芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

『湯灌』から考えたこと

2020-05-26 07:07:07 | Weblog

「湯灌」とは死者の体を清める行事であり、死者にとっての最後の沐浴です。

人が亡くなると都内では湯灌はしませんが、私の故郷の静岡では湯灌をしているようです。

 その理由がずっとわからなかったのですが、先日、その理由が判明しました。

それは葬儀社による物語化です。

かつて親族によって行われていた葬儀イベントの湯灌は葬儀社によって代行して実施してもらうのが当然であるかのように物語化され親族にそのオプションを選択させるやり方です。

静岡の場合は東京と比べて葬儀業者の数が少ないので、業界挙げて「湯灌」実施は当たり前のこととした流れは作りやすいのかもしれません。

 

そもそも、その歴史ですが

「湯灌はもともと死者を沐浴させ、浄化するためのものであった。中世以降、・・多くの地域では遺族の重要な役割であった。たらいに座らせ、水に湯を入れて湯加減を調整する逆さ水で洗い、またこのときに仏教の影響で男女を問わず髪を剃ることもおこなわれた。それをおこなう人々は、裸に近い格好や藁縄などを締めるなど特別な格好をした。

 一方で、明治以降、感染症対策など公衆衛生的な観点から消毒薬等によって遺体を拭くようになり、それが病院や家庭における看護の場において浸透していった」そうです。

看護師さんに消毒薬で体を拭いていただいているので、そもそもその後に体を清潔にする必要はないのです。

洗髪や髭剃りはしていないので、それをしていただくことを目的にした湯館はありかもしれませんが。

湯灌の都内での実施数が少なく、他県での実施数が多い理由は、推測するに「沐浴」サービスを実施しやすいかどうかの住宅事情や駐車場の有無などが関連していると思います。

と言うのも現代の葬儀における湯灌は、訪問入浴サービスとほぼ同じやり方です。

沐浴用の浴槽を自宅に持ち込んで、訪問入浴サービスの車からお湯を送り出し、排水された水はサービスカーに戻すやり方です。

やはり、ある程度の場所が必要となりそうです。

湯灌の実施の良し悪しをここで書いた訳ではありません。

コロナ禍後にも様々な問題が発生します。

・分散登校させるべきかどうか。

・時短を配慮した特別時間割は必要かどうか。

どれもこれも、正答がない課題ばかりです。

安全安心な配慮をしていることを保護者に「物語る」必要性を強く感じるのです。

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『密な祝い事の結婚式』

2020-05-19 07:07:07 | Weblog

昨年の秋に挙式を予定していたが台風19号による交通マヒで披露宴を延期。

改めて翌年2020年の3月に披露宴を行う予定だったカップルが新型コロナウイルスの影響で披露宴ができなかったという話を耳にしました。

まさにお気の毒というしかありません。

 

そこで今回は挙式披露宴についてです。

結婚年齢の高まりや、そもそも結婚しない人々が増加していることがデータでも明らかです。

婚姻件数ですが年々減少しています。

1975年 941,628

1985年 735,850

1990年 722,138

2015年 635,156

 

しかしながら、初婚同士のカップルの結婚以外の再婚数は増加しています。

1975年 119,246

1985年 122,463

1990年 132,252

2015年 170,181

 

時代とともに戦後の結婚式のスタイルも変化してきてきました。

(元データは『冠婚葬祭の歴史』を参考にしています)

戦後、昭和20年代。

1945年〜 結婚式は家で行うのが一般的でした。

1950年〜1959年 神社での挙式が増加。

1960年〜1964年 神社での挙式がピークに達した期間です

 以後、神社での挙式の減少とは裏腹に神前結婚式が増加していきます。

つまり、神社ではなく結婚式場という場にて神前結婚式をあげるスタイルの増加です。

1947年11月 明治記念館 開館

 空襲で家が焼けてしまいバラック建ての粗末な家に住む若者に結婚式の場を提供する計画で開設されたそうです。

1948年 横須賀市冠婚葬祭互助会設立

1957年頃 ホテル結婚式の大衆化が始まりました。

 結婚式場の予約をデパートで可能になったそうです。

1959年 皇太子殿下ご成婚

     ミッチー・ブーム、結婚ブーム

1961年 「平安閣」名古屋市北区

1963年 「玉姫殿」京都市冠婚葬祭互助センターオープン

1970年前後 披露宴でのケーキ入刀という儀式が登場しています

1974年 キャンドルサービスの登場

     カメヤマローソクが売り込みを開始したそうです。

1976年 ゴンドラ登場

     大阪守口玉姫殿が最初です

1977年 ドライアイス装置の演出(ホテルオークラ、ニューオータニ)

1980年初頭まで 神前結婚式は高いシェアを保っていました。

1990年代 神前結婚式が減少。

それに相反してチャペルウエディングが増加しました。

 

これは推測ですが、

「十字架とヴァージンロードと教会らしい雰囲気」が人気でした。

これも推測ですが、高校や大学もキリスト教系の大学のレベルが総じて上昇したのでは無いかとも思われますし住宅も和室の減少が増加した時期と重なりそうです。

洋風化の加速かもしれません。

 

形式は時代とともに変化してきましたが、関係する人に集まってもらって祝福されるスタイルは一貫していたやに思われます。

しかし、新型コロナ禍での三密を考えると結婚式などの集いさえ躊躇してしまうのは間違いなさそうです。

 

 

 

 

 

 

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『受験生とコロナ禍』

2020-05-12 19:07:07 | Weblog

安倍首相の会見を聞いていて思うことがあります。

それは選挙演説を聞いているようように思えて仕方ないということ。

実現不可能なことも含めて大衆に対して夢のようなことを語る手法は何回も通じないはずです。

3月初旬には「一、二週間が正念場」と言っていたのですが・・。

未だに、緊急事態宣言発令中です。

特定警戒地域以外の緊急事態宣言は14日から段階的解除されそうです。

ネット上ではその真偽は不明ですが

「アベノマスク」が配布された地域から宣言が解除されるとのこと。

確かに、都内でも江戸川区では配布済みとの声を聞きましたが、

私の居住区ではまだそれを受け取っていません。

5月末までにマスクが配達されて、宣言解除となることを祈るばかりです。

 

 「美しい国」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧をしていると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」について薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に対応できるはずがありません。

 内田樹『サル化する世界』p.161

 

職場でも高校3年生へのフォローをどうするかに頭を痛めています。

今年から高校3年生はセンター試験が廃止されて「共通テスト」へ変わる年代。

AO、推薦入試は今年から「総合選抜型入試」とその名称を変更。

総合型選抜では学力試験を科します。

さらに8月から開始されていた入試解禁が9月からになり、学校推薦型入試は11月から始まります。

上に列記したようにとにかく変更点が多い学年なのです。

 

授業時間数確保のために

8月初旬まで授業を行い、8月下旬から授業を開始する、いわゆる「夏休みの短縮」も学内で決定しました。

さらに、学校行事の体育祭の中止、宿泊を伴う研修旅行も基本的にはすべて中止。

「入口」と「出口」、「休業要請」と「保証」はセットで考えないと意味がありません。

同様に「学校休校」と「入学試験内容の変更」もセットで考えて欲しいと思います。

秋にも新型コロナ禍が再発拡大するとも予想されているようです。

いっそのこと、今年度の高3受験生の学習範囲は高2までにして、

それを逸脱しないような入試問題を作成することを文部科学省から通達して欲しいと思うのです。

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『還暦』

2020-05-05 07:07:17 | Weblog

 20年ほど前、大学の学部時代の恩師の還暦パーティーに出席させていただいたことがありました。

私学会館には100名以上の卒業生。

頭巾と赤いちゃんちゃんこを着た姿が印象的でした

そんな私も先週、還暦を迎えました。

派手なことや形式的なパーティーなどを好まない私。

加えて、私の子どもたちからの祝いの言葉も特にはありません。

当日は新型コロナ騒ぎも加わり、我が家でパートナーに誕生日を祝ってもらいました。

その日のパートナーとの会話は終活について。

墓は必要かどうか?

墓の場所はどこにするか?

会話の中身は年齢に応じた内容になっていることは間違いありません。

 

間違いなく、今後、他者からは高齢者と言われることが確実に多くなってくるでしょう。

確かに鏡に映った自分の顔を見ると、歳をとったことは自覚しています。

確実に髪の毛もさらに薄くなってきました。

鏡に写るのが自分であると思いたくない気持ちからか?

鏡を見る時間は確実に短くなっています。

しかし、精神的な部分ではこの数年間、特段の変化はありません。

確実なのは、あと何年か仕事を継続すれば楽になれるとの想いだけです。

 

 さて、突然ですが私も一部書かせていただいた『コミュニケーションスタディーズ』が1万冊もの部数を超えたそうです。

そので、次の版では内容のアップデートを行うことになりました。

そこで、平均寿命の推移を調べました。

男      女

1902年 42.80    44.20

1936年 44.80    46.54

1960年 65.32    70.19

1980年 73.35    78.76

2007年 78.56    85.52

2014年 80.21    86.61

2018年 81.25    87.32

 

1902年では男42歳、女44歳が平均寿命です。

平均寿命が40歳代です。

この時期の60歳は確かに長寿であることを皆に祝ってもらったのでしょう。

当時は死産数も多かったのです。

手元のデータでは1950年の死産数は216,974人。

2019年の死産数は医療の発達もあり、19,000人。

それだけでも平均寿命計算に大きな影響を与えています。

さらに、この100年間でも栄養を意識した食事を取るなど、平均寿命が伸びた要因はいくつもあるかと思われます。

 

さて、誕生プレゼントは何が良いかと聞かれることはありませんでした。

そこで、60という節目に「赤いスバルが欲しい」と自分から言ってみました。

私もJuwat先生を真似て、一度も乗ったことのない四駆に乗ってみたいとの希望からです。

しかしながら、その反応は芳しくありませんでした。

自分でお金を貯めて中古自動車でも買ったらとの返事。

お金が貯まる頃には、免許返納の年齢になってしまうかもしれません。

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