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『優秀教員?』

2014-01-28 07:07:07 | Weblog

先日、東京都の私学中高協会から「優秀教員」ということで表彰をされました。

職場の上司に推薦していただけた結果としての表彰です。

職場内には表彰制度等はありませんので

このことはとても有り難く思っています。

 

しかしながら、私は間違いなく優秀な教員ではありません。

私自身がそのように自分を褒めたり、

評価するならともかく、

他者からそのように評価されたり、

表彰されたりすることを、

性分として基本的には好まない人間でもあることを私自身が最もよく分かっているつもりです。

よって、本来ならば受賞を辞退すべきだったのかもしれません・・。

しかし、この賞の受賞者には教員免許講習が免除されるという特典がついていることもあり、その特典にもつられて受賞を快諾したしだいです。

 

 教員免許更新で対象となる年齢は35歳、45歳、55歳です。

対象年齢者は大学などで1週間程、朝から晩まで講習を受けて試験に合格することによって更新が可能になります。

職場内の友人の話では、試験は答えを教えてくれたり、先生によっては答え合わせをしたりと落ちる人は出ない仕組みになっているようです。

そうはいえ、私はちょうど該当年齢にあたります。

この受賞はラッキーでした。

教員免許講習の免除対象者は、このような協会などの受賞者以外には理事長、校長、副校長、主幹教諭、指導教諭などの肩書きが付されている先生方も免除の対象になります。

よって、実は私も現時点で免除対象者でした。

結果として免除対象項目が2つになったので、申請書の二カ所にチェックマークをつけることができることになりました。もっとも2つ該当しても20年間免除にはなりませんが・・。

 

このような「優秀教員」表彰制度は教員免許更新制度が平成21年から実施されてから、始まった制度です。

実際にはまず始めに公立高校に勤務する教員対象に、このような免除制度が開始されました。

公立教員と同じように、私立学校に勤める教員にも更新免除制度を実施させてほしいという要望を東京都教育委員会に私中高協会が働きかけて実った制度だと聞いています。

東京の私学による優秀教員表彰は今回で4回目。

2回目表彰から教員免許更新免除が許可されたそうです。

全国の私学でこのような優秀教員制度が実施されているわけではありません。

なんでも埼玉の私学でもこのような制度実施を計画中とのことです。

 

形式的な表彰式に、その参加者たちの一人として参列。

式典後、あまりにも良い天気だったので私学会館そばの靖国神社まで散歩してきました。

初めての靖国神社訪問。

神社なのに駐車場には警察バス車両が配置され、数名の警察官が警備にあたってる不思議な光景・・。

印象深い1日になりました。

 

 

 

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Not 「艶歌」、「援歌」, But 「怨歌」

2014-01-21 07:07:07 | Weblog

あの頃、あんな歌が流行っていた。

当時の記憶をたどるのに、その頃流行していた歌とセットであの時のことを思いだすことは容易です。

小学校低学年の頃、学校からの帰り道で「ブルーシャトー」(1967年)の替え歌を近所に住む同級生数人と歌いながら帰宅していたことを思いだしました。

「ブルーシャトー」は、フジテレビの音楽番組『ザ・ヒットパレード』の専属バンドだったブルーコメッツのヒット曲です。

替え歌の内容は「森と泉に囲まれて」を「森トンカツ、泉ニンニク、かコンニャク、まれテンプラ」と。

流行歌について書いた理由は、輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)を読んでいた際に、当時のことを思い出したからです。

誤解のないように言っておけば、この本で書かれていることは流行歌と記憶に関するものではなく、「演歌」についてです。

「演歌」は日本人の心。

長い歴史を有する音楽のジャンルであると私もずっと思ってきました。

しかしながら、「演歌」という言葉を現在のように「日本的」または「伝統的」なレコード歌謡を指示するために用いるようになったのは、昭和40年代以降だったそうです。

この本に掲載されている昭和40年代以降に出てくる歌手や歌は当時よく耳にしていた楽曲ということもあり、その歌や歌手の当時置かれていた背景なども含めて詳しく知ることができました。

五木寛之によって作られたイメージを踏襲した歌手、藤圭子が歌ったのは、「艶歌」でもない、「援歌」でもない、「怨歌」。

その他として作家の野坂昭如さんが、「おもちゃのチャチャチャ」の作詞者であることは知りませんでしたし、

「演歌」が、1960年代末から72年ごろにかけて、

若者向きの流行現象として音楽産業によって仕掛けられた(若者が見る雑誌に掲載)されたこと、

又は小室哲哉さんが1990年代の一連のヒット曲を、「クラブで踊った後にカラオケに行く若者」をターゲットに制作していたことを始めて知り、とても勉強になりました。

★今週は22日、23日と高校入試で慌ただしい週になりそうです。

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『台湾(台北)備忘録』

2014-01-14 07:07:07 | Weblog

・エスカレーターは右側に乗り、左側は急いでいる人の為に空けておく。これって東京いる私にとっては意外でした。(関西では一般的ですが)

・  2013年末の貨幣レートは、台湾ドルを約4倍すると日本円の価値と同等です。つまり、100台湾ドルは約400円となります。

・  市内の移動であれば、地下鉄、バス、タクシーが便利でした。私が滞在した「台北車庫」から、台北101そばの「市政府」駅までMRT利用で20セント、つまり約80円でした。タクシーも市内の移動ならば、100ドル以内です。つまり、400円でかなり距離を移動可能です。ただし、タクシーに乗車する際は一点注意が必要です。それは、日本人の発音がタクシードライバーに通じないということです。特に、ホテルまで帰りたい場合にはホテルで用意されている住所とホテル名の入った名刺大の紙カードを持参する、又は地図を見せて場所を確認することをお勧めします。私の場合、ショッピングセンターの「カルフール」に行きたいことを説明するのにも苦労しました。

・  クリスマスは、日本のように世の中がクリスマス商戦に湧いているということは殆ど有りませんでした。台北市内の新光三越、SOGO復興館、統一阪急に行きましたが、日本の百貨店で感じられるようなクリスマス色は殆ど感じられませんでした。しかしながら、不思議なことに公共交通機関のバスの運転手さんたちは皆、サンタクロースのコスチュームを着用して運転していました。クリスマス期間に日本で見かけるピザの配達人のようでした。

・  幹線道路の幅は広く、整えられています。幹線道路の中央分離帯や空港近くの道路には無数の台湾国旗がなびいていました。

・  ホテルが台北駅の南側にあったので、ホテルに近い「南陽街」で地元の人びとが食べるような食事体験を2回程してみました。そこの殆どの飲食店は店頭に置かれた中華料理(色鮮やかな揚げ物、炒め物・・)を選んで注文します。店員がランチボックスに入れてくれます。持ち帰えることも可能ですが、奥に用意された簡易式のテーブルでそれを食べることも可能です。ちなみに南陽街にある殆どの飲食店の営業時間は、午前11時から午後18時30分位まででした。代金は1人500円以下。ホテル側の美味しそうな調理済みの肉が吊るされた店舗には昼食時と夕食時に長蛇の列が舗道にできていました。一度、そこで食べ物を購入してテイクアウト。ホテルに持ち込み食事しました。その店舗では日本語、英語は通じませんので、壁に架けられているメニュー表を指差しながら注文しました。安くて、美味しかったです。

・  市内のコンビニは殆どがセブンイレブンでした。イートインスペースが確保されているのが印象的でした。

・ユニクロのフリースは日本の約4倍の価格で販売されていました。日本の特売1200円のフリースが約4000円。

以上です。

 

 

 

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『骨折』から学ぶこと

2014-01-07 07:07:07 | Weblog

本年も宜しくお願いします。

今年も日光東照宮に初詣に行ってきました。

初詣のこの時期と、紅葉シーズンの人の多さや車の多さは半端ではありません。

東照宮そばの駐車場に入れるのにも、信じられない程時間がかかります。

しかしながら、最近ではこのへんは庭のような場所です。

日光東照宮付近で無料で駐車できる場所を二カ所程見つけていますので

今回も、そこに駐車。

時間を有効活用してお参りを済ますことができました。

今年も、よい年になりますのに!ではなく、

よい、年にするように努力したいと思います。

皆様、宜しくおねがいします!

 

さて、実は

台湾旅行から帰った年末の晩、

パートナーが風呂場で転倒してしまいました。

頭を打つなどの大事にはならなかったのですが

転んだ瞬間に右手をついてしまい、

腫れが酷くなっていました。

翌日、近所にある大学病院でレントゲンやCT診察を受診。

4人の医師が、「ああでもない」「こうでもない」と

治療方法について議論されていました。

検査の結果、右手首が骨折。

故に右手首は石膏で固められ、現在自由が効かない状態です。

一ヶ月間、君の手になろうと冗談を言ったのですが、

笑いは全く出ません。

このところ年末年始は鬼怒川温泉で毎年過ごしているので

病院から戻ってからは、鬼怒川温泉に直行。

温泉に行っても利き手、利き腕の右が使えないので、

浴場に入るのもたいへんなようです。

包帯や石膏が濡れないように

入浴前には右手、右腕に透明なゴミ袋を何重にもグルグル巻いています。

テープを10センチに何枚か切りとり、それを貼っていきます。

大好きなサウナに入れないことと

右手を浴槽に入れられないことを嘆いています。

風呂から戻ると、血行がよくなり患部が痒いらしく・・。

割り箸を石膏と皮膚の間に入れて、痒い痒いと箸を動かしてもいます。

着替えと同様に、食事をするのももの凄く時間がかかります。

食事は、慣れない左手を利用しての食事です。

外食時には、彼女専用のフォークを持参して食事です。

横で見ていて、本当にたいへんそうです。

宿泊先に併設されているレストランでは、

同じように右手を怪我した老人を見かけました。

また、女風呂(大浴場)には足を骨折して松葉杖で大浴場に来ている女性もいるそうです。

数ヶ月前に親の介護が終わったと思ったら、

今度は自分たちの番が近づいて予感さえ感じます。

腰痛に、骨折・・。

加齢とともに、弱る骨や筋肉。

気持ちは若いつもりなのですが、体がそれに伴わないことも多々あるようです。

健康には気をつけなくてはと思う年初です。

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