本日のタイトルは、「正論」=「日本共産党」ではないので注意してもらいたい。
「正論」に対する反発記事があった
「言っていることは確かに正しいのだが、場にそぐわない」という件について、「空気読めよ」という怒りの抵抗の記事であったが、
正論が場にそぐわないという空気そのものが世界常識的に空気を読んでいないのではないかと指摘したい限りである。
「男たちの大和」で史実が感動的に描かれているかもしれないが(観ていないのである)、あれは海軍史上の「珍事」であり、また大和特攻の決定も偏に「空気を読め」という“だけ”のことであった「事実」を勘案するに、日本人の空気を読むという土着的風習はまだまだ強く支持されており、そんな中で「グローバリズムに打って出よう」等と言っているのをみると、
パプアニューギニアの奥地の部族が、伝統の踊りで観光客を集めて食っているのに似ていて、大変滑稽である。
パプアニューギニアの部族にはその自覚があるが、今の日本に類似の自覚があるかといえば、大変怪しいい。
さて、本日も日本共産党の街宣車が
「アベ暴走政治にストップを!」
と言いながら信号無視をしていた。
それを人は暴走と呼ぶ。
益々日本共産党への信頼が減じた瞬間である。
彼らは「目的のためなら手段を選ばないマキャベリストであるが、マキャベリの君主論が「権威」について述べられている時点で、マキャベリストな共産党は大きく権威主義であることはすぐに推測できる。
共産党は政治として科学をもてあそんだ大罪人であるので、科学者ならば共産党を好きになるはずはまずない。
例:社会主義の正当性を示すために科学主義を無理やり結びつけた(マルクス主義)くせに、自身の主張にそぐわないとして戦後も遺伝学を否定しイセンコを擁護し続けた。
したがって、「識者」特に「科学者」として共産党を擁護する奴がいるならば、そいつは疑似科学者なので、大体怪しい商品を資本主義的に展開していたり、科学者というだけで他分野に素人なのに有識者ぶって本を出していたりする。
そう、共産主義とは虚像の理想論なのである。
「正論」に対する反発記事があった
「言っていることは確かに正しいのだが、場にそぐわない」という件について、「空気読めよ」という怒りの抵抗の記事であったが、
正論が場にそぐわないという空気そのものが世界常識的に空気を読んでいないのではないかと指摘したい限りである。
「男たちの大和」で史実が感動的に描かれているかもしれないが(観ていないのである)、あれは海軍史上の「珍事」であり、また大和特攻の決定も偏に「空気を読め」という“だけ”のことであった「事実」を勘案するに、日本人の空気を読むという土着的風習はまだまだ強く支持されており、そんな中で「グローバリズムに打って出よう」等と言っているのをみると、
パプアニューギニアの奥地の部族が、伝統の踊りで観光客を集めて食っているのに似ていて、大変滑稽である。
パプアニューギニアの部族にはその自覚があるが、今の日本に類似の自覚があるかといえば、大変怪しいい。
さて、本日も日本共産党の街宣車が
「アベ暴走政治にストップを!」
と言いながら信号無視をしていた。
それを人は暴走と呼ぶ。
益々日本共産党への信頼が減じた瞬間である。
彼らは「目的のためなら手段を選ばないマキャベリストであるが、マキャベリの君主論が「権威」について述べられている時点で、マキャベリストな共産党は大きく権威主義であることはすぐに推測できる。
共産党は政治として科学をもてあそんだ大罪人であるので、科学者ならば共産党を好きになるはずはまずない。
例:社会主義の正当性を示すために科学主義を無理やり結びつけた(マルクス主義)くせに、自身の主張にそぐわないとして戦後も遺伝学を否定しイセンコを擁護し続けた。
したがって、「識者」特に「科学者」として共産党を擁護する奴がいるならば、そいつは疑似科学者なので、大体怪しい商品を資本主義的に展開していたり、科学者というだけで他分野に素人なのに有識者ぶって本を出していたりする。
そう、共産主義とは虚像の理想論なのである。