ノーベル賞:学べる幸せ、平和の証し マララさん平和賞毎日新聞
イスラム武装勢力による襲撃で重傷を負いながらも、女性や子供への教育の大切さを訴えてきたパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)らにノーベル平和賞が贈られる。史上最年少での受賞に、被爆地・広島で平和運動に関わる人や同国の実情を知る教育関係者らからマララさんの勇気をたたえ、祝福する声が上がった。【植田憲尚、吉村周平、加藤小夜、遠藤孝康】
米大統領に広島訪問を呼びかける手紙を送っている被爆者の岡田恵美子さん(77)=広島市=は2012年12月、市民に呼びかけ、治療中だったマララさんやパキスタンの子供たちに応援メッセージを添えた折り鶴約200羽を贈った。後日、仲介した広島YMCAを通じて、折り鶴を手にした現地の子供たちのスナップ写真が届いたという。岡田さんは「みんなが普通に教育が受けられることこそ平和の証し。本当におめでとう」と話した。
パキスタンの学校での平和学習や難民キャンプの医療支援に、10年以上携わってきたNPO法人「ANT−Hiroshima」(広島市)の代表、渡部朋子さん(60)も、英国で入院中のマララさん宛てに支援者を通じて激励のメールを送った。「強い意志を持って社会の不正義に非暴力で抗議を続けた勇気に敬服する。命を狙われても萎縮しなかった彼女の行動は、人間の尊厳を懸けた闘いだと思う」とたたえた。
パキスタンの日本人学校で勤務した経験がある大阪府枚方市立高陵小学校の栗山貴志校長(52)は、校内の集会などでマララさんのことを児童たちに紹介してきた。「教育の大切さを訴えてきたマララさんの思いが世界に通じた」と受賞決定を喜んだ。
栗山さんは30代の頃、パキスタン南部のカラチで3年間、日本人学校の教師として派遣された。現地では家業の手伝いで小学校に通えなくなる子供たちも多かった。日本に帰国した後は児童らにそうした途上国の現状を伝えてきた。
12年、高陵小に校長として赴任。翌年7月、マララさんが国連本部で行った演説の全文を校内の渡り廊下に張り出し、全校集会などで「毎日、安全に学校に通えて、勉強できることは幸せなことなんだよ」と話した。
栗山さんは今回の受賞決定に「どの子供たちにも教育を受ける権利があるという認識が世界に広がってほしい」と願う。そして改めて児童らに「世界には学びたくても学べない子供たちがいっぱいいる。学べることの幸せを感じて、一生懸命努力しなきゃいけないよ」と伝えるつもりだ。
マララさんとともにインドの児童人権活動家、カイラシュ・サティヤルティさん(60)も受賞する。市民団体「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」(広島市)を創設し、07年まで印パ両国の中高生らを広島に招いた森滝春子さん(75)は「学校に通えない子供がいるインド、女性を差別し閉鎖的なパキスタンで、貧困からの脱却や女性の解放を訴え、実践してきた2人の受賞はうれしい」と歓迎した。
◇マララさんの国連演説
マララさんの演説(国連本部、昨年7月12日)=抜粋=
きょうだいたち、このことは忘れないで。「マララ・デー」は私の日ではありません。今日は、権利のために声を上げてきた、すべての女性、すべての男の子、すべての女の子の日なのです。
何千人もの人がテロリストに殺され、何百万人もの人が傷つけられました。私もその一人です。そして、私はここに立っています。
タリバンは私の頭を撃ちました。テロリストは私の目的や志を変えようとしました。けれど、私の人生は何ら変わりません。弱さと恐れと失望が消え、強さと力と勇気が生まれたこと以外は。
過激派は本やペンを恐れます。教育の力が彼らを脅かすのです。彼らは女性を恐れます。女性の声の力が、彼らを脅かすのです。
きょうだいたち。本とペンを手にしましょう。それが最も強い武器なのです。1人の子ども、1人の先生、1冊の本そして1本のペンが世界を変えるのです。教育こそがただ一つの解決策なのです。Education first(教育を第一に)。ありがとうございました。