芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

『何も思い当たらない先週を振り返る』

2019-06-25 07:07:07 | Weblog

 <少しだけ嬉しかったこと>

東京オリンピックチケットの当選発表が先週ありました。

職場では、全滅の人もいれば最大3種目の観戦が当たった人もいたようです。

私は開会式、閉会式、バドミントン、陸上、体操を購入希望だったのですが、それらは残念ながら全てダメでした。

そんな中、1競技だけチケットを手に入れることができました。

それは日本ではマイナーなスポーツの「ホッケー」です。

なぜ、ホッケー観戦希望したのか?

その理由は居住区に比較的近い「大井ふ頭中央海浜公園」で実施されるからです。

そこには無料の設備が整ったドックランが併設されているために、ほぼ毎週通っている場所です。

昨年からドックランとサッカー場があった場所に新たにホッケー場が作成されている光景をずっと観測してきました。

あの会場で競技を見てみたいと思った次第です。

夏の暑さもあり、屋外競技場でのホッケーの試合は19時位の開始のようです。今から観戦が楽しみです。

 

 <少々落ち込んだこと>

今年の2〜3月にかけて、かなりのエネルギーを注ぎ込んで約2万字の学会論文を作成しました。

その論文投稿から約3か月が経過。

結果がついに届きました。

それは、「掲載不可」とのことでした。

書きたいことを書きましたし、該当分野の読者には有益な情報が含まれるような作品に仕上がった自負はあったのですが残念でした。

指摘された問題点は

・「引用や理論の出典が明らかでない」

・「自己の意見と事実の区別を明確に」

・「事実はその論拠を明示」

との厳しい指摘。

論文投稿においては基本中の基本です。

今回の結果から論文を作成することは自分には向いていないのかもしれないと少々落ち込みました。

学会論文の審査の厳しさを痛感した次第です。

しかし、こんなことで落ち込んではいられません。

 

次なる課題として、出版プロジェクトの一人として原稿作成の機会をいただきました。

それは部活動についてです。

スポーツクラブのようにお金を払って楽しみを享受するのではなく、

学校教育の延長として、放課後に無償で行われるクラブ活動。

その活動は皆、真面目に取り組んでいる「シリアス」な活動です。

私なりの料理の仕方で、ある特定の部活について論じさせていただくつもりです。

年内にはある程度の形に仕上げなければなりません。

忙しくなりそうですが、本業以外の忙しさが今の私の原動力でもあります。

頑張りたいと思います。

 

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『三井のリハウスで販売中の我が家』

2019-06-18 07:07:07 | Weblog

孫誕生から約20日が経過しました。

「孫を抱きに来ませんか?」との誘いを受けて

現在実家で暮らす義理の娘の実家を初めて訪問しました。

約3週間で体重は1キロも増加。

抱っこをして、ミルクの香り漂う赤ちゃんを抱いていると約30年前のあの匂いを嗅ぐこともできました。

 

そこは国道1号線沿いにある小ぎれいなマンションの11階にあるお宅。

ワンフロアには2軒しかない贅沢な作りのマンションです。

徒歩5分程度で私鉄の駅が3駅あるような便利な場所に建つマンションでした。

リビングから一望できる景色は羽田空港からの飛行機の離着陸も確認できるほどの絶景。

築10年程のマンションです。経年劣化もあり、通常、資産価値は下がると思うのですが、立地条件や交通機関等のその利便の良さもあり購入時の価格を維持しながら少し上回っての市場取引がされているそうです。

あちらのお父様のご職業が不動産関連ということもあり、家を「資産」として購入したことがよくわかる物件です。

 

反して、私は約30年前に住宅都市整備公団が開発した埼玉県の北部のK市に家を購入しました。

その街はマンション団地と一戸建てが整然と建てられているような住宅団地。

東京で言えば、多摩ニュータウンのような場所。

バブルの頃だったので、購入するのも一苦労でした。

抽選で何十倍もの倍率だったにも関わらずに運良くクジに勝利。

当時は少々無理して20代で一戸建てを購入しました。

集合住宅の人たちからは少々羨ましがられたりもしました。

 

あれから、約30年が経過。

当時の住宅購入者は60歳、70歳以上になっています。

街には高齢者だらけです。

しかしながら、総合病院がありません。

街を活性化させてくれるような大学もないのです。

ゆえに、土地の価格は下がり続けています。

もちろん、私は不動産を取引するための「資産」として購入したわけではありません。

・子どもが遊べる庭がある家に住みたい

・一戸建て住宅を購入して、庭に鯉のぼりをなびかせたい

・庭に大好物の柿を植えてグジュグジュに熟した柿が食べたい

・庭に芝生をはって裸足で家から庭に出られるような家に住みたい

・和室には掘りごたつのある家に住みたい

・家の前にはすぐに家があるのではなく、開放感のある家に住みたい

そこは以上のような条件を満たしてくれるような家でした。

つまり、私にとって家は不動産取引の「資産」ではなく、生活の場だったのです。

 

そんな埼玉の家を三井のリハウスで売ることにしました。

その段階で資産対象物になってしまった我が家。

上物(建物)の価格はゼロ。

上物の解体費を販売者が持たなければならないかもしれません

土地の価格も、下落傾向

現在、30年前の購入価格の半額でも売り手がつかない状態です。

購入時価格の3分の1程度まで大幅な値下げをして売ってしまうか?

それとも、古屋付きの住宅で自らが家庭菜園を楽しむ場所として利用するか?

今、それが頭を悩ませている問題なのです。

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リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット『ライフシフト』を読んで

2019-06-11 07:07:07 | Weblog

『ライフシフト』100年時代の人生戦略を読みました。

その感想を書き留めたいと思います。

 

・最大約1億3000万人に達していた日本の人口は、2060年には8700万人まで減るという予測もある

→老後の貯蓄が2000万円必要であると公表されたり、70歳まで働くような流れは人口減に向けた流れに他ありません。

 

・友人関係や知識や健康を「資産」の一種と位置づけるべき

→お金はある方がもちろん良いが、友人関係や知識、健康はお金では買えない人生にとって価値あるものであるという考えに大賛成です。

 

・アメリカの22歳の大卒者は平均で年に3万ドルの所得を得ているが、非大学卒者は平均1万8000ドルにすぎない。

→大学に入ること、そしてその後も知識が枯渇しないように努力する人は所得が高いと思われます。

昨今の日本のFランク大学のように受験勉強しなくても入学できて、リカレント科目で中学、高校のやり直しをしていることは果たして大学で学ぶこことかどうかには疑問を感じます。

 

・「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足」。これは人生のステージを表しているそうです。4本足はハイハイする子ども、2本足は大人、3本足は杖を使う高齢者。

 

・1990年代頃、貧困層・低スキル層と富裕層・高スキル層の労働時間が完全に逆転する。低賃金の人たちが短い時間しか働かず、高賃金の人たちがそれより少し長く働くようになった。

→余暇とは苦役から解放された状態だと、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは定義づけています。金持ちも貧乏人も働きすぎであり、ともに「時間貧乏」かもしれません。

 

・レクリエーション(娯楽)ではなく、自己のリ・クリエーション(再創造)に時間を使うようになる

→本文にもあるように娯楽の消費活動を中心とするレジャー産業から、自己改善への投資に力を入れるレジャー産業が発展するかもしれません。

 

・1880年には全世帯の75%に子どもがいたが、2005年の時点での割合は41%まで下がっている。子育てをせずに人生のかなりの期間を生きることは、昔に比べればはるかに当たり前になっている。

・1992年の調査では子どもをつくりたいと答えた人の割合が78%に達していたが、2012年には42%まで下がっている。

→日本でもこのような傾向は見られるはずです。私の職場に限っても、独身者が多くいます。それらの人たちが時間を持て余して、8時9時まで職場に残り無駄に時間を消費していることは問題かもしれません。

 

レクリエーション(娯楽)とリ・クリエーション(再創造)の関係に興味が湧いています。

深く学んでみようと思います。

 

 

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『運動会』

2019-06-04 07:07:07 | Weblog

秋の季節に加えて5月から6月にかけては運動会真っ盛りです。

なぜか?

小学校は「運動会」、中学、高校は「体育祭」。

徒競走を中心としてほとんど同じような内容なのにそのスポーツ行事の名が違います。

両方とも英語表記にすると「スポーツフェスティバル」になりそうですが、なんだか不思議です。

小学校や中学校には教科目として「運動」は設置されていません。

よって「運動会」という名はなぜだか不思議です。

それに反して中学、高校には教科目として「体育」が設置されていますから

体育教科内容のイベントとしての「体育祭」はわかりやすく感じます。

しかしながら、体育の時間に黙ってパンを食べたら間違いなく叱られます。

体育祭では公式種目としての「パン食い競争」があることは摩訶不思議なのです。

 

先日、同じ棟に住む息子から運動会について話を聞く機会を得ました。

彼は今年度、運動会の責任者だそうです。

春も、秋も心地よい季節であり多くの学校で運動会が実施されます。

彼によると毎年運動会準備が大変になっているそうです。

大変になっている要因の一つは熱中症対策。

近年の異常気象、特にこの時期でも真夏の暑さのような天候が運動会を襲います。

さらに最近の児童生徒の虚弱さと相まって、校庭で立っているだけでバタバタと倒れる児童が増加しているそうです。

運動会は保護者やその祖父母も楽しみにしているイベントです。

運動会最中に、全員の児童が熱中症にならないようにイベント直前までその対策を練るそうです。

例えば、

・学年の徒競走が終わったら、エアコンの効いた部屋で児童全員を一時休ませる

・近隣他校からできるだけ多くのテントを借りてきて、校庭にも日陰の場所を多くすることを試みる

・できるだけ早く運動会が終了するように、出し物の順番の変更。

今年も、実施日直前にプログラムを刷りなおしたそうです。

例えば、それは学年演技、徒競走、他の学年演技というようなイベントの所々に「花」を入れ込むのを止めて、小学1年から、6年生までの徒競走を実施などに変更するのです。

結果として、大幅に終了時刻を早めることができるのですが、ただ実施するだけとなってしまう危険性ありです。

大、小、強、弱など散りばめられる方が全体としては良いに決まっています。

あまりにも過剰に対応することで、イベントの山がなくなり面白さが半減するかもしれません。

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