芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

総合病院

2009-01-28 23:25:16 | Weblog
テレビの右上に出ている「アナログ」という文字が今月から表示されている。
景気高揚につながるかもしれなが、現在のところデジタルテレビの購入はしていない。
いや購入できないが正確な言い回しかもしれない。
自分としても「アナログ」をみていることは充分承知しているゆえに、
あの画面右上の表記は、過剰な親切告知であり不快に感じている。
さらに、洗脳を目的としているかのように何度も繰り返される地デジのCM。
そんな書き出しで、ケーブルテレビについて書こうかとも思ったが・・。

本日感じたことを書き残すことにしたい。

実は身内の老人の体調が悪くなったので、
急遽、総合病院に同行することになった。
その老人は、今朝自立できない状態だった。
二階に住んでいるその老人を一階に降ろすことにまず一苦労。
老人の腕にも力が入らない。
「オンブすればよい」と安易に老人運びを引き受けた私は、
老婆を抱え、お姫様抱っこをするはめになった。

教訓→老人といえども、すごく重い。
出来れば老人は一階に住む方がベターだ。
さらに自分の力の無さ、体力の衰えを痛感。
いざと言う時の為に体力増強も必要。

やっとで総合病院に到着。
受付を済ませて指定された内科処置室へ向かった。
まず、A医師登場。
老人に対して質問。
「お名前は?」「数を1から数えて?」
「大丈夫ですね。」
「私が担当ではなさそうです。」
「私は精神科の医師ですから」
この病院は、患者にも聞こえる場所で付き添い人に説明をしてくる。
誠に奇妙な感覚。
ここでこの病院の実名は差し控えるが、
誰もが聞いたことのあるような有名な総合病院であるのに。

次にB医師登場。
開口一番に「加齢による衰えであれば、それは病院では治せません」。
診療開始。
確かに老人であるが、
日頃の状態と異なっていることが明白だからこそ病院に連れてきているのに・・。

次にC医師登場。
「右足あげてください。」
「左足あげてください。」
「出来るじゃないですか。」
との確認でさらに次の医師が呼ばれた。
問診を行なったが異常なしとの反応。

さらにD医師登場。
こちらからとにかく検査してほしいことを告げた。
採決、レントゲン、心電図・・。
数値結果を見たD医師より即時の入院を薦め。

数値など見なくても、
何らかの以上があるということは日頃より接している身内が一番判っている。
なのに当初、その声は医師には届かなかった。
老人というだけで、
医師の担当分野ではなく介護担当分野の仕事であるという線引きをしようとしていることを強く感じてしまった。
検査結果を見て、
それが医師の仕事の範疇であるとわかった際の対応の変化にも驚ろかされた。
いずれにしても、
付き添いの言葉にも耳を傾け患者の問題点を感じ取り、
温かな対応をしてくれたのは看護士であった。
感謝、感謝である。
日頃の忙しさもあるかもしれないが
医療現場におけるカウンセリングマインド、
つまり聴く力をもった医師は少ないのかもしれない事を痛感した一日だった。
コメント (1)
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『地下鉄のミュージシャン』スージー・J・タネンバウム 宮入恭平<訳>

2009-01-21 23:05:38 | Weblog
渡辺ゼミ所属の宮入さんが、
単著「ライブハウス文化論」につづいて「地下鉄のミュージシャン」を翻訳出版した。
今年度内に単著と翻訳書の2冊の出版。
博士課程在籍中の院生の活躍としては目を見張るものである。
大学に職を得ている研究者ばりの凄い活躍。
さらに学会発表、ライブハウスでのミュージシャンとしての活動、
そしてゼミでの新規プロジェクト参加と超人のようだ。

日本にいてアメリカを知る機会は非常に少ない。
テレビ放映されるNBAやメジャーリーグくらいではないだろうか。
オバマ大統領の就任式はまさに異例中の異例だ。
増してやニューヨーク地下鉄のミュージシャンの実態などは、
積極的に現地に赴くか、または原書でそれらを調べるしかない。
もちろんアメリカの地下鉄における音楽演奏の状況など想像もつかない。
そのような意味においては、
ニューヨークのストリートミュージシャンの状況を知る手立てを提供してくれた本書の役割は大きいと考えられる。

ニューヨークのミュージシャンは地下鉄での演奏の場を獲得してきた経緯がある。
日本でも同様の文化事業を行う動きがみられる。
例えば、それは東京の「ヘブンアーティスト事業」である。
しかし、それはニューヨークのそれと似ているがまったく異なるもの。
お上が許認可権をもち、
審査会に合格したアーティストに指定の公共の場所での活動を認める国と
自らが発信するために地下鉄内での演奏の権利を勝ち得てきたアーティストがいる国。
アーティストが生演奏しているニューヨークの地下鉄。
日本の場合は電車の発着を知らせる電子的機械音の山手線。
同じようなことを試みるが全く異なっている。

ミュージシャンとオーディエンス、そしてオーディエンス間の「出会い」。
それをゴフマンの「焦点の定まった相互行為」。
乗客を「焦点の定まらない相互行為」で説明していることは理解しやすかった。
地下鉄の多くのミュージシャンへのインタビューに加えて、
駅で音楽に触れる交通警察官、駅長、売店店員などへの聞き取り調査も
実態をあぶりだす、活きたインタビューであった。
このような質的調査手法は、
社会調査をこれから行う大学生にとっても良い見本となりえるはずである。
最後に、翻訳をするにあたって版権取得など全ての交渉を宮入さん一人で行ったとのこと。
すごいの一言である。
最後に訳者としての宮入さんの〆の言葉が心に残った。
「穏やかすぎる東京の地下鉄にて」
さすがに常にいかす歌詞を書いているだけに光る一文であった。
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『キットカット』

2009-01-14 22:16:17 | Weblog
最近読んだ本『テレビと外国イメージ』で印象に残ったことは
日本のCMでは体内に入れる医薬品や飲料、
そして直接肌に塗るような化粧品等については日本人が主人公となるそうだ。
確かに正露丸(胃腸薬)やオロナミンC、リポビタンD(ビタミン飲料)、
そしてドモホルンリンクルで60歳でもこんなに若い肌のモデル女性も日本人だ。
それ以外の体内には入れない
肌身につけるような宝飾品や高級衣料品には外国人が採用される場合が多い。
その理由として私が思うに
日本人を主役にしているのは、「安心」がキーワードではないかと思う。
自己の体内にいれる異物については、
自分から見て内なる人ではない、
つまり「外人」ではだめなのかもしれない。
そんな本を読み終わった直後にCMを注視していて気になったのは
「キットカット」のコマーシャルだ。
御存じのように「キットカット」は、ネスレのチョコレートである。
なぜ、そのCMが気になったかといえば、
最近、生徒への配布をお願いしたいとの理由で
職場に大量にキットカットが送付されてきて、
それらを生徒に配布したばかりだったからである。
販売用の正規版との相違は
表のパッケージの一部にPR会社のURLが刷り込まれていた。
まさにネスレと進学情報PR会社とのコラボレーションである。

ここ何年か前から「キットカット」はダジャレから
「きっと勝つ」をイメージし受験生のお守り的存在になっている。
なんと受験生の4人に1人は「キットカット」を受験日に持っていくという。
販売促進に無料でそれを配り、
一時的にCMを大々的に流しても十分に元がとれることはうなずける。

二匹目のドジョウを狙い、多くの入試関連ダジャレ商品が店頭に並んでいる。
「ゥカール」(うかる、合格する)
「キシリトール」(きっちり通る、合格する)
「ハイレモン」(この時期はハイレルレモンとして販売)
「カルボナーラ」(受かるボナーラ)
「スーパーカップ」(カップ麺、この時期は“勝ップ”で販売)
「Toppo」(この時期は「Toppa」突破と最後の文字をaに変更)
「キャラメルコーン」(この時期は「カナエルコーン」
「コアラのマーチ」(コアラは落ちない)
「ポッキー」(この時期は逆から読んでキッポー“吉報”)

ちょっと無理があるのではないかと思ってしまうものもあるが
まさに商魂たくましい限りである。

この手のネーミングは、
広告会社の中年のオヤジたちが楽しみながらアイデアを出していることを想像してしまう。
中年の私も普通以上に職場でダジャレを連発している。
しかし、私のダジャレでは売れる商品には結び付きそうにもない。
まさに「そんなシャレ、よしなシャレ」と言われそうだ。

*今期の後期ゼミ終了。
 3月初旬までに3作品を仕上げるという課題が出されました。
 不安や焦りも正直ありますが
 なんとか頑張ります!!


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「英語でしゃべらナイト」

2009-01-07 10:31:00 | Weblog
都内のある女子高で英語を教えている友人からの賀状には
このような一言が書かれていた。
「英語で英語を教える。日本語で授業しても伝わらないのに・・・。」
という現場の嘆きとも取れる賀状がとても印象に残った。

この友人は非常に流暢な英語を話す人物である。
私のように日本語のリズムのとり方で英語を話す「ジャパリッシュ」、
又は「ジャングリッシュ」ではない。
姉妹が米国在住と言うこともあり、
年に何回も渡米。
所謂、生徒からも羨望の眼差しで見られるような英語なのである。
まさに「英語ぺらぺら」の人物の嘆きなのである。

2009年からは小学校にも正式に英語教育が導入される。
NHKの番組タイトルのように、
まさに「英語でしゃべらナイト」が学習指導要領の改訂に反映されている。
今でさえ、中等教育の現場では「試験の英語」に重きが置かれている。
抜本的な改革をするのであれば、
大学受験の試験科目から英語を外してしまうことが最良の策であると私は思う。
英語は本来言葉であり、他者と会話をするためのメディアなのだから・・・。
同様に古典や漢文も受験科目から外してほしいが・・。

今回の指導要領改訂で印象的な科目名は、
・「数学活用」
・「科学と人間生活」
・「コミュニケーション英語基礎」
・「生活デザイン」
・「社会と情報」
狙いは、単に教科指導に終わらないで、
学校を出てからの生活に生かせるような
応用を含んだ指導が求められているのではないかと思われる。

学習指導要領の改訂で、
国立大学教育学部の付属校の研究はさらに活発になっていくのであろう。
しかし、
多くの学校では指導要領が変更になっても
たいして変化しないのではないかという疑念を感じてしまう。
大学入学試験自体がかわらなければ、全て変わらない。

さらに現場の問題点として環境問題が社会のテーマになると、
「現代社会」、「保健」、「家庭」
で同じような内容項目の授業が展開されていることに多くの生徒たちは不満を抱えていた。
現場の声、生徒の声がいつも反映されていないのではないか?
反映されるのは、選ばれた研究指定校の声ばかりだ。

上記のように今回もハイカラな科目名が並んでいる。
各分野を代表するような専門家や研究者たちの英知を結集し
科目の精錬が実施されたことに間違いはない。
しかしながら、今回もまた横の連携がなされていないようにも思われる。

以下に示すのは今回の外国語教育の目標である。
→は私の心の声。

「外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,」
→母語でのそれらを理解する十分な教育はなされているの?

「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,」
→それは英語に限ったことではなく、幼稚園でしっかり学ぶべきでは?
 そもそも授業のスタイルが米国流とは異なっているのに。

「情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。」
→よく問題にされる“KY”。
空気読めない行動が若者を中心とした行動特徴とされているのに空気を読んだコミュニケーション能力を英語の授業で養成できるのだろうか?

*通信の問題によりブログの変更が滞っていたことをお詫びします。
 昨日はゼミの新年会。
 ブンジで議論しすぎ。
 さらに飲みすぎました。
 
 最終の中央線は中野止まり。
 一昨年はマンガ喫茶で夜を過ごし、
 昨日は24時間サウナ。
 幾つになってもダメな私です。
  

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