北条時宗
2013-03-26 | 読書
北条時宗を読みました。

合せて、元寇も読んでみました。
元の国について、改めて知りましたが、ヨーロッパのドイツまで征服したと書いてありました。
すごいことですね。モンゴルから始まって、中国を制覇し、西へ向かってアフガニスタン、イラン、イラク、ロシア、東ヨーロッパまで、この大帝国は、古代ローマよりはるかに大きいです。
もちろん、時間的な長さにおいては、ローマに敵わないでしょうが、それにしても歴史上世界一大きな国は、この元だろうと思います。それなのに、そのことについて、全く知らないのは、なんということでしょう。それだけテレビなどでは扱われないということですね。
ーーーーーーーーーーー
その強大な元が、征服できずにいた日本です。あまりに小さい島国なので、相手にしていなかったということもあるでしょう。
元は陸上での戦いは強いけれど、海にまで出て行こうとしなかったということもあったでしょう。
陸上においては、もうヨーロッパまで行ったので、後は、近隣の島国だとやっと目を付けたのが、日本だったのでしょうか。
私は、良く知らないので、元はいきなり攻めて来たのかと思っていました。
読んでみると、元は外交のために、使者を送って来ているのですね。
しかし、鎌倉幕府は、返事も書かずに追い返している。その使者は3回も来ているのに、その都度、追い返している。
元が怒るのも当たり前という気がします。そして攻めて来て、戦いは日本が尽く負ける。しかし、嵐が吹いて元の船はほとんどが沈み、日本は命拾いをする。これを文永の役というそうです。
元は、その後も使者を送ってくるが、今度は北条時宗は、その使者を殺してしまう。何度使者を送っても戻ってこない元は、怒ってまた攻めて来る。これが二度目の元寇。弘安の役というそうです。前回は、26000人だった元軍も、二回目は14万人で攻めて来た。この2回目は、日本も前回散々やられて懲りているので、石塁を築いて準備をしていた。しかし、あまりの大群で苦戦をしいられた。しかし、やはり同じように嵐がやってきて、元軍は壊滅。
この二回のことを元寇というそうです。そして、ここで神風伝説が生まれる。日本は外国が攻めて来ても神が味方をしてくれる。
負けそうになっても、神風が吹いて日本を救ってくれるという迷信が生まれるのです。それが、太平洋戦争まで続く。
ーーーーーーーー
今回読んだ二冊の本では、日蓮が予言をしています。外国が攻めて来る。幕府にも内輪もめや災いが起こる。その原因は、間違った宗教にあると言っています。理解できないのは、日蓮宗に改宗すれば、元が攻めてこないのでしょうか。
人々が貧困にあえぎ、少しも暮らしが良くならないのは、まちがった宗教のせいであると言って、他の宗教を批判しています。
間違った政治のせいだと言わないのはなぜでしょうか。
ーーーーーーーーー
北条時宗、日蓮、元寇というものが、同じ時代のことで繋がっていることを勉強しました。
大学受験で、日本史を取ったのに、そんなことも忘れてしまっていました。いや、覚えようとしていなかったかもしれません。
それと、私はとんでもないことが頭から飛んでいました。鎌倉幕府は三代で終わったということを頭に入れていましたが、その後も将軍がいたのです。9代までいるんですね。
源氏が滅びて、北条氏が政治を行ったと把握していたので、将軍のことを忘れていました。
幼い子供を将軍につけて、執権が政治を行う。これは、藤原氏が行った摂関政治と似ています。執権という言葉を知っていながら、将軍の存在を忘れていたのは、不思議です。
しかし、実朝の次の将軍は誰ですか?と問われたら、藤原頼経とすぐに答えられる人はどのくらいいるでしょうか。
また、最後の将軍は何代ですかと言われても、誰ですかといわれても、なかなか答えられないのではないかと思いました。
元が使者を送って来た時、なぜ鎌倉幕府が対応したのでしょうか。まだ、天皇の支配として国司や郡司がいたのではないか、だから使者が返事を求めるのは天皇ではないのか?この辺はどうだったのでしょうか。
などということを感じました。

合せて、元寇も読んでみました。
元の国について、改めて知りましたが、ヨーロッパのドイツまで征服したと書いてありました。
すごいことですね。モンゴルから始まって、中国を制覇し、西へ向かってアフガニスタン、イラン、イラク、ロシア、東ヨーロッパまで、この大帝国は、古代ローマよりはるかに大きいです。
もちろん、時間的な長さにおいては、ローマに敵わないでしょうが、それにしても歴史上世界一大きな国は、この元だろうと思います。それなのに、そのことについて、全く知らないのは、なんということでしょう。それだけテレビなどでは扱われないということですね。
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その強大な元が、征服できずにいた日本です。あまりに小さい島国なので、相手にしていなかったということもあるでしょう。
元は陸上での戦いは強いけれど、海にまで出て行こうとしなかったということもあったでしょう。
陸上においては、もうヨーロッパまで行ったので、後は、近隣の島国だとやっと目を付けたのが、日本だったのでしょうか。
私は、良く知らないので、元はいきなり攻めて来たのかと思っていました。
読んでみると、元は外交のために、使者を送って来ているのですね。
しかし、鎌倉幕府は、返事も書かずに追い返している。その使者は3回も来ているのに、その都度、追い返している。
元が怒るのも当たり前という気がします。そして攻めて来て、戦いは日本が尽く負ける。しかし、嵐が吹いて元の船はほとんどが沈み、日本は命拾いをする。これを文永の役というそうです。
元は、その後も使者を送ってくるが、今度は北条時宗は、その使者を殺してしまう。何度使者を送っても戻ってこない元は、怒ってまた攻めて来る。これが二度目の元寇。弘安の役というそうです。前回は、26000人だった元軍も、二回目は14万人で攻めて来た。この2回目は、日本も前回散々やられて懲りているので、石塁を築いて準備をしていた。しかし、あまりの大群で苦戦をしいられた。しかし、やはり同じように嵐がやってきて、元軍は壊滅。
この二回のことを元寇というそうです。そして、ここで神風伝説が生まれる。日本は外国が攻めて来ても神が味方をしてくれる。
負けそうになっても、神風が吹いて日本を救ってくれるという迷信が生まれるのです。それが、太平洋戦争まで続く。
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今回読んだ二冊の本では、日蓮が予言をしています。外国が攻めて来る。幕府にも内輪もめや災いが起こる。その原因は、間違った宗教にあると言っています。理解できないのは、日蓮宗に改宗すれば、元が攻めてこないのでしょうか。
人々が貧困にあえぎ、少しも暮らしが良くならないのは、まちがった宗教のせいであると言って、他の宗教を批判しています。
間違った政治のせいだと言わないのはなぜでしょうか。
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北条時宗、日蓮、元寇というものが、同じ時代のことで繋がっていることを勉強しました。
大学受験で、日本史を取ったのに、そんなことも忘れてしまっていました。いや、覚えようとしていなかったかもしれません。
それと、私はとんでもないことが頭から飛んでいました。鎌倉幕府は三代で終わったということを頭に入れていましたが、その後も将軍がいたのです。9代までいるんですね。
源氏が滅びて、北条氏が政治を行ったと把握していたので、将軍のことを忘れていました。
幼い子供を将軍につけて、執権が政治を行う。これは、藤原氏が行った摂関政治と似ています。執権という言葉を知っていながら、将軍の存在を忘れていたのは、不思議です。
しかし、実朝の次の将軍は誰ですか?と問われたら、藤原頼経とすぐに答えられる人はどのくらいいるでしょうか。
また、最後の将軍は何代ですかと言われても、誰ですかといわれても、なかなか答えられないのではないかと思いました。
元が使者を送って来た時、なぜ鎌倉幕府が対応したのでしょうか。まだ、天皇の支配として国司や郡司がいたのではないか、だから使者が返事を求めるのは天皇ではないのか?この辺はどうだったのでしょうか。
などということを感じました。