芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

ストレスフル

2007-10-29 23:09:58 | Weblog
なんだか近頃ストレスフルである。若ければ、睡眠をとった後はシャキット回復するのであろうが疲労を引きずっている。特に近頃は仕事に神経を使う。とにかく、どんなことがあっても心から「聴く」。
モンスターペアレントやヘリコプターペアレントが何を言ってきてもとにかく「聴く」ことを心がけている。ムーディー勝山と言う芸人の如く、左から右へと「聞き」流すことはできないのである。どんなに悪事を働いた生徒がいても冷静に聴く。PTAの親との懇談でもとにかく聞き役に徹している。冷静に考えると授業をしている以外の時間はすべて聞き役に回っている気がする。
自宅に帰れば、ここぞとばかりにまくし立ててくるパートナーがいる。人の悪口は聴きたくない。ましてや、それが事実であっても子供の通学している学校の悪口は聞きたくないのだが、それも聞かされる。
「話す」ことと「聞く」ことでバランスがとれると思うのだが、人とかかわる殆どの時間は聞き役である。わたしだって聴いて貰いたい時もある。自慢したい時だってあるのだが、なかなかそのような機会はない。よってストレスフルな毎日なのである。マイナスとマイナスを加えてもマイナスなのだ。
一人は寂しいが、でも一人にしてほしいと最近切に思っている。きっとこのように思うのは、疲れがピークに達しているからに違いない。
今回のような文書を読んだ人にも倦怠感を感じさせてしまうかもしれないことは大変申し訳ないと思っている。ゴメンナサイ。
来週には、キレとコクが現れるような文書が書けるように今週はどこかで休みを取ります。月末には、宮入さんのライブもあるらしい。http://homepage.mac.com/kyohei_miyairi/
非日常に接することで、日常のストレスを解消できる可能性もあるならば仕事が済んだらライブにいくことも考えてみようと思う。ドンガバチョ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロックがおいしい焼酎

2007-10-24 22:36:07 | Weblog
<NIKKEIプラス1より>
http://www.nikkei.co.jp/p1/
ロックがおいしい焼酎
 焼酎をロックで楽しむ人が増えているそうだ。このウエブのタイトルにもしているので付録として転載しておきます。

1 富乃宝山(とみのほうざん)  2750円(フルーティーな飲み口)
2 中々(なかなか)  1980円 (しっかりとした麦の風味とキレ)
3 六代目百合(ろくだいめゆり)  2300円 (軽快な口当たり)
4 無一物(むいちぶつ)  1260円 (シェリー酒だるで熟成)
5 吟香露(ぎんこうろ)  2478円 (吟醸香とキレのある味わい)
6 三岳(みたけ)  1840円 (屋久島の名水で仕込み、まろやか)
7 おこげ  2079円 (香ばしい麦の香りとすっきり)
7 心水(もとみ)  2625円 (熟成、柔らかい口当たりがロックで締まる)
7 れんと  2002円 (クリアで軽い、さらさら)
10 七田大吟醸酒粕焼酎(しちだだいぎんじょうさけかすしょうちゅう)  2625円(果実のリキュールのような端麗な味わい)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聞くこと、見ること

2007-10-22 22:01:38 | Weblog
 自分の顔、姿を直接自分で認識することは出来ない。写真に写った自分の顔に何か違和感を感じたことはないだろうか?これって私?それは、美男、美女というくくりではなく、自分てこんな顔だったっけ?思うことを経験したことは誰にでもあるのではないか。写真以外にも今、直接、鏡に映っている自分の顔を見てもこれが自分の顔だろうかとの疑念を感じてしまう。
 では、他者が私の顔として認識している「もの」は私自身が鏡に映しだした「もの」と果たして同一であろうか?若干の違いがあるのではないだろうかとの疑問が生じた。その理由は、声である。レコーダーに録音した声を再生して聞きなおしてみると、自分の声なのに何か違和感を感じたことはないだろうか?それを確認するために家族や友人にそのレコーダーの声は、私の声と同一かどうかを質問した経験も多くの人があるのではないかと推察される。同じであるとの返答をもらっても何か納得がいかない気持ちが残ったりするものである。
 声だけでも、自分と他者における認識の差があるとすれば私自身に対しての印象や、人物像は随分異なるものとなるのであろう。人は、役割を通じてそれを取得すると言われている。警官を例に取ってみると、警官は正義感があり真面目であるという職業上の役割がある。その業務に就くことによって多少不真面目な人も役割を取得していくに違いない。警官の不祥事が新聞沙汰になることがある。それは、警官が起こす事件が如何に少ないかを表してもいるのだ。だって犬が人間を噛んでもニュースにはならないが人間が犬を噛んだらニュースになることからもそれは明らかなのである。
 では、私って何者だろうか?真面目でもあり、不真面目でもある。実はスケベでもあるのだ。職場での私はどのようにとらえられているのであろうか?家庭では?気心知れた学友にとっては?すべてほんとの私だが、すべてにおいての違いがあるのも事実である。私って何者?それは大きな問題である。
最近私の身の回りで、他人が信じられないと他人恐怖に陥っている若者がいる。「私に対して話していることは本当?腹の中では違うことを考えているのでは?他者が信じられない。」そのような気持ちや落ち込み、そしてそれに伴う孤独感は青年期特有の現象であり、「社会的なスキル不足」と教育の分野ではとらえる傾向にある。(先日読んだ専門書にそのような記述がありました。)でも、年齢とともに経験してきた社会的スキルを有している中年オヤジの私でも悩むのである。他者の視線や評価も気にかかることも事実である。他者がわかっても、自分が思う自分自身がわからない時もあるのだ。いったい私って何者?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業名と欧米化

2007-10-15 22:25:31 | Weblog
今日は、生徒が飽きて集中できなかった時にはなしたネタである。アメリカのヘンリーフォードが創設した「フォード」を真似てか日本の自動車会社は、その創 設者の名前をつけることを真似し、それが継承されてきた。トヨタ、ホンダ、マ ツダ、スズキ。不思議なことにそれらの企業名も外国人が発音すると日本の苗字 であることがわからないように英語に聞こえてくる。
そもそも英語のように聞こえるということは、国際的な企業になることを目指す企業にとって重要なことなのかもしれない。まず、そのためには国内で国際的な企業であると思われる必要がある。グローバルな社会とは、言い換えればアメリ カ化された社会でもある。ブリジストンのように「bridge」と「stone」を英語に当てはめた場合、すんなりと社名になる場合は少ないようだ。英語風に聞こえるような社名にしている企業のほうが多いのかもしれない。例えば、「リンナイ」は林さんと内藤さんの2人で始めた企業である。「サンリオ」は山梨出身の創業者が山梨で一番になることを望んで社名にしたという。 その他には、衣料品メーカーの「江戸勝商店」と 「小太郎商店」が有名である。江戸勝つの江戸は "ed"。「勝つ」は"win"。両方 で"Edwin"。小太郎の小は大に、つまり"big"。太郎は北米では"John"。つまり"BigJohn"。ビッグジョン とエドウインについては、大修館発行の英語辞典を参考にしたが、その起源については諸説あるようである。
 しかしながら、英語が重要であることは、間違いないことである。また、日本語や漢字の方がクールと感じる外国人の方が多いのではないだろうか。最近、警視庁のパトカーには、"POLICE"の文字が入っている。また、"KOBAN"は派出所を表す看板となっている。
 私は、それにもどうしても違和感を感じてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三保と御穂

2007-10-11 22:06:47 | Weblog

チビマルコちゃんと清水次郎長で有名な清水という町は、山、海、川を有する町です。そんな清水へ墓参りに行ってきました。三保と言う観光地のことをご存知ですか?三保には伝説があり、天女がこの浜に降りてきて海水浴をした際に、身にまとった衣類を掛けていた松がこの写真の松です。ちなみに三保には、御穂神社があります。この神社は非常に珍しく、神社が海に向いているという珍しいものであることを昔聞いたことがあります。三保の海に向かって小石を投げました。しかも何発も!もちろん、フレーズは「ばかやろう~」です。久しぶりにすっきりしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナラブ」

2007-10-05 16:15:06 | Weblog
・最近自宅近所に変な店が開店した。店の中は見えなく、店の窓には「自然派食品の店」と書いてある。自然食品ではなく、自然派食品というネーミングに、まずその怪しさを感じてしまう。店頭には、朝早くから老人たちが並んでいる。どうも、卵ワンパック50円等の日がわり特売品購入を目当てに並んでいるらしい。老人たちは、有り余る時間とお金を持参し卵プラス高額な健康派食品を購入していく。それは時間とお金を消費するかわりに健康やアンチエイジングを求めて列をなしているのである。老人の孤独や健康不安に付け込んだビジネスには怒りも覚えるが、なぜか列をなして並んでいる老人たちが楽しそうに会話をしている姿を見ると、そのような機会に飢えているんだろうなとか、「コミュニティー」というかっこいい言葉を頻繁に使用する行政は何をしているんだとも考えてしまう。
・ところで、列を作ることは初詣や福袋の販売をTVがニュースに伝えることから一年が始まっている。特に日本人は、「限定」という言葉に弱く、ラーメン屋にさえ並んでいることも珍しいことではない。もっとも並んでいるうちにお腹がすいて何でもおいしく感じてしまうことは想像できる。行列の出来る店特集も、夕方の6時代のニュースの定番である。あおるなメディア!行きつけの店も行列で入れないと文句を言いたい。私は子供の頃、オイルショックを経験した。母と私でスーパーマーケットにお一人様一点限りのトイレットペーパーを買う為に、プラスの一人として買出しの手伝いをしたことを覚えている。もちろん、当時の我が家は汲み取り式の和風便器だったので、トイレットペーパーというかっこいい響きのものではなく、「便所がみ」を買いにいったのだ。当時の我が家には、不必要な便所がみが山と積まれていた。偽造された欠乏、それに伴っての欲求。当時起こっていたことはオイルショックの名を語った人為的な欲望喚起ではなかったのではないだろうか。それにも、当時の新聞やテレビは「こんなことが起こっている。大変だ。」と当時も民衆をあおっていたのである。「紙がなければどうする。(みっちゃん)」
・紙騒動と同様のことを見ることができる。それは、新宿高島屋側のクリスピー・クリーム・ドーナツ を求めて多くの人々が並んでいる。その購入者は、宅配ピザでも入っているかのような大きな箱を手にしている。かなりの個数が入っているに違いない。私がこの夏行ったオーストラリアにも何件かの同店があったが誰もならんでいなかった。シドニー空港で同店を見かけた女子高生は、興奮ぎみにドーナツ店に走っていき、2~3個のドーナツを買い求めていたが2個目になると甘すぎて食べれないと言う言葉を発していた。みんなが並んでいるとついつい並んでも食べたくなる。企業のマーケット戦略で商品イメージを高めるために、列を作らせる為の出店計画をたてているに違いない。並んでいる人々は、ただ単に商品を購入する為にではなく、商品を購入したいという欲求充足の為に並んでいる、言い換えれば並ぶためにならび、それを楽しんでいるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東経大

2007-10-04 23:07:10 | Weblog
・ミャンマーで反政府デモを取材中に射殺された長井健司さんは、東経大出身だそうだ。年齢的に私が1年の時の4年生。同大出身である私と同時期に学生時代を過ごしていることになる。当時の東経大では、損保や銀行といった金融機関や流通関係、東経大の創始者である大倉喜八郎が創設した旧大倉財閥系の大成建設、そしてホテルオークラ等に就職するものもいたと記憶している。経済系の単科大学を出て長井さんのようにジャーナリストとしてジャーナリズムの世界に飛び込む者は非常にすくなかった。今回の事件を通じて彼の最後の仕事、そして今までしてきた仕事は、我々多くの東経大卒業生(葵友会員)にとっても母校の誇りである。
・私にとって考えてみると日常の仕事や家庭におけるストレスでやりきれない時を感じていた自分がいる。やりきれない思いに落ち込む自分がいる。そして、時に大酒を飲んで現実逃避を試みる自分がいる。(直ぐに酔いは覚め、現実につれもどされるのですが)そのような悩みを感じている自分をなんと小さな世界に閉じこもって悩んでいるのだろうかと自己反省をする良い機会にもなった。長井さんは危険な地域に取材にいくからには、毎回それなりの覚悟があったはずである。危険を知りつつも、知らせなけれればならないことがある。誰かが伝えなければならないのなら、命をかけてでも取材するという真のジャーナリストである長井さんに敬意を表したい。こころからご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする