「成田空港を軍事使用する」と表明している。
戦争のために戦後も農地を取得できず、今度も成田空港を「軍事利用」するため100年耕してきた農地を「強制収用」する、犠牲になれ、という国家。
何度戦争の犠牲になればいいのでしょうか。
(注3)
農地法で「小作人の承諾なしに地主が農地を売ることはできない」となっていたため、空港公団(NAAの前身)は「市東さんには秘密で名目上の地主から農地を買収したことを19年間も市東さんに隠し、何食わぬ顔で小作料を受け取り続け」、更に「市東さんが承諾したように装う」ため大々的に文書偽造を行ったそうです。このことは
「100年耕した農地を強制収用するな」と、成田農民がNAA(成田空港会社)に申し入れ - 住みたい習志野
に、以下のように書かれています。
国家犯罪の極めつけ、文書偽造やりたい放題
文書偽造問題とは、問題になっている天神峰南台(てんじんみねみなみだい)の市東家の畑の底地について、旧地主であった藤﨑政吉氏から当時の空港公団(現NAA)が1988年4月に買収する時に、市東さんの畑について、境界を確認し、面積を確定するための「境界確認書」「地積測量図」「同意書」を空港公団(現NAA)が、署名と印鑑を偽造して違法に作成した事件を言います。
NAAが証拠として提出したのは、1988年に旧地主藤﨑と東市さんとの間に交わされたとする「同意書」「境界確認書」と添付された図面、しかしこれらはすべて偽造文書。
「境界確認書」⇒あわてて偽造したので、「藤﨑」の署名が「藤崎」になってしまっている。市東さんの割り印も偽造
「同意書」⇒東市(とういち)さんは85年に脳梗塞を患っており、筆勢が強い署名は本人のものではない。
87年に東市さん(孝雄さんの父親)は2期工事差し止めをめぐる裁判での証言に立つんですが、宣誓の際の署名は脳梗塞の影響で明らかにギクシャクとした文字になっています。だけど、翌年の88年に書いたとされる「同意書(偽造)」文字は滑らかで力強く書かれています。明らかに別人が書いたものです。
この偽造問題はNAAにとっては触れてほしくない「急所」なので、現在行われている裁判では「真偽について問題にしない」ことにされてしまっています。まさに「国策裁判」です。
BBCテレビが放映した、市東さんの闘いのドキュメンタリー
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