【7月4日付の続きです。
写真は復刻版岩波写真文庫『本の話』から。ちなみに、この写真は1950年代の印刷所の様子で、僕が携わったころはもっと機械化されていました】
「活版時代の新聞編集は、こうだった。後世のために勝手に書いておこう」第3弾ーーーー。
▽前回までのあらすじ(笑)
日本が自信をもちイケイケドンドンのバブル時代、新聞社整理部に配属された僕は、活字活版編集から始めた。
貴重な体験だった。社の設備投資計画の遅れに、今思えば感謝しなくてはならないーーだははははははははは。
当時の新聞は、1段14~13字組み【注】行間55インテルだった。
▽ 降版時間10分前に組み上がった! ここからが勝負だ!
→ 僕「左カタは8行どり4段見出しを抱えて5段たたみで、全角カスミケイ2行どり押さえ」
と、大組み担当者に指示を出しながら約20分、全体が組み上がった。
降版時間10分前ーー。
この時間帯には、バイトくん(社によっては庶務さんとも言いました)が製作局に待機しており、各面の進行に従って校閲部に連絡することになっていた。
バイトくん「ナントカカントカ面が組み上がり! 面担降りてください」
▽ 大ゲラを配れ! 各部でチェックせよ!
→ 組み上がった新聞1ページ大の枠組み紙面を腰に力を入れて
「ヌオッ、ム~、ヨイショ!」
と移動台に乗せる(→職業病。実は、この作業で腰を傷める製作局員が多く組合問題になっていたが、別にあった製作局プロジェクトチームでCTS化が進行していたので手当てできずにいた........)。
組み上げた紙面全体にインクをのせて10枚以上を刷り、その「大ゲラ」をバイトくんが
・校閲面担に1枚渡し、
・別階の編集局出稿部に数枚おき、局長と局次長席に各1枚(どうせ見ないけど、笑)
・整理部デスク、整理部長に各1枚
大急ぎで配布する。
午後10時過ぎ、早版降版約5分前ーー。
この時間帯、編集・製作・印刷局など新聞社全体に奇妙な一体感があり、僕は好きだぁーーなんてノンキなことは言ってられず、
・校閲担当は必死に赤字処理チェック
・製作局デスクは広告確認と記事の流れチェック
・出稿部は見出しと記事内容チェック
・整理部デスクはレイアウトをチェックしながら、次の版の打ち合わせ........
午後10時過ぎ、早版降版まで数分
ーー。
他の面は1分刻みの降版ダイヤに従い、続々降りて(降版して )いく。
僕は間に合うのか? 今夜も降版遅れなのか?
長くなったので、後日書きます。
【1段13~14字組み=コンピューター編集(CTS)を先行していた朝日新聞が、「目にやさしい朝日文字」なんてコピーをつくり、基本文字サイズを1年ごとに拡大するので、他社は振り回されました】
(・Д・)ノ