goo blog サービス終了のお知らせ 

毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

共に喜び 勝つ人生を・ラダクリシュナン博士

2023年08月06日 | 妙法

Seikyo Gift〉 共に喜び 勝つ人生を 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2023年8月6日

 【写真説明】天が織り成す“光の芸術”。青空に、鮮やかな二重の虹が懸かった。2000年(平成12年)4月、池田大作先生が八王子市の東京牧口記念会館から撮影した。
 かつて、先生は詠んだ。「わが友と 親しく語り 見上げれば 友情の虹 天下に微笑む」と。
 目の前の一人に寄り添い、真心で語り、励ましの光を送る。それが創価の生き方である。「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)との御聖訓のままに、我らは「自他共の幸福を築く生き方」を、地域に世界に広げているのだ。その頭上には、人間王者の虹の冠が燦然と輝いている。(4月23日付)
 

池田先生の言葉

 人は、
 人の絆のなかで育まれ、
 成長し、学び合い、
 助け合って
 真実の人間となる。
 ゆえに、自分一人だけの
 幸せはない。
 自他共の幸福の
 なかにこそ、
 本当の幸福もある。
  
 他人のために尽くす、
 慈悲の行為に
 励む人の胸中には、
 仏の命が涌現する。
 その境涯が、
 すべてを変えていく。
  
 同じ状況にあっても、
 ある人は、
 生き生きと進む。
 ある人は、
 嘆き、悲しむ。
 喜びというのは、
 心が感じるものだからだ。
 この人生を、喜んで、
 楽しんでいければ、
 その人は「勝ち」である。
 ゆえに、大事なのは、
 心を変革することだ。
  
 いつかではない。
 今、この瞬間である。
 今日、この一日である。
 今、この時に
 全魂をかたむけていく。
 その「今」に
 勝利の未来が
 含まれている。
  
 皆さんは、
 学会の広宣流布の闘争に
 勇んで参加された。
 その福運は、
 永遠に続いていく。
 財力よりも、権力よりも、
 名声よりも、
 信心は百千万億倍、
 偉大である。
 広宣流布という
 大目的のために
 戦っていくことは、
 仏にしかできないことだ。
  
 私たちはどこまでも、
 「人のために」
 灯をともしていく。
 目の前で悩んでいる人、
 苦しんでいる人のもとへと
 足を運び、
 妙法の光で、
 自他共に
 無明という生命の闇を
 晴らしていくのだ。

 小説『新・人間革命』起稿から30周年 記念インタビュー インド・ガンジー研究評議会議長 N・ラダクリシュナン博士2023年8月5日

平和こそ人類の根本の第一歩
5:25
  •  

 あす8月6日、池田大作先生が小説『新・人間革命』の執筆を開始してから30周年を迎える。起稿の日(1993年8月6日)、先生はガンジー研究の第一人者であるニーラカンタ・ラダクリシュナン博士と長野研修道場で会見している。インド南部・ケララ州のガンジー記念館で、平和活動家・教育者としてガンジー研究を主導する博士を訪ね、会見当時の印象や現代における創価学会の役割などをインタビューした。(聞き手=小野顕一)

 ――30年前、池田先生が小説『新・人間革命』を執筆開始された、まさにその日、ラダクリシュナン博士は先生と会見されています。
   
 あの時のことは、鮮明に覚えています。
 私は、広島に原子爆弾が投下された8月6日を、「人類の歴史における一番の暗黒の日」と認識していました。池田先生との会見では、そのことについて、何か大切なお話をいただけるのではないかと期待していたのです。
 まず思い出されるのは、お会いした瞬間から、先生が私を事細かに気遣い、緊張を解きほぐそうとされたことです。
 日本へのフライトは快適でしたか? 昨日はよく眠れましたか? 朝食はおいしく食べられましたか? 車窓からの景色はどうでしたか? ご家族と連絡はとられましたか?
 ――質問に答えるうち、池田先生のことが、まるで実の父のように感じられ、とても安心した気持ちになりました。
 そうしたやり取りを重ねながら、ガンジーの戦争観や平和の信念などについて、意見を交換していったのです。
 ふと、先生は一枚の原稿用紙を手に取り、私に尋ねました。
 「博士、私が何を書いたか、お分かりになりますか」
 通訳の方が、内容を翻訳して教えてくれました。
 そこには「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と――。
 そうです。それは、小説『新・人間革命』の冒頭の一節だったのです。
 先生は、この小説が、全何巻・何章で、どういった構成になるのか、具体的な考えを話してくださいました。驚いたのは、創価学会の歴史や登場人物の詳細を、あたかもコンピューターがデータを読み出すように、明瞭によどみなく記憶されていたことです。
 私が「人類の暗黒の日」と考えていた、この8月6日に、いわば、民衆一人一人の人生の軌跡をもって、創価学会の真実の歴史をとどめようとされていることに深い感動を覚えました。

非暴力の覚醒

 ――この日、博士は、ガンジーの“「魂の力」は原子爆弾よりも強い”との信念に触れ、語られています。「誰もが持つ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく――これこそ池田先生が世界に広げている運動です」と。
   
 創価学会三代の会長は、信仰を人生変革への希望の力とし、民衆を勇気づけてきました。一人一人が「生きる喜び」を得て、人生はより良く変えられるという実感を持ちながら、正義と平等の価値を周囲に広げていく――。そこに、持続可能な平和への道筋が、人間絵巻のモザイクアートのように現れているのです。
 ガンジーが亡くなって、今年で75年がたちました。インドも世界も劇的な変化を続けています。ですが、人間の基本的な性質は変わっていません。もし、ガンジーが2023年という今日に生きていたとしたら、全ての戦争や不平等に反対し、人間の尊厳を掲げて、あらゆる腐敗に挑んだに違いありません。もちろん、権威主義的なアプローチではなく、どんな他者からも学び、人と人との間に調和をもたらしながら、です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望の暁鐘鳴らす「第14回本部幹部会

2023年07月11日 | 妙法

第14回本部幹部会、学生部・未来部大会〉 池田先生のメッセージ2023年7月11日

  • 人類の精神の連帯へ 君よ地涌の青春を喜び舞いゆけ
2005年4月の学生部・未来部合同大会に続いて行われた、パラグアイ国立イタプア大学「名誉博士号」授与式でスピーチする池田先生(都内で)
2005年4月の学生部・未来部合同大会に続いて行われた、パラグアイ国立イタプア大学「名誉博士号」授与式でスピーチする池田先生(都内で)

 一、わが未来部の歌声こそ、希望の暁鐘であり、わが未来部の笑顔こそ、平和の虹であります。
 
 この歌声、この笑顔とともに、「エンジン全開」の明るく爽やかな本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)
 
 80年前、第2次世界大戦下の1943年(昭和18年)7月1日、初代会長・牧口常三郎先生は、ここ東京戸田記念講堂から、ほど近い目白のご自宅に、3人の学生たちを迎えて親しく懇談されました。
 
 その一人で、九州出身の東京商科大学(現在の一橋大学)の学生は、牧口先生の明快にして慈愛と確信あふれる励ましに感激し、この日、晴れて学会に入会したのであります。
 
 牧口先生が示された、「父母に孝行を尽くしながら、勉強に励み、価値ある進路を開いて、大善の生活を!」との具体的な指導を胸に、この新入会の学生は、立派に不退の信心を持ち通していきました。
 
 軍部政府の弾圧によって、平和と人道の闘士たる牧口先生が不当に逮捕されたのは、その5日後のことであります。
 
 一、牧口先生は、大難の渦中にも、悠然と学生たちを慈しみ、前途の栄光勝利を祈って、若き心の大地に妙法の種を蒔かれておりました。
 
 1957年(昭和32年)の6月30日、夕張炭労事件、大阪事件という権力の魔性との戦いの真っただ中で、学生部を結成した第2代会長・戸田城聖先生と私の命には、この牧口先生と不二の負けじ魂が烈々と燃え上がっていたのであります。
 
 牧口先生も戸田先生も、世界広宣流布の明日を照らす、きょうの学生部・未来部大会を、どれほど喜んでくださっているでしょうか。

世界広布の明日を照らせ 福智の大勝利王と育て
「王子王女乃城」の書。1982年(昭和57年)7月、未来部躍進月間を前に贈られた
「王子王女乃城」の書。1982年(昭和57年)7月、未来部躍進月間を前に贈られた

 一、両先生をしのびつつ、大会を祝して、四つの書をお贈りしたい。
 
 はじめに、「王子王女乃城」です。
 
 偉大な教育者であられた牧口・戸田両先生の悲願は、全ての子どもたちの幸福でありました。
 
 創価学会は、この悲願を実現しゆく城であり、わが未来部は全員が、この師弟城のかけがえのない宝の王子王女なのであります。
 
 日蓮大聖人は、正義の信仰を貫く未来部の大先輩たる南条時光に、「しばらく苦しみが続いたとしても、最後には、必ず王者のように楽しい大境涯になるのである」(新1901・全1565、趣意)と約束されております。
 
 どうか、未来部の皆さんは、妙法と共に、学会と共に、世界の同志と共に「幸福の王者」となり、そして、みんなを幸福にする「福智の大勝利王」となってほしいし、断じて、そうなれるのです。
 
 10代で戸田先生を師匠と仰ぎ信心を始めた私も、小学校の時に家族で入会し、牧口先生の手を引いて自宅の座談会に案内した妻も、この絶対的幸福の大道に続いてくれる一人一人に題目を送り抜いていきます。

「青春乱舞」の書。「昭和四十一年七月十六日」は、鳳雛会・鳳雛グループの第1回野外研修が行われた日である
「青春乱舞」の書。「昭和四十一年七月十六日」は、鳳雛会・鳳雛グループの第1回野外研修が行われた日である

 一、次の書は、「青春乱舞」です。
 
 未来部・学生部はもとより、男子部、華陽姉妹、さらには、ヤング白ゆり世代の皆さんをはじめ、生涯青春の全学会家族に贈ります。
 
 「乱舞」と言えば、私は、フランス学士院の講演で「大悪大善御書」を拝しました。
 
 「迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか」(新2145・全1300)との一節であります。
 
 私は、ヨーロッパの最高峰の知性の方々に提唱しました。
 
 ――地涌の菩薩たちの舞は「歓喜の中の大歓喜」の象徴です。この創造的生命に喜び舞いゆく人間革命の運動は、人類の精神の連帯へ道を開き、一切の営みを生き生きと活性化していくでありましょう、と。
 
 空前の試練の時代だからこそ、「生命尊厳」「人間尊敬」そして「価値創造」という仏法中道の智慧が光ります。創価の若人は、いよいよ歓喜踊躍して新たな友を誘いながら、誓願の舞台で地涌の青春を乱舞していただきたい。

池田先生が揮毫した「民衆」の書
池田先生が揮毫した「民衆」の書

 一、さらに、「民衆」と記した書であります。
 
 日蓮仏法は、地球上の一切衆生に「あなたの生命こそ仏なり」と語りかけ、一人一人を輝かせゆく太陽の民衆仏法です。
 
 この大聖人のお心のままに、学会は世界中で、民衆自身が立ち上がり、より強く、より善く、より賢く高め合っている、まさしく奇跡の結合であります。
 
 きょうは、コートジボワールから尊い民衆の王者たちをお迎えできました。幾多の苦難が打ち続く中、「師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ」「日蓮が一門は師子の吼うるなり」(新1620・全1190)との御聖訓の通り、アフリカ広布の正義の師子吼を轟かせてきた、真の地涌の陣列であります。
 
 御本仏の御照覧は、いかばかりか。万雷の大拍手でたたえたいのであります(大拍手)。
 
 我ら創価の師弟は、永遠に「師子王の心」で、民衆と共に、民衆のために、「民衆常勝の大行進」を仲良く朗らかに広げていこうではありませんか!

和歌「君等ゆけ 平和の戦士は われなりと 嵐の中を 勇み梶とり」。「第十二回学生部総会を記念して 昭和四十五年七月五日」としたためられている
和歌「君等ゆけ 平和の戦士は われなりと 嵐の中を 勇み梶とり」。「第十二回学生部総会を記念して 昭和四十五年七月五日」としたためられている

 最後に、和歌をつづった書です。
 
 烈風が吹き荒れる1970年(昭和45年)の7月、学生部総会に詠んだ、この一首を、今再び贈り、私のメッセージとします。
 
 君等ゆけ
  平和の戦士は
    われなりと
   嵐の中を
     勇み梶とり
 
      (大拍手)

歓喜のメロディーよ届け!――音楽隊の創価グロリア吹奏楽団、創価グロリア・ジュニア吹奏楽団、鼓笛隊の創価シャイニングスピリッツが「イン・ザ・ムード」「エル・クンバンチェロ」を軽快に演奏(東京戸田記念講堂で)
歓喜のメロディーよ届け!――音楽隊の創価グロリア吹奏楽団、創価グロリア・ジュニア吹奏楽団、鼓笛隊の創価シャイニングスピリッツが「イン・ザ・ムード」「エル・クンバンチェロ」を軽快に演奏(東京戸田記念講堂で)

の暁鐘鳴らす「第14回本部幹部会」「学生部・未来部大会」2023年7月11日

  • 民衆常勝の大行進を共々に 池田先生がメッセージ 原田会長、永石女性部長が各部の代表と出席
創価の師弟は永遠に師子王の心で前進!――学生部・未来部大会の意義を込めて行われた本部幹部会。正義のバトンを継ぐ後継の若人を先頭に、常勝の民衆スクラムを広げゆくことを誓い合った(巣鴨の東京戸田記念講堂で)
創価の師弟は永遠に師子王の心で前進!――学生部・未来部大会の意義を込めて行われた本部幹部会。正義のバトンを継ぐ後継の若人を先頭に、常勝の民衆スクラムを広げゆくことを誓い合った(巣鴨の東京戸田記念講堂で)

 世界広布の明日を照らす地涌の友が晴れやかに!――第14回本部幹部会が9日午後、「学生部・未来部大会」の意義を込め、巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。これには原田会長、長谷川理事長、永石女性部長らが、学生部・未来部をはじめ各部の代表、来日したコートジボワール創価学会の代表23人と共に出席した。池田大作先生はメッセージを贈り、学会は世界中で民衆自身が立ち上がり、賢く高め合う、奇跡の結合であると強調。創価の師弟は永遠に師子王の心で、「民衆常勝の大行進」を、仲良く朗らかに広げゆこうと呼びかけた。(全国配信は15日から18日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。「モバイルSTB」での配信は15日から23日。「SOKAnet会員サポート」では配信しません)

元気いっぱいに少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」を披露した富士少年希望少女合唱団(同)
元気いっぱいに少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」を披露した富士少年希望少女合唱団(同)

 広布の前進には、常に誓いの歌声がある。喜びに満ちた歌とともに、新たな人材が躍り出る。
 
 〽我れ今あとを 継がんとて 心凜々しく 時待たん――
 
 未来部歌「正義の走者」の合唱が響く。
 
 清々しい歌声を披露した正義合唱団、富士中学生合唱団のメンバーをはじめ、会場に集った未来部員の瞳が輝いた。
 
 池田先生が同歌を作詞したのは1978年(昭和53年)7月。後継の若き宝友に、誓いの道を走り抜いてほしい――。万感の思いを込めて歌詞を紡ぎ、同年8月1日付の聖教新聞で発表した。さらに先生は2010年7月、歌詞を加筆している。
 
 未来のバトンを託す友への思いが込められた「正義の走者」。
 
 今回、合唱を披露した、ある高等部員は喜びをたたえて語った。「勉強や部活などに、それぞれが勝利した姿で今日を迎えることができました。私たちが“次代の柱”となり、勇気と希望を送る一人一人に成長します」

正義合唱団、富士中学生合唱団が広布後継の誓いを込め、未来部歌「正義の走者」を歌う(同)
正義合唱団、富士中学生合唱団が広布後継の誓いを込め、未来部歌「正義の走者」を歌う(同)

 幹部会の掉尾を飾ったのは、参加者全員による「広布に走れ」の大合唱。同歌は「正義の走者」発表1カ月前の、78年6月30日に学生部歌として発表された。
 
 「永遠に歌い継がれる歌を」と先生は歌詞を幾度も推敲。自ら作曲も手掛けた。
 
 折しも、学会は宗門の悪僧らによる理不尽な攻撃にさらされていた。先生は歌の制作に当たり、学生部のリーダーに訴えた。「どんなに苦しくとも、信義のため、正義のために、“使命の走者”として、広宣流布の大道を完走してほしい」
 
 学生部と未来部への尽きせぬ期待が脈打つ両歌の発表から今夏で45周年。若き友を先頭に、歓喜の歌声を響かせ、前進しよう!
 
 希望の暁鐘を打ち鳴らす本部幹部会では、冒頭、男女学生部の代表6人の活躍の模様が紹介された。
 
 第2総東京の女子学生部の友は、大学で主将として女子剣道部をけん引。昨年の全国大会でベスト16に入り、3月の東京六大学大会では優勝を果たした。今秋の全日本大会へ、栄光の頂を目指して、報恩の道を真っすぐに進む。
 
 奈良総県の男子学生部員は、幼い頃からの夢である電車の運転士になるため、勉学と学会活動に挑戦。本年、大手私鉄会社から念願の内定を得た。信心の確信を胸に、部長としてリーダー率先で広布に駆ける。

幹部会の最後に、全員で学会歌「広布に走れ」を高らかに。師と共に、わが人間革命の歴史をつづりゆく誓いに燃えて(同)
幹部会の最後に、全員で学会歌「広布に走れ」を高らかに。師と共に、わが人間革命の歴史をつづりゆく誓いに燃えて(同)

 池田主任副会長は、池田先生のメッセージを紹介。先生は法難80年の牧口常三郎先生と戸田城聖先生をしのびつつ、若人の大会を祝して四つの書を披露した。
 
 「王子王女乃城」
 
 「青春乱舞」
 
 「民衆」
 
 そして和歌「君等ゆけ 平和の戦士は われなりと 嵐の中を 勇み梶とり」である。
 
 雄渾な筆致で記された書が壇上に運ばれるごとに、感動の拍手が会場を包んだ。
 
 次いで、山下未来部長、押金少女部長が、この信心は、どんな悩みや疑問も、励ます力と知恵に変えていけると力説。未来部の友が主役となる今夏の“未来”座談会を通して、信心の楽しい思い出を残そうと呼びかけた。田島学生部長、先﨑女子学生部長は、学生部の結成大会で戸田先生が“半分は重役に、半分は博士に”と呼びかけられたように、今、同部が多彩な分野に陸続と人材を輩出している様子を発表。「創価の普賢菩薩」たる一人一人として、広布の未来を開く責任を果たしゆく決意を述べた。

英知と情熱で21世紀に平和の潮流を――未来部と学生部のリーダーがあいさつ。左から山下未来部長、田島学生部長、先﨑女子学生部長、押金少女部長(同)
英知と情熱で21世紀に平和の潮流を――未来部と学生部のリーダーがあいさつ。左から山下未来部長、田島学生部長、先﨑女子学生部長、押金少女部長(同)

 音楽隊の創価グロリア吹奏楽団、創価グロリア・ジュニア吹奏楽団と鼓笛隊の創価シャイニングスピリッツが「イン・ザ・ムード」「エル・クンバンチェロ」を軽快に演奏。コートジボワール創価学会のピエール・ヴェ理事長は、題目根本に社会で実証を示し、福運あふれるスクラムを広げる模様を報告。真正の同志と共に、破邪顕正の闘争で、広布を進める誓いを語った。

「21世紀はアフリカの世紀」との指針を胸に、正義の行進を続けるコートジボワールのメンバー(同)
「21世紀はアフリカの世紀」との指針を胸に、正義の行進を続けるコートジボワールのメンバー(同)

 原田会長は、学会には一人の人間が秘める無限の可能性を説く仏法の生命哲学と、信仰体験に基づく、真の“人間への肯定”があると力説。学生部・未来部の皆さんは、先生が心血を注いだ小説『人間革命』『新・人間革命』を熟読しながら、師弟の精神を深め、周囲を照らす希望の存在に成長してほしいと望んだ。
 
 最後に、2005年4月、学生部・未来部合同大会に続いて行われた、南米パラグアイの国立イタプア大学「名誉博士号」授与式での、池田先生のスピーチ映像を視聴した。
 
 ※本部幹部会の「モバイルSTB」での配信は、15日午前6時から(インターネットを通してダウンロードが必要です)。「SOKAnet会員サポート」では配信しません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立ミシオネス大学「名誉博士号」授与式〉 池田先生の謝辞

2023年06月13日 | 妙法

〈国立ミシオネス大学「名誉博士号」授与式〉 池田先生の謝辞(代読)2023年6月13日

  • 智慧と慈悲と勇気を引き出す世界市民教育の希望の大光を

 一、月光は、冴え渡る宇宙の英知の象徴でありましょう。

 私がいつの日か仰ぎたいと憧れてきた月があります。それは、南米随一の短編作家と名高いオラシオ・キローガが、目にできるものの中で最も美しかったと讃えた「森の漆黒を貫いて見えるミシオネスの月」(甕由己夫訳『野性の蜜――キローガ短編集成』国書刊行会)です。

 一、この比類なきミシオネスの名月のごとく妙なる英知の光を、世界へ未来へ送りゆかれる貴大学より、本日、私は最高に誉れある名誉博士号を賜りました。

 貴大学のご高配により、良き市民、良き国民、良き世界市民として、日々、献身する、わが敬愛するアルゼンチンSGIの宝友たちと、このように一緒に拝受させていただけることが、何よりの光栄であります。誠に誠に、ありがとうございます(拍手)。

 一、とりわけ、私たちSGIにとりまして、あす6月10日は、1951年、生命の尊厳を護りゆく平和の女性のスクラムを発足した原点の日であります。

 その意味において、高名な森林科学エンジニアであられるボレン総長が誇らかにアルゼンチンの女性に呼びかけられた力強いエールを、草の根のグループで、麗しい励まし合いの対話を繰り広げている日本をはじめ、世界192カ国・地域の母たち女性たちに、そのまま伝えさせていただきたいのであります。

 すなわち「明確な目的観を持った女性は、どんな困難にも打ち勝つことができます」と。

池田先生を「名誉博士」に推挙した森林学部があるエル・ドラドのミシオネス大学キャンパス
池田先生を「名誉博士」に推挙した森林学部があるエル・ドラドのミシオネス大学キャンパス

 
 一、今、世界的な気候変動など多事多難の時代にあって、貴大学は、樹木と豊かな水資源が描かれた美しい校章さながらに、人間と自然の共生社会を創造する知性の殿堂として、幾多の卓越した人材を送り出され、絶大なる貢献を果たされております。

 民衆の大地に開かれ、生命の大森林を厳護されゆく貴大学は本年、晴れの創立50周年を迎えられました。
 私たちは心からお祝いを申し上げたいのであります(大拍手)。
 
 

人間と自然の共生社会へ「心の中の革命的変革」こそ
国立ミシオネス大学が創立された1973年、池田先生はイギリスの歴史家トインビー博士と人類の未来を展望して語り合った(同年5月、ロンドンで)
国立ミシオネス大学が創立された1973年、池田先生はイギリスの歴史家トインビー博士と人類の未来を展望して語り合った(同年5月、ロンドンで)

 
 一、貴大学が創立された1973年は、私にとりまして20世紀を代表する英国の歴史家トインビー博士と、地球の未来を巡り対話を重ねた年であります。

 対談の中で博士は、環境破壊をはじめとする世界の危機に警鐘を鳴らし、こう結論されました。

 「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです」(『21世紀への対話』本社刊)と。

 そして博士と私は、人間生命の尊厳性とともに宇宙大の可能性へ、探究の語らいを進めたのであります。
 人間には、自らの欲望を律する「智慧」があります。

 他の生命の痛みを、わが痛みとする「慈悲」があります。未来を見通し、どんな逆境も転ずる「勇気」があります。

 その共生の「智慧」と「慈悲」と「勇気」を引き出し、結び合わせていく源泉が、「環境教育」であり、「世界市民教育」でありましょう。さらにまた、いかなる暴力にも屈せず、あらゆる差異を超えて、貫いていく「対話」ではないでしょうか。
 
 一、この半世紀、トインビー博士から託された教育と対話の道を、私は走り抜いてきました。そして今、この道に、アルゼンチンをはじめ世界の青年が澎湃と続いてくれていることが、この上ない喜びであります。

池田バンガード・オーケストラの演奏で、壮年・婦人部の創価合唱団がミシオネス州の歌「ミシオネリータ」を歌い、式典を彩った(アルゼンチン平和講堂で)
池田バンガード・オーケストラの演奏で、壮年・婦人部の創価合唱団がミシオネス州の歌「ミシオネリータ」を歌い、式典を彩った(アルゼンチン平和講堂で)

 
 一、世界に尊敬と信頼を広げ、平和を築きゆくために、アルゼンチンの宝友と私が大切にしている仏典に、「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)とあります。

 思えば、美しき月天も大空にあって、日天に向かって礼拝をなし、日天もまた月天を礼拝して、深秘の光を映し出しているといえるかもしれません。

ミシオネス州は、世界三大瀑布の一つである「イグアスの滝」で有名
ミシオネス州は、世界三大瀑布の一つである「イグアスの滝」で有名

 
 一、私たちもまた、尊敬してやまない貴ミシオネス大学の先生方と生命の交流を深めながら、平和と共生の地球社会の創造へ、新たな希望の大光を放ちゆくことをお誓い申し上げ、謝辞とさせていただきます。

 創立100周年への貴大学の大いなる飛翔、そして憧れの宝土ミシオネスをはじめ貴国の限りない繁栄と安穏を心よりお祈り申し上げます。

 ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)(大拍手)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母よ 幸あれ! 和楽あれ! 池田先生の写真と言葉によって築かれる人生の土台

2023年05月13日 | 妙法

母よ 幸あれ! 和楽あれ! 池田先生の写真と言葉「四季の励まし」2023年5月14日

 【写真説明】白と黄のゆりの花が凜と咲く。2011年(平成23年)5月、池田大作先生が都内でカメラに収めた。
 ゆりは古来、母性の象徴とされ、人々に愛されてきた。白ゆりは、女性部のシンボルでもある。
 かつて先生は詠んだ。「白ゆりの 不思議な香りは 天までも 昇りて諸天も 我らを護らむ」
 母の慈愛が、どれほど深く尊いか。日蓮大聖人は「『大悲』とは、母の子を思う慈悲のごとし」(新1005・全721)と、仏法の大慈大悲を“母の心”に譬えられている。
 きょうは「母の日」。生命を育み、輝かせゆく母たちに、心からの感謝を伝えたい。
 

池田先生の言葉

 母は、
 わが家の太陽である。
 いな、
 世界の太陽である。
 いかに暗き
 厳しい状況になっても、
 母がいると
 笑顔の満開の光が
 消えることはない。
  
 母が輝けば、
 周囲の暗闇も明るくなる。
 笑顔の花が
 一輪また一輪と咲き薫る。
 広布の道を進む
 母の祈りと行動は、
 必ず地域再生の
 大きな力になっていく。
  
 生命を育む力。
 生命を尊ぶ心。
 本来、
 「命」そのものに
 国境も差別も格差もない。
 あってはならない。
 それを誰よりも実感し
 知悉しているのは、
 女性である。
 創価の女性たちは、
 生命尊厳の大哲学を掲げ、
 一人の人を大切にする
 実践をたゆみなく
 積み重ねている。
 それが、
 いかに重要な
 平和創出の意義を
 持っているか、
 計り知れない。
  
 人を育てる苦労と喜びは
 何と尊く、深いものか。
 わが子のため、
 わが友のため、
 祈り、悩み、尽くす。
 その目に見えない
 労苦と奮闘は、
 必ずや自分自身の生命の
 福徳となって積まれる。
 そして、その福徳が、
 そのまま、
 わが子に、わが友に
 伝わっていく。
  
 今ほど、母の願いが、
 皆の心に
 深く響く時はない。
 今ほど、母の声が、
 皆に勇気を贈る時はない。
 母よ、強くあれ!
 幸あれ! 和楽あれ!
 健康あれ!
 偉大なる
 「人間世紀の母」たち、
 万歳!

――共育のまなざし〉 食事によって築かれる人生の土台2023年5月13日

料理研究家 土井善晴さんに聞く ㊦
それぞれの家の台所は、地球とつながっている。
 
  •  

 料理することは、実は地球とつながることでもある――。料理研究家の土井善晴さんは、家庭料理における「一汁一菜」の提案を通して、料理の持つ幅広い力について発信しています。12日付の㊤に続き、料理することの奥深さを聞きました。(聞き手=掛川俊明、村上進)

自然が作るおいしさ

 ――前回の㊤(12日付)では、一汁一菜というスタイルについて伺いました。ご飯と味噌汁は食べ飽きない、という話は印象的でした。
 
 食べ飽きるものと、そうでないものがあるのは、自然と人工の違いです。人工を優先するのは西洋的な考えによるものです。
 「脳が喜ぶ快楽的なおいしさ」と「細胞の一つが喜ぶおいしさ」をどう捉えるかという違いもありますね。肉の脂身やマグロのトロが、食べると反射的に「おいしい!」となるのは、舌先と直結した脳が喜ぶ「快楽的なおいしさ」です。
 「細胞の一つが喜ぶおいしさ」というのは、食べた後に「身体がきれいになったような気がする」ということがあるでしょう。落ち着いて静かにしていないと気が付かないことかもしれません。
 快楽的なおいしさというのは、カーニバル(お祭り)で食べるものです。静かにしていないといけないのは、野菜の風味、毎日食べる味噌や漬物といった自然が作る穏やかなおいしさです。それは心地よさとして身体が受け止めているのです。
 前者はあえていえば晴れの食べ物で、後者は毎日の料理の中にあるものです。お店で食べるラーメンや焼き肉は、前者になるでしょう。
 たまに食べて楽しむものと、毎日食べて心身を整える食べ物を意識して区別してください。
 快楽的な食べ物って、受け身でいられますから、楽ちんなんですね。後者の食べ物は、静かにしていなければ聞こえてこない川のせせらぎや、鳥のさえずりのような音に例えられますね。静かにしていないと聞こえてこないおいしさが、感性を磨いてくれるのです。

「ええかげん」

 ――小さな変化に気付いて、感性を磨く。料理には、そうした力も備わっていたんですね。
 
 私は大阪生まれですが、大阪の言葉には、今でも知恵がたくさんあると感じています。大阪の言葉に限りませんが、土地の言葉は、その土地とつながった、地に足が着いた言葉なんですね。子どもの頃は、「ええかげんにしなさい」言うて、よう大人に叱られました。
 「ええかげん」とは、昨日と今日は違うやろということです。「アホの一つ覚え」言うて、同じことばかりしてたらいけません。ちゃんと自分で考えて、どこまでが良くて、どこからが悪いかを、状況に応じて自分で判断できなあかんと言うてるわけです。
 昨日と今日は違います。この世は、ものともの、人と人、ものと人、自然と人、全て関係の間で変化するのです。いつもいろんなことを感じたり、思ったりするでしょう。それが情緒です。
 自分で直観的にどうするかを感じなさい。いくら考えても分かることじゃないし、教えられることじゃない。「ドントシンク、フィール!(考えるな、感じろ!)」って、ブルース・リーが言うてたやつです。料理もそうですね。自分を信じて料理できたらいい。
 レシピいうのは他人の感性に依存するということですから、それこそ「ええかげん」にしたらいいのです。レシピ通り調味料を正確に計量するだけでは、なんにも楽しくないでしょう。クリエーション(創造)である料理がただの計量作業になってしまう。それではもったいない。
 大阪の言葉には「知らんけど」というのもあります。何でも分かっているのかなと思いきや、最後に「知らんけど」って言うのです。それが正しいか、間違いかはきちんと自分で考えて答えを出しなさいよ、っていう意味です。無責任に聞こえますけど、相手の考えを尊重するということです。
 今よく聞く「自己責任」とは違います。自分で信じたことが間違ってたら、自分で責任を取ればいいだけのことなんです。そんなん当たり前のことでしょう。自己責任は人に対していう言葉じゃない。「自己責任」という人がいちばん無責任な人じゃないでしょうか。

「進化」と「深化」は違う

 私たちは、新しいことをやらんとあかん、誰もやっていないことをやりなさいと、「進化」しろとずっと言われてきたんです。和食には「何もしないことを最善とする」という考えが根本にあります。それが素材を生かすこと。今あるもの(旬)を食べることです。だから、和食は工夫しないことが大事なんですね。それが和食の真価です。そこに「道」があることが分かるでしょう。
 では、「進化」とは何か? 西洋の自然観から生まれた人間の存在価値です。和食における、人間存在の創造は「深化」です。西洋の人間存在の創造である「進化」とは、まるっきり違うのです。でも、日本の私たちは半分西洋人のつもりですから、話がややこしい。「進化」には、そう生きるべきという宗教や哲学が土台にあります。その土台なしに「進化」しようとするから薄っぺらいのです。ちょっと難しくなりました。私たち日本人が得意なことは「深化」です。
 ある時、高校で講演をしたら、生徒から「家庭料理のない家もあるんだから、そんな話をしないでください」と言われたことがあります。1人暮らしでも自分で作って自分で食べることが大事だと言ってきましたので、彼にも自分で作って食べなさいと言いました。
 料理とは人間を人間たらしめる行為だからです。人間は料理する動物だからです。人間は料理することで人間になりました。料理は文化です。文化とは、人間が自らの命を守る術なのです。

自然と人間の間に

 ――著書では、地球と人間の間に料理があると書かれています。自然や地球は、日常とは離れた大きなもののように感じますが、料理とはどのように関係するのでしょうか?
 
 料理しようと思えば、自然を思う。自然を思えば自然を大切にしようと思うでしょう。翻って、食べる家族を見れば、家族を思って料理するでしょう。すなわち、料理する人は、地球(自然)と人間の間にあるのです。それぞれの家の台所は、地球とつながっていることが分かるでしょう。
 今、世界の大問題は環境危機でしょう。このままでは30年先には、人間の力で自然を制御できる限界を超えてしまうといいます。自分のことならどうでもいいと言えますが、子どもたちや、まだ生まれてこない孫を思うと、ちゃんと考えないといけません。全ての命は、次の世代のためにあるのです。私たちに何ができるか。それは料理することだと考えています。
 味噌汁の中に何でも入れて食べ切ることです。みんながそうすれば、家庭におけるフードロスはすぐにでも解決します。ちゃんと知ることですね。現状から目を背けないでほしい。ちゃんと地球に参加しろということです。

「もの喜び」する

 ――著書では「料理をなめてはいけない」というタイトルの章もありました。
 
 そうなんです。料理をなめたらあかんのですよ。
 「食べるだけの人」は、自分勝手でしょう。おなかがすけば機嫌が悪くなるし、酒を飲めば酔っぱらう。身体と精神は平衡するのです。食べるだけの人の多くは、男の人でした。
 「人間が何を食べてきたか」という書物は何冊もあるでしょう。それって、男の権力の歴史なんですね。一方、「人間はどんな思いで料理をしてきたか」ということを、きちんと考えた学術書は、世界中どこを探してもありません。
 料理する人の思想をみんなが持つべきです。一汁一菜でいいですから、全ての人が料理できるようになると、料理する人の気持ちが分かるでしょう。そうすれば何かが変わるかもしれません。
 料理して食べるという暮らしに幸せはあるのです。いつも変わらないところに無限の気付きがあるのです。具だくさんの味噌汁の話をしましたが、一わんの中に無限の自由があります。有限の無限です。有限の世界の中に、毎日違うものができてくる。それを見つけるのです。
 自ら発見するところに喜びがあります。小さな発見の積み重ねが、大発見、大発明にもつながるのです。
 小さな気付きをする人を関西では「もの喜びする人」といいます。お料理をしても、自分で食材の違いに気付いて変更できる人、お料理を食べても自分で気付いて喜べる人です。そんな人は自らうれしくなって、笑顔になって、周りの人を幸せにできる人なのです。

 どい・よしはる 1957年生まれ。料理研究家。「おいしいもの研究所」代表。十文字学園女子大学特別招聘教授。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。日本の伝統生活文化を現代に生かす術を提案。著書に『一汁一菜でよいという提案』(新潮文庫)、『くらしのための料理学』(NHK出版)など多数。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち

2023年05月07日 | 妙法

〈ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第31回 パール・バック2023年5月7日

全ての母に真心からの感謝を――池田大作先生が深紅のカーネーションをカメラに収めた(2007年5月撮影)。先生は語っている。「妙法に生きぬく女性が、幸せにならないわけがない。必ず最高に幸福な人生を歩んでいける。創価の母たちを、そして娘たちを全宇宙の仏菩薩が讃え、断固として守ることは、絶対に間違いないのである」
全ての母に真心からの感謝を――池田大作先生が深紅のカーネーションをカメラに収めた(2007年5月撮影)。先生は語っている。「妙法に生きぬく女性が、幸せにならないわけがない。必ず最高に幸福な人生を歩んでいける。創価の母たちを、そして娘たちを全宇宙の仏菩薩が讃え、断固として守ることは、絶対に間違いないのである」
 
〈パール・バック〉
どんな変化があろうとも、
今日こそ最良の一日にしようという
勇気と信念で、新しい日々を始めよう。

 85年前の1938年、アメリカ人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した人物がいる。
 
 女性の名はパール・バック。代表作『大地』などを著した小説家であり、差別や暴力と戦い抜いた社会活動家としても知られる。
 
 彼女は言う。
 
 「生命と満足の秘訣は、どんな変化があろうとも、今日こそ最良の一日にしようという勇気と信念をもって、新らしい日々を始めることです」
 
 パール・バックと同時代を生きた「アメリカの人権の母」エレノア・ルーズベルト大統領夫人はつづっている。
 
 「もし我々年長者が、バック夫人のごとき勇気を示せば、おそらく次の世代の人々は、我が国を真の民主主義国家にする勇気を持つことでしょう」

アメリカの小説家パール・バック(1892―1973)©AP/アフロ
アメリカの小説家パール・バック(1892―1973)©AP/アフロ

 
 昨年、生誕130年を迎えたパール・バックは、アメリカ・ウェストバージニア州で生まれた(1892年6月)。生後数カ月で宣教師である父の任地・中国へ移住。幼少期から10代後半までを異国の地で過ごした。
 
 “青い目で金髪の外国人”として、偏見のまなざしを向けられることもあったという。西洋と東洋の間で生きるような孤立感は後年、人種差別撤廃運動などに身を投じるきっかけとなった。
 
 そんな彼女の成長に大きな影響を与えたのが、母の存在だった。列強諸国の侵略下にあった中国で、一家は憎悪の対象となり、時に命に危険が及ぶ困難に襲われた。
 
 しかし、母はどんな試練にも負けなかった。進んで人々の中へ飛び込み、母子のための健康相談所や読書指導の教室などを開設。宿命に泣く女性に同苦する姿が親しみを呼び、母の周りには中国の婦人たちが集まってきた。
 
 母のことを述懐したパール・バックの言葉にこうある。
 
 「わたしのもっているすべてのものは、母から与えられた」
 
 「母の澄んだ声は常に勝利の響きをもっていた」と――。

中国・鎮江市に立つパール・バックの旧居©アフロ
中国・鎮江市に立つパール・バックの旧居©アフロ
 
〈パール・バック〉
しなければならないことは
目の前にあります。今こそ女性が
自分自身を考え、扉を開く時です。

 高等教育を受けるため、パール・バックが中国からアメリカに渡ったのは18歳の時である。
 
 バージニア州のランドルフ・メイコン女子大学に入学。成績は優秀で、特に言語学や文学などの科目に力を注いだ。在学中には、小説の執筆も開始。卒業後は母の病の報を受け、中国に戻った。
 
 やがて農業経済学者で宣教師の夫と結婚。それから3年後の1920年、待望の長女キャロルを出産する。だが、喜びもつかの間、最愛の母が他界してしまう。
 
 さらに試練は続いた。夫が教壇に立つ南京大学で英文学を教えていた彼女だったが、娘に発育の遅れを感じ、その原因究明と治療を求め、アメリカの病院へ向かう。診断の結果、重い知的障がいがあることが判明。完治が見込めないと告げられたショックは、あまりにも大きかった。
 
 そこからパール・バックの苦悩の人生が始まった。悲嘆に暮れて中国に帰り、1人でいる時は「わたしの全身をすべて悲しみにまかせて泣いていました」と振り返っている。あまりのつらさに娘の死を願ったことさえあった。
 
 そうした歳月を経て、彼女は徐々に「悲しみとの融和の道程」を歩み出し、事実をあるがままに受け入れていく。「これが、わたしの人生なのだ。わたしはそれを生きぬかなくてはならないのだ」と。そして、娘の存在に深い意味を見いだし、後の文学活動と平和運動の力へと変えていったのである。
 
 「人はすべて人間として平等であること、また人はみな同じ権利を持っていることをはっきり教えてくれたのは、ほかならぬわたしの娘でした」
 
 「ノーベル賞は、この娘が与えてくれた」

ノーベル文学賞の授賞式に出席したパール・バック㊧(1938年12月、スウェーデンのストックホルムで) ©Bettmann/Getty Images
ノーベル文学賞の授賞式に出席したパール・バック㊧(1938年12月、スウェーデンのストックホルムで) ©Bettmann/Getty Images

 
 娘が9歳になった29年、将来を見据えて、アメリカの施設に預けることに。愛するわが子を支えるため、パール・バックは懸命に筆を振るった。
 
 翌30年、中国における東西両文明の確執を描いた『東の風・西の風』を出版。31年には、中国の農民生活に光を当てた『大地』を発表し、ベストセラー作家に。同作品で、全米の報道・文学界における栄誉「ピュリツァー賞」を受賞した。
 
 42歳になると、アメリカに永住帰国(34年)。人種差別や男女差別の撤廃運動などに積極的に取り組むようになる。
 
 ノーベル文学賞作家となってからも、信念のペンを執り続け、後年は恵まれない子どもたちへの支援に尽力。私財を投じてパール・バック財団などを創設した。
 
 73年3月、パール・バックは80年の生涯を閉じる。
 
 「しなければならないことはすでに目の前にあります。チャンスがあなたを待ち受けているのです。いまこそ、女性が自分自身を考え、扉を開く時です」
 
 「すべての活動になくてはならないのは、希望なのです!」

 ――動乱期の中国で過ごした日々。障がいのある娘の誕生。夫の無理解と離婚……。幾多の苦難の壁に直面しても「希望」を捨てなかった彼女の人生は、没後半世紀を経た今も、偉大な作品、珠玉の言葉と共に、世界中の人々を鼓舞し続ける。

母への感謝を忘れず、親孝行の人生を! 栄光の大空へ羽ばたけ!――未来を創りゆく使命深き子どもたちに、慈愛の励ましを送る池田先生ご夫妻(1991年9月、アメリカのボストンで)
母への感謝を忘れず、親孝行の人生を! 栄光の大空へ羽ばたけ!――未来を創りゆく使命深き子どもたちに、慈愛の励ましを送る池田先生ご夫妻(1991年9月、アメリカのボストンで)
 
〈パール・バックを語る池田先生〉
最も大きな苦しみを乗り越えた人は
最も大きな境涯を開き、
最も大きな幸福を広げゆく人だ。
この人間革命の体験を分かち合う
行動が平和と勝利の道を創るのだ。

 1960年5月、パール・バックは日本を訪問。東京など各地に足を運んでいる。
 
 同年5月3日、池田先生が第3代会長に就任。世界広布の大長征を開始した。
 
 後に先生は、意義深き「5・3」を「創価学会母の日」にと提案。本年で制定35周年を迎えた。この間、折々にパール・バックの生き方を通し、母たち女性たちに励ましを送っている。
 
 「彼女は語っている。
 
 『悲しみには錬金術に似たところがある』『悲しみが喜びをもたらすことはありませんが、その知恵は幸福をもたらすことができるのです』
 
 ましてや、苦労した人が一番、幸福になれる信心である。妙法を唱えながら貫いた努力と忍耐は、必ず未来の宝と輝くことを、明るく確信していただきたい」(2012年6月22日付「随筆 我らの勝利の大道」)
 
 「何があっても、たじろがない。嘆かない。たとえ、今が悔し涙の連続であろうと、無敵の祈りは、一切を栄光の歴史に昇華してゆくのだ。
 
 重い障がいのある娘を育てつつ、『母の肖像』『大地』等の名作を世に問い、平和運動に邁進したアメリカの女性作家パール・バックは叫んだ。『最も悲しみに満ちた行路を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊敬に値することを知りました』
 
 最も深い悲しみから立ち上がった人は、最も深い哲学を学んだ、最も深い慈悲の人だ。最も大きな苦しみを乗り越えた人は、最も大きな境涯を開き、最も大きな幸福を広げゆく人だ。
 
 この人間革命の体験を友に語り、分かち合う、母たちの行動が『幸福と平和と勝利の道』を創り開くのである。
 
 『広宣流布は、女性の力で成し遂げられる!』
 
 恩師のこの確信は、私の胸にも、絶対の確信として輝き渡っている。母の祈りは、皆の心を動かさずにはおかない。母の言葉は、友の胸を揺さぶらずにはおかない。(中略)
 
 さあ、強く朗らかに、また堂々と、自身の体験を、創価の正義を、語り抜こうではないか!
 
 偉大なる幸の教養博士よ、万歳! 人間世紀の母たちよ、万歳!」(15年6月8日付「随筆 民衆凱歌の大行進」)
 
 パール・バックの『母の肖像』の結びには「彼女をめぐって生活していた私たちにとっては、何と素晴らしい生活であったろう!」と、母への感謝がつづられていた。
 
 かつて先生は、この言葉を紹介し、高らかに宣言した。
 
 「わが『創価の母』たちは今、彼女たちが夢見た平和と幸福と人道のスクラムを、世界中で、幾重にも大きく広げてくださっている。その尊貴な実像は、素晴らしい『創価の母の肖像』として、永遠に仰がれ、讃えられ、留められていくにちがいない」
 

 【引用・参考】パール・バック著『母の肖像』村岡花子訳(『ノーベル賞文学全集』7所収、主婦の友社)、同著『母よ嘆くなかれ』伊藤隆二訳(法政大学出版局)、ピーター・コン著『パール・バック伝 上下巻』丸田浩ほか訳(舞字社)、松坂清俊著『知的障害の娘の母:パール・バック』(文芸社)ほか
 

 ご意見・ご感想をお寄せください。
 【メール】news-kikaku@seikyo-np.jp
 【ファクス】03-5360-9613
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする