絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

同窓会の効用

2013-09-22 | 日記
先日、高校時代の同窓会が行われ、行くのを躊躇しながらも、行ってみて良かったと書きました。懐かしい友達に会えたからです。会いたかった人がこんなにいたのだと改めて思いました。

その内の一人から、昨日メールが来ました。
私にとっては、バスケットの思い出として書いた中の宿命のライバルです。
名前は、岡崎君です。本庄西中学のキャプテン。

県大会出場を目指して、郡市大会で何度も会いましたが、常に決勝で当たり、
4回の結果が2勝2敗。引き分けで終わりました。

しかし、県大会出場をかけた戦いは3回で、その内の2回は勝ったので、その意味では我が児玉中の方が上だったと言えます。

その岡崎君は、なんと高校に入って同じクラスになり、同じバスケット部でチームメートになるのです。中学時代は対戦相手のすごいやつという感じでしたが、高校に入ってからは、レギュラー争いのライバルになりました。

一応、私の方が活躍のチャンスを与えられることが早かったので、その争いはやや私が優勢だったかもしれません。そこには、勝ち負けはないのですが、いろいろな意味で、ライバルでした。

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同窓会で、会ったとき、すぐに思いついたのは、私の祖母が亡くなった時のことでした。
私は、悲しくて、悲しくて、しかし、その気持ちをどこかで吹っ切らなくてはならないと思い、彼に利根川に連れて行ってもらいました。
祖母が亡くなる前にお腹に巻いていた腹帯を捨てるためでした。

彼はバイクの免許を持っていたので、その後ろに乗せてもらったのです。

その話をしたら、彼は覚えていませんでした。
いろいろな人に親切にしていたから、そんなことはたいしたことではなかったのでしょう。
ただ、私は鮮明に覚えているのです。私は川に向かってその腹帯を投げました。
私にとっては、大好きなおばあちゃんが亡くなったことを自分が一番好きだったという気持ちを何かで表わしたかった。おばあちゃんへの思いを、残したかった。それで、そのような行動をとったのです。
忘れるためというよりは、忘れないためだったかもしれません。

その姿を岡崎君は後ろから見ていたはずです。

「菅野はおばあちゃんが好きだったんだな」と言ってくれました。

おばあちゃん子という言葉がありますが、私はそうだったのです。

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この岡崎君は、後に生徒会長になりました。私が絵の道に入るためバスケットを辞め、美術部に行ってしまったので、バスケットのライバル関係はそこまででしたが、私が大学を卒業するときに、銀座で友だちと三人展をやったとき、見に来てくれました。それには驚きました。

思い出話だけで、終わってしまったので、その後について、また会って話したいと思います。連絡が取れて良かったと思いました。












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