芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

「ブランドと私」

2010-02-23 22:12:50 | Weblog
ナオミ・クラインの
『ブランドなんか、いらないー搾取で巨大化する大企業の非常』
について今読んでいる。
今回のブログでふれようと思っていたが、
諸事情により読み終えることができなかった。
今後、それについては具体的に触れたいと思う。

様々なことを勉強するにつれて私自身が企業にそそのかされ、
騙されてモノを購入していることを自戒している。
今でこそ、どうしても手に入れたい「モノ」はないが
かつては消費の欲望を抑えることができなかった。

例えば日頃、自分の身近にいる同僚たちがスキーをやることに熱中すると
自分も、スキー雑誌が紹介している今年の一押し商品である
最新の「スキーウエア」「スキー靴」、
そして「スキーの板」を毎年のように購入していた。

なぜか古いものを使用していることが、
「かっこわるい」「ださい」という気にもなっていた。
最新のモノを身につけるから自分自身が他人と差別化できたような、
そして時に最新のモノを身にまとうことで一時的な優越感にも浸っていた。

世の中のブームに乗って海外旅行に行き、
デューティーフリーショップで高額なブランド品を購入した経験もある。
もちろんお金持ちではないので、
ブランド品を買い漁るまではいかなかったが。
当時、購入した金ぴかのオメガの時計は、
自分のバカさの証として机の中で時を刻んでいる。
リーズナブルなカシオの電波時計の方が今のわたしにとっては便利な道具だ。

私と同年齢の職場の同僚は、今でもブランドが大好きだ。
(これは、特定の個人を対象とした非難でも誹謗でもありません)
彼のかけているメガネは、ドルチェ&ガッバーナだそうだ。
確かにフレームにD&Gというマークが目立つ。
ブランドに関心のない私は、
「DとGの間に入る文字は何?」と自問して
「DOG」と連想して自らの答えに喜んでいる。
彼の時計は、「エルメス」だ。
私の時計は少し大きめな「エルです」
とダジャレを自らに聞かせてもいる。
彼のパンツには、オシャレなシルバーリングが垂れ下がり、
歩くたびにチェーンの音がして高級感をかもし出している。
それを見る私は、銀色の鎖につながれた飼い犬を連想してしまう。

今の私は、高級ブランド品を手に入れたいという物欲はない。
それよりも、より多くの本を読みたい。
そしてそれらの本は、図書館で借りるのではなく自分自身のモノにしたい。
そんな欲求をもっている。
都会の喧騒から離れた場所にある小さな書斎の本棚に大好きな本が増えてくることが今の私の楽しみである。


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『平成オトコ塾』

2010-02-16 20:52:32 | Weblog
今年度の長期に渡る生徒募集の仕事がやっとで終った。
しかしながら数日後に、大学受験に全敗した生徒の指導が迫っている。
そこで、僅かな休息日を利用して
久しぶりに温泉と読書三昧の日々を過ごしてきた。
今回読んだのは『モンスター映画の誕生』
『カフェイン大全』
『平成オトコ塾』の3冊。
ここでは澁谷知美さんの『平成オトコ塾』に記してみたい。
この本は、今、社会学がブームであると朝日新聞に紹介されていた中の一冊です。

・「男の友情」は競争的になりがち。
男友だちに癒しやケアの調達できる「男の友情」をつくる方法として
1 弱い自分をさらけ出し、
2 住む場所を近くして、
3 友だちのいいところを誉める
ことを渋谷さんは提言している。

・統計的な傾向でいえば、男性の精神的健康に女性の存在は欠かせないが、
その逆はない
それは女性が男性の話をきちんと受けとめて聞くからだそうです。
ということは、男性は女性の話をちゃんと受けとめない?

・「結婚期間が長いほど、夫は妻への愛情をつのらせていき、
妻は夫への愛情を失っていく」データが示されていました。
特に結婚6年目から14年目になると夫は30代半ばから40代はじめ
まさに「働きざかり世代」
夫の実質労働は1日10時間です。
子育てのたいへんな時期と重なり
「わたしがいちばん大変な思いをしているときに、
この人は少しも助けてくれなかった」
という夫に対しての妻の恨みになるそうです。
(どこかで聞き覚えのあるような耳の痛い話です)

言い争いをした後、
話し合う場合には、
・「Iメッセージ」(自分の気持ちに焦点を当てて話す話し方)が有効だそうです。
それは「僕は腹がたった」「俺は悲しかった」という話し方です。
それに対して「君は」で始まる
・「YOUメッセージ」(相手の行為に焦点を当てがちで、相手への攻撃になりやすい)
はIメッセージの効果を薄めてしまうそうです。
なるほど。
その他の章として、
・「包茎手術はすべきか否か」
・「性風俗に行ってはダメか」
など論文をわかりやすい文体に変えた読物となっています。

 美容整形 高須クリニックの策略についてもふれられていて
「包茎治さなきゃ、私たち相手にしないよ!」などの文言を散りばめた
男性雑誌の広告で巧みに包茎手術を煽って、
包茎ビジネスで一日に1500万円も稼いだことが紹介されていました。

これ以外にもDV、
特に戦時中の男対男の事例は興味深く読みすすめる事ができました。
私の気のせいかもしれませんが上野千鶴子さんの香りのする一冊。
皆さん、一読されてみてはいかがですか?
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『歌舞伎と相撲』

2010-02-09 10:10:10 | Weblog
横綱「朝青竜」が引退に追い込まれた。
テレビ局はハワイに一時避難した朝青竜を必要に追いかけて現地から中継をしている。
ハワイのワイキキにある一泊4万円もする高級ホテルハレクラニの近辺で。
果たして追いかけてまで、継続して報道する必要があるのだろうか?

横綱としての品位に欠ける、
日本の伝統文化である相撲道を理解していない、
というのが朝青竜に対してのバッシング理由だ。

確かに、歴史もある相撲ではあるが・・。
覚めてみている私には、
フンドシ一丁で殆んど裸で格闘技をしているにしか思えない相撲。
たかが相撲であり、たかが相撲取りではないかとも思ってしまう。

文部科学省が相撲協会の理事の選出方法について口を出してきたり
横綱審議委員にマスメディアの社長や会長が就任して相撲の社会的な権威や位置も高めてもいる。
権威付けをしたり、伝統文化にしたり、国を代表するスポーツにしたりしたいのであろう。
でも、私は単なる「庶民」の娯楽としての相撲であってよい気がする。

さらに最近、テレビキャスター小林麻央と市川海老蔵が婚約したことについても
メディアは過大に取り上げていた?
果たしてそんなに大騒ぎすることなのだろうか?

「歌舞伎というものは、世界の演劇文化の中心から、ひどく離れた片田舎に仇花を咲か
せた下手物芝居、日本の鎖国的封建制の長い圧迫の下で非常に畸形的な発達を遂げた
邪道の見世物なんだ」と千田是也は述べている。私は千田の言うことに賛成である。

私は歌舞伎を2年に一回くらい鑑賞している。
もっとも国立劇場に生徒を引率していくという仕事としての鑑賞だ。
優秀な生徒の中には、鑑賞の前に十分な事前学習をしている生徒もいるし
彼らからは歌舞伎が面白いという声が発せられることもある。
しかしながら、私はそれにあまり興味がなく
事前学習などしたくない。
よって私はストーリーの全てを理解できないでいる。
理解しやすいように、
「イヤホンガイド」が全生徒に配布されている。
それは確かにあると便利だが、
日本語を聞いているのに場面や状況説明を聞いている自分が情けなくなってしまうのである。
それはまるで、動物園で使用されている園内イヤホンガイドと変わらない。

 格式ある・・。伝統ある・・・。梨園の妻・・。(離縁ではなく)
歌舞伎ってそんなに高級文化なのかな~。

*江戸時代の銭湯は「入込湯」といって混浴だったそうだ。
明治政府は、外国人から猥褻であるという指摘をうけて
男女混浴をさせた銭湯には罰金を課すなど規制を加えていた。
男女混浴だけ捉えてみても規範意識は変化していくことを痛感した。
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「ゆっきー」

2010-02-02 22:41:40 | Weblog
先週の数多くの訪問者がこのブログをご覧いただいた。
出版についての具体的な数字記載が、増加の要因かもしれない。
或いは、「ワンピース」というキーワードを基に訪問した方もいたのかもしれな
い。

さて、高熱も一過性のものであったようで、
高熱もあれから出ていない。
よって体調は「ぼちぼち」である。
業務命令で入学試験の係を仰せつかっている私のこの時期の労働は幾分過剰気味だ。
高校入試4回、中学入試5回の実施。
よって2月中旬まで、日曜も含めて一切の休みがとれそうにない。
 週に一回頂いている休みも返上だ。

さて、2月1日の夕刻から東京地方にも本格的な降雪があった。

「雪」に関しては、あることを思い出してしまう。
はじめに、それは中学校時代に一回だけ経験した「遅刻」だ。
学校までの片道を一時間(約4キロメートル)かけて通学していた私。
そのような長い距離にも関わらず、わずか一回の遅刻。

その日は、朝から雪。
「雪見」のバス遠足があったくらいだから、雪は身近な存在ではなかった。
登校時に降り始めた雪を肌で感じながら
「うれしくて」、「楽しくて」・・登校時間厳守のことは吹っ飛んでしまい、
歩きながら友達と雪遊びに興じた。
正門で遅刻をとがめられたが、そんなことで高ぶった興奮は止むことはなかった。
しかしながら、あの時の気持ちの高ぶりが・・・。
経年とともに変化。興奮はおこらず、昨夜は、心の静寂に変化している。
社会人として、そして大人としての風雪を経験することで純粋な興奮を無くしてしまっ
たのかもしれない。

もうひとつの思い出は、怖い記憶だ。
車でスキー場に向かう上り斜面。
チェーンをつけることに葛藤していると、
“ な、なんと・・・”
車が崖にむかって後ろ向きにゆっくりと滑り始めてしまった。
あわてて、車の食い止めようと車の後ろに回りこんで
スキーバックを車輪に絡ませて何とか車をとめることが出来たが・・。
谷底に愛車が消えることを考えたらぞっとしたのである。
あの日のあの事以来、冬場はスタッドレスタイヤに必ず履き替えている。
都内の道路にへばりついたスタットレスタイヤは燃費の悪化を招くし、
雨が降ると滑りやすくなってしまう。
しかしながら、あの時の恐怖を考えるとスタッドレスタイヤを履かずにはいられない。

*雪のことを書きながら、別宅で温泉につかりたくなってしまった。


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