芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

「デスデス」

2009-05-27 23:31:34 | Weblog
ここ何日かに渡ってずっと「死」と「病」についての本を読むことが多かった。
机上には「死」に関しての本が何冊か無造作に積まれたままになっていたので、
何となく家人から薄気味悪く思われることがここ数日多かった。
以下に書くのは積まれている本の題名だ。

『生と死への眼差し』村上陽一郎
『癒しとしての死の哲学』小浜逸郎
『死にがいの喪失』井上俊
『死の民俗学』山折哲雄
『お葬式をどうするか』ひろさちや
『お葬式の日本史』荒谷尚紀
『お墓博士のお墓と葬儀のお金の話』
『お墓の誕生』岩田重則
『死と死別の社会学』澤井敦
『ボディサイレント』ロバートマーフィー
『病いの語り』アーサークラインマン
『臨床とことば』河合隼雄
『「聴く」ことの力』鷲田清一
『からだの知恵に聴く』アーサーフランク
『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『脱病院化社会』イリッチ

さらに、「おくりびと」と「お葬式」の映画
DVDも無造作に本のそばに置かれている。
パソコンでそれらの映画作品を見ながら、
気になるシーンで一時停止。
ノートにコメントを書きながら、また再生を繰り返していた。
それもまた家人から映画鑑賞とはかけ離れた奇妙な行動にみられていた。
以下にあるのは、メモの一部。

「お葬式」
音楽ユーモラス
ユーモラスな映像を取り入れている
生まれて初めて出す葬式というセリフ
長く苦しまれるより・・
母さんはいつも泣いていた
カメラアングルが死者目線
真言宗がないので浄土真宗にする(打ち合わせにて)
バックミュージックがほとんどなく、リアルな鳥の鳴き声
ドキュメンタリータッチ
葬儀中、落ち着かない子供たちと読経中の足のシビレ

「おくりびと」
暗くなりがちな中にユーモア
自信を持っていえない仕事 納棺士
人生最期の買い物は他人が決める
ましな仕事
死者を扱う者 汚らわしい 後ろ指 あの人みたいな仕事
子供に堂々と言える職業

本を読んで、さらにDVDを見て
少しは「死」について詳しくなったような自分を感じている。
・お線香の香りがキツイのは、死臭を目立たなくするため
・ 仏壇に位牌のスタイルは、
正式な仏教スタイルではなく中国のやり方を真似たもの
・ 四十九日というのは、
死者が元になる伝染病を外部に撒き散らさないための期間
・三回忌、七回忌などは仏式の葬儀とはまったく関係なく、
寺の財政面を考えて作られたもの
・仏教が今日のように葬式をやるようになったのは江戸時代の幕府の命令。
キリシタン対策のため。
仏教の信者でもないのに、
亡くなると死者に戒名をつけることで急遽仏教の信者にした。
・モノからお金に代わった香典
・火葬が本格化したのは第二次世界大戦後
・土葬していた時に、死者が甦ってこないように棺おけの蓋の上に石を置いた。
その石が墓石に。

本来の意味とは異なる形で、
風習の形式だけが残っていることが多いことも今回気づきました。
人生最期の式典ってほんとに必要なのかなという疑問も生じてしまいました。
さらにせっかくだから、
課題提出以外に論文に発展させてみようかなとも思っています。
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客室乗務員

2009-05-20 23:29:34 | Weblog
先日、久しぶりに仕事でハトバスに乗った。
これは、自慢ではないが国外の修学旅行に引率することが多く、
この10年以上は国内の観光バスに乗ることは皆無に近かった。
まず最新式のバスの進化には少々驚いた。
それは、スイッチを入れると映画やカラオケを映し出すモニターだ。
前方と中央部に格納されたモニターは270°の角度に自動的に開きセットされる。
それは、まるで飛行機に設置されているモニターのようだった。
機械の進化以外に驚いたのはバスガイドだ。
いまだに、地方から上京した若い女性の就職先の一つとして
バスガイドという職業があることだ。
アメリカでも、オーストラリアでも
バスをチャーターして観光地巡りの移動手段としてそれを利用する。
しかしバスガイドなる若い女性がバスに乗り込むことなどない。
バスに添乗するのは、
引率教員以外には日本から同行する旅行者の添乗員と旅行代理店が手配した現地ガイドだ。
現地ガイドは、大概、現地で国際結婚した日本人の中年女性が中心だ。
オーストラリアでは、さらに一名ガイドが加わることがある。
その州に住んでいる現地ガイドを雇い入れなくてはならない法律があるためだ。
だから州と州をまたぐような場合には、現地ガイドは複数添乗することになるのである。
私が思うに
日本では会社をあげての団体慰安旅行。
その際に団体客から求められていたのは若いバスガイドであり、
その名残としても未だに若い女性が添乗するのかなという疑問も持ってしまった。
少々、落ち着いたらその辺の状況についても調べてみたいと思った。
フライトアテンダントについても、
日本の航空会社の客室乗務員と海外の飛行機会社とは大きな違いを感じてしまう。
日本の航空機会社も近年では、若くて、美しくて
聡明に見えるような女性の添乗員だけではなく、
何名かの男性やベテランが添乗するようにはなってきているが
まだまだ相対的には若い女性の添乗員が目立つ。
かつてリークワンユーが掲げた日本を手本にする政策を行なった
シンガポールのような日本以外のアジアの国々も同じような傾向が見られる。
が、同じ職業なのにぜんぜん求められている役割が違うように感じてしまう。
オーストラリアの国内線などに搭乗している客室乗務員などは、
体が多きな中年女性も数多く見かけられる。乗客の席と席の間をやっとでとおりながら仕事をしている。
かたや日本の乗務員は旅館の仲居さんにも、芸者にも見えてしまう。
なぜ、このような違いについて書いたかといえば
先日見たニュースが元になっている。
それは、JALが始めて5月5日に男性の客室乗務員だけでフライトをおこなったことが記事になっていたからだ。
ちなみに2004年のデータではANAの客室乗務員は
4,200人で、その内の男性はわずか40名だ。
その数少々、少なすぎるのではと思うのは私だけだろうか?

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「天井が落ちた」

2009-05-13 22:19:34 | Weblog
ブログに書こうと思って控えていたことの一つを今日は書くつもりだ。
それは、今住んでいる家の「天井が落ちた」ことだ。
また、落ちるのではないかという恐怖が続いていたが、
何とか数か月経ったのでまた落ちるのではないかという
不安が解消された。そこでペンをとったしだいだ。

状況は、深夜2時位に突然に天井のクロスが
大量の水とともに落下してきたのだ。
ドッキリカメラのように。
風船に水を入れてそれが爆発。
床は水浸し、当初何が起こったのかを掌握できない位に動揺してしまった。

住宅施工メーカーにクレーム相談をしても
保証期間を1か月過ぎてしまっているので
対応ができませんという当初の対応だった。
瑕疵(かし)補修期間が10年という一点ばりだ。
天井が落ちるには常識外であることを強く主張し対応を迫ると対応が変わった。

結局、原因究明の為に非破壊検査を行った。
建物の中にたまっている水の色が色濃く浮き出していた。
その原因は、3階に設置されている風呂場だった。
元から備え受けられているミラーの取り付けが甘く
ミラーが曇る⇒曇りを取るためにシャワーする
⇒シャワーした水か長い年月をかけてたまりにたまって爆発したのだ。

どおりで天井とともに落ちた水には
細かな泡が含まれ、ほんのり甘い香りがしていた。
すべて施工業者の落ち度であることがわかったので
腐りかけていた床、クローゼットのべニア裏にたまった水とカビの除去、
そして天井と壁のクロスを張り替えてもらった。

新しい家に住みたいと多くの人が思うように欲望が喚起されている。
家は「一生に一度の買い物」であるという殺し文句が繰り返し使われる。
消費者としてもお金があれば便利で、綺麗で、住み心地の家に住みたいはずだ。
不動産不況になると折り込みチラシには以下の文言が入っている。

・3駅利用可能な便利な物件
 ⇒どの駅からも遠いのかなあという心の声

・全戸内覧可能
 ⇒完売できなかったから売れ残り物件は内覧可能にちがいない。

・家具付きマンション
 ⇒高額で、使用することよりも見せるために作られた家具付きとは。

・キャンセル物件
 ⇒今回3件キャンセルが出たので、
  ディスカウントして販売しますと書いてある。
  嘘でしょう。
  キャンセル物件として小出しに売っていたり、
  値引きしやすい口実として言っているだけでは?

 今、私は思っている。家なんて雨風しのげて住めればいいと。
賃貸でも滲(し)みやすい、いや住みやすいハウチュでいいと。
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雨の病院

2009-05-06 20:17:36 | Weblog
ゴールデンウイークが終わろうとしている。
暦どおりの休日なので、
連休に入ったとたんに連休後半という感じだった。

このブログでも何回か紹介している介護病院にも何日か通った。
そこで新たに感じたことは時間がすごくゆっくりと進んでいるという感覚だ。

部外者の私が感じるのだから、
入院中の患者たちの時間についての感覚はなおさらだと思う。
夕食は6時からなのに・・。
一日のうちでの数少ない刺激、
そして
楽しみを心待ちにしている患者たちが一時間前から徐々に食堂に集まりだす。
そこで交わされる会話も毎日同じような、
いや同じ会話が繰り返されてしまうのも当然のことだろう。

渋谷、恵比寿といった繁華街からもそれ程遠くない場所にある病院であるが、
その周辺は緑でいっぱいだ。

いや、冷静に病室から外を見ると
大規模なゴミ焼却場と病院を隔てているのが公園なのだ。
ゴミ焼却場も大病院も一般に暮らす住民にとっては、
必要ではあるが近くにありすぎると迷惑なのかもしれない。
ゴミ焼却場からのダイオキシンも心配であるし、
深夜問わないで大病院に向かう大音量の救急車のサイレンもまた雑音なのだろう。

そんな都会の中にある自然に囲まれて建つ病院。
それは病院であるので、目で見る風景以外には自然を感じることはできない。
春らしさも、心地よい春の風や日差しを肌で感じることは出来ない。
外出できるくらいなら入院していないのだから・・・。
ずっとその場所にいる。
だからこそ、
時間がゆっくりと止まっているように感じられてしまうのかもしれない。

  病院の窓からぼんやり外を眺める私には、
道を急ぎ足で行く人々が別種の生き物のように見えた。
ジョギング用の服を着込んだ若者が走り去っていく。
   ・・然れども我、神の御恵みにてのみあり・・
   ・・同じ人生の行進ではあるが、
私はちがうドラマーのちがうリズムにあわせて進んで ー 
あるいは転がって - いくのだ。
  『ボディ・サイレント』ロバート・F・マーフィーより

このような状況では、隔絶感や孤独感が生じるのも無理の無い話しかもしれない。

*結膜下出血してしまったようです。
 白目の半分が真っ赤です。どうしましょう?
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