市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

今年2012年の連休 終わる  まあいいか(たいしたことはない)

2012-05-08 | 日常
 連休も毎日快晴に恵まれ、終わった。温泉は、青井岳も国民休暇村カエダ温泉も、夜も昼も満員であった。このごろはいくら人が多くても、慣れてしまって平然と楽しめるようになった。みんな貧乏になったのだろうと思う。近場で安上がりのレジャーを楽しんでいる。金は不安な将来に備えて貯めていくのかもしれない。国が貧乏になるというのは、近場の温泉で実感できるようだ。
 
 連休の2日目、久しぶりに中心市街地に自転車ででかけた。山形屋デパートの駐輪所に自転車を止め、とりあえず路地にもぐりこんだ。と「占い 心のお地蔵さん」という看板が軒下の板壁にあり、並んで右に黄色い字で「占 心のお地蔵さん 痛み取り」という看板、左に今度は横書きで「料金表 鑑定料(30分)占 \2000 おはらい(痛み取り込)\2000」と明快な表示があった。看板のデザインといい文句といい、どこか雑貨店風な、カフェ風な明るさが格子戸の上の壁に3枚並んでいた。思わずカメラをむけていると、ガラリと格子戸が開いて、占い師がぬっと現れて、ぼくの顔をみたので、珍しい看板なので撮影させてもらいましたと、とっさに口にしたのだ。言い訳にもならぬ言葉ではあったが、彼は、そんなことはどうでもいいというあっさりした表情で、いきなりというか、唐突というべきか、
 
 「昨日は桜島の噴火で、迫力がありました」と話しかけるのだった。聞けば桜島の南側でまともに灰をかぶったという。そこ   に、願いが適う温泉があり、入っていたら、どえらい灰が降ってきてと、語りだしたのだ。
 「その池は温泉でして、こんな大きな(両手を広げて)樹の根が岸の樹から池に何本も入り込んでいるんです。温泉は混浴でし  てね、ホテルの庭になっていまして、泊まり客はこの池に来ているわけです。人のくぐれるくらいの鳥居があって、両手を合  わせて祈り、それから入るのです。混浴ですよ。男も女もみんなすっぽんぽんになって、白い浴衣に着替えて池に浸かるので  す。全国から人がきますよ。いつも盛況のようです。火山灰は、ここを直撃してきたのです」と話がつづいた。

  ぼくもなぜ街をとるのか、この路地が当たり一面草地であったことや、近くの文化ストリートにタロット占にヒッピー風な男性がいたことなどをしゃべっていった。それにしても、かれはとても占い師という風采に見えず、銀行の支店長か、デパートの売り場課長にしか見えない、背広にネクタイの紳士であった。
 
 「街を撮ってまわられるとは、素晴らしい趣味ですね」
 「いや、そんな高尚なもんじゃありません。街といっても、崩壊したもの、もう役に立たなくなって捨てられたも同然の廃物、  もっていきようもない残骸が、街に巣くっているもの・・そんなもんを探し出して、たとえば錆びくれたトタン壁、がたがた  の外壁の階段、剥がれまくった壁、歪んだドア、セメントのように固まってしまった庭、軒下の破れたガラス窓、何本もかた  められたビニール傘の把などなど、こんなものがすきなんでしてねえ」
  というような話を返して店先を辞した。

 あれから、シャッター通りでは露天市場が並び、その露天に引かれた人が歩いていた。いかにも都会風な若者が軽食やジュースを連れの女性と売っていた。そのあまりのハンサムぶりに声をかけると、きれいな標準語で返答する。ふと思い出して、サーファーですかというと、そうですと答えて微笑んだ。どこの出身ときくと、宮崎市ですと聞き、へえ、宮崎人も変わってきているのだとおどろいた。かれの屋台の正面の2階で、小さなカフェをやっているんですというので、じゃ近く寄りましょうと約して、分かれた。

 上品といえば垢抜けた食品スーパーもある。家内がりんごの美味しいのと、ランチに巻き寿司を買ってきて欲しいというので、また自転車でこの店にまでいたり、店に入った。リンゴは一個480円というのが綺麗に積まれていた。ほかに安いのはないかと探したが無い、結局買うのを止めた。巻き寿司はパックで綺麗に10切れほど並んで、780円、これも高いようだが、ほかにはないかと移動してみつからず、ふたたび、このパックを手にとって眺めていると、中年の女店員が親切に巻いたのもありますよと言ってくれたので、それ半分だけくださいというと、半分はないです、じゃあ一本、いくらですか、400円ですけど、ではくださいと、これをもらった。すると、10個に切られ真ん中にふた切れが横に重ねられて左右に4切れずつ並んで、パックに治まっていた。780円のパックは全部は横になっていたが、そちらはなぜ780円もするのだろうかと、いや、これは品が落ちるのかも、売れ残りかとちょっと不安だった。しかし、これは美味い巻き寿司だとあとで家内と賞味したのであった。

 ここを出て、ふたたび山形屋交差点で信号待ちしていると、チラシを配っていた女性が、すっと寄ってきて、近く公開するこの映画をぜひごらんくださいとさしだした。上映はキネマ館だという。
 
 「映画の主催者は、あなたたちですか」
 「そうです。やっと借りられました。今、日本は大変なことになっています。この映画はこんな状況で、どうすればいいのか、  訴えていますから」
 「日本人は今、なんもかんがえない。批判的に判断できない、大変ですよね」
 「そうです、そうです。アンケートに回答していただけると、抽選で商品もおくりますけど」
 「いや、商品など入らない、映画は興味を引きますね」
 「ぜひ、ぜひ、あなたのような立派な方に、みていただきたいのです。署名をいただけないでしょうか」
 「しません。人にも組織にも興味がないのです。しかしこの映画は見ます」
 「わーうれしい、立派な方にみてもらえるとは、ほんとに良かったです!」
 その正直そうな満面の笑みを浮かべた、映画などという遊び人の雰囲気のぜんぜんない中年叔母さんをみながら、よっぽど観客動員に苦労しているのかなと、思うのであった。
 
 手渡されたチラシによると、映画は「ファイナル・ジャッジメント」ストーリイは、近未来、アジアの軍事独裁国家オラウンに占領された日本人とオウラン人をも救うためにヒーロー鷲尾正悟が、その役割(Role)に自分を捧げルために行動を起こすとある。なるほど正悟とは、悟るじゃね、いさなんか説教くさい、悟れよ日本人かな、「日本取り戻せ」という大きくコピーがあり、「いつのまにか日本が占領されている」というコピーも並び、悟りの足りぬ日本人の不幸を警告している。たしかに今様ではある。「日本占領」で検索すると、リバティ・ウエブというサイトで、ニュースやオピニオンをタイムリーに読むことができるともある。6月2日(土)全国ロードショー、しかし時間も料金もかかれてない。監督も出演者も製作者もない。よっぽど不慣れで、どしろうとの上演実行委員会であろうか。ただ切実さだけがほとばしっている。

 これとはまったく別の趣で、5月12日(土)都城市神柱神社境内のテント芝居どくんご「太陽がいっぱい」が公演される。この一夜をワルキブスの夜と楽しめそう。去年、ここで会ったかってぼくの批評をよろこんでくれたアマチュア劇団のかれも来ていた。この公演の後、まもなく懲戒免職になったのだが、そんなこととは梅雨しらず、ぼくは再会を喜んだのに、かれは、いつのまにか、いち早く帰っていったようだった。今までこんなことはなかったのにと不思議であった。そうか、その夜、彼は不安を抱え込んでいたのだと、後でわかった。人生、明日はどうなるか、実はだれもしらないのだ。すべては偶然の手にゆだねられている、のかもしれない。

 かくして、ことしのゴールデンウィークは、まあまあの体で過ごすことができたのである。平穏に感謝すべきであろう。
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